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第二章 冬のグリンウッド

メイドのアンナ

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 グリンウッド家の庭に住み始めて八日目の朝。
 リリアは青いメイド服と真っ白なエプロンに身を包み、二階から一階に向かう階段を駆けおりていた。
 歩くたびに、ポニーテールにした緑色の髪が左右に跳ねる。

「今日こそ薬草が届いてますように」

 祈りながら向かう先にあるのは、一階の奥にある、薬づくりの作業場。
 そう――オスカー様が「小屋」と呼んだこの建物、嬉しいことに立派な作業場がついていた。

 正式名を「別邸」と言い、二十年前に先代の当主が王都から薬草師を招いて建てたものらしい。
 お洒落な赤レンガ造りの二階建で、一階に広い作業場と厨房を備え、二階にはお風呂つきの部屋が四つもある豪華な造り。
 ハーブ家で地下室と庭にしか行けなかったリリアにとっては、天国のような作業場だ。

「作業場の裏口に置いてくださいって、お手紙を出したんだけど……」

 最後の二段を、えいっ、と飛びおり、スカートの裾を翻して廊下の奥へと急ぐ。

 リリアが着ているのは、グリンウッド家の青いメイド服。
 初日に鍵を渡された時、その年配の執事にお願いしたら、首をかしげつつも新品を三着も渡してくれた。
 明るい色で肌触りもよく、着ているだけで気分の上がる、素敵な服だ。

 立派な作業場で、素敵な服を着て、オスカー様のそばで薬づくりができる。
 それだけで充分に幸せ――。

 と、思っていたのだが。
 リリアは大きな問題に直面していた。

「――薬草がなかったら、薬が作れないじゃない……」

 作業場の裏口。突き出た軒下にある台の上。
 そこに何も置かれていないのを見て、リリアはがっくりと肩を落とす。

 そうなのだ。
 オスカー様に薬の腕を認めさせたいのに、肝心の薬草が届かない。
 仕事の指示もなく、手紙を出しても反応なし。
 おかげで昨日までの七日間、別邸ここの掃除ばかりしている。

「あたし、どうしたらいいの……?」

 ハーブ家では、仕事がなくて困ったことなど一度もなかった。
 継母に指示されるままに薬を作り、間に合わなければ鞭で打たれる。
 リリアにとって、仕事とはそういうものだった。

 だから、この状況には戸惑うばかり。
 屋敷には近づかない約束だから、行って訊ねることもできない。

「……アンナにお願いしてみようかしら」

 この敷地で唯一、リリアと接点のある若いメイドの名前をつぶやいた時、玄関からよく通る声が聞こえてきた。

「リリア様、朝ごはんをお持ちしました!」

 アンナの声だ。
 ちょうどいいところへ来た。

「アンナ、こっちよ! 作業場にいるわ!」

 大声で答えると、とたとたと足音がして、開け放した扉からショートカットの茶髪のメイドが顔を出した。

 リリアよりひとつ年下の十六歳。
 鼻の周りのそばかすと茶色の大きな瞳が特徴的な、明るい女の子だ。

「もう起きてらしたんですね。朝からお仕事ですか?」

 悪気はないのだろう、笑顔で訊ねてくる。
 リリアは苦笑した。

「今日も仕事がないの。またお掃除の日になりそう」
「そうなんですか? この別邸、もうどこもかしこもピカピカですよ?」
「じゃあ、庭の草むしりでもしようかしら」
「とりあえず朝ごはんにしません? 今日もサンドイッチですけど、持ってきました」

 アンナが、手に持っていたバスケットをテーブルに載せた。
 彼女は最近雇われたメイドらしく、こうしてリリアに三度の食事を運び、ゴミを回収して帰っていく。
 食べている間の短い時間だけしかいてくれないが、彼女とのちょっとした会話は、リリアの大きな楽しみになっている。

「うわぁ、おいしそう! チーズとサラダのサンドイッチね。いつもありがとう、アンナ」

 サンドイッチを手に取り、お礼を口にする。
 しかし、いつもなら「どうぞお召し上がりください」と返事があるのに、その声が聞こえない。
 怪訝に思って顔を上げると、申し訳なさそうなアンナの顔が目に入った。

「どうしたの?」

 問いかけたリリアに、アンナがおずおずと口を開いた。

「あのぉ……、リリア様は、毎日サンドイッチばかりで、お怒りではないですか?」
「あら、どうして? サンドイッチ、あたし好きよ。ありがたく頂いてるわ」

 素直な感謝の気持ちを伝える。
 柔らかくてふわふわのパンとシャキッと新鮮な野菜のサンドイッチ。
 ハーブ家では、お母様が亡くなってからというもの、こんなに手をかけた食事を出してもらえたことはなかった。
 たいていは使用人たちの食事の残り物。まるで家畜のエサのように、ぐちゃりと皿に入れられたそれを、干からびたパンと一緒に食べていた。

