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クワシという后
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マツとチヨのために建てられた屋敷は取り壊され、敷地には皇子とアサギのために建てられた宮殿より少し大きな建物が完成した。
中には謁見の間も作られ、今後はそちらの建物がいろいろと中心になるらしい。
そして住むのは、ヤマトから戻ってくる皇子と、ヤマトの地で迎えた后であるそうだ。
アサギがその話を聞いたとき、帰ってきた皇子に対して自分がどう接するべきか、何度も考えを巡らせた。
けれど、そのときになってみないと分からないと結論付ける。素っ気無く対応するのか、感情をあらわにしてしまうのか、出会った場面を想定してみても全く想像がつかなかった。
そして今、一歳になった鶯王を侍女に預け、アサギは新しい謁見の間で一年振りに夫と対面している。
身につけている衣装は煌びやかで、装飾品がジャラジャラと重たそう。顎から生えている髭も、鎖骨の辺りまで伸びている。
青臭さが抜け、いかにも権力者といった風格だ。
そんな皇子の隣には、アサギの知らない女性が座っていた。顔にはキッチリ化粧を施し、装飾品を身につけて、皇子と対になる衣装をしゃなりと着こなしている。姿勢を正し、凛とした雰囲気は、皇子とお似合いだ。
貫禄とまでは言わないけれど、高貴な佇まいは姫然としていた。
「アサギ。息災であったか?」
皇子の変わらない眼差しと声音に、キュッと胸が締め付けられる。
懐かしい声。聞きたかった声が、直接耳に届く喜び。嬉しいけれど、恨みがましい感情が混ざり合う。
いろいろと言いたい言葉が浮かんでくるが、それを言うのは今じゃない。
アサギは口元だけ笑み、恭しく頭を垂れた。
「皇子様におかれましては、お変わりなく」
「皇子ではない」
ピシャリと、女の声が言い放つ。
皇子の隣に座る女性が、アサギに厳しい眼差しを向けた。
「第七代となる天皇陛下。孝霊天皇じゃ。これからは、大王と呼ぶように」
(孝霊……天皇? 大王?)
知らない。誰からも教えられていなかった。
皇子はヤマトに戻ってから、そういう地位になっていたらしい。
皇子が天皇になったということは、第六代目の天皇陛下であった皇子の兄君がお隠れになってしまわれたということか。
(それで、大至急ヤマトへ帰還するように命令が下ったのね……)
アサギは再度、恭しく頭を垂れる。
「知らぬこととはいえ、失礼致しました」
「あぁ、よいのだ。驚かせようと思って知らせなかった我に非はある。しかし后よ。言い方が厳しい。もう少し優しく接することはできぬのか?」
大王に諌められるも、后と呼ばれた女性は、またアサギに厳しい目を向けた。
「この者は、私が優しさを見せるべき相手でしょうか?」
「アサギも、我の妻。后であるぞ」
フンと鼻で息を吐くクワシに大王は嘆息吐き、アサギに向けて苦笑する。
「これは、クワシ姫。我の新しき妻だ」
紹介の仕方が気に食わなかったのか、クワシは「大王ッ」と、また語気を強めた。
「新しき妻という言い方は、いかがなものでしょう? きちんと、大王の正妻であるとお伝えいただきとうございます」
(正妻?)
クワシの言葉に、アサギは敏感に反応する。
(まぁ、やっぱり、そうよね……)
そんな気はしていた。
でも、そうなるとアサギはなんになるのだろう。側室なのか、現地妻なのか。
肩書きにこだわりは無かったけれど、この一年は正妻だからと気を張って頑張ってきた。頑張りの源だったのだ。
それが急に無くなるとなれば、一気に気が緩んでしまう。
(もう、頑張らなくていいかしら?)
