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第三話 夕食

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ルシアナが足を踏み入れると、ざわついていた大広間はしん、と静まり返った。
案内に立っていた少年は、巻き込まれたくないと背中を丸めてどこかに行ってしまった。
たったひとり、エスコートもなく取り残された。別に少年に守ってもらえると思っていたわけではないけれど・・・心細い。どうしたらいいのかとあたりを見回しても、誰も助けてくれそうになかった。
祖母の形見として唯一残されたロケットを胸元で握りしめる。慣れたカーブは心を癒やし、誇り高い祖母の姿を思い出し、自分をなんとか奮い立たせようときぜんとして背筋を伸ばした。

「・・・」
「・・・ずうずうしい・・・」
「あく・・・」
「どういう・・・」

部屋中あちこちから聞こえてくるヒソヒソ声。
ルシアナに対して好意的なものではないと、はっきりと聞きとれなくても分かる。

誰も手を貸そうとしない冷たい空気の中、途方に暮れて立ちすくんでいると、ラッパの音が響き渡り、部屋にいた全員が立ち上がり、居住まいをただした。
緋色のコートを着た年配の騎士が、ほっそりとしたレディをエスコートしながら部屋に入ってきた。
濃い金髪にちらほらと銀色が混じり、壮年ではあるがいまだ現役の騎士らしい鋭さと威厳をまとっていた。この方が侯爵閣下だ。

(あの方に、似ている)

そう思うと、胸がどきどきと高鳴った。だが、今は敬意を現すのが先だ。
ルシアナは膝を折り、正式なカーテシーの礼をとって侯爵閣下が席に着くまで待った。

「ほう、今日は美しいレディがいるな」
ルシアナに気づき、嬉しそうに目を細めた侯爵を、夫人が勢いよく肘で突く。
「あ、ああ・・・あれが・・・」
侯爵は咳払いとともに、上座につくと、もうルシアナと目を合わせようとはしなかった。
身分が上の方から声をかけられなければ、話すこともできない。
つまり、挨拶を許されなかった、ということ。かつて国一番の公爵令嬢と言われたルシアナは、侯爵が手のひらを下に向け、全員に座るように合図したのと同時に近くの椅子に腰掛けた。
目を伏せ、邪魔にならないように空気のような存在になる。それがここで生き延びるすべだ。

侯爵夫人は昼間の実用的な服装とはちがい、体のラインを強調するようなドレスをまとっていた。若々しい姿は、とても成人をとっくに迎えた息子がいるようには見えない。艶やかに侯爵に笑いかける姿は、せいぜいルシアナの10歳年上ぐらいにしか思えなかった。

「シンプソン、そちらの方をご案内しなさい」
「はっ」

侯爵夫人が扇を揺らすと、執事が急ぎ足でルシアナに近づき、席を移るように促した。
侯爵夫妻の斜め前の席は客の座る席の中でも上座だった。おそらく、今回の見合い相手のとなりだろう。
だが、見合い相手のランドール伯が座っているはずの場所は空席で、ルシアナには肉を取り分けてくれる人も話し相手もいない。

(今日は、ランドール様はいらっしゃらないのかしら?)

そう思っても、聞く勇気がない。
夫人にあなたに会いたくないから帰ってこないんですよ、と冷たく突き放されそうで。

ルシアナは背筋を伸ばしたまま唇を噛んだ。
もう少しだけ我慢すれば、結婚を断ってもらえるだろう。そうすれば、ここから出ていくことができるし、国王陛下の温情に逆らったことにもならない。
そう、多分帰りは送ってもらえないだろう。どうやって王都に向かったらいいのか、それとも隣国に行って新しい人生をやり直したほうがいいのか・・・考え込んでいると、ルシアナの脇のカップに赤ワインが注がれた。

「皆の健康を!」

食事の前の祈りを捧げ、侯爵が大きな声で挨拶をすると、皆が大声で「健康を!」と返し、ガチャガチャと食器の触れ合う音が聞こえ、食事が配られはじめた。
領主の前には最初に大きな鳥の丸焼きが。次にルシアナの前に少し小さな丸焼きが置かれた。
その後も次々に野菜やスープが置かれ、修道院の質素な食事とはあまりに違う食卓にルシアナはまごついてしまった。丸焼きの鳥は、どこから食べたらいいの?・・・いままで、いつも兄様が取り分けてくださったし・・・社交の場では次から次に食事を運ばれ、いつも断るのに苦労していたのに。

どうしたらいいのか分からず、木のさじでスープを口に運ぶ。
緊張しすぎていて、味が分からないが、とりあえずふたくち飲んだ。
眼の前に置かれたパンをちぎり、食べようか迷う。

(そういえば、チーズを少しいただいていこうと思ったんだわ)

パンの脇にあるチーズのかけらをそっとスカートのひだの間に隠す。せめてネズミとは仲良くできたらいいんだけど。

正直、ここまで人生が生きづらくなるとは思ってもいなかった。
想像もつかなかった、というのが正しい。
王太子の将来の王妃として育てられていた自分。ところが王太子は突然現れた聖女に心を奪われ・・・その聖女を排除しようとしたことの何が悪かったのか。ただ、人を雇って聖女を辱めようとしたことは悪いことだった。
でも、それ以外は当然のことでしょう?
自分のいた場所を守ろうとしただけ。
でも、聖女を害そうとした悪女と認定されてしまった今は、どこに行っても嫌われ、邪魔にされる。
侯爵夫人の言葉は、無理もないものだった。ここは聖女への信奉の厚い土地ですもの。しかも、ここの娘は聖女の親友だし・・・
もしかしたら、このままランドール伯とは顔を合わせないのかもしれない。
そうよね、そうだとしたら・・・多分、旅費ぐらい貸してくれるんじゃないかしら。そのぐらいの情けをかけてくれるかもしれない。修道院の給金としてもらったお金は、一人で生きる手立てを見つけるにはあまりにも少なすぎた。

そんなことを食事をしているふりをしながら考えていると、にわかに戸口がざわついた。

「若殿、いくらなんでも」
「お待ちください」

誰かが、「若殿」とやらを止めているらしい。一体何が?
目を上げると、目の前には、以前一度だけ会ったケイレブ・コンラッドことランドール伯がそそり立つ壁のように立っていた。濃い金髪とはしばみ色の瞳、広い肩は記憶のとおりだ。
「ラ・・・」
思わずその名を呼ぼうとしたとき、彼が何かをドサリと足元に落とした。

小さな悲鳴が部屋の中に広がった。メイドたちが怯えて悲鳴を上げているらしい。
でも、おどろきすぎたルシアナは、呆然とケイレブの顔を見つめ続けた。
だって、やっと会えた。
箱のような馬車に乗せられ、子供には石を投げられ、奥方には罵倒された。使用人のような扱いも、挨拶すらさせてもらえなくても、ただ頭を下げて耐えた。

理由は唯ひとつ。

記憶に残るこの人に、会いたかったから。

「ランドール様・・・」

吸い寄せられるように立ち上がり、はしばみ色の瞳をじっと見つめた。

会いたかった。

そう言うことが許されるのかはわからないけど。
ただ、体中を激しい血潮がめぐり、自分の心臓の音で何も聞こえない。
眼の前にいるひとのことしか、もう見えなかった。
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