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《第4章》 雨と風と東京駅

青のワンピ、黒のワンピ

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 一九時直前に丸ビル前で車をおりると、ジャケットを羽織った飛豪がすでに立っていた。

 遠目に見る彼は薄暗がりでも、身長、骨格、シルエットのすべてにおいて普通の勤め人と異なっていた。厚みのある肩幅や体の輪郭線の硬質さが群をぬいていて、強靭さとシャープな野生が匂いたっている。

 黒のシャツにダークカラーのパンツで、ソフトな色調の麻のグレージャケット。エキゾチックな濃い色あいの肌。日本では、彼が非常に目立った存在なのはよく分かる。その彼がヒールの靴音を響かせて歩み寄ってくる彼女に気づいた瞬間、嫌なものを見たかのように顔をこわばらせた。

「……よりによって、なんでその服?」

 心外である。瞳子の手持ちのなかで、唯一のオシャレ仕様の、青いレースのワンピースだった。

 ちなみに、麻布の夜に着ていた服でもある。クラッチバックも銀の八センチヒールも、全く同じ組み合わせだった。それ以外のよそ行き服など、大学の入学式で着たスーツ以外に持ってない。

 ローザンヌのコンクールで賞をとったとき、ガラ・パーティーで来たシェルピンクのドレスも残っていることには残っていたのだが、身長が伸びたのと、あの頃から顔つきが変わってしまったのとで似合わなかったのだ。

 飛豪が小さくため息をついたあと、申し訳なさそうに口をひらいた。

「俺の勝手で悪いんだけどさ……その服見ると、あの夜を思いだして、自分が買春してる汚れたエロ親父みたいな気分になる」

「え……半分以上事実じゃない」

 瞳子が何の気なしに返答すると、彼はイヤミくさく笑って彼女の頬を指でつまんだ。そのまま力をこめてギギギとひねりあげる。

「い、いひゃい……」

「そういう所が君の悪いトコロ。お前時々、日本人的情緒欠けてるよな」

 彼は、瞳子の頬の手をパッと放す。彼女がむくれると、横髪を一筋さらりとすくってみせた。

「予約一時間遅らせるから、まず服買いにいこう。今日はそれじゃない服を着てるとこが見たい」

「……そこまでしてもらうの悪いです」

「じゃ、こう思ってくれればいい。今日の食事も瞳子の服装も、完全に付き合わせてる俺のエゴ。買春してる汚れたオッサンらしく財布はすべて俺だから」

「なんか、含みのある言い方ですね……」

 苦々しくも楽しげな飛豪に、瞳子はしぶしぶ従うことにした。

「どこか好きなブランドある?」と訊かれても、首を振るしかない。

 なにせこの数年間、服など数えるほどしか買っていない。時たま吉祥寺のファストファッションストアに行って、試着であれこれ取っかえ引っかえするのが数少ないストレス発散だった。

「とりあえずココかな」

 東京駅の丸の内側は、銀行の本店ビルや威容をほこる高層ビルが林々と立ちならんでいる。いかめしい区画をぬけて彼に連れてこられたのは、丸の内仲通りにたたずむヨーロッパ系高級ブティックの路面店だった。

 ――有楽町まで行けば、桁がもう一つ小さいショップなんていくらでもあるのに!

 瞳子は動揺しつつも、それを表情に出さずに一緒に店内に入っていく。意識せずとも、慣れきった落ちつきはらった雰囲気を身にまとうことができた。

「レストランに遅れるって電話してくるから、服決めてきて」

 彼女がレディースファッションのエリアを一巡したところで、飛豪は出口にむかっていった。すると、二人の様子をうかがっていた接客スタッフの女性が、「お手伝いしましょうか」とにこやかに近寄ってくる。

 瞳子が選んだのは、ミモレ丈の黒のシフォンワンピースだった。

 シンプルでクラシックな型にしたのは、今後の着まわしも考えてだ。共布でつくられたウェストマークの太めのベルトがレースやベロアの異素材もミックスしていて、独特のニュアンスを出しているのが気にいった。

 ワンピースが半袖なので、五月のこの季節ではまだ夜が冷える。目についた、紫陽花色のサマーカーディガンをあわせて羽織ることにした。かぎ針で編んだ精緻な透かし模様が、心をときめかせてくれる。

 服を決め、着がえを終えたところで試着室から所在なげに首だけだすと、アテンドしてくれていた女性店員が「お連れ様に声かけてきますね」と消えていった。

 ――いいのかな。調子に乗ってカーデまで付けちゃった。これも後で返済にのるのかな。お金の話、やっぱり最初にした方がいいんじゃないかな。

 値札を見てのドキドキが止まらない。しばらくして、二階のメンズフロアから飛豪が下りててきた。前を歩いている店員よりも頭一つ分以上、背が高い。

 ――わたし、あの人と並んで歩いて、周りからどう思われてるんだろう。

 彼が階段の踊り場にさしかかったところで、目があった。彼は口の端をちょっとだけ上げて、微笑をかえしてくれる。予想もしていなかったキラースマイルに、瞳子はさっと顔をそむけた。

「スタイルといい、お色味といい、よくお似合いです」と戻ってきた店員が褒めると、飛豪は、「いいじゃん。そんな可愛いと、外歩かせたくないな」と、屈託なく感想を口にした。

「……ッ‼」

 瞬間的に、瞳子と女性店員が二人そろってボッと赤く染まる。

 ……恥ずかしい。こんな歯の浮くようなセリフ、普通の日本人男性の口からは絶対にさらりと出てこない。中高が南米育ちと言っていたので、女性を褒めるのに堂にはいっている。

 瞳子と店員の反応に、むしろ飛豪のほうがポカンとして訝しげだった。

「え……なんか俺、変なこと言った?」

 ――自覚ないのか、この人は! これだからラテン系は。

 彼女が物言いたげに目をむくと、彼は戸惑ったように肩をすくめた。
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