2 / 8
お茶会
しおりを挟む
アリスターが部屋を去り、重苦しい沈黙が解けた後、私はすぐにペンを執った。
震える指先を強引に黙らせ、紙に前世の「詰み盤」の構成要素を書き出す。
――毒殺未遂事件。
実行犯は私の侍女だが、黒幕は教会の司教と、王子の側近の一人だったはずだ。彼らは私の実家の軍事力を恐れ、王家との縁を切らせるために私を「毒婦」に仕立て上げた。
(よく考えないと。彼らが動くのは三回目のお茶会の後。なら、その前に私が『アリスターに嫌われて婚約を白紙にする』か、『自ら修道院へ逃げ込む』のが最速の生存ルートね)
私にとってのアリスターは、もはや守るべき初恋の君ではない。
身支度を整え、私は王宮の庭園へと向かった。
五月の風は心地よいはずなのに、首筋をなでる風が、どうしても断頭台の冷たい刃を思い出させて落ち着かない。
「遅かったね、ルミナ。着替えに手間取ったのかい?」
ガゼボで待っていたアリスターは、白磁のティーカップを手に、絵画のような美しさでそこにいた。
前世と同じ、完璧な王子様。私を切り捨てた時と同じ、冷ややかな透明感。
「お待たせいたしました、アリスター様」
私はあえて椅子を一つ空けて座った。
普段の私なら、彼の隣に嬉々として座っていただろう。その変化に、彼はどう反応するか。
アリスターは、私が空けた席を一度だけ見た。
その視線が動くスピードが、私の着席に対してほんの少しだけ遅れる。朝の部屋で見せた、あの不自然な動き。
「……今日は、ダージリンだ。君が好きな銘柄だろう」
彼が自らポットを傾け、私のカップに褐色の液体を注ぐ。
その瞬間、私の背筋を氷の刃が走った。
(お茶。毒。処刑。死――)
前世の記憶がフラッシュバックする。
たとえ今、このお茶に毒が入っていなくても、彼が私に「与える」という行為そのものが、死への階段に見えてしまう。
私は、差し出されたカップを手に取ることができなかった。
喉が引き攣り、胃の奥からせり上がる不快感に耐える。
「……どうしたんだい? 毒でも入っているような顔をしているね」
アリスターの声は冗談めかしていたが、その瞳は笑っていなかった。
彼は私の顔をじっと覗き込み、一拍置いてから、自分のカップを私のものと交換した。
「失礼した。僕の注ぎ方が悪かったかな。……ほら、これなら安心だろう?」
本来なら、ここで「滅相もございません!」と笑って誤魔化すのが貴族の作法だ。けれど、私はあえて沈黙を選んだ。彼に「扱いづらい、不気味な女」だと思わせるチャンスだ。
「アリスター様……私は、お茶を飲むのが怖くなりましたわ」
「……ほう。なぜ?」
「理由は分かりません。ただ、喉を通れば、二度と声が出せなくなるような気がして」
嫌悪してくれ。気味悪がって、婚約の話を立ち消えにしてくれ。
私は彼の瞳を真っ直ぐに見つめた。
だが、アリスターの反応は私の予想を完全に裏切った。
彼は私の手を取り、その細い指先を一本ずつ、壊れ物を扱うような手つきで包み込んだ。
その力は強すぎず、けれど逃げ出そうとすれば即座に骨を砕きそうな、異様な「圧」を孕んでいた。
「……そうか。それなら、僕が君の代わりにすべての毒を飲もう。君の喉を焼くものは、僕がすべて飲み干してやる」
彼の声は低く、そしてどこか陶酔しているようだった。無関心なはずなのに。私を駒だとしか思っていないはずなのに。
彼の言葉選びは、前世の彼からは考えられないほどに湿り気を帯びている。
「アリスター様、冗談はやめてください。あなたは王族です、一令嬢のために命を懸けるなんて、非合理的だわ」
