【完結】前世で処刑された侯爵令嬢は、王子との婚約を破棄して生き延びたい

ムラサメ

文字の大きさ
1 / 8

氷の王子

しおりを挟む
――ガタン、と断頭台の刃が落ちる音が、脳内で反響した。
​ 焼けるような首筋の熱さと、冷たい鉄の感触。
 一度目の私の死は、あまりに呆気ないものだった。

​ 罪状は、隣国の王女に対する毒殺未遂。

 私が用意した茶葉には、稀少な毒が混入されていた。証拠はすべて揃えられ、身の潔白を証明する術は一つも残されていなかった。……今思えば、あれは私を排除したい教会と、私の実家の権力を削ぎたい貴族派閥が組んだ、完璧な詰み盤だったのだ。

​ そんな政治のチェス盤の上で、私の婚約者だったアリスター・ド・ヴァロワ王子が選んだ手札は、「沈黙」だった。

​ 処刑台の上。群衆の罵声の中で、彼はただ一人、氷のように冷たい瞳で私を見ていた。

 あの時、彼は政治的に追い詰められていた。私一人の命と引き換えに、王室の平穏を守るのが彼にとっての「最適解」だったのだろう。それだけのこと。愛だの絆だのという非合理な幻想は、あの一瞬で捨てた。

​「……っは、」

​ 跳ね起きると、そこは処刑場ではなく、見慣れた自分の寝室だった。

 鏡を見れば、十四歳の、まだ「無垢な令嬢」だった頃の私がいた。

​(死に戻った……?)

​ 混乱は一瞬。即座に生き残るための策を考える。
重要なのは、二度目はあの毒殺の罠に嵌まらないこと。そして、私を切り捨てたあの王子から、いかにして距離を置き、生き延びるか。

​「……まずは、アリスターとの婚約を回避しなきゃ。あんな冷血漢に添い遂げる義理はないわ」

​ 扉が開く。

 金の髪を揺らし、少年らしさの中に支配者の風格を漂わせる王子――アリスターが入ってきた。

​「おはよう、ルミナ。……まだ寝ぼけているのかい? 淑女がそんな格好で殿方を迎えるものではないよ」

​ 声は、前世と変わらず涼やかで、どこか距離がある。
 彼はベッドの側に歩み寄ると、感情の読めない瞳で私を見下ろした。

 ……ああ、これだ。私の知っている、冷たいアリスターだ。

​「……アリスター、様。申し訳ございません、すぐに着替えますわ」

​ 私は極めて事務的に、完璧な礼法で彼に背を向けた。

 今の彼は、私を愛してもいなければ、執着もしていない。ただの「便利な婚約者候補」として私を見ているだけ。

​「ルミナ」

​ 呼び止められ、私は振り返らずに足を止めた。

​「……何か?」

「……いや、別に。ただ、今日は赤いリボンはやめておけ。……細い首に、血が流れているように見える」

​ 心臓がドクリと跳ねた。

 無関心なはずの彼が、唐突に口にした不吉な言葉。
 彼自身、何を言っているのか分かっていないような、どこか虚ろな響き。

 私が恐る恐る振り返った時、アリスターの視線がこちらを向くのが、私の動きに対してほんの一拍だけ遅れたのを、私は見逃さなかった。

​「……さあ、早く支度をしなさい。午後は茶会だ」

​ アリスターはそれだけ言うと、流れるような動作で部屋を出ていった。
 パタン、と静かに扉が閉まる。
​ ――だが、そこからだった。
​ 立ち去る足音が、聞こえない。

 扉のすぐ向こう側。廊下に出たはずの彼が、そこでぴたりと立ち止まっている気配がした。

 動く気配も、立ち去る気配もない。

 ただ、一枚の板を隔てたすぐ向こうに、彼が立ち尽くしている。

​(……何? まだ何か用があるの?)

​ 数秒、いや、十数秒。
 無機質な沈黙が、重苦しく部屋に染み込んでくる。

 扉の向こうで彼がどんな顔をしているのか、背を向けた私には描写されない。

 ただ、凍りついたような静寂のあと、ようやく微かな足音が遠ざかっていった。
​ ……今の、何だったのかしら。

 前世のアリスターに、あんな不可解な行動はなかったはずなのに。

​(いいわ。考えすぎよ。彼にとって、私は数ある駒の一つ。……このまま、彼にとって『価値のない駒』になればいい。そうすれば、私は自由になれる)

​ 私は、前世で刃が触れた首筋を無意識に押さえながら、鏡の中の自分を見据えた。

 生存戦略は、まだ始まったばかりだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

「愛想がなく可愛くない」と捨てられた私、最強の竜騎士に拾われる。「その美しさに僕だけが狂わされたい」と、愛の重さでベッドから下ろしてくれない

唯崎りいち
恋愛
夜会の最中、王子に「愛想がなくて可愛くない」と婚約破棄された無表情令嬢。 だが彼女の美しさに一目惚れした隣国最強の竜騎士に連れ去られ、 「君はもう僕のものだ」 と毎晩愛の重さでベッドから下ろしてくれない生活が始まる——。

一途に愛した1周目は殺されて終わったので、2周目は王子様を嫌いたいのに、なぜか婚約者がヤンデレ化して離してくれません!