それともアサギは、まだ頑張り続けないといけないのだろうか。
正妻じゃないのなら、妻木に帰って鶯王と母と、静かに暮らすようにしようかしらと頭に浮かぶ。正妻だから、留守をしっかり守らねばと気張っていたのに。
新しく建てた宮殿のほうが中心となるなら、今までの宮殿は不要だろう。維持をするのに人の手が必要となる。アサギと鶯王のためだけに、それだけの人手は不要だ。
(大王と二人で話す機会が持てたなら、妻木に帰ると告げてみよう……)
そうすれば、気も楽になるだろう。
(でも、なんだったんだろう……)
遣る瀬無さよりも、だんだん怒りのほうがフツフツと込み上げてくる。
いつ戻って来られるのか分からないと言っておきながら、一年足らずで帰ってきた。
一年だ。
それが分かっていれば、失われなかった命があるのに。
(悔しい……)
あの頃に戻れたのなら、二人に伝えてやりたい。死ぬ必要はない。安心して、と。一年我慢をすれば、待てば必ず戻って来る。期限は決まっているぞと、教えてやりたかった。
でも、それは叶わない。
時は、巻き戻せないのだから。
(あの二人が生きていて、この場で共に挨拶をすることになっていたら……いったい、どんな反応をしたかしら)
マツはいつもどおり、落ち着いた対応をしたかもしれない。チヨは、大王が連れて来たクワシにチクリチクリと言葉で応戦していたかもしれない。
そんな、かもしれない、を想像する。
(もしそうだったら、楽しかっただろうな)
ダメだ。そんな空想をしていては、涙を招いてしまう。
「アサギ?」
気遣うような大王の声。反応が無いアサギを心配しているのだろう。
(大王は、マツとチヨのことをご存知なのかしら?)
知らせの使いは出した。この場で話をしないのは、クワシに気を使ってのことだろうか。
クワシは、きちんと大王に意見する、自分の意見をしっかりと持っている芯の強い女性のようだ。そしてアサギは、目の敵にされているかもしれない。
まあ、そうだろう。
夫と関係のある女と会うことになれば、見下されたくないだろうし。敵対視されていてもおかしくない。
(敵対視か……チヨもだったなぁ)
第三夫人となってから、チヨはアサギと競うような態度をとってきた。
懐かしんでいると、また涙の気配を察知する。
(あぁ、ダメ。今は、まだ泣いちゃダメ)
どうやら気が緩んで、涙脆くなってしまったみたいだ。
(悶々と考えるのは、帰ってからにしよう)
今は、この場を乗り切らなければ。
ごきげんよう、さようなら、で帰られると思っていたのに、すぐに帰してはもらえないみたいだ。
(早く終われ)
アサギは強く念じながら、解放されるときを無心になって待つのだった。
中には謁見の間も作られ、今後はそちらの建物がいろいろと中心になるらしい。
そして住むのは、ヤマトから戻ってくる皇子と、ヤマトの地で迎えた后であるそうだ。
アサギがその話を聞いたとき、帰ってきた皇子に対して自分がどう接するべきか、何度も考えを巡らせた。
けれど、そのときになってみないと分からないと結論付ける。素っ気無く対応するのか、感情をあらわにしてしまうのか、出会った場面を想定してみても全く想像がつかなかった。
そして今、一歳になった鶯王を侍女に預け、アサギは新しい謁見の間で一年振りに夫と対面している。
身につけている衣装は煌びやかで、装飾品がジャラジャラと重たそう。顎から生えている髭も、鎖骨の辺りまで伸びている。
青臭さが抜け、いかにも権力者といった風格だ。
そんな皇子の隣には、アサギの知らない女性が座っていた。顔にはキッチリ化粧を施し、装飾品を身につけて、皇子と対になる衣装をしゃなりと着こなしている。姿勢を正し、凛とした雰囲気は、皇子とお似合いだ。
貫禄とまでは言わないけれど、高貴な佇まいは姫然としていた。
「アサギ。息災であったか?」
皇子の変わらない眼差しと声音に、キュッと胸が締め付けられる。
懐かしい声。聞きたかった声が、直接耳に届く喜び。嬉しいけれど、恨みがましい感情が混ざり合う。
いろいろと言いたい言葉が浮かんでくるが、それを言うのは今じゃない。
アサギは口元だけ笑み、恭しく頭を垂れた。
「皇子様におかれましては、お変わりなく」
「皇子ではない」
ピシャリと、女の声が言い放つ。
皇子の隣に座る女性が、アサギに厳しい眼差しを向けた。
「第七代となる天皇陛下。孝霊天皇じゃ。これからは、大王と呼ぶように」
(孝霊……天皇? 大王?)
