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《第10章》 天国の門
小春日和のランチ
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小春日和という言葉が春先ではなく晩秋のよく晴れた天気をあらわす、というのは、飛豪が二〇代なかばにして日本で再び暮らしはじめてから知ったことだ。
中学校以降を海外ですごしたために、この辺りの知識がごっそりと抜け落ちていると、時々気づかされる。
一一月なかば、小春日和という言葉がいかにも似合いそうな天気の日だった。彼にとっては、インディアン・サマーという言葉のほうが馴染み深い。
いつもは昼すぎから出社の叔母が今日はめずらしく朝からオフィスに来ていて、すれ違いざまに「飛豪、お昼はフレンチね」と断定形で予定を伝えてきた。間違いなく二時間コースである。甥の都合などお構いなしだ。年に二、三度はこういうことがある。
――やれやれ、これも仕事だ。
用件は分かっている。つい先ごろ、八月にペルーに出張した案件の正式なサポート受注が決定した。
それを労ってくれるためのフレンチだろう。彼としては高級レストランより町中華のほうがよほど嬉しいのだが、受注のお祝いは口実で、もう一つ話さなければいけないことがあるのは了解していた。
自分から言うべきか、向こうから声をかけてくるか。
どうせ知っているだろうしと様子見を決めこんでいたのだが、確かにそろそろ頃合いかもしれない。来年の夏に退職してアメリカの博士課程に入る件の進捗も、伝えておきたかった。
同じオフィスで働いている身内どうしのくせに、美芳とはなかなかどうして会話は少なく、手の内や真意をはかる探りあいばかりをしている。二人の関係を勝手に心配した高瀬が、勝手に仲介をしてくれるほどだ。時たま、そのせいでこじれることもあるが。
叔母と行くフレンチと言えば、梅雨の時期に瞳子をつれていった丸の内、お堀端のフレンチしかない。通された半個室で、前菜の皿をだして給仕が去っていくなり、美芳は開口一番、
「あんたとあの子も、穏便にまとまったみたいで良かったわ」
と、本題にはいってきた。やはり彼女のことが話の中心となるようだった。
そもそも身内同士としてプライベートの話をするのだから、就業時間中のオフィスでするはずがない。場所を指定された時点で分かっていた流れだった。
「夏に広尾でさんざん水さすようなこと言って、ゴリゴリに削ってきたくせによく言うよ」
「あら。あれでも心配してたのよ。飛豪だって息子の一人みたいに思ってるんだから、幸せを願わずにいられないじゃない」
「気持ちだけは有難く頂戴しとく。言っとくけど、彼女は彼女でいま忙しいから、ちょっかい出すなよ。今後あいつに声かけるときは、俺にもちゃんと話通して……俺が、日本を離れたあとも」
「上手くいった途端に、束縛するの?」
やーね、首ったけなのね、と美芳はからかった。
「叔母さんに関しては、警戒しとくぐらいでちょうどいい。でないと、まだ立場的にも精神的にも不安定だから、あいつは動揺する」
「そんな彼女を一人で置いてくのね」
「そうだよ」平然と、こともなげに彼は言いかえす。
「年単位での遠距離恋愛? それで彼女は日本に残ってあくせく働いて、借金返して、それで同時に振付家の下積みをする? すごく壮大な計画よねぇ。せっかく甲斐性ある男と付きあってるんだから、シンプルにやりたいことに専念すればいいのに」
「二人で話しあって決めたことだから」彼は動じなかった。
指環を受けとってくれたあの夜、彼女はずっと悩んでいた、と打ち明けてきた。
彼との関係だけではなく、もう一度、踊る世界に戻りたいと思っている。できるなら、創作や振り付けを勉強して、いつかその方面で活動できるようになりたい、と伝えてきた。
芸術の世界にお金がかかることなど、分かりきっている。