「非合理的、か。確かに君の言う通りだ」
アリスターはふっと笑い、私の手を放した。
そして、空になった私のカップを見つめながら、独り言のように呟いた。
「……でも、不思議だね。君が苦しむ姿を想像するだけで、僕の心臓が不快な音を立てるんだ。まるで、かつて同じ光景を……」
彼はそこで言葉を切り、自分のこめかみを押さえた。
「……いや、何でもない。忘れてくれ」
再び顔を上げた彼の瞳は、いつもの冷徹なものに戻っていた。
だが、テーブルの下で彼の手が、シーツを握りしめるように固く震えているのを私は見てしまった。
――確信した。
アリスターには、前世の記憶なんて欠片もない。
けれど、彼という人間の中に組み込まれた「魂」そのものが、バグを起こしている。
前世で私を殺したという罪悪感なのか、あるいは、私を失った後に彼が抱いた狂気なのか。
彼は無自覚に、私の生存を脅かすほどの「過保護な檻」を編み始めているのかもしれない。
「アリスター様、失礼いたします。気分が優れないので、今日はこれで」
私は逃げるように席を立った。
これ以上ここにいれば、彼の「違和感」に飲み込まれてしまう。
早歩きで庭園を抜ける私の背後に、再び視線を感じる。
振り返らなくても分かった。
彼は、立ち上がったまま、私が視界から消えるまで一歩も動かずに見送っている。
扉を閉める直前、私は盗み見るように背後を振り返った。
ガゼボの影で、彼は私が飲み残した冷めた紅茶を、愛おしそうに、けれど地獄の底を覗き込むような瞳で見つめていた。
震える指先を強引に黙らせ、紙に前世の「詰み盤」の構成要素を書き出す。
――毒殺未遂事件。
実行犯は私の侍女だが、黒幕は教会の司教と、王子の側近の一人だったはずだ。彼らは私の実家の軍事力を恐れ、王家との縁を切らせるために私を「毒婦」に仕立て上げた。
(よく考えないと。彼らが動くのは三回目のお茶会の後。なら、その前に私が『アリスターに嫌われて婚約を白紙にする』か、『自ら修道院へ逃げ込む』のが最速の生存ルートね)
私にとってのアリスターは、もはや守るべき初恋の君ではない。
身支度を整え、私は王宮の庭園へと向かった。
五月の風は心地よいはずなのに、首筋をなでる風が、どうしても断頭台の冷たい刃を思い出させて落ち着かない。
「遅かったね、ルミナ。着替えに手間取ったのかい?」
ガゼボで待っていたアリスターは、白磁のティーカップを手に、絵画のような美しさでそこにいた。
前世と同じ、完璧な王子様。私を切り捨てた時と同じ、冷ややかな透明感。
「お待たせいたしました、アリスター様」
私はあえて椅子を一つ空けて座った。
普段の私なら、彼の隣に嬉々として座っていただろう。その変化に、彼はどう反応するか。
アリスターは、私が空けた席を一度だけ見た。
その視線が動くスピードが、私の着席に対してほんの少しだけ遅れる。朝の部屋で見せた、あの不自然な動き。
「……今日は、ダージリンだ。君が好きな銘柄だろう」
彼が自らポットを傾け、私のカップに褐色の液体を注ぐ。
その瞬間、私の背筋を氷の刃が走った。
(お茶。毒。処刑。死――)
前世の記憶がフラッシュバックする。
たとえ今、このお茶に毒が入っていなくても、彼が私に「与える」という行為そのものが、死への階段に見えてしまう。
私は、差し出されたカップを手に取ることができなかった。
喉が引き攣り、胃の奥からせり上がる不快感に耐える。
「……どうしたんだい? 毒でも入っているような顔をしているね」
アリスターの声は冗談めかしていたが、その瞳は笑っていなかった。
