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怒り

迅は、目の前の信じられない光景に言葉を失った。あの静かで物憂げな男、雨宮雫が、憎悪に満ちた目で自分を見下ろしている。そして、その手には血の付いたナイフが握られている。
​「なぜ……！」迅は、肩の激痛に耐えながら、かろうじて声を絞り出した。
​「なぜ、だと？ふざけるな！」
​霧と名乗った男は、冷酷な笑みを浮かべた。その表情は、先ほどまで「雨宮雫」として迅の隣にいた男と瓜二つでありながら、全くの別人だった。
​「お前たちが奪ったんだ。父の誇りを、母の笑顔を、そして、弟の未来を！すべて、お前たちの父親と叔父の仕業だ！あいつらが、うちの親父の会社を潰したせいで、俺たちは家族がバラバラになったんだ！なぜ、俺がこんな思いをしなければならなかった？」
​霧の言葉が、迅の頭の中でバラバラに散らばっていた記憶の断片を、繋ぎ合わせていく。
​「…お前の弟は…なぜ自殺を？」
​「ああ。雫の能力を恐れ、お前たちを憎み、心がもたなかったのかもな」
​霧は、椅子に縛り付けられた男を、冷たい目で見下ろした。男は、激しい苦痛に顔を歪ませ、荒い息を吐いている。
​「この男は、復讐の道具として、ここまで生かしておいた」
​迅は、その言葉に戦慄した。霧は、叔父を道具と呼んだ。そして、その心の中の憎しみを、すべて自分に向けさせていた。
​「復讐は、ここからが本番だ。お前は、俺の憎しみを理解できる。心で通じ合える、唯一の存在だ」
​霧は、ナイフを迅の心臓に向けた。その瞬間、迅の脳裏に、幼い頃の記憶が鮮明に蘇った。
​雨が降る中、隣の家の庭で、双子の少年が泣いている。一人の少年が、もう一人を庇うように立っていた。
​「大丈夫だよ、雫。僕がいるから」
​迅は、その時、初めて霧の心を感じた。それは、憎しみと悲しみ、そして、弟を守りたかった、ただそれだけの純粋な願いだった。
​「違う……！お前は、弟を愛していたんだ！」
​迅の言葉に、霧は目を見開いた。その表情には、ほんの一瞬だけ、雫の面影が戻ってきた。
​「…何だと？」
​迅は、激痛を堪えながら、必死に訴えかけた。
​「お前は、弟の憎しみを、自分の中に閉じ込めて、一人で戦おうとした。違うか？だから、弟は、お前を恐れるしかなかったんだ！お前の心には、弟への深い愛情があった。その愛を、お前自身が殺そうとしていたんだ！」
​霧は、動揺した。彼の心の中の壁が、ひび割れていく。
​その隙を逃さず、迅は霧の手に持ったナイフを払い落とし、体を反転させた。二人の体がもつれ、床に転がる。
​「お前を捕まえる！そして、この事件の真相を、お前自身に語ってもらう！」
​迅は、霧を組み伏せた。しかし、霧はなおも抵抗する。その瞳は、狂気に満ちていた。
​「うるさい！俺は、復讐を成し遂げるんだ！この男を、そしてお前を殺して、すべてを終わらせる！」
​霧の叫び声が、廃墟に木霊した。雨音はさらに激しさを増し、まるで二人の激しい運命を嘲笑うかのように、アスファルトを叩きつけていた。