そして瞳子は、怪我でリタイアした人間だ。もし戻るのなら、体のケアやトレーニングにも資金が必要となるし、二〇〇パーセントの努力をしたとしても成功できる保証なんてどこにもなかった。
中学校以降を海外ですごしたために、この辺りの知識がごっそりと抜け落ちていると、時々気づかされる。
一一月なかば、小春日和という言葉がいかにも似合いそうな天気の日だった。彼にとっては、インディアン・サマーという言葉のほうが馴染み深い。
いつもは昼すぎから出社の叔母が今日はめずらしく朝からオフィスに来ていて、すれ違いざまに「飛豪、お昼はフレンチね」と断定形で予定を伝えてきた。間違いなく二時間コースである。甥の都合などお構いなしだ。年に二、三度はこういうことがある。
――やれやれ、これも仕事だ。
用件は分かっている。つい先ごろ、八月にペルーに出張した案件の正式なサポート受注が決定した。
それを労ってくれるためのフレンチだろう。彼としては高級レストランより町中華のほうがよほど嬉しいのだが、受注のお祝いは口実で、もう一つ話さなければいけないことがあるのは了解していた。
自分から言うべきか、向こうから声をかけてくるか。
どうせ知っているだろうしと様子見を決めこんでいたのだが、確かにそろそろ頃合いかもしれない。来年の夏に退職してアメリカの博士課程に入る件の進捗も、伝えておきたかった。
同じオフィスで働いている身内どうしのくせに、美芳とはなかなかどうして会話は少なく、手の内や真意をはかる探りあいばかりをしている。二人の関係を勝手に心配した高瀬が、勝手に仲介をしてくれるほどだ。時たま、そのせいでこじれることもあるが。
叔母と行くフレンチと言えば、梅雨の時期に瞳子をつれていった丸の内、お堀端のフレンチしかない。通された半個室で、前菜の皿をだして給仕が去っていくなり、美芳は開口一番、
「あんたとあの子も、穏便にまとまったみたいで良かったわ」
と、本題にはいってきた。やはり彼女のことが話の中心となるようだった。
そもそも身内同士としてプライベートの話をするのだから、就業時間中のオフィスでするはずがない。場所を指定された時点で分かっていた流れだった。
「夏に広尾でさんざん水さすようなこと言って、ゴリゴリに削ってきたくせによく言うよ」
「あら。あれでも心配してたのよ。飛豪だって息子の一人みたいに思ってるんだから、幸せを願わずにいられないじゃない」
「気持ちだけは有難く頂戴しとく。言っとくけど、彼女は彼女でいま忙しいから、ちょっかい出すなよ。今後あいつに声かけるときは、俺にもちゃんと話通して……俺が、日本を離れたあとも」
「上手くいった途端に、束縛するの?」
やーね、首ったけなのね、と美芳はからかった。
「叔母さんに関しては、警戒しとくぐらいでちょうどいい。でないと、まだ立場的にも精神的にも不安定だから、あいつは動揺する」
「そんな彼女を一人で置いてくのね」
「そうだよ」平然と、こともなげに彼は言いかえす。
「年単位での遠距離恋愛? それで彼女は日本に残ってあくせく働いて、借金返して、それで同時に振付家の下積みをする? すごく壮大な計画よねぇ。せっかく甲斐性ある男と付きあってるんだから、シンプルにやりたいことに専念すればいいのに」
「二人で話しあって決めたことだから」彼は動じなかった。
指環を受けとってくれたあの夜、彼女はずっと悩んでいた、と打ち明けてきた。
彼との関係だけではなく、もう一度、踊る世界に戻りたいと思っている。できるなら、創作や振り付けを勉強して、いつかその方面で活動できるようになりたい、と伝えてきた。
芸術の世界にお金がかかることなど、分かりきっている。
そして瞳子は、怪我でリタイアした人間だ。もし戻るのなら、体のケアやトレーニングにも資金が必要となるし、二〇〇パーセントの努力をしたとしても成功できる保証なんてどこにもなかった。
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