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《第5章》 バラのつぼみ
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足がぴたりと止まる。胸にずっと刺さったままだった棘が、強く疼いた。
忘れてしまうわけがない。心から信頼して愛をかわした人、つい数分前にも思いだした人。ジェイだった。
赤い髪を潮風になびかせて、のんびりと歩いてくる。立ちつくしたエリーに、彼も早くから気づいているようだが、躊躇の気配がない。彼の頭の上で、フィオナが無邪気にこちらに手を振っていた。
「お久しぶりです」
日に焼けた彼は、短剣二本分の距離で立ちどまった。エリーの瞳をまっすぐに見つめ、なにかに傷ついたように笑った。エリーもまた彼を見つめかえした。
五年前と違って、骨組みのしっかりした大人の体つきになっていた。血はつながっていないのに、ノーアと同じ体格だ。眠たげに伏せられた瞳に、時折人を食ったような光がひらめくのは昔のままだ。
そして、剣呑なほの暗さを全身から発散していた。背中に伸びる影の色が濃い。昔の彼にはなかったものだ。間諜として生きると、そうなってしまうのだろうか。
「エリー様、相変わらずですね。いや、今のほうがお美しい。俺も年をとるはずです」彼は冗談めかした。
「あなた、数年ぶりなのに挨拶よりもおどけるほうが先なのね」
ジェイの頭の上で、フィオナが彼の赤い髪をめずらしげに引っぱって遊んでいる。
「すぐに分かりましたよ。あなたの御子だって。よく似てる」
「似てる……かしら?」実を言うと、父親のクロードに似ていると言われる娘なのだ。
「似てますよ。最初、岩場の洞窟の奥から俺が現れたとき、御子の驚いたときの顔がそっくりでした」
「何よそれ、褒めてないでしょ」
「いや、褒めてますよ。目が真ん丸で無邪気で、気が強くて」
「やめなさい」
エリーがぴしゃりと言ってもジェイは止めなかった。
「好奇心にあふれている顔。俺のこと、目をきらきらさせて見てました。昔のあなたを思いだしました」
「あなた、わたしの知らないあいだに随分お喋りになったようね。今の仕事は話術も必要なのかしら」
「母さま、この人知り合いなの?」
ジェイの頭上からフィオナが会話に割りこむ。最近、知恵と口がまわるようになってきて、大人の世界に興味津々なのだ。
フィオナが地上に下りたいと言いたげに体を揺さぶりだしたので、ジェイはゆっくりと姿勢を低くした。フィオナは子ウサギのように身軽に飛びおりると、エリーのスカートに跳ねついた。
「片目のお兄さん、トラカナ? カンチョウ? 母さまどっち?」
「このお兄さんは間諜ではないわ。トラカナ城の味方よ」
エリーは娘の髪を撫でながら答えた。
「なら、父さまとも友達なの? 父さまのこと知ってるよね? ジョウシュなのだから」
その質問は、生々しくエリーとジェイの過去を舐めた。
エリーとジェイと城主クロードの関係。二人とも困惑して言葉をなくしたが、ジェイがフィオナの視線の高さにかがみこんだ。
「友達ではないよ。俺は君の父上の臣下だ」
「シンカ?」
「うん。お仕えしてるってこと」
「オツカエ……」
ジェイの言っている意味が分からず、フィオナはきょとんとした顔で首を傾げる。
「このお兄さんはね、お父さまやあなたのためにお城を守ってくれてるのよ、お礼を言わないと」
エリーが後をひきとって説明すると、フィオナはぱっと明るい表情になった。その場で母の腕にジャンプする。
「ごめんなさいね。今、なんでも知りたがりの時期なの」
ジェイは苦笑した。「いえ……俺も普段、子どもが身近にいないので。お嬢様、すっかり母親になりましたね」
「なぁに?」フィオナがエリーの腕にぶらさがりながら、ぐるりとジェイへと首をまわした。
「え?」ジェイが戸惑った反応をかえす。
「だって今、『お嬢様』って呼んだでしょ」フィオナが小さな口をぷっと尖らせた。
「あら」気づいたエリーが、吹きだした。「あのね、フィオナ。母さまも昔は『お嬢様』って呼ばれてたの。この人は……ジェイは、母さまのことを『お嬢様』って呼んだのよ」
エリーは、ジェイに向きなおった。「もうわたしのことを『お嬢様』なんて呼ぶ人はいないわ」と、寂しげに言う。そんな彼女の黒髪を、潮風が優しくながしていった。
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【読者さまへ、お願い&お礼】
