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《第6章》 台湾・林森北路のサロメ
赤のサロンへ
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赤のサロンに呼ばれたのは、真夏の残光が滲むようにして消えた七時半すぎだった。
室岡夫妻はすでに、遊びつかれた息子をかかえて辞去していた。ヒガチカとスミレも、外のテラスに出てアルコールに上気した頬をさましている。庭に植えられた植栽からはアブラゼミ、ミンミンゼミ、ヒグラシの終わりない三重奏がこだましていた。
夕立ちの気配もなく、申し分のない夏の宵だった。
「良いお茶があるの。せっかくだから酔いざましに飲んでいかない?」
美芳から声をかけられたのは、彼女が藤原とならんで、歌舞伎町のダグラスMの来歴を聞いているときだった。
飛豪はソファの反対側で、高瀬、黒川と欧州サッカー談義をしている。ちょうどテレビ画面では、録画なのかエル・クラシコ――バルセロナとレアル・マドリードの伝統の一戦――の歴史のドキュメンタリーを映していた。
「もちろん飛豪も一緒よ」
有無を言わせない女王の口ぶりに、つい瞳子は藤原へと落ち着きのない視線を送ってしまった。藤原は同情するような目つきで、口をもごもごさせた。
「叔母さん、茶菓子は? マトモな菓子が出ないなら、俺ら遠慮したいんだけど」
飛豪がやれやれと腰をあげながら、場を混ぜかえす。
「準備してるに決まってるでしょ! やーね、年食った男の子ってホントお酒か食い気一辺倒で、ウチの息子たちも……とにかく二階にいらっしゃい」
美芳はうんざりした声をあげると、一人でさっさとリビングを出ていった。
「瞳子、よかったな。とりあえず旨いもの出るらしいから、菓子食べに行こうぜ」
「飛豪さん、空気やわらげてくれてるんでしょうけど、単にわたしたちが食い意地はってるみたいじゃないですか」
「身内だからそれくらい言ってもいいんだよ。じゃ、健闘を祈っといて」
彼は瞳子の手を掴みながら、リビングに残っている藤原、黒川、高瀬に手をひらひらと振った。その三人は全員事情を知っているのか、憐れみ半分好奇心半分のぬるい眼ざしで見送ってくれた。
二階へとつづく階段の中ほどで、飛豪は立ちどまった。
先ほどふざけてみせた時とは打って変わった真面目な表情で、こちらを振りかえる。彼は、前々から話していたことをもう一度繰りかえした。
「叔母さんとは、俺に遠慮しないで好きに話してくれればいい。下手に出れば高圧的に言ってくるし、反論すればエスカレートする人だ。負けず嫌いなんだよ。君はあしらってもいいし、言いかえしてもいい」
「うん……けど、みんなして脅してくるから、かなり緊張してる……」
「ぶっちゃけ、あの人は瞳子にかこつけて俺に文句言いたいだけなんだ。俺が久しぶりにマトモな女の子と一緒にいるから、姑根性でイビリ倒して野次り飛ばしたいだけだから」
「飛豪さん……言い方がひどすぎる」
ミもフタもない表現に、瞳子は呆れる。それに、先ほどの高瀬の「ホテルで女性を消費」発言とあいまって、今の「久しぶりにマトモな女の子と一緒にいる」の言葉は、聞き捨てならなかった。
推察するに、前はちゃんとしたお付き合いを誰かとしていたが、そうではない時期がしばらく続いていた、ということだ。情報の断片しかないと、疑問は深まるばかりとなる。
しかし、今はすべての混迷を呑みくだすしかない。引かれたレールにしたがって前に進むしかない。
「とにかく、なにを言われても俺は君サイドに立つから。そこは信頼してくれていい」
彼は安心させるように、大きな手のひらで瞳子の頬を包みこんだ。
顔を仰向かせ、指で、目のきわや、眼窩の骨格をなぞっていく。くすぐったくて目をとじると、彼はそっと目蓋に唇を重ねてきた。そのまま、彼の唇は、頬へ、鼻へと移ってゆき、最後に唇へと着地した。
ゆっくりと彼の舌が侵入してくる。逃げようもなく、彼女の舌と絡みあった。
彼の口からはさっきまで飲んでいたコーヒーの味がする。つまびらかに味わい、味わわれていく原始の快楽に、うっとりとしてしまう。ぬるり、くちゅりという唾液が、聴覚にまで染みとおって昂奮を煽りたてていく。しかし――。
「ちょ、ちょっと……ここ、他人の家です」
「バレなきゃいいよ」
強く胸を押されても、彼に反省した様子はなかった。
どころか、再度身をかがめてきて、もう一度深く彼女の唇を貪っていく。髪や後頭部をひとしきり撫ぜまわしたのちに身をはなすと、余熱にくすぶった官能そのものの笑みを見せた。
「……瞳子、行けそう? リラックスできた?」
「リラックスって……今のキス、めちゃくちゃ余計でしたよ‼ こんな所で」
こちらが怒ってみせても、彼は「よし」と、満足げだった。「はいオッケー。じゃ、さっさと終わらせようか」
――なにが「よし」なの‼ 人の気も知らないで……。
