AIエンジニアが1300年前の日本に転移して、日本書紀をアップデートしちゃいました

RYOアズ

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第一章:隠れ里脱出と神器の目覚め

第三話:日本書紀のバグ、あるいは最初のデリート

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​「はぁ、はぁ……ッ! どこだ、どこなんだよ……ッ!」

​ 亮の絶叫は、潮騒と怪物の咆哮にかき消された。
 右手に握りしめた神器――青い結晶状の光を帯びた『鍬(くわ)』が、火傷しそうなほどの熱を放ち、亮の掌の皮膚を焼き焦がしている。生々しい熱さと痛み。これが夢ではないという現実が、吐き気と共に亮の喉をせり上がってくる。

​ 目の前の怪物(バグ)は、一斬り浴びせるごとに霧散するが、次の瞬間には足元の泥を啜り上げるような音を立て、さらに肥大化して再生した。
 Tシャツは泥と返り血で元の色が分からなくなり、手ぬぐいは首に力なく巻き付いている。眼鏡はズレ、片方のレンズは泥で曇り、視界は半分奪われていた。

​「おい、MI-Z-O(ミゾオ)! さっきから斬ってるのに、一向に倒れる気配がないぞ! どうなってんだ! これじゃキリがねえだろ!」

​『――警告。対象は「論理自己修復機能」を保有。表面的な物理破壊は無意味です。本体の核(コア)、すなわち「矛盾の原典」を物理的に消去する必要があります』

​「核(コア)? そんなのどこにあるんだよ! こいつ、全身がグチャグチャでどこが心臓かも分かんねえぞ!」

​ 怪物の鎌のような腕が、亮の鼻先をかすめた。衝撃波だけで頬が切れ、熱い血が伝う。
 亮は転がるようにして泥濘(ぬかるみ)を後退した。指先が何かに触れる。死んだ兵士の冷たい指先か、あるいは砕け散った船の残骸か。
「う、うわっ……!」
 恐怖で腰が抜け、無様に尻餅をつく。
 エンジニアとしてキーボードを叩いていた昨日までの自分。それが今、見たこともない化け物に食い殺されようとしている。この圧倒的な「死」の気配。

​ その時だ。

​「瑞澪(みずみお)……亮殿……! 亮殿ーっ!!」

​ 背後で、あの血まみれの鎧の男が叫んだ。
 亮の思考が一瞬、凍りついた。

​(……え? いま、なんて言った?)

​ 亮は混乱の中で、首を捩って男を見た。男は泥にまみれ、折れた刀を杖にして必死に立ち上がろうとしている。その瞳は、亮を「救世主」として見つめていた。
(なんで、俺の名前を……? 自己紹介なんてしてないぞ。ここは1300年前の日本だろ? なんで現代人の俺の名前をこいつが知ってるんだ……!?)

​ 不気味な予感が背筋を走る。だが、その疑問を深掘りする時間は与えられなかった。
 怪物が、獲物を亮に完全に定めた。
 無数の赤い眼球が亮の全身を舐めるように捉え、その巨体が地響きを立てて跳躍する。

​「くるな……くるなあああ!」

​ 亮は半狂乱で神器を振り回した。だが、怪物は空中でその身体を霧のように分散させ、亮の攻撃を軽々と回避する。

​『亮、パニックを抑制してください。生存確率がコンマ単位で低下しています。肉眼で見るな。コードの「流入」を追うのです』

​「そんなこと言ったって……!」

​『視界を共有します。エンジニアとしての視覚(デバッグ・モード)を展開』

​ その瞬間、亮の視界が変容した。
 現実の景色がモノクロのワイヤーフレームのように透け、怪物の体内を流れる「情報の脈動」が、毒々しい赤色で可視化される。
 
「……っ、なんだ、これ」

​ 怪物の体内を、膨大な量の「0」と「1」の羅列が、まるで血管の中を走る血液のように巡っている。そして、そのデータの奔流が、一箇所だけ、激しく渦巻いている場所があった。

​『見えましたか。そこが「コア」です。歴史の記述を歪め、この世界を喰らっているバグの本体です』

​ だが、コアは狡猾だった。
 亮が視線を向けるたびに、コアは右肩から足首へ、足首から尾の先へと、一瞬で移動を繰り返す。まるで亮の思考そのものをハッキングし、先読みしているかのような動き。