「――ですが、これは私たちと同じ食事です……。リリア様は貴族のご令嬢なのに、申し訳なくて」

 貴族のご令嬢と言われ、リリアは、ああなるほど、と納得する。
 毎日がサンドイッチなんて、ディアナだったら怒り心頭だろう。

「あたしにとってはごちそうよ。厨房の皆さんに、アンナからお礼を伝えてもらえると嬉しいわ」

 リリアがそう答えると、アンナの目に涙がぶわっと盛り上がった。
 そばかすだらけの頬の上を、大粒の涙がぼろぼろと流れ落ちる。

「えっ、ア、アンナ? どうしたの?」

 いきなりのことに、リリアはおろおろしてしまう。
 同年代の女の子に目の前で泣かれたことなど初めてで、どうしたらいいのかわからない。

「――す、すみません。私、悔しくって……」

 しばらくエプロンで顔を覆っていたアンナが、気持ちが落ち着いたのだろう、口を開いた。

「お嫁にいらしたのに遠ざけられて……。それでもいつも笑っておられるリリア様がおいたわしくって……」

 どうやらこの境遇に胸を痛めてくれているようだ。
 リリアとしては天国のような場所だけれど、はたから見ればそうではないのだろう。
 彼女の優しさが伝わってきて、胸がじんわりと温かくなる。

「私、つい最近、雇われたんです。領主様の奥様の侍女兼メイドって言われて、すごく楽しみにして来たんです……」
「まあ。そうだったの?」

 楽しみにしていたと言われると、やっぱり嬉しい。

「オスカー様に叱責されて追いやられたと、他のメイドに聞きました。――確かに驚きました。ご令嬢とは思えないお姿で、髪も不思議な緑色でしたから」
「う、うん、まあね」

 ポニーテールにした髪を手に取ってみる。――うん、確かに緑色だ。

「ですけど、素敵な奥様なんです。質素なお食事でも喜んで食べて、掃除や洗濯もご自身でされて、なのに嬉しそうに笑っておられて」
「……ええと」

 これ、褒めてるのよね?
 心の中で問いかけたとき、アンナが袖で目尻をぬぐって顔を上げた。

「本当に優しい奥様なんです! 私みたいな新人メイドにも感謝してくださって……。なのに、こんなところに閉じ込められて。私、悔しくて、悔しくて……」

 感極まったのか、アンナの目にまた涙が盛り上がってきた。

「オスカー様は、あんまりです! 見た目が気に食わないからって、お話もお世話もしちゃいけないなんて、そんなのひどすぎます」
「ちょ、ちょっと待って! アンナ、いま、なんて?」

 思わずアンナの両肩をつかんだ。
 なにやら聞き捨てならない言葉が聞こえた気がする。

「リ、リリア様?」
「さっきの言葉よ! オスカー様が、なんて?」
「……見た目が気に食わない、ですか?」
「そのあとよ!」
「お話もお世話もしちゃいけない?」
「そう、それ! オスカー様がそう言ったの?」
「は、はい……。執事長のお達しでしたけど、そんな命令が出ています」
「……そういうことだったのね」

 リリアは自分に仕事が来ない理由を悟った。
 ――話も世話もするな。
 つまり、薬草師の仕事をさせるな、ということだ。

(半年後には追い出そう、ってわけね……)

 薬の腕を証明できなければ、ここにはいられない。
 約束と違う、と文句を言いに行きたいところだが、顔を見せるなと言われているから、それもできない。――なんとかしなければ。

(でも、どうすれば?)

 仕事も無ければ、薬草もない。
 頭の中で考えを巡らせていると、アンナの声が聞こえてきた。

「リリア様、大丈夫ですか?」

 顔を上げると、そばかすの上の瞳が心配そうにこちらを見つめていた。
 その顔をじっと見つめ返す。

(あたしが頼めるのは、この子だけだわ)

 心の中でうなずいたリリアは、アンナの両手を取った。

「ねえ、アンナ。お願いがあるんだけど、いいかしら」
「お願いですか? 私に?」
「あなたにしか頼めないことなの」
「もちろんやります! 何でもお申し付けください!」

 二つ返事で了解してくれた。
 リリアはアンナの両手をぎゅっと握りしめ、懇願するように告げた。

「あなたのそばかすを、あたしに治させてほしいの」


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