口を尖らせてむくれている彼女を置いて、飛豪はズンズン階段をのぼっていく。二階に出ると、紫檀の扉の部屋の前で彼は立ちどまった。
ノックを二つして、彼は扉をひらいた。
室岡夫妻はすでに、遊びつかれた息子をかかえて辞去していた。ヒガチカとスミレも、外のテラスに出てアルコールに上気した頬をさましている。庭に植えられた植栽からはアブラゼミ、ミンミンゼミ、ヒグラシの終わりない三重奏がこだましていた。
夕立ちの気配もなく、申し分のない夏の宵だった。
「良いお茶があるの。せっかくだから酔いざましに飲んでいかない?」
美芳から声をかけられたのは、彼女が藤原とならんで、歌舞伎町のダグラスMの来歴を聞いているときだった。
飛豪はソファの反対側で、高瀬、黒川と欧州サッカー談義をしている。ちょうどテレビ画面では、録画なのかエル・クラシコ――バルセロナとレアル・マドリードの伝統の一戦――の歴史のドキュメンタリーを映していた。
「もちろん飛豪も一緒よ」
有無を言わせない女王の口ぶりに、つい瞳子は藤原へと落ち着きのない視線を送ってしまった。藤原は同情するような目つきで、口をもごもごさせた。
「叔母さん、茶菓子は? マトモな菓子が出ないなら、俺ら遠慮したいんだけど」
飛豪がやれやれと腰をあげながら、場を混ぜかえす。
「準備してるに決まってるでしょ! やーね、年食った男の子ってホントお酒か食い気一辺倒で、ウチの息子たちも……とにかく二階にいらっしゃい」
美芳はうんざりした声をあげると、一人でさっさとリビングを出ていった。
「瞳子、よかったな。とりあえず旨いもの出るらしいから、菓子食べに行こうぜ」
「飛豪さん、空気やわらげてくれてるんでしょうけど、単にわたしたちが食い意地はってるみたいじゃないですか」
「身内だからそれくらい言ってもいいんだよ。じゃ、健闘を祈っといて」
彼は瞳子の手を掴みながら、リビングに残っている藤原、黒川、高瀬に手をひらひらと振った。その三人は全員事情を知っているのか、憐れみ半分好奇心半分のぬるい眼ざしで見送ってくれた。
二階へとつづく階段の中ほどで、飛豪は立ちどまった。
先ほどふざけてみせた時とは打って変わった真面目な表情で、こちらを振りかえる。彼は、前々から話していたことをもう一度繰りかえした。
「叔母さんとは、俺に遠慮しないで好きに話してくれればいい。下手に出れば高圧的に言ってくるし、反論すればエスカレートする人だ。負けず嫌いなんだよ。君はあしらってもいいし、言いかえしてもいい」
「うん……けど、みんなして脅してくるから、かなり緊張してる……」
「ぶっちゃけ、あの人は瞳子にかこつけて俺に文句言いたいだけなんだ。俺が久しぶりにマトモな女の子と一緒にいるから、姑根性でイビリ倒して野次り飛ばしたいだけだから」
「飛豪さん……言い方がひどすぎる」
ミもフタもない表現に、瞳子は呆れる。それに、先ほどの高瀬の「ホテルで女性を消費」発言とあいまって、今の「久しぶりにマトモな女の子と一緒にいる」の言葉は、聞き捨てならなかった。
推察するに、前はちゃんとしたお付き合いを誰かとしていたが、そうではない時期がしばらく続いていた、ということだ。情報の断片しかないと、疑問は深まるばかりとなる。
しかし、今はすべての混迷を呑みくだすしかない。引かれたレールにしたがって前に進むしかない。
「とにかく、なにを言われても俺は君サイドに立つから。そこは信頼してくれていい」
彼は安心させるように、大きな手のひらで瞳子の頬を包みこんだ。
顔を仰向かせ、指で、目のきわや、眼窩の骨格をなぞっていく。くすぐったくて目をとじると、彼はそっと目蓋に唇を重ねてきた。そのまま、彼の唇は、頬へ、鼻へと移ってゆき、最後に唇へと着地した。
ゆっくりと彼の舌が侵入してくる。逃げようもなく、彼女の舌と絡みあった。
彼の口からはさっきまで飲んでいたコーヒーの味がする。つまびらかに味わい、味わわれていく原始の快楽に、うっとりとしてしまう。ぬるり、くちゅりという唾液が、聴覚にまで染みとおって昂奮を煽りたてていく。しかし――。
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どころか、再度身をかがめてきて、もう一度深く彼女の唇を貪っていく。髪や後頭部をひとしきり撫ぜまわしたのちに身をはなすと、余熱にくすぶった官能そのものの笑みを見せた。
「……瞳子、行けそう? リラックスできた?」
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――なにが「よし」なの‼ 人の気も知らないで……。
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ノックを二つして、彼は扉をひらいた。
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