彼は私の顔をじっと覗き込み、一拍置いてから、自分のカップを私のものと交換した。
「失礼した。僕の注ぎ方が悪かったかな。……ほら、これなら安心だろう?」
本来なら、ここで「滅相もございません!」と笑って誤魔化すのが貴族の作法だ。けれど、私はあえて沈黙を選んだ。彼に「扱いづらい、不気味な女」だと思わせるチャンスだ。
「アリスター様……私は、お茶を飲むのが怖くなりましたわ」
「……ほう。なぜ?」
「理由は分かりません。ただ、喉を通れば、二度と声が出せなくなるような気がして」
嫌悪してくれ。気味悪がって、婚約の話を立ち消えにしてくれ。
私は彼の瞳を真っ直ぐに見つめた。
だが、アリスターの反応は私の予想を完全に裏切った。
彼は私の手を取り、その細い指先を一本ずつ、壊れ物を扱うような手つきで包み込んだ。
その力は強すぎず、けれど逃げ出そうとすれば即座に骨を砕きそうな、異様な「圧」を孕んでいた。
「……そうか。それなら、僕が君の代わりにすべての毒を飲もう。君の喉を焼くものは、僕がすべて飲み干してやる」
彼の声は低く、そしてどこか陶酔しているようだった。無関心なはずなのに。私を駒だとしか思っていないはずなのに。
彼の言葉選びは、前世の彼からは考えられないほどに湿り気を帯びている。
「アリスター様、冗談はやめてください。あなたは王族です、一令嬢のために命を懸けるなんて、非合理的だわ」
「非合理的、か。確かに君の言う通りだ」
アリスターはふっと笑い、私の手を放した。
そして、空になった私のカップを見つめながら、独り言のように呟いた。
「……でも、不思議だね。君が苦しむ姿を想像するだけで、僕の心臓が不快な音を立てるんだ。まるで、かつて同じ光景を……」
彼はそこで言葉を切り、自分のこめかみを押さえた。
「……いや、何でもない。忘れてくれ」
再び顔を上げた彼の瞳は、いつもの冷徹なものに戻っていた。
だが、テーブルの下で彼の手が、シーツを握りしめるように固く震えているのを私は見てしまった。
――確信した。
アリスターには、前世の記憶なんて欠片もない。
けれど、彼という人間の中に組み込まれた「魂」そのものが、バグを起こしている。
前世で私を殺したという罪悪感なのか、あるいは、私を失った後に彼が抱いた狂気なのか。
彼は無自覚に、私の生存を脅かすほどの「過保護な檻」を編み始めているのかもしれない。
「アリスター様、失礼いたします。気分が優れないので、今日はこれで」
私は逃げるように席を立った。
これ以上ここにいれば、彼の「違和感」に飲み込まれてしまう。
早歩きで庭園を抜ける私の背後に、再び視線を感じる。
振り返らなくても分かった。
彼は、立ち上がったまま、私が視界から消えるまで一歩も動かずに見送っている。
扉を閉める直前、私は盗み見るように背後を振り返った。
ガゼボの影で、彼は私が飲み残した冷めた紅茶を、愛おしそうに、けれど地獄の底を覗き込むような瞳で見つめていた。
46
あなたにおすすめの小説
「愛想がなく可愛くない」と捨てられた私、最強の竜騎士に拾われる。「その美しさに僕だけが狂わされたい」と、愛の重さでベッドから下ろしてくれない
唯崎りいち
恋愛
夜会の最中、王子に「愛想がなくて可愛くない」と婚約破棄された無表情令嬢。
だが彼女の美しさに一目惚れした隣国最強の竜騎士に連れ去られ、
「君はもう僕のものだ」
と毎晩愛の重さでベッドから下ろしてくれない生活が始まる——。
一途に愛した1周目は殺されて終わったので、2周目は王子様を嫌いたいのに、なぜか婚約者がヤンデレ化して離してくれません!
夢咲 アメ
恋愛
「君の愛が煩わしいんだ」
婚約者である王太子の冷たい言葉に、私の心は砕け散った。
それから間もなく、私は謎の襲撃者に命を奪われ死んだ――はずだった。
死の間際に見えたのは、絶望に顔を歪ませ、私の名を叫びながら駆け寄る彼の姿。
……けれど、次に目を覚ました時、私は18歳の自分に戻っていた。
「今世こそ、彼を愛するのを辞めよう」
そう決意して距離を置く私。しかし、1周目であれほど冷酷だった彼は、なぜか焦ったように私を追いかけ、甘い言葉で縛り付けようとしてきて……?
「どこへ行くつもり? 君が愛してくれるまで、僕は君を離さないよ」
不器用すぎて愛を間違えたヤンデレ王子×今世こそ静かに暮らしたい令嬢。
死から始まる、執着愛の二周目が幕を開ける!
5年経っても軽率に故郷に戻っては駄目!
158
恋愛
伯爵令嬢であるオリビアは、この世界が前世でやった乙女ゲームの世界であることに気づく。このまま学園に入学してしまうと、死亡エンドの可能性があるため学園に入学する前に家出することにした。婚約者もさらっとスルーして、早や5年。結局誰ルートを主人公は選んだのかしらと軽率にも故郷に舞い戻ってしまい・・・
2話完結を目指してます!
運命の番より真実の愛が欲しい
サトウミ
恋愛
田舎娘のゾーイは龍族の王子・シャウロンの『運命の番』だった。
ロマンチックな恋を夢見るゾーイは『運命の番』であるシャウロンと会えるのを楽しみにしていた。
しかし、シャウロンはゾーイに対して素っ気ない。
運命の番だからといって、必ずしも愛し合う関係だとは限らないらしい。
それを悟ったゾーイは、シャウロンのもとから去ることを決意した。
図書館でうたた寝してたらいつの間にか王子と結婚することになりました
鳥花風星
恋愛
限られた人間しか入ることのできない王立図書館中枢部で司書として働く公爵令嬢ベル・シュパルツがお気に入りの場所で昼寝をしていると、目の前に見知らぬ男性がいた。
素性のわからないその男性は、たびたびベルの元を訪れてベルとたわいもない話をしていく。本を貸したりお茶を飲んだり、ありきたりな日々を何度か共に過ごしていたとある日、その男性から期間限定の婚約者になってほしいと懇願される。
とりあえず婚約を受けてはみたものの、その相手は実はこの国の第二王子、アーロンだった。
「俺は欲しいと思ったら何としてでも絶対に手に入れる人間なんだ」
女避けの為の婚約なので卒業したら穏やかに婚約破棄される予定です
くじら
恋愛
「俺の…婚約者のフリをしてくれないか」
身分や肩書きだけで何人もの男性に声を掛ける留学生から逃れる為、彼は私に恋人のふりをしてほしいと言う。
期間は卒業まで。
彼のことが気になっていたので快諾したものの、別れの時は近づいて…。
モブ転生とはこんなもの
詩森さよ(さよ吉)
恋愛
あたしはナナ。貧乏伯爵令嬢で転生者です。
乙女ゲームのプロローグで死んじゃうモブに転生したけど、奇跡的に助かったおかげで現在元気で幸せです。
今ゲームのラスト近くの婚約破棄の現場にいるんだけど、なんだか様子がおかしいの。
いったいどうしたらいいのかしら……。
現在筆者の時間的かつ体力的に感想などを受け付けない設定にしております。
どうぞよろしくお願いいたします。
他サイトでも公開しています。
感情の無い聖女様は、公爵への生贄にされてしまいました
九条 雛
恋愛
「――私など、ただの〝祈り人形〟でございます。人形に感情はありませぬ……」
悪逆非道の公爵の元へと生贄として捧げられてしまった聖女は、格子の付いた窓を見上げてそう呟く。
公爵は嗜虐に満ちた笑みを浮かべ言い放つ。
「これからは、三食きちんと食べてもらおう。こうして俺のモノとなったからには、今までのような生活を送れるとは思わぬことだな」
――これは、不幸な境遇で心を閉ざしてしまった少女と、その笑顔を取り戻そうとする男の物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる