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《第1章》 午前二時のジゼル

彼女の事情 彼の事情

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 午後六時、青柳瞳子あおやぎとうこは鏡をのぞきこんだ。

 鏡にうつる自分は、久しぶりのフルメイクに不安げな表情で見つめかえしている。

 五年前までの自分がしてきた化粧は、今回はまったく参考にならない。だから芸能人やモデルの画像をいくつも検索して、それらしい雰囲気に仕上げたつもりだった。

 化粧のつぎは髪型だ。

 今日の場所で求められているのは、レッスンの時にしていたようなネットをかぶせたシニョンではなかった。まだ時間はある。事務所か小百合さゆりに頼ればいい。

 背後のカーテンレールには、真っ蒼なレースのワンピースが安っぽいワイヤーハンガーで吊ってあった。

 深みのあるロイヤルブルーのAラインスタイル。七分袖デザインでデコルテの露出も少ないので、場所のわりには安心して着られる。

 ――選んでもらうのが目的なんだから、もっと露骨なデザインのほうが良かったのかな? でも、無理。目的でジロジロ視線を注がれるなんて、ただでさえ耐えられないんだから、これでいい。

 瞳子は、ふうっと大きく息を吐きだした。

 緊張で、全身が強ばっているのが分かる。コンクールとはまったく違う種類のもので、胃の底が石のように硬くなっている心地がする。

 今夜、自分に五〇〇万の値段をつけてくれる人を探さなければならない。

 そうしないと、文字どおり命をたつか、体を売らなくてはならない。

 見初められるように。できるだけ条件のいい人を見つけないと。

 本当は、そんなこと望んでいない。そんな生き方が自分に向いているとも思えない。

 しかし生きることを選ぶなら、この道しかなかった。

 もう二四時間の猶予もない。

 明日の自分が何をしているのか、どんな気分でいるのか、想像さえできなかった。

 ワンピースに着がえ、最後に真っ赤な口紅をぬると、彼女は銀の八センチサンダルをはいて玄関の扉をひらいた。

     *     *     *

 気が進まない夜の会合ほど、うんざりする物はない。それも、酒池肉林の接待パーティーなんざ。

 今どき時代遅れにもほどがある。

 ――帰りたい。自宅のソファに寝そべって釣りフィッシング番組でも見ていたほうがよっぽど有意義な時間になるな。

 李飛豪リ・フェイハオは黒のナロータイを締めながらあくびを噛み殺した。しかし、声は隠せない。

「デカいあくび。それに、黒のタイって警備の色じゃないか。主催者側の幹部がどうして」

 スタッフ用に確保された一室で、長い脚を会議デスクにのせてふんぞり返っている同年輩の男から即つっこみが入る。行儀が悪いわりには、手にしたタブレットで目を通しているのは、明日の会議資料なのだ。

「どーせバレないよ。……いい加減飽きた。年三か四回このパーティーやってるけどさ、人間、行きつくところまで金持つと、酒と女しかないのかって結論だよな」飛豪はため息とともに吐きだす。

「そう? サバンナの動物ドキュメンタリーみたいで面白いじゃん。男も女も狩る気満々で決闘してて、僕あれ見ると、一週間は生きる力がみなぎるけどな」

「くだらない」飛豪は鼻で笑った。「狩りっつったって、結局、金とセックスのやりとりだろ」

「需給曲線が高止まりしている上、こちらの利益も出てるんだから素敵な夜だ」

 同僚は、座っているパイプ椅子をギシギシ言わせながら乾杯のしぐさをした。

「ま、いいや。フェイ君がそっちなら、僕も今日は傍観者を決めこもうかな」

「とにかく今日は、一切関わりたくない気分なんだ。仲裁にはいって飲まされもしないし、乱交ルームのアシストもしない。化粧のにおいも口紅もつけずに午前二時には帰宅する」

 最後にそう言って、飛豪はメタル製のスクエア眼鏡を手にとった。
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