2 / 2
お茶会
しおりを挟む
アリスターが部屋を去り、重苦しい沈黙が解けた後、私はすぐにペンを執った。
震える指先を強引に黙らせ、紙に前世の「詰み盤」の構成要素を書き出す。
――毒殺未遂事件。
実行犯は私の侍女だが、黒幕は教会の司教と、王子の側近の一人だったはずだ。彼らは私の実家の軍事力を恐れ、王家との縁を切らせるために私を「毒婦」に仕立て上げた。
(よく考えないと。彼らが動くのは三回目のお茶会の後。なら、その前に私が『アリスターに嫌われて婚約を白紙にする』か、『自ら修道院へ逃げ込む』のが最速の生存ルートね)
私にとってのアリスターは、もはや守るべき初恋の君ではない。
身支度を整え、私は王宮の庭園へと向かった。
五月の風は心地よいはずなのに、首筋をなでる風が、どうしても断頭台の冷たい刃を思い出させて落ち着かない。
「遅かったね、ルミナ。着替えに手間取ったのかい?」
ガゼボで待っていたアリスターは、白磁のティーカップを手に、絵画のような美しさでそこにいた。
前世と同じ、完璧な王子様。私を切り捨てた時と同じ、冷ややかな透明感。
「お待たせいたしました、アリスター様」
私はあえて椅子を一つ空けて座った。
普段の私なら、彼の隣に嬉々として座っていただろう。その変化に、彼はどう反応するか。
アリスターは、私が空けた席を一度だけ見た。
その視線が動くスピードが、私の着席に対してほんの少しだけ遅れる。朝の部屋で見せた、あの不自然な動き。
「……今日は、ダージリンだ。君が好きな銘柄だろう」
彼が自らポットを傾け、私のカップに褐色の液体を注ぐ。
その瞬間、私の背筋を氷の刃が走った。
(お茶。毒。処刑。死――)
前世の記憶がフラッシュバックする。
たとえ今、このお茶に毒が入っていなくても、彼が私に「与える」という行為そのものが、死への階段に見えてしまう。
私は、差し出されたカップを手に取ることができなかった。
喉が引き攣り、胃の奥からせり上がる不快感に耐える。
「……どうしたんだい? 毒でも入っているような顔をしているね」
アリスターの声は冗談めかしていたが、その瞳は笑っていなかった。
彼は私の顔をじっと覗き込み、一拍置いてから、自分のカップを私のものと交換した。
「失礼した。僕の注ぎ方が悪かったかな。……ほら、これなら安心だろう?」
本来なら、ここで「滅相もございません!」と笑って誤魔化すのが貴族の作法だ。けれど、私はあえて沈黙を選んだ。彼に「扱いづらい、不気味な女」だと思わせるチャンスだ。
「アリスター様……私は、お茶を飲むのが怖くなりましたわ」
「……ほう。なぜ?」
「理由は分かりません。ただ、喉を通れば、二度と声が出せなくなるような気がして」
嫌悪してくれ。気味悪がって、婚約の話を立ち消えにしてくれ。
私は彼の瞳を真っ直ぐに見つめた。
だが、アリスターの反応は私の予想を完全に裏切った。
彼は私の手を取り、その細い指先を一本ずつ、壊れ物を扱うような手つきで包み込んだ。
その力は強すぎず、けれど逃げ出そうとすれば即座に骨を砕きそうな、異様な「圧」を孕んでいた。
「……そうか。それなら、僕が君の代わりにすべての毒を飲もう。君の喉を焼くものは、僕がすべて飲み干してやる」
彼の声は低く、そしてどこか陶酔しているようだった。無関心なはずなのに。私を駒だとしか思っていないはずなのに。
彼の言葉選びは、前世の彼からは考えられないほどに湿り気を帯びている。
「アリスター様、冗談はやめてください。あなたは王族です、一令嬢のために命を懸けるなんて、非合理的だわ」
「非合理的、か。確かに君の言う通りだ」
アリスターはふっと笑い、私の手を放した。
そして、空になった私のカップを見つめながら、独り言のように呟いた。
「……でも、不思議だね。君が苦しむ姿を想像するだけで、僕の心臓が不快な音を立てるんだ。まるで、かつて同じ光景を……」
彼はそこで言葉を切り、自分のこめかみを押さえた。
「……いや、何でもない。忘れてくれ」
再び顔を上げた彼の瞳は、いつもの冷徹なものに戻っていた。
だが、テーブルの下で彼の手が、シーツを握りしめるように固く震えているのを私は見てしまった。
――確信した。
アリスターには、前世の記憶なんて欠片もない。
けれど、彼という人間の中に組み込まれた「魂」そのものが、バグを起こしている。
前世で私を殺したという罪悪感なのか、あるいは、私を失った後に彼が抱いた狂気なのか。
彼は無自覚に、私の生存を脅かすほどの「過保護な檻」を編み始めているのかもしれない。
「アリスター様、失礼いたします。気分が優れないので、今日はこれで」
私は逃げるように席を立った。
これ以上ここにいれば、彼の「違和感」に飲み込まれてしまう。
早歩きで庭園を抜ける私の背後に、再び視線を感じる。
振り返らなくても分かった。
彼は、立ち上がったまま、私が視界から消えるまで一歩も動かずに見送っている。
扉を閉める直前、私は盗み見るように背後を振り返った。
ガゼボの影で、彼は私が飲み残した冷めた紅茶を、愛おしそうに、けれど地獄の底を覗き込むような瞳で見つめていた。
