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皇子出立
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いつものように日は過ぎ、皇子が出立する日がやってきた。いつもと同じに太陽は昇り、新たな一日が始まる。
アサギは侍女に手伝ってもらいながら身支度を整え、見送りのために屋敷前に向かった。
すでに人々は集まり、出立の準備は整っているようだ。
「どうぞ、こちらへ」
アサギは促され、用意されていた場所へ立つ。両隣には、第二夫人であるマツと、第三夫人であるチヨがすでに並んでいた。
マツはアサギに会釈をし、チヨは視線だけを寄越す。
幼馴染みでも、できてしまった溝は、そう易々と埋まらない。
アサギはマツに会釈を返し、チヨを一瞥すると正面を見据えた。
三人が揃うのは、謁見の間でマツとチヨが第二、第三夫人に命じられたとき以来。皇子と会ってもアサギが二人のこと話題にしようとしないから、皇子から幼馴染みの様子を聞くこともなかった。
(二人共、元気そうね)
よかったと安堵するも、これからこの場でこの二人と共に皇子を見送ることは、少し嫌だった。
皇子が、アサギ以外の夫人と親しげに接するところを見たくないのだ。
アサギと皇子だけのときに見せる顔があるように、マツと皇子だけ、チヨと皇子だけのときに見せる顔があるだろう。
そう思うと、腹の底がジリジリと熱くなってくる。二人に、ヤキモチを焼いてるのだ。
マツやチヨと話をしても、アサギを特別扱いしてほしい。してくれないと嫌だ。してくれなかったら、どうしたらいいのだろう……。そんな感情に飲み込まれてしまうのだ。
自分の中から溢れ出る気持ちを受け止めつつ、アサギは小さな溜め息を吐く。
(ダメね、私ってば……余裕が無くて)
こんなことでは、三人で力を合わせて皇子を盛り立てていくなど、夢のまた夢。アサギから歩み寄らなければ、マツともチヨとも、再び打ち解けられないだろう。
「マツ姫。チヨ姫。息災ですか?」
大きすぎない声量で話しかけたけれど、二人の耳に届いているのか甚だ疑問だ。
反応が無ければ、聞こえなかったと諦めるほかない。無視をしようと思えば、聞こえなかったと言い訳ができてしまう状況なのだから。
反応を待つ時間が、とても長く感じる。
(ダメか……)
アサギは諦めと共に、目蓋を閉じた。勇気を出してみたけれど、ダメなときはダメなのだ。
「私は、息災でございます」
聞こえてきた声に、目を開いたアサギは驚きの表情を浮かべてマツを見た。
マツは、はにかんだ笑みを浮かべている。
「今度、お部屋へ遊びに伺わせてくださいませ。皆が可愛らしいと噂している皇子様を……鶯王を抱っこさせてくださいまし」
「え、えぇ! もちろんよ。また予定の調整を致しましょう」
「はい、喜んで」
嬉しい。マツと会話ができたことが、とても嬉しかった。
これだけのことで、荒んでいた心が少しだけ修復されていくようだ。
だけど、チヨからの反応は得られなかった。
敵対視されているのだから無理もないかと、諦めの心情になる。マツと会話ができただけでもよしとせねば、多くを望みすぎてはいけないのだ。
「皇子様のお出ましです」
響き渡る声と共に、アサギを始め、この場に集う一同が頭を下げる。
馬の蹄の音が、ゆっくりと近付いてきた。
ピタリと、アサギの前で蹄の音が止まる。
下を向いているアサギの視線の先には、馬の蹄が見えていた。
「アサギ、面を上げよ」
言葉に従い、アサギは皇子に顔を向ける。その表情は、どこか不満そうだ。
「鶯王はどうした?」
「鶯王は、乳を飲んで眠ったばかりですので、侍女が部屋で見ております」
「そうか……。立つ前に、顔を見に行けばよかった。残念だ」
