AIエンジニアが1300年前の日本に転移して、日本書紀をアップデートしちゃいました

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第一章:隠れ里脱出と神器の目覚め

​第四話:瑞澪(みずみお)の隠れ里と、禁じられたログ

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​ 意識の底で、重い風の唸りが聞こえていた。
 あるいは、それは巨大なサーバーラックが発する排熱ファンの音だったか。
 瑞澪亮(みずみお・りょう)は、泥のような眠りからゆっくりと這い出した。

​ 瞼を開けると、そこには見たこともないほど太い、黒光りする巨木の梁(はり)が天井を走っていた。梁の表面には、細かな銀の糸のような紋様が複雑に絡み合い、呼吸に合わせるかのように淡く明滅している。
 鼻を突くのは、古い木の香りと、どこか懐かしい「芳ヶ原」の納屋に似た湿り気を帯びた空気。そして、微かに混じる焦げたオゾンのような匂い。

​「……目覚めたか、亮殿」

​ 低く、掠れた声。
 亮が視線を横に走らせると、そこには海岸で命を救った男――五郎(ごろう)が座っていた。
 血まみれだった鎧は脱ぎ捨て、清潔な麻の直垂(ひたたれ)を纏っているが、その顔色は依然として青白い。

​「……ここ、は」
 声がひどく枯れていた。亮は上体を起こそうとして、全身を走る「激痛」に顔をしかめた。ただの筋肉痛ではない。全身の神経が一度焼き切られ、無理やり繋ぎ合わされたような、悍ましい疲労感だ。

​「ここは筑紫(つくし)の山中、我ら瑞澪一族が古(いにしえ)より守り続けてきた『隠れ里』だ。……海岸でのあなたの戦いぶり、この五郎、生涯忘れませぬ。あのような神代の技を操る御方が、本当におられたとは」

​ 五郎は深々と頭を下げた。その態度は、海岸の時よりもさらに敬虔なものに変わっている。
 亮は混乱する頭を必死に働かせ、一番の疑問を口にした。

​「五郎さん……。あんた、海岸で俺の名前を呼んだよな。……なんで、俺の名を、知ってるんだ。俺は、あんたに名乗った覚えはないぞ」

​ 五郎は顔を上げ、静かに部屋の奥を指差した。
「……それは、我ら瑞澪の者にしか開けぬ『蔵』に記されていること。亮殿、歩けますか。……あなたには、見ていただかねばならぬものがある」

​ 亮はふらつく足取りで立ち上がった。泥だらけのTシャツの上に、里から借りたという簡素な白い羽織を引っ掛ける。
 五郎に連れられ、廊下を進む。
 亮の「エンジニアとしての眼」が、周囲の異常を捉え始めた。
 足元の床板。一見すればただの古材だが、継ぎ目からは微かな「電子的な振動」が伝わってくる。壁に設えられた行灯(あんどん)の火は、風もないのに一切揺れず、一定の輝度を保ち続けている。
(……おかしい。見た目は古い村なのに、この『出力』の安定感は何なんだ?)

​ 里の最奥、滝の飛沫が霧のように立ち込める岩壁の前に、巨大な石扉があった。
 五郎がその前に立ち、印を結ぶ。
「……瑞澪の血統、五郎が願う。門(かど)を開け、真実(まこと)を照らせ」

​ 刹那、石扉に彫られた文様が青く発光した。

​『――生態電位、照合。瑞澪・守護者権限を認証』

​ 石の擦れる音と共に、無機質な女性の声が響く。第1話で聞いた、あの鏡の声と同じだ。

​「……石のドアが、音声と脈拍で開くのかよ」
 亮は乾いた笑いを漏らした。1300年前の日本に、生体認証(バイオメトリクス)システム。狂っている。だが、その狂気こそが、瑞澪という一族の本質(スペック)なのだと思い知らされる。

​ 扉の先に広がっていたのは、数千、数万という「木簡(もっかん)」が、天に届くほどの円形書棚に整然と納められた巨大な空間だった。
 中央には、納屋で見たものと同じ、巨大な「白銅鏡」が鎮座し、そこから無数の「青い光の糸」が、まるで光ファイバーのように各棚に向かって伸びている。

​「これが我ら一族の至宝……『瑞澪・大録(おおろく)』。神代より伝わる、この世界の全なる『ログ』がここに保存されているのです」

​「……ログ? いや、記録、のことか」
 五郎の使う古い言葉と、自分の知る現代用語を脳内で変換しながら、亮は奥へ進んだ。
 五郎が一つの棚から、ひときわ古びた、だが奇妙に光沢のある木簡を取り出し、亮の前に広げた。

​「読んでくだされ。……ここだ。ここにお方の名が、一三〇〇年の時を超えて刻まれております」

​ 亮は息を呑んだ。
 墨で書かれた、古めかしい文字。だが、そこに記されていたのは――。

​『一三〇〇年の後、星の巡りが交わる時、芳ヶ原(ほうがはら)より救世の工匠(たくみ)現れん。その名は、瑞澪亮。手には神代の鍬を、目には未来の理(ことわり)を宿し、歪みし日本書紀を書き換え(アップデート)ん』

