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第十八話 結婚の理由
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薄暗い廊下に出ると、人影が動いた。
「ルシアナ」ささやきかけてきた男はジェフリーだった。
「ジェフリー兄様?なぜこんなところで・・・?」
「話しがしたい」ジェフリーがほほをゆがめた。「ゆうべから一度もお前に近づくチャンスが無かった。あの田舎者にずっと見張られていたし・・・あいつがいないときは、手下が犬のようにへばりついていた」
「まあ」
切羽詰まったジェフリーの様子に、ルシアナがテルマに目で合図すると、テルマは無言でうなずき、声の聞こえないところまで下がった。
ケイレブが自分にジェフリーを近づけないようにしていたとは・・・親族として、祝いを述べる権利はあるはずなのに。なにか、理由があったのか、それとも・・・?でも、ジェフリーの口ぶりは気に入らなかった。
「ジェフリー兄様。もう私はランドール伯夫人になったんです。夫を侮辱することは、私を侮辱することと同じ意味ですのよ?」
「ルシアナ!」ジェフリーがルシアナの腕を両手で握りしめた。「今すぐ、逃げよう。まだ、婚姻は成立していないはずだ。今なら間に合う。あんな粗野な男・・・しかも持参金のない花嫁など、どれほど肩身が狭いことか」
「そうかもしれません。でも、結婚すればたとえ廃鉱山でも手に入るんですよ?今の私には、それすらないんですから」
「そうか・・・そうだよな。頭の良いお前のことだ。あいつにほだされたわけじゃないって分かってた。鉱山のことなら私が王に掛け合ってやる。廃鉱山のひとつぐらいくださるさ。さあ、一緒に・・・」
「いやです」
自分でも驚くほど勢いよく言葉が飛び出した。
「行きません。私は、神様の前で約束したんですから。あの方は私を生涯守ると約束してくださいました。私だって、あの方との約束を守ります」
「ルシアナ・・・」
「テルマ」声をかけると、メイドの持つろうそくの明かりが揺らいだ。「ジェフリー兄様には、帰り道がつつがないようお祈りしております。私を思って言ってくださったことと感謝しております」
近づいてくる明かりに、ジェフリーは声をひそめた。
「ルシアナ!頼む!聞いてくれ、あいつはお前が思っているような男じゃない。騙されるな!」
「え?」
「あいつは、聖女の忠実な騎士だ。なんで、聖女の敵に回ったお前とわざわざ結婚する必要があると思う?そうすれば二度と王太子妃として返り咲く可能性はなくなるからな!それに、なぜお前からの持参金はいらないって言ったのか教えてやろうか?もう、もらってるからだよ!」
「どういうこと?」
「王都にあるアドランテ家の邸宅、その周りの所領。誰が手に入れたのか、聞いてみろ。お前はあの騒動のあと牢に入りそのまま修道院にいって世間から隔離されていたからなにも知らないんだ」
「・・・」ルシアナは頭痛をなだめるように、こめかみを押さえた。今、ジェフリーが言ったことはつまり・・・ケイレブは、ルシアナが王太子妃となる可能性を潰すため、自分が結婚するってこと?
なぜ、自分を犠牲にしてまで・・・それほど、聖女を愛しているってこと?
耳の奥に金属がきしむような大きな音が聞こえる。
噂はあった。
ルシアナに追われ、辺境に逃げこんだ聖女を守り抜いたのは、他ならぬケイレブ・コンラッドだった。
しかも民衆を扇動し、アドランテ家を断絶に追い込んだ。
敵なのに。
愛してはならない相手なのに。
ルシアナは目を伏せ、胸の奥のふるえと戦った。
「私は・・・自分を一番高く買ってくれた相手と結婚したまでです。それ以上でも、それ以下でもありません。すでに神の前で結婚の誓いまで交わした相手から逃げるなど・・・お兄様らしくもありませんね。冷静になってください。結婚し持参金が認められれば、こののち離縁されることになってもなんとか生きていけるんです」
王家がルシアナにつけた鉱山には、鉱山を取り巻く下町と小さな荘園がついている。ルシアナひとり程度を養うには十分だった。ただし、持参金である以上、結婚しなければルシアナのものにはならない。
「ルシアナ、私は・・・」
「妻から手を離せ」
大広間からころあいを見計らって抜け出してきたケイレブは、王家の使者がルシアナを囲い込むようにして話しかけている姿を見た。
「王家の使者殿は、花嫁にどのようなご用事か。人気のないこのような暗がりで、誤解を招くような行為はつつしんでいただきたい」
ケイレブの低い怒りを含んだ声に、ジェフリーは後ずさった。
「私はなにも・・・」
「お祝いをおっしゃってくださっただけですわ」
ルシアナがケイレブにほほえみを向けた。だが、ケイレブにはその笑みはずいぶんと不自然に見えた。ルシアナの瞳には、なんの感情も宿っていなかった。しかも、はからずも立ち聞きしたルシアナの本音は、理にかなってはいたが、面白くはなかった。
「ビル。奥方を部屋まで送っていけ。妙な虫がうろついていないとも限らないからな」
「虫?虫ですと?」甲高い声で反論したジェフリーをケイレブがにらみつけた。
「おや?ご自分が虫だとお認めになるんで?少し飲み足りないんじゃないですか?俺がお相手しましょう」
ジェフリーの首根っこをつかみ、いま来た道を戻っていくケイレブを見てビルはため息をついた。
「これは・・・使者殿は間違いなくつぶされますな。若奥様も新婚初夜からこんな騒ぎで・・・」
「いえ、いいんです」ルシアナは目を伏せた。
聞かれてしまった。持参金については本音だったけど、離縁されたいなど思っていないのに・・・あれではまるで、自分が売り物で、ケイレブはそれを買った客のような言い振りではないか。他人が言ったら侮辱に感じただろう。
「若奥様」
テルマがルシアナの足元をろうそくで照らし、ルシアナが使っていた部屋に向かった。
テルマもビルも表情が見えないのに、初めてこの地に来たときのような、他人行儀な態度に戻ってしまったのがわかる。しょせん、ルシアナは外から来た嫁。ケイレブに仕えている使用人やビルからしたら不快な話だろう。
薔薇の香油を垂らした湯船につかり、侍女たちにあれこれと世話を焼かれながらも、ルシアナの頭は去り際にちらりと見たケイレブの視線のことで頭がいっぱいだった。
軽蔑されてしまった?嫌われてしまった?