現在、本作をアルファポリスさんの「恋愛小説大賞」にエントリーしております。もし、本作をお好きな読者さまがいらっしゃれば、ご投票いただけないでしょうか。どうぞよろしくお願いいたします。
以前のお願いで「もう投票しましたよ!」という方には、心からの御礼を申し上げます。そして読書中の広告、失礼いたしましたm(__)m
忘れてしまうわけがない。心から信頼して愛をかわした人、つい数分前にも思いだした人。ジェイだった。
赤い髪を潮風になびかせて、のんびりと歩いてくる。立ちつくしたエリーに、彼も早くから気づいているようだが、躊躇の気配がない。彼の頭の上で、フィオナが無邪気にこちらに手を振っていた。
「お久しぶりです」
日に焼けた彼は、短剣二本分の距離で立ちどまった。エリーの瞳をまっすぐに見つめ、なにかに傷ついたように笑った。エリーもまた彼を見つめかえした。
五年前と違って、骨組みのしっかりした大人の体つきになっていた。血はつながっていないのに、ノーアと同じ体格だ。眠たげに伏せられた瞳に、時折人を食ったような光がひらめくのは昔のままだ。
そして、剣呑なほの暗さを全身から発散していた。背中に伸びる影の色が濃い。昔の彼にはなかったものだ。間諜として生きると、そうなってしまうのだろうか。
「エリー様、相変わらずですね。いや、今のほうがお美しい。俺も年をとるはずです」彼は冗談めかした。
「あなた、数年ぶりなのに挨拶よりもおどけるほうが先なのね」
ジェイの頭の上で、フィオナが彼の赤い髪をめずらしげに引っぱって遊んでいる。
「すぐに分かりましたよ。あなたの御子だって。よく似てる」
「似てる……かしら?」実を言うと、父親のクロードに似ていると言われる娘なのだ。
「似てますよ。最初、岩場の洞窟の奥から俺が現れたとき、御子の驚いたときの顔がそっくりでした」
「何よそれ、褒めてないでしょ」
「いや、褒めてますよ。目が真ん丸で無邪気で、気が強くて」
「やめなさい」
エリーがぴしゃりと言ってもジェイは止めなかった。
「好奇心にあふれている顔。俺のこと、目をきらきらさせて見てました。昔のあなたを思いだしました」
「あなた、わたしの知らないあいだに随分お喋りになったようね。今の仕事は話術も必要なのかしら」
「母さま、この人知り合いなの?」
ジェイの頭上からフィオナが会話に割りこむ。最近、知恵と口がまわるようになってきて、大人の世界に興味津々なのだ。
フィオナが地上に下りたいと言いたげに体を揺さぶりだしたので、ジェイはゆっくりと姿勢を低くした。フィオナは子ウサギのように身軽に飛びおりると、エリーのスカートに跳ねついた。
「片目のお兄さん、トラカナ? カンチョウ? 母さまどっち?」
「このお兄さんは間諜ではないわ。トラカナ城の味方よ」
エリーは娘の髪を撫でながら答えた。
「なら、父さまとも友達なの? 父さまのこと知ってるよね? ジョウシュなのだから」
その質問は、生々しくエリーとジェイの過去を舐めた。
エリーとジェイと城主クロードの関係。二人とも困惑して言葉をなくしたが、ジェイがフィオナの視線の高さにかがみこんだ。
「友達ではないよ。俺は君の父上の臣下だ」
「シンカ?」
「うん。お仕えしてるってこと」
「オツカエ……」
ジェイの言っている意味が分からず、フィオナはきょとんとした顔で首を傾げる。
「このお兄さんはね、お父さまやあなたのためにお城を守ってくれてるのよ、お礼を言わないと」
エリーが後をひきとって説明すると、フィオナはぱっと明るい表情になった。その場で母の腕にジャンプする。
「ごめんなさいね。今、なんでも知りたがりの時期なの」
ジェイは苦笑した。「いえ……俺も普段、子どもが身近にいないので。お嬢様、すっかり母親になりましたね」
「なぁに?」フィオナがエリーの腕にぶらさがりながら、ぐるりとジェイへと首をまわした。
「え?」ジェイが戸惑った反応をかえす。
「だって今、『お嬢様』って呼んだでしょ」フィオナが小さな口をぷっと尖らせた。
「あら」気づいたエリーが、吹きだした。「あのね、フィオナ。母さまも昔は『お嬢様』って呼ばれてたの。この人は……ジェイは、母さまのことを『お嬢様』って呼んだのよ」
エリーは、ジェイに向きなおった。「もうわたしのことを『お嬢様』なんて呼ぶ人はいないわ」と、寂しげに言う。そんな彼女の黒髪を、潮風が優しくながしていった。
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