そして皇子は「マツ、チヨ」と二人の名も呼び、顔を上げるように命じた。
「そなた達は、伯耆国における我の妻。我が不在の間も、しかと務めを果たしてほしい。頼んだぞ」
「承知致しました」
「お任せくださいませ」
チヨが答え、マツも答える。
こういうときは正妻であるアサギが最初に答えるものではないのかと、腹にジワリと怒りが広がる。けれどそれは表に出さず、アサギは慈しむような微笑を皇子に向けた。
そんなことは、さも当然であるというように。余裕を連想させる表情を浮かべてみせる。
不安を残して、皇子をヤマトへ向かわせてはならない。安心して出立してもらえぬようでは、正妻の名が廃る。ほんの少しの自尊心が、アサギに取らせた行動だ。
皇子はアサギの笑みを見て、口元を綻ばす。
「任せたぞ、アサギ」
「はい、皇子様。どうぞ、道中お気を付けて」
「うむ! 行って参る」
ヒヒィ~ンという嘶きを残し、皇子は供を連れて旅立って行った。
(これでいい。私は、ちゃんと正妻という立場を演じられたはずだわ)
心の中で自分に言い聞かせ、アサギはそっと胸に手を当てる。ハッタリをかましたせいか、ドキドキと心臓の鼓動は速い。手も微かに震えていた。
だけど、誰にも気付かれてはいない。上出来だ。
次第に、胸にはやり切ったという喜びがジワジワと込み上げてくる。
アサギは鶯王が待つ部屋へ戻ろうと、侍女を促し踵を返した。
「あっ……」
不意に零れ出る、チヨの小さな声。
聞き逃さず、無視することもできなかったアサギは、どうしたのだろうとチヨのほうに顔を向けた。
「あっ、痛い……お腹……っあぁ!」
チヨはその場にうずくまり、動くことができないようだ。
アサギの足は、勝手に動き出していた。
うずくまるチヨの肩に手を添え、丸くなっている背中を擦る。
「チヨ姫! どうしたの?」
「大丈夫?」
マツも駆け寄り、俯くチヨの顔を覗き込んだ。
「お腹が、痛いの……っ」
チヨは声を絞り出し、アサギの袖を力いっぱい掴む。
チヨの足首には、流れ出た血が伝い落ちていた。
アサギは侍女に手伝ってもらいながら身支度を整え、見送りのために屋敷前に向かった。
すでに人々は集まり、出立の準備は整っているようだ。
「どうぞ、こちらへ」
アサギは促され、用意されていた場所へ立つ。両隣には、第二夫人であるマツと、第三夫人であるチヨがすでに並んでいた。
マツはアサギに会釈をし、チヨは視線だけを寄越す。
幼馴染みでも、できてしまった溝は、そう易々と埋まらない。
アサギはマツに会釈を返し、チヨを一瞥すると正面を見据えた。
三人が揃うのは、謁見の間でマツとチヨが第二、第三夫人に命じられたとき以来。皇子と会ってもアサギが二人のこと話題にしようとしないから、皇子から幼馴染みの様子を聞くこともなかった。
(二人共、元気そうね)
よかったと安堵するも、これからこの場でこの二人と共に皇子を見送ることは、少し嫌だった。
皇子が、アサギ以外の夫人と親しげに接するところを見たくないのだ。
アサギと皇子だけのときに見せる顔があるように、マツと皇子だけ、チヨと皇子だけのときに見せる顔があるだろう。
そう思うと、腹の底がジリジリと熱くなってくる。二人に、ヤキモチを焼いてるのだ。
マツやチヨと話をしても、アサギを特別扱いしてほしい。してくれないと嫌だ。してくれなかったら、どうしたらいいのだろう……。そんな感情に飲み込まれてしまうのだ。
自分の中から溢れ出る気持ちを受け止めつつ、アサギは小さな溜め息を吐く。
(ダメね、私ってば……余裕が無くて)
こんなことでは、三人で力を合わせて皇子を盛り立てていくなど、夢のまた夢。アサギから歩み寄らなければ、マツともチヨとも、再び打ち解けられないだろう。
「マツ姫。チヨ姫。息災ですか?」
大きすぎない声量で話しかけたけれど、二人の耳に届いているのか甚だ疑問だ。