震える指先を強引に黙らせ、紙に前世の「詰み盤」の構成要素を書き出す。
――毒殺未遂事件。
実行犯は私の侍女だが、黒幕は教会の司教と、王子の側近の一人だったはずだ。彼らは私の実家の軍事力を恐れ、王家との縁を切らせるために私を「毒婦」に仕立て上げた。
(よく考えないと。彼らが動くのは三回目のお茶会の後。なら、その前に私が『アリスターに嫌われて婚約を白紙にする』か、『自ら修道院へ逃げ込む』のが最速の生存ルートね)
私にとってのアリスターは、もはや守るべき初恋の君ではない。
身支度を整え、私は王宮の庭園へと向かった。
五月の風は心地よいはずなのに、首筋をなでる風が、どうしても断頭台の冷たい刃を思い出させて落ち着かない。
「遅かったね、ルミナ。着替えに手間取ったのかい?」
ガゼボで待っていたアリスターは、白磁のティーカップを手に、絵画のような美しさでそこにいた。
前世と同じ、完璧な王子様。私を切り捨てた時と同じ、冷ややかな透明感。
「お待たせいたしました、アリスター様」
私はあえて椅子を一つ空けて座った。
普段の私なら、彼の隣に嬉々として座っていただろう。その変化に、彼はどう反応するか。
アリスターは、私が空けた席を一度だけ見た。
その視線が動くスピードが、私の着席に対してほんの少しだけ遅れる。朝の部屋で見せた、あの不自然な動き。
「……今日は、ダージリンだ。君が好きな銘柄だろう」
彼が自らポットを傾け、私のカップに褐色の液体を注ぐ。
その瞬間、私の背筋を氷の刃が走った。
(お茶。毒。処刑。死――)
前世の記憶がフラッシュバックする。
たとえ今、このお茶に毒が入っていなくても、彼が私に「与える」という行為そのものが、死への階段に見えてしまう。
私は、差し出されたカップを手に取ることができなかった。
喉が引き攣り、胃の奥からせり上がる不快感に耐える。
「……どうしたんだい? 毒でも入っているような顔をしているね」
アリスターの声は冗談めかしていたが、その瞳は笑っていなかった。
彼は私の顔をじっと覗き込み、一拍置いてから、自分のカップを私のものと交換した。
「失礼した。僕の注ぎ方が悪かったかな。……ほら、これなら安心だろう?」
本来なら、ここで「滅相もございません!」と笑って誤魔化すのが貴族の作法だ。けれど、私はあえて沈黙を選んだ。彼に「扱いづらい、不気味な女」だと思わせるチャンスだ。
「アリスター様……私は、お茶を飲むのが怖くなりましたわ」
「……ほう。なぜ?」
「理由は分かりません。ただ、喉を通れば、二度と声が出せなくなるような気がして」
嫌悪してくれ。気味悪がって、婚約の話を立ち消えにしてくれ。
私は彼の瞳を真っ直ぐに見つめた。
だが、アリスターの反応は私の予想を完全に裏切った。
彼は私の手を取り、その細い指先を一本ずつ、壊れ物を扱うような手つきで包み込んだ。
その力は強すぎず、けれど逃げ出そうとすれば即座に骨を砕きそうな、異様な「圧」を孕んでいた。
「……そうか。それなら、僕が君の代わりにすべての毒を飲もう。君の喉を焼くものは、僕がすべて飲み干してやる」
彼の声は低く、そしてどこか陶酔しているようだった。無関心なはずなのに。私を駒だとしか思っていないはずなのに。
彼の言葉選びは、前世の彼からは考えられないほどに湿り気を帯びている。
「アリスター様、冗談はやめてください。あなたは王族です、一令嬢のために命を懸けるなんて、非合理的だわ」
「非合理的、か。確かに君の言う通りだ」
アリスターはふっと笑い、私の手を放した。
そして、空になった私のカップを見つめながら、独り言のように呟いた。
「……でも、不思議だね。君が苦しむ姿を想像するだけで、僕の心臓が不快な音を立てるんだ。まるで、かつて同じ光景を……」
彼はそこで言葉を切り、自分のこめかみを押さえた。
「……いや、何でもない。忘れてくれ」
再び顔を上げた彼の瞳は、いつもの冷徹なものに戻っていた。
だが、テーブルの下で彼の手が、シーツを握りしめるように固く震えているのを私は見てしまった。
――確信した。
アリスターには、前世の記憶なんて欠片もない。
けれど、彼という人間の中に組み込まれた「魂」そのものが、バグを起こしている。
前世で私を殺したという罪悪感なのか、あるいは、私を失った後に彼が抱いた狂気なのか。
彼は無自覚に、私の生存を脅かすほどの「過保護な檻」を編み始めているのかもしれない。
「アリスター様、失礼いたします。気分が優れないので、今日はこれで」
私は逃げるように席を立った。
これ以上ここにいれば、彼の「違和感」に飲み込まれてしまう。
早歩きで庭園を抜ける私の背後に、再び視線を感じる。
振り返らなくても分かった。
彼は、立ち上がったまま、私が視界から消えるまで一歩も動かずに見送っている。
扉を閉める直前、私は盗み見るように背後を振り返った。
ガゼボの影で、彼は私が飲み残した冷めた紅茶を、愛おしそうに、けれど地獄の底を覗き込むような瞳で見つめていた。
1
この作品は感想を受け付けておりません。
あなたにおすすめの小説
【完結】小さなマリーは僕の物
miniko
恋愛