​「……逃げ回ってんのかよ。クソ、まともに狙わせろってんだ!」

​ 焦りが亮の動作を荒くする。
 怪物の鋭い尾が、亮の脇腹を強打した。
「がふっ……!」
 肺の空気がすべて叩き出され、視界がチカチカと明滅する。亮の身体は泥の上を数メートル滑り、廃船の竜骨に激突して止まった。

​「亮殿ーっ!! お逃げくだされ、ここは我らが命に代えても……!」

​ まただ。男がまた俺の名前を呼ぶ。
 激痛と混乱、そして「自分の名前を知られている」という得体の知れない恐怖。
 それらが亮の中で混ざり合い、臨界点を超えた。

​(……いや、待て。落ち着け。整理しろ)

​ 泥を吐き出しながら、亮の頭脳がエンジニアとしての冷徹さを取り戻し始める。

​(こいつ、俺が『見ている場所』を検知してコアを動かしてるんじゃない。俺の『攻撃の意志』を読み取ってるんだ。……なら、システム的に逆手に取れるはずだ)

​ 亮は神器の柄を、折れそうなほど強く握りしめた。
 
「MI-Z-O(ミゾオ)。お前に提案だ。……俺の『殺気』をエミュレート(擬態)できるか?」

​『……面白い提案です。私の演算能力の30%を割いて、亮の攻撃意志を全身に分散、偽装(フェイク)パケットとして送信します』

​「やってくれ。……バグの修正には、時に『偽のデータ』が必要なんだろ?」

​ 怪物が、動かなくなった亮を「肉の塊」と判断したのか、無防備に近づいてくる。
 巨大な口が裂け、亮を頭から丸呑みにしようと牙が迫る。

​「……今だ!」

​ バチィィィィィィィッ!!
 亮の全身から、凄まじい「偽の攻撃予兆」が放たれた。
 怪物のアルゴリズムが混乱する。亮の右腕から、左足から、背中から、同時に「必殺の一撃」が来るという誤信号を、怪物はすべて真に受けた。

​ 防御を分散させ、コアが怪物の「喉元」に無防備に浮上した。

​「デリート(削除)完了だ、この野郎!!」

​ 亮は全筋力を振り絞り、泥の中から跳ね上がった。
 神器の光刃が、一点を突く。
 怪物の喉元、狂ったように点滅する赤黒い核(コア)。

​ ドシュウウウウウウウウウッ!!

​ 確かな手応え。
 それは肉を斬る感触ではなく、硬質なガラスを粉砕したような、不機嫌な感触だった。
 コアが砕け散ると同時に、怪物の巨体が内側から白い光に焼き尽くされていく。

​「ああああああああああああああっ!!」

​ 亮は叫び続けた。怪物の断末魔か、あるいは自分を奮い立たせるための声か。
 やがて、猛烈な爆風が海岸を吹き抜け、亮の身体を泥濘の中に押し流した。

​ ……静寂。
 耳鳴りだけが響く中、亮は仰向けに倒れたまま、荒い呼吸を繰り返した。
 怪物の姿は、どこにもない。ただ、焦げたような匂いと、静かに寄せては返す波の音だけが残っていた。

​「……はぁ、はぁ……。……終わったのか?」

​ 指一本動かす気力が湧かない。
 だが、その静寂を破る足音が近づいてくる。

​「……お見事でした、亮殿。やはり、あなたは『記録』の通りだ」

​ 亮は、重い瞼をゆっくりと開けた。
 そこには、先ほどの鎧の男が膝をついていた。
 亮は掠れた声で、一番の疑問を口にする。

​「……なんで。なんで、俺の名前を知ってるんだ……。アンタ、誰だ……」

​ 男は、血を拭うこともせず、深々と頭を下げた。

​「私は瑞澪(みずみお)一族の末席、五郎(ごろう)と申します。……あなたの名は、我ら一族に伝わる『未来の預言書』に刻まれております。一三〇〇年の時を経て、我らをお救いくださる神代の技を持つ者――瑞澪亮、その名が」

​「預言……書?」

​ 亮の意識が遠のいていく。
 1300年前の世界。自分を知っている一族。そして、未来の預言。
 エンジニアとしての論理(ロジック)が崩壊していく音を聞きながら、亮は深い闇の中へと沈んでいった。



​次回予告:第四話「瑞澪の隠れ里と、禁じられたログ」
意識を失った亮が運ばれたのは、歴史から抹消された「瑞澪一族」の拠点。そこで彼は、自分の家系に隠された恐るべき真実を知ることになる……!
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