​「……嘘だろ。漢字の中に、『アップデート』なんて言葉、あるわけが……」

​ よく見ると、それは「書き換え、新たにする」という意味の古い言葉に、MI-Z-O(ミゾオ)が脳内で現代語の翻訳を重ねていたのだ。
 しかし、亮(りょう)という名前だけは、紛れもなく明確にそこに記されていた。

​(これは預言じゃない。……バックアップだ。誰かが、未来の情報を過去に『書き込んだ』形跡がある)

​『亮。解析を開始。……この木簡、ただの木材ではありません。有機ナノ素子を組み込んだ、一〇〇〇年単位の保存に耐えうる「外部記憶媒体(ストレージ)」です。……この里全体が、巨大なサーバー・ルームとして機能しています』

​ 脳内のMI-Z-Oの声に、亮の背筋が凍りついた。
 この時代の人々は、それを「神の記録」と呼び、崇めている。だが実態は、崩壊しかけている歴史のデータを保護するための、最後の砦なのだ。

​「……だが、亮殿。この大録(おおろく)も、もはや限界なのです」
 五郎の顔に、深い陰が差した。
「海岸であなたが討った『汚れ(けがれ)』。あれは、神々の歴史を食い破る『空虚の軍勢』。あやつらが増えるたび、我らの守るべき記述は消え、世界は白紙へと戻っていく……。現に、この大録の三分の一は、すでに文字が消え、光を失いました」

​ 亮は、文字の消えた真っ白な木簡の山を見た。
 それは、現代で言えば「データの破損(ファイル・コラプト)」だ。歴史というデータベースが、ウイルスによって物理的に消去されている。

​「……それで、俺をどうしたいんだ。俺はただのエンジニアだぞ。剣の達人でも、神様でもない」

​「いいえ。……あなた様こそが、この崩壊した理(ことわり)を繋ぎ直す『修繕の神』であると、預言は示しております」

​ その時。
 書庫の入り口から、鈴の鳴るような、しかし凛とした声が響いた。

​「五郎。……無断で『異邦の者』をここに通すとは、いかなるつもりか」

​ 亮と五郎が振り返る。
 そこには、白銀の装束に身を包んだ、一人の少女が立っていた。
 腰まで届く漆黒の髪。氷のように鋭い、意志の強い瞳。
 彼女の背後には、宙に浮遊する三つの「勾玉(まがたま)」が、青い光の尾を引きながらゆっくりと旋回していた。

​「巫女(みこ)様! ……しかし、このお方は……!」

​「黙れ。……預言が真実か、それとも邪(よこしま)な者による『文字の偽装(いつわり)』か。……この私が、直々に確かめさせてもらう」

​ 少女は一歩、亮に歩み寄った。
 彼女が空中で指を弾くと、浮遊する勾玉から細い青い光が放たれ、亮の全身を走査(スキャン)し始めた。

​「な、なんだよ、いきなり……ッ! 眼が、眩しいだろ!」

​「動くな。……『瑞澪の血』に流れる理(ことわり)を読み取っているだけだ。……ほう。確かに、血脈の奥深くに、我らと同じ『神代の音』が流れている。……だが」

​ 少女は亮の顔を、至近距離で覗き込んだ。
 彼女の瞳の中に、微かに幾何学的な紋様が浮かんでいる。

​「……ずいぶんと、頼りない神だこと。その身なり、その怯え。……本当に、この壊れた歴史(ふみ)を修復できるというのか?」

​「……。頼りないのは、お互い様だろ」
 亮は、威圧感に押し潰されそうになりながらも、言い返した。
「……あんた、さっき『汚れ』のせいで記述が消えてるって言ったよな。……見せてみろよ、その消えかかってるログを。……俺の目なら、あんたたちが諦めた『空白』の先が、見えるかもしれない」

​ 少女――澪(みお)は、意外そうに目を見開いた。
 そして、わずかに口角を上げ、挑発的に微笑んだ。

​「……面白い。……ならば見せてやる。我ら瑞澪の巫女が、千年に渡って直せなかった『神の欠落』を」

​ 彼女が袖を振ると、書庫の中央にある鏡が激しく発光し、亮の目の前に「エラーメッセージで埋め尽くされた筑紫の地図」を映し出した。

​ 亮は、Tシャツの袖をまくり、手ぬぐいを結び直した。
 パニックはもうない。
 目の前に「壊れたシステム」があるなら、直す。それが、瑞澪亮という男の、たった一つの生きる理由だからだ。

​「……MI-Z-O、解析(パース)の準備しろ。……仕事の時間だ」



​次回予告:第五話「神代の術式と、並列演算の舞」
里の巫女・澪が継承する「神事」。それは、あまりにも非効率な手動(マニュアル)作業だった。亮は、その神秘なる儀式を「現代工学」でアップデートしようと試みる!
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