知らない。誰からも教えられていなかった。
皇子はヤマトに戻ってから、そういう地位になっていたらしい。
皇子が天皇になったということは、第六代目の天皇陛下であった皇子の兄君がお隠れになってしまわれたということか。
(それで、大至急ヤマトへ帰還するように命令が下ったのね……)
アサギは再度、恭しく頭を垂れる。
「知らぬこととはいえ、失礼致しました」
「あぁ、よいのだ。驚かせようと思って知らせなかった我に非はある。しかし后よ。言い方が厳しい。もう少し優しく接することはできぬのか?」
大王に諌められるも、后と呼ばれた女性は、またアサギに厳しい目を向けた。
「この者は、私が優しさを見せるべき相手でしょうか?」
「アサギも、我の妻。后であるぞ」
フンと鼻で息を吐くクワシに大王は嘆息吐き、アサギに向けて苦笑する。
「これは、クワシ姫。我の新しき妻だ」
紹介の仕方が気に食わなかったのか、クワシは「大王ッ」と、また語気を強めた。
「新しき妻という言い方は、いかがなものでしょう? きちんと、大王の正妻であるとお伝えいただきとうございます」
(正妻?)
クワシの言葉に、アサギは敏感に反応する。
(まぁ、やっぱり、そうよね……)
そんな気はしていた。
でも、そうなるとアサギはなんになるのだろう。側室なのか、現地妻なのか。
肩書きにこだわりは無かったけれど、この一年は正妻だからと気を張って頑張ってきた。頑張りの源だったのだ。
それが急に無くなるとなれば、一気に気が緩んでしまう。
(もう、頑張らなくていいかしら?)
それともアサギは、まだ頑張り続けないといけないのだろうか。
正妻じゃないのなら、妻木に帰って鶯王と母と、静かに暮らすようにしようかしらと頭に浮かぶ。正妻だから、留守をしっかり守らねばと気張っていたのに。
新しく建てた宮殿のほうが中心となるなら、今までの宮殿は不要だろう。維持をするのに人の手が必要となる。アサギと鶯王のためだけに、それだけの人手は不要だ。
(大王と二人で話す機会が持てたなら、妻木に帰ると告げてみよう……)
そうすれば、気も楽になるだろう。
(でも、なんだったんだろう……)
遣る瀬無さよりも、だんだん怒りのほうがフツフツと込み上げてくる。
いつ戻って来られるのか分からないと言っておきながら、一年足らずで帰ってきた。
一年だ。
それが分かっていれば、失われなかった命があるのに。
(悔しい……)
あの頃に戻れたのなら、二人に伝えてやりたい。死ぬ必要はない。安心して、と。一年我慢をすれば、待てば必ず戻って来る。期限は決まっているぞと、教えてやりたかった。
でも、それは叶わない。
時は、巻き戻せないのだから。
(あの二人が生きていて、この場で共に挨拶をすることになっていたら……いったい、どんな反応をしたかしら)
マツはいつもどおり、落ち着いた対応をしたかもしれない。チヨは、大王が連れて来たクワシにチクリチクリと言葉で応戦していたかもしれない。
そんな、かもしれない、を想像する。
(もしそうだったら、楽しかっただろうな)
ダメだ。そんな空想をしていては、涙を招いてしまう。
「アサギ?」
気遣うような大王の声。反応が無いアサギを心配しているのだろう。
(大王は、マツとチヨのことをご存知なのかしら?)
知らせの使いは出した。この場で話をしないのは、クワシに気を使ってのことだろうか。
クワシは、きちんと大王に意見する、自分の意見をしっかりと持っている芯の強い女性のようだ。そしてアサギは、目の敵にされているかもしれない。
まあ、そうだろう。
夫と関係のある女と会うことになれば、見下されたくないだろうし。敵対視されていてもおかしくない。
(敵対視か……チヨもだったなぁ)
第三夫人となってから、チヨはアサギと競うような態度をとってきた。
懐かしんでいると、また涙の気配を察知する。
(あぁ、ダメ。今は、まだ泣いちゃダメ)
どうやら気が緩んで、涙脆くなってしまったみたいだ。
(悶々と考えるのは、帰ってからにしよう)
今は、この場を乗り切らなければ。
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アサギは強く念じながら、解放されるときを無心になって待つのだった。
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