女たちがルシアナの肌や髪を褒めそやしながら、てきぱきと初夜の準備を勧めていくのもまるで耳に入らない。無力感と不安に苛まれながら、着せ替え人形のようにされるがままになっていた。
薄い夜着の上にシルクのガウンを羽織り、ケイレブの部屋に向かう。
ケイレブはまだジェフリーを相手に酒を酌み交わしているから、もっと遅くなるに違いない。そう自分に言い聞かせ、震える足でテルマの後ろから部屋に入ると、部屋の中は爽やかなラベンダーの香りがした。
「お待たせいたしました」
テルマが頭を下げ、脇によけると、ガウンを着たケイレブがナイトテーブルで酒を飲んでいた。
すぐに脱げそうなその服装に、ルシアナは落ち着かなくなった。
「待ちかねたぞ」
「申し訳ありません。途中邪魔がはいったものですから」
ケイレブは舌打ちし、テルマに手を振ると、ルシアナについてきた侍女たちは無言で退出した。たったふたりで取り残されてしまった。しかも、さっきの出来事のあとで、なにを話せばいいのか・・・
「単刀直入に聞く」
ケイレブが、ナイトテーブルにゴブレットを置く音が妙に大きく聞こえた。
「あなたは、処女か」
「ルシアナ」ささやきかけてきた男はジェフリーだった。
「ジェフリー兄様?なぜこんなところで・・・?」
「話しがしたい」ジェフリーがほほをゆがめた。「ゆうべから一度もお前に近づくチャンスが無かった。あの田舎者にずっと見張られていたし・・・あいつがいないときは、手下が犬のようにへばりついていた」
「まあ」
切羽詰まったジェフリーの様子に、ルシアナがテルマに目で合図すると、テルマは無言でうなずき、声の聞こえないところまで下がった。
ケイレブが自分にジェフリーを近づけないようにしていたとは・・・親族として、祝いを述べる権利はあるはずなのに。なにか、理由があったのか、それとも・・・?でも、ジェフリーの口ぶりは気に入らなかった。
「ジェフリー兄様。もう私はランドール伯夫人になったんです。夫を侮辱することは、私を侮辱することと同じ意味ですのよ?」
「ルシアナ!」ジェフリーがルシアナの腕を両手で握りしめた。「今すぐ、逃げよう。まだ、婚姻は成立していないはずだ。今なら間に合う。あんな粗野な男・・・しかも持参金のない花嫁など、どれほど肩身が狭いことか」
「そうかもしれません。でも、結婚すればたとえ廃鉱山でも手に入るんですよ?今の私には、それすらないんですから」
「そうか・・・そうだよな。頭の良いお前のことだ。あいつにほだされたわけじゃないって分かってた。鉱山のことなら私が王に掛け合ってやる。廃鉱山のひとつぐらいくださるさ。さあ、一緒に・・・」
「いやです」
自分でも驚くほど勢いよく言葉が飛び出した。
「行きません。私は、神様の前で約束したんですから。あの方は私を生涯守ると約束してくださいました。私だって、あの方との約束を守ります」
「ルシアナ・・・」
「テルマ」声をかけると、メイドの持つろうそくの明かりが揺らいだ。「ジェフリー兄様には、帰り道がつつがないようお祈りしております。私を思って言ってくださったことと感謝しております」
近づいてくる明かりに、ジェフリーは声をひそめた。
「ルシアナ!頼む!聞いてくれ、あいつはお前が思っているような男じゃない。騙されるな!」
「え?」
「あいつは、聖女の忠実な騎士だ。なんで、聖女の敵に回ったお前とわざわざ結婚する必要があると思う?そうすれば二度と王太子妃として返り咲く可能性はなくなるからな!それに、なぜお前からの持参金はいらないって言ったのか教えてやろうか?もう、もらってるからだよ!」
「どういうこと?」
「王都にあるアドランテ家の邸宅、その周りの所領。誰が手に入れたのか、聞いてみろ。お前はあの騒動のあと牢に入りそのまま修道院にいって世間から隔離されていたからなにも知らないんだ」
「・・・」ルシアナは頭痛をなだめるように、こめかみを押さえた。今、ジェフリーが言ったことはつまり・・・ケイレブは、ルシアナが王太子妃となる可能性を潰すため、自分が結婚するってこと?
なぜ、自分を犠牲にしてまで・・・それほど、聖女を愛しているってこと?
耳の奥に金属がきしむような大きな音が聞こえる。
噂はあった。
ルシアナに追われ、辺境に逃げこんだ聖女を守り抜いたのは、他ならぬケイレブ・コンラッドだった。
しかも民衆を扇動し、アドランテ家を断絶に追い込んだ。
敵なのに。
愛してはならない相手なのに。
ルシアナは目を伏せ、胸の奥のふるえと戦った。
「私は・・・自分を一番高く買ってくれた相手と結婚したまでです。それ以上でも、それ以下でもありません。すでに神の前で結婚の誓いまで交わした相手から逃げるなど・・・お兄様らしくもありませんね。冷静になってください。結婚し持参金が認められれば、こののち離縁されることになってもなんとか生きていけるんです」
王家がルシアナにつけた鉱山には、鉱山を取り巻く下町と小さな荘園がついている。ルシアナひとり程度を養うには十分だった。ただし、持参金である以上、結婚しなければルシアナのものにはならない。
「ルシアナ、私は・・・」
「妻から手を離せ」
大広間からころあいを見計らって抜け出してきたケイレブは、王家の使者がルシアナを囲い込むようにして話しかけている姿を見た。
「王家の使者殿は、花嫁にどのようなご用事か。人気のないこのような暗がりで、誤解を招くような行為はつつしんでいただきたい」
ケイレブの低い怒りを含んだ声に、ジェフリーは後ずさった。
「私はなにも・・・」
「お祝いをおっしゃってくださっただけですわ」
ルシアナがケイレブにほほえみを向けた。だが、ケイレブにはその笑みはずいぶんと不自然に見えた。ルシアナの瞳には、なんの感情も宿っていなかった。しかも、はからずも立ち聞きしたルシアナの本音は、理にかなってはいたが、面白くはなかった。
「ビル。奥方を部屋まで送っていけ。妙な虫がうろついていないとも限らないからな」
「虫?虫ですと?」甲高い声で反論したジェフリーをケイレブがにらみつけた。
「おや?ご自分が虫だとお認めになるんで?少し飲み足りないんじゃないですか?俺がお相手しましょう」
ジェフリーの首根っこをつかみ、いま来た道を戻っていくケイレブを見てビルはため息をついた。
「これは・・・使者殿は間違いなくつぶされますな。若奥様も新婚初夜からこんな騒ぎで・・・」
「いえ、いいんです」ルシアナは目を伏せた。
聞かれてしまった。持参金については本音だったけど、離縁されたいなど思っていないのに・・・あれではまるで、自分が売り物で、ケイレブはそれを買った客のような言い振りではないか。他人が言ったら侮辱に感じただろう。
「若奥様」
テルマがルシアナの足元をろうそくで照らし、ルシアナが使っていた部屋に向かった。
テルマもビルも表情が見えないのに、初めてこの地に来たときのような、他人行儀な態度に戻ってしまったのがわかる。しょせん、ルシアナは外から来た嫁。ケイレブに仕えている使用人やビルからしたら不快な話だろう。
薔薇の香油を垂らした湯船につかり、侍女たちにあれこれと世話を焼かれながらも、ルシアナの頭は去り際にちらりと見たケイレブの視線のことで頭がいっぱいだった。
軽蔑されてしまった?嫌われてしまった?
女たちがルシアナの肌や髪を褒めそやしながら、てきぱきと初夜の準備を勧めていくのもまるで耳に入らない。無力感と不安に苛まれながら、着せ替え人形のようにされるがままになっていた。
薄い夜着の上にシルクのガウンを羽織り、ケイレブの部屋に向かう。
ケイレブはまだジェフリーを相手に酒を酌み交わしているから、もっと遅くなるに違いない。そう自分に言い聞かせ、震える足でテルマの後ろから部屋に入ると、部屋の中は爽やかなラベンダーの香りがした。
「お待たせいたしました」
テルマが頭を下げ、脇によけると、ガウンを着たケイレブがナイトテーブルで酒を飲んでいた。
すぐに脱げそうなその服装に、ルシアナは落ち着かなくなった。
「待ちかねたぞ」
「申し訳ありません。途中邪魔がはいったものですから」
ケイレブは舌打ちし、テルマに手を振ると、ルシアナについてきた侍女たちは無言で退出した。たったふたりで取り残されてしまった。しかも、さっきの出来事のあとで、なにを話せばいいのか・・・
「単刀直入に聞く」
ケイレブが、ナイトテーブルにゴブレットを置く音が妙に大きく聞こえた。
「あなたは、処女か」
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