マリーは小柄で胸元も寂しい自分の容姿にコンプレックスを抱いていた。
彼女の子供の頃からの婚約者は、容姿端麗、性格も良く、とても大事にしてくれる完璧な人。
しかし、周囲からの圧力もあり、自分は彼に不釣り合いだと感じて、婚約解消を目指す。
※マリー視点とアラン視点、同じ内容を交互に書く予定です。(最終話はマリー視点のみ)
【完結】大好きな彼が妹と結婚する……と思ったら?
江崎美彩
恋愛
誰にでも愛される可愛い妹としっかり者の姉である私。
大好きな従兄弟と人気のカフェに並んでいたら、いつも通り気ままに振る舞う妹の後ろ姿を見ながら彼が「結婚したいと思ってる」って呟いて……
さっくり読める短編です。
異世界もののつもりで書いてますが、あまり異世界感はありません。
【短編版】番の身代わり婚約者を辞めることにしたら、冷酷な龍神王太子の様子がおかしくなりました
降魔 鬼灯
恋愛
コミカライズ化進行中。
連載版もあります。
ユリアンナは王太子ルードヴィッヒの婚約者。
幼い頃は仲良しの2人だったのに、最近では全く会話がない。
月一度の砂時計で時間を計られた義務の様なお茶会もルードヴィッヒはこちらを睨みつけるだけで、なんの会話もない。
義務的に続けられるお茶会。義務的に届く手紙や花束、ルートヴィッヒの色のドレスやアクセサリー。
でも、実は彼女はルートヴィッヒの番で。
彼女はルートヴィッヒの気持ちに気づくのか?ジレジレの二人のお茶会
三話完結
コミカライズ化に伴いタイトルを『憂鬱なお茶会〜殿下、お茶会を止めて番探しをされては?え?義務?彼女は自分が殿下の番であることを知らない。溺愛まであと半年〜』から
『番の身代わり婚約者を辞めることにしたら、冷酷な龍神王太子の様子がおかしくなりました』に変更させていただきます。
没落貴族とバカにしますが、実は私、王族の者でして。
亜綺羅もも
恋愛
ティファ・レーベルリンは没落貴族と学園の友人たちから毎日イジメられていた。
しかし皆は知らないのだ
ティファが、ロードサファルの王女だとは。
そんなティファはキラ・ファンタムに惹かれていき、そして自分の正体をキラに明かすのであったが……
次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢
さら
恋愛
名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。
しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。
王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。
戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。
一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。
【完結】少年の懺悔、少女の願い
干野ワニ
恋愛
伯爵家の嫡男に生まれたフェルナンには、ロズリーヌという幼い頃からの『親友』がいた。「気取ったご令嬢なんかと結婚するくらいならロズがいい」というフェルナンの希望で、二人は一年後に婚約することになったのだが……伯爵夫人となるべく王都での行儀見習いを終えた『親友』は、すっかり別人の『ご令嬢』となっていた。
そんな彼女に置いて行かれたと感じたフェルナンは、思わず「奔放な義妹の方が良い」などと言ってしまい――
なぜあの時、本当の気持ちを伝えておかなかったのか。
後悔しても、もう遅いのだ。
※本編が全7話で悲恋、後日談が全2話でハッピーエンド予定です。
※長編のスピンオフですが、単体で読めます。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました
桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。
言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。
しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。
──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。
その一行が、彼の目に留まった。
「この文字を書いたのは、あなたですか?」
美しく、完璧で、どこか現実離れした男。
日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。
最初はただの好奇心だと思っていた。
けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。
彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。
毎日19時に更新予定です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる