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氷の王子
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――ガタン、と断頭台の刃が落ちる音が、脳内で反響した。
焼けるような首筋の熱さと、冷たい鉄の感触。
一度目の私の死は、あまりに呆気ないものだった。
罪状は、隣国の王女に対する毒殺未遂。
私が用意した茶葉には、稀少な毒が混入されていた。証拠はすべて揃えられ、身の潔白を証明する術は一つも残されていなかった。……今思えば、あれは私を排除したい教会と、私の実家の権力を削ぎたい貴族派閥が組んだ、完璧な詰み盤だったのだ。
そんな政治のチェス盤の上で、私の婚約者だったアリスター・ド・ヴァロワ王子が選んだ手札は、「沈黙」だった。
処刑台の上。群衆の罵声の中で、彼はただ一人、氷のように冷たい瞳で私を見ていた。
あの時、彼は政治的に追い詰められていた。私一人の命と引き換えに、王室の平穏を守るのが彼にとっての「最適解」だったのだろう。それだけのこと。愛だの絆だのという非合理な幻想は、あの一瞬で捨てた。
「……っは、」
跳ね起きると、そこは処刑場ではなく、見慣れた自分の寝室だった。
鏡を見れば、十二歳の、まだ「無垢な令嬢」だった頃の私がいた。
(死に戻った……?)
混乱は一瞬。即座に生き残るための策を考える。
重要なのは、二度目はあの毒殺の罠に嵌まらないこと。そして、私を切り捨てたあの王子から、いかにして距離を置き、生き延びるか。
「……まずは、アリスターとの婚約を回避しなきゃ。あんな冷血漢に添い遂げる義理はないわ」
扉が開く。
金の髪を揺らし、少年らしさの中に支配者の風格を漂わせる王子――アリスターが入ってきた。
「おはよう、ルミナ。……まだ寝ぼけているのかい? 淑女がそんな格好で殿方を迎えるものではないよ」
声は、前世と変わらず涼やかで、どこか距離がある。
彼はベッドの側に歩み寄ると、感情の読めない瞳で私を見下ろした。
……ああ、これだ。私の知っている、冷たいアリスターだ。
「……アリスター、様。申し訳ございません、すぐに着替えますわ」
私は極めて事務的に、完璧な礼法で彼に背を向けた。
今の彼は、私を愛してもいなければ、執着もしていない。ただの「便利な婚約者候補」として私を見ているだけ。
「ルミナ」
呼び止められ、私は振り返らずに足を止めた。
「……何か?」
「……いや、別に。ただ、今日は赤いリボンはやめておけ。……細い首に、血が流れているように見える」
心臓がドクリと跳ねた。
無関心なはずの彼が、唐突に口にした不吉な言葉。
彼自身、何を言っているのか分かっていないような、どこか虚ろな響き。
私が恐る恐る振り返った時、アリスターの視線がこちらを向くのが、私の動きに対してほんの一拍だけ遅れたのを、私は見逃さなかった。
「……さあ、早く支度をしなさい。午後は茶会だ」
アリスターはそれだけ言うと、流れるような動作で部屋を出ていった。
パタン、と静かに扉が閉まる。
――だが、そこからだった。
立ち去る足音が、聞こえない。
扉のすぐ向こう側。廊下に出たはずの彼が、そこでぴたりと立ち止まっている気配がした。
動く気配も、立ち去る気配もない。
ただ、一枚の板を隔てたすぐ向こうに、彼が立ち尽くしている。
(……何? まだ何か用があるの?)
数秒、いや、十数秒。
無機質な沈黙が、重苦しく部屋に染み込んでくる。
扉の向こうで彼がどんな顔をしているのか、背を向けた私には描写されない。
ただ、凍りついたような静寂のあと、ようやく微かな足音が遠ざかっていった。
……今の、何だったのかしら。
前世のアリスターに、あんな不可解な行動はなかったはずなのに。
(いいわ。考えすぎよ。彼にとって、私は数ある駒の一つ。……このまま、彼にとって『価値のない駒』になればいい。そうすれば、私は自由になれる)
私は、前世で刃が触れた首筋を無意識に押さえながら、鏡の中の自分を見据えた。
生存戦略は、まだ始まったばかりだ。
焼けるような首筋の熱さと、冷たい鉄の感触。
一度目の私の死は、あまりに呆気ないものだった。
罪状は、隣国の王女に対する毒殺未遂。
私が用意した茶葉には、稀少な毒が混入されていた。証拠はすべて揃えられ、身の潔白を証明する術は一つも残されていなかった。……今思えば、あれは私を排除したい教会と、私の実家の権力を削ぎたい貴族派閥が組んだ、完璧な詰み盤だったのだ。
そんな政治のチェス盤の上で、私の婚約者だったアリスター・ド・ヴァロワ王子が選んだ手札は、「沈黙」だった。
処刑台の上。群衆の罵声の中で、彼はただ一人、氷のように冷たい瞳で私を見ていた。
あの時、彼は政治的に追い詰められていた。私一人の命と引き換えに、王室の平穏を守るのが彼にとっての「最適解」だったのだろう。それだけのこと。愛だの絆だのという非合理な幻想は、あの一瞬で捨てた。
「……っは、」
跳ね起きると、そこは処刑場ではなく、見慣れた自分の寝室だった。
鏡を見れば、十二歳の、まだ「無垢な令嬢」だった頃の私がいた。
(死に戻った……?)
混乱は一瞬。即座に生き残るための策を考える。
重要なのは、二度目はあの毒殺の罠に嵌まらないこと。そして、私を切り捨てたあの王子から、いかにして距離を置き、生き延びるか。
「……まずは、アリスターとの婚約を回避しなきゃ。あんな冷血漢に添い遂げる義理はないわ」
扉が開く。
金の髪を揺らし、少年らしさの中に支配者の風格を漂わせる王子――アリスターが入ってきた。
「おはよう、ルミナ。……まだ寝ぼけているのかい? 淑女がそんな格好で殿方を迎えるものではないよ」
声は、前世と変わらず涼やかで、どこか距離がある。
彼はベッドの側に歩み寄ると、感情の読めない瞳で私を見下ろした。
……ああ、これだ。私の知っている、冷たいアリスターだ。
「……アリスター、様。申し訳ございません、すぐに着替えますわ」
私は極めて事務的に、完璧な礼法で彼に背を向けた。
今の彼は、私を愛してもいなければ、執着もしていない。ただの「便利な婚約者候補」として私を見ているだけ。
「ルミナ」
呼び止められ、私は振り返らずに足を止めた。
「……何か?」
「……いや、別に。ただ、今日は赤いリボンはやめておけ。……細い首に、血が流れているように見える」
心臓がドクリと跳ねた。
無関心なはずの彼が、唐突に口にした不吉な言葉。
彼自身、何を言っているのか分かっていないような、どこか虚ろな響き。
私が恐る恐る振り返った時、アリスターの視線がこちらを向くのが、私の動きに対してほんの一拍だけ遅れたのを、私は見逃さなかった。
「……さあ、早く支度をしなさい。午後は茶会だ」
アリスターはそれだけ言うと、流れるような動作で部屋を出ていった。
パタン、と静かに扉が閉まる。
――だが、そこからだった。
立ち去る足音が、聞こえない。
扉のすぐ向こう側。廊下に出たはずの彼が、そこでぴたりと立ち止まっている気配がした。
動く気配も、立ち去る気配もない。
ただ、一枚の板を隔てたすぐ向こうに、彼が立ち尽くしている。
(……何? まだ何か用があるの?)
数秒、いや、十数秒。
無機質な沈黙が、重苦しく部屋に染み込んでくる。
扉の向こうで彼がどんな顔をしているのか、背を向けた私には描写されない。
ただ、凍りついたような静寂のあと、ようやく微かな足音が遠ざかっていった。
……今の、何だったのかしら。
前世のアリスターに、あんな不可解な行動はなかったはずなのに。
(いいわ。考えすぎよ。彼にとって、私は数ある駒の一つ。……このまま、彼にとって『価値のない駒』になればいい。そうすれば、私は自由になれる)
私は、前世で刃が触れた首筋を無意識に押さえながら、鏡の中の自分を見据えた。
生存戦略は、まだ始まったばかりだ。
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