反応が無ければ、聞こえなかったと諦めるほかない。無視をしようと思えば、聞こえなかったと言い訳ができてしまう状況なのだから。
反応を待つ時間が、とても長く感じる。
(ダメか……)
アサギは諦めと共に、目蓋を閉じた。勇気を出してみたけれど、ダメなときはダメなのだ。
「私は、息災でございます」
聞こえてきた声に、目を開いたアサギは驚きの表情を浮かべてマツを見た。
マツは、はにかんだ笑みを浮かべている。
「今度、お部屋へ遊びに伺わせてくださいませ。皆が可愛らしいと噂している皇子様を……鶯王を抱っこさせてくださいまし」
「え、えぇ! もちろんよ。また予定の調整を致しましょう」
「はい、喜んで」
嬉しい。マツと会話ができたことが、とても嬉しかった。
これだけのことで、荒んでいた心が少しだけ修復されていくようだ。
だけど、チヨからの反応は得られなかった。
敵対視されているのだから無理もないかと、諦めの心情になる。マツと会話ができただけでもよしとせねば、多くを望みすぎてはいけないのだ。
「皇子様のお出ましです」
響き渡る声と共に、アサギを始め、この場に集う一同が頭を下げる。
馬の蹄の音が、ゆっくりと近付いてきた。
ピタリと、アサギの前で蹄の音が止まる。
下を向いているアサギの視線の先には、馬の蹄が見えていた。
「アサギ、面を上げよ」
言葉に従い、アサギは皇子に顔を向ける。その表情は、どこか不満そうだ。
「鶯王はどうした?」
「鶯王は、乳を飲んで眠ったばかりですので、侍女が部屋で見ております」
「そうか……。立つ前に、顔を見に行けばよかった。残念だ」
そして皇子は「マツ、チヨ」と二人の名も呼び、顔を上げるように命じた。
「そなた達は、伯耆国における我の妻。我が不在の間も、しかと務めを果たしてほしい。頼んだぞ」
「承知致しました」
「お任せくださいませ」
チヨが答え、マツも答える。
こういうときは正妻であるアサギが最初に答えるものではないのかと、腹にジワリと怒りが広がる。けれどそれは表に出さず、アサギは慈しむような微笑を皇子に向けた。
そんなことは、さも当然であるというように。余裕を連想させる表情を浮かべてみせる。
不安を残して、皇子をヤマトへ向かわせてはならない。安心して出立してもらえぬようでは、正妻の名が廃る。ほんの少しの自尊心が、アサギに取らせた行動だ。
皇子はアサギの笑みを見て、口元を綻ばす。
「任せたぞ、アサギ」
「はい、皇子様。どうぞ、道中お気を付けて」
「うむ! 行って参る」
ヒヒィ~ンという嘶きを残し、皇子は供を連れて旅立って行った。
(これでいい。私は、ちゃんと正妻という立場を演じられたはずだわ)
心の中で自分に言い聞かせ、アサギはそっと胸に手を当てる。ハッタリをかましたせいか、ドキドキと心臓の鼓動は速い。手も微かに震えていた。
だけど、誰にも気付かれてはいない。上出来だ。
次第に、胸にはやり切ったという喜びがジワジワと込み上げてくる。
アサギは鶯王が待つ部屋へ戻ろうと、侍女を促し踵を返した。
「あっ……」
不意に零れ出る、チヨの小さな声。
聞き逃さず、無視することもできなかったアサギは、どうしたのだろうとチヨのほうに顔を向けた。
「あっ、痛い……お腹……っあぁ!」
チヨはその場にうずくまり、動くことができないようだ。
アサギの足は、勝手に動き出していた。
うずくまるチヨの肩に手を添え、丸くなっている背中を擦る。
「チヨ姫! どうしたの?」
「大丈夫?」
マツも駆け寄り、俯くチヨの顔を覗き込んだ。
「お腹が、痛いの……っ」
チヨは声を絞り出し、アサギの袖を力いっぱい掴む。
チヨの足首には、流れ出た血が伝い落ちていた。
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