夢咲 アメ
恋愛
「君の愛が煩わしいんだ」 婚約者である王太子の冷たい言葉に、私の心は砕け散った。 それから間もなく、私は謎の襲撃者に命を奪われ死んだ――はずだった。 死の間際に見えたのは、絶望に顔を歪ませ、私の名を叫びながら駆け寄る彼の姿。 ​……けれど、次に目を覚ました時、私は18歳の自分に戻っていた。 ​「今世こそ、彼を愛するのを辞めよう」 そう決意して距離を置く私。しかし、1周目であれほど冷酷だった彼は、なぜか焦ったように私を追いかけ、甘い言葉で縛り付けようとしてきて……? ​「どこへ行くつもり? 君が愛してくれるまで、僕は君を離さないよ」 ​不器用すぎて愛を間違えたヤンデレ王子×今世こそ静かに暮らしたい令嬢。 死から始まる、執着愛の二周目が幕を開ける!

5年経っても軽率に故郷に戻っては駄目!

158
恋愛
伯爵令嬢であるオリビアは、この世界が前世でやった乙女ゲームの世界であることに気づく。このまま学園に入学してしまうと、死亡エンドの可能性があるため学園に入学する前に家出することにした。婚約者もさらっとスルーして、早や5年。結局誰ルートを主人公は選んだのかしらと軽率にも故郷に舞い戻ってしまい・・・ 2話完結を目指してます!

運命の番より真実の愛が欲しい

サトウミ
恋愛
田舎娘のゾーイは龍族の王子・シャウロンの『運命の番』だった。 ロマンチックな恋を夢見るゾーイは『運命の番』であるシャウロンと会えるのを楽しみにしていた。 しかし、シャウロンはゾーイに対して素っ気ない。 運命の番だからといって、必ずしも愛し合う関係だとは限らないらしい。 それを悟ったゾーイは、シャウロンのもとから去ることを決意した。

図書館でうたた寝してたらいつの間にか王子と結婚することになりました

鳥花風星
恋愛
限られた人間しか入ることのできない王立図書館中枢部で司書として働く公爵令嬢ベル・シュパルツがお気に入りの場所で昼寝をしていると、目の前に見知らぬ男性がいた。 素性のわからないその男性は、たびたびベルの元を訪れてベルとたわいもない話をしていく。本を貸したりお茶を飲んだり、ありきたりな日々を何度か共に過ごしていたとある日、その男性から期間限定の婚約者になってほしいと懇願される。 とりあえず婚約を受けてはみたものの、その相手は実はこの国の第二王子、アーロンだった。 「俺は欲しいと思ったら何としてでも絶対に手に入れる人間なんだ」

女避けの為の婚約なので卒業したら穏やかに婚約破棄される予定です

くじら
恋愛
「俺の…婚約者のフリをしてくれないか」 身分や肩書きだけで何人もの男性に声を掛ける留学生から逃れる為、彼は私に恋人のふりをしてほしいと言う。 期間は卒業まで。 彼のことが気になっていたので快諾したものの、別れの時は近づいて…。

モブ転生とはこんなもの

詩森さよ(さよ吉)
恋愛
あたしはナナ。貧乏伯爵令嬢で転生者です。 乙女ゲームのプロローグで死んじゃうモブに転生したけど、奇跡的に助かったおかげで現在元気で幸せです。 今ゲームのラスト近くの婚約破棄の現場にいるんだけど、なんだか様子がおかしいの。 いったいどうしたらいいのかしら……。 現在筆者の時間的かつ体力的に感想などを受け付けない設定にしております。 どうぞよろしくお願いいたします。 他サイトでも公開しています。

感情の無い聖女様は、公爵への生贄にされてしまいました

九条 雛
恋愛
「――私など、ただの〝祈り人形〟でございます。人形に感情はありませぬ……」 悪逆非道の公爵の元へと生贄として捧げられてしまった聖女は、格子の付いた窓を見上げてそう呟く。 公爵は嗜虐に満ちた笑みを浮かべ言い放つ。 「これからは、三食きちんと食べてもらおう。こうして俺のモノとなったからには、今までのような生活を送れるとは思わぬことだな」 ――これは、不幸な境遇で心を閉ざしてしまった少女と、その笑顔を取り戻そうとする男の物語。

処理中です...