梯の皇子と夢語り

佐木 呉羽

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平穏なヒビ

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 屋敷までの道のりを歩きながら、改めて大王の姿を観察する。
 やはり一年経って変わったのは、景色ではなく大王のほうだとアサギは思う。

 出会った頃には顎にうっすらと髭を生やしていたけれど、無いほうがいいとアサギが言えば、それならばと髭を剃ってくれていた。しかし今は、とても立派な髭を蓄えている。
 クワシの要望なのか、大王という立場になった威厳かなにかのために生やさないといけないのか。

 アサギにとって大王は、少し知らない人になってしまった。

「アサギ」

 名を呼ばれ、大王に意識を向ける。大王の手が、アサギに向けて差し伸べられていた。
 手を繋ぐのは、なんだか気恥しい。嫌だと言ったら拗ねるだろうから、アサギは傷だらけになっている大王の手を静かに取った。

「どれくらいで戻って来られるのか分からないと言っていたが、一年足らずで戻って来ることができた」

 でも、と大王は言葉を区切る。

「待たせて、すまなかった」

 すまなかった、にはいろんな感情がこもっているようにアサギには思えた。

 それには気付かないふりをして、いえ、と返す。

「ご無事で……お元気そうで、なによりです」

 大王に手を引かれ、繋いだまま歩き始める。
 ポツリポツリと、大王は語り出した。

「ヤマトへ戻ってすぐに、兄が死してな……天皇の立場を継ぐことになったのだ」
「そうでしたか……。それは、大変なお役目ですね」
「ヤマトに居る間もアサギと鶯王が気がかりで、どうして連れ帰らなかったのかと、幾度も後悔したものだ」
「でも、居なくてよかったのではありませんか? ついて行っていたなら、クワシ姫様と婚姻するときに、余計な波風が立ったかと……」

 自分で言葉にしながら、しまった……とアサギは口を隠した。隠したけれど、口から出てしまった言葉は戻らない。
 おそるおそる大王の顔色を伺うと、傷ついたような、悲しそうな表情を浮かべている。

「申し訳ありません。失言でした」
「いや、よいのだ……。アサギにしてみれば、我が知らない女と共に帰ってきたのだから、気分を害するのも無理からぬこと」

 大王は歩みを止め、アサギを両腕の中に閉じ込めた。ギュッと抱き寄せられた肩が痛い。抱き締める腕が、アサギの息を苦しくさせた。

「すまない。断ることはできず……」
「それが、大王の勤めにございます。なにも謝る必要はありません」

 大王の胸を押し返し、謁見の間で頭に浮かんだ考えを述べてみることにした。

「私は、鶯王を連れて妻木に帰ってもよいでしょうか?」
「なぜ、そんなことを……」
「ヤマト族の方々がお認めになった正妻のクワシ姫が居らっしゃるのであれば、私は必要ないでしょう」

 口にした途端に、寂しさで胸がいっぱいになる。
 マツとチヨが側室とした来たときには、そんなことはなかったのに。あのときは、自分は正妻だからと、気持ちが優位に傾いていたからだろうと今になって思い知る。

「私は、大王にとって……なんになるのです?」

 自分の存在意義や存在理由を他人に依存するのは、自分に自信が無いときだとアサギは思う。
 今のアサギは、綿毛と同じ。フワフワと流され、地に足が着いていない。とても気持ちが不安定だ。

「我にとってアサギは、居なくてはならない存在だ。それは正妻だからではない。我が愛したアサギだから、我と共に居てほしいのだ」

 大王は両手でアサギの顔を挟んで上げさせると、真剣な眼差しを向けてくる。真正面からその眼差しを受け止めると、世界にアサギと大王しか存在しないような錯覚に陥ってしまう。
 大王の額が、アサギの額に押し付けられる。感触を確認するように額をグリグリと擦り合わせると、鼻の頭が触れ合い、柔らかな感触が唇に触れた。

(懐かしい……)

 アサギは目蓋を閉じ、久しぶりの柔らかさに身を委ねた。
 チュッと音を立て、大王の唇が離れる。またアサギを強く抱き締めると、大王は耳元で囁いた。

「名目上はあの者が正妻となるが、我の胸の内では、そなたが一番ぞ」
「ありがとう、ございます……」

 アサギは、小さな声で礼を述べる。たとえ建前であっても、そういう言葉が聞けたのは嬉しかった。

「おい、今のはクワシに伝えるでないぞ。ヤキモチを焼いて機嫌を損ねては面倒だ」
「はっはい、大王。承知致しました!」

 大王は抱き締めていたアサギを解放しつつ、従者に釘を刺す。
 アサギの侍女と遠巻きに様子を伺っていた従者は、突然始まった包容と口付けに顔を真っ赤にしている。侍女のほうは久しぶりに目にした光景だからか、嬉しそうに小さくパチパチと拍手をしていた。
 侍女の唇が「ようございましたね」と動く。アサギは照れた笑みを浮かべ、侍女に頷いた。

「アサギ。鶯王は元気か?」
「はい。最近では、少し歩けるようになってまいりました」
「そうか! 会うのが楽しみだ」

 大王が知る鶯王は、まだ寝返りができるかどうかといった頃だった。大王がヤマトに戻ってから寝返りができるようになり、腰も座って、掴まり立ちもするようになったのだ。大人にとっての一年はほとんど変わりがないが、生まれたばかりの赤子の一年は変化に富んでいる。

 その全てを見られなかったことを後悔するがいいと、少しだけ意地悪な感情が芽生えた。

「のぅ……。知らせを寄越してくれたが、マツとチヨは……」

 少し気まずそうに切り出した大王に、アサギの胃はキュッと縮んだ。触れられたくなかった傷に触られたような、ジリッとした感覚。癒えぬ傷が再び開かれるような、感触の悪さ。心臓が、嫌な鼓動をし始めた。

 でも、黙っているわけにはいかない。

 アサギは、平常心であれと自らに念じながら、詰まる喉から言葉を絞り出す。

「二人は、亡くなりました」
「どのようにして……?」
「二人共……自ら、命を断ちました」
「なぜ、そんなことを」
「それは、私が知りたいです!」

 本当は、原因は貴方です! と言いたかった。
 言いたかったけれど、言ったからといってなんになる。

 マツとチヨが生き返るでもなく、アサギの胸にある憂いがスッと晴れるわけでもない。
 ただ、大王の心に傷が増えるだけだ。

 声を荒らげたアサギの言葉を聞き、大王は頭痛を堪えるように、自らの額に手を当てた。 

「では、やはり……あの者達が言うのはマツとチヨのことか」

 大王の呟きに、アサギは眉をひそめる。

「マツとチヨが、なにか?」

 大王は頭痛の種を吐き出すように、ふぅ……と溜め息を吐いた。

「イヅモ族の王家から、イズモ族の姫を我が殺したと言いがかりをつけられてな……戦を仕掛けられているのだ」
「えっ?」

 告げられた事柄に、アサギは耳を疑う。

「今……戦が、起こっているのですか?」

 驚くアサギに、そうだ、と大王は頷く。

「下手な言いがかりだと思っていたが、マツとチヨ……あの者達はアサギと同じに妻木の頭領の養女として嫁いでいるのだから、イヅモ族準王家の娘という立場になっている」
「それで、イヅモ族の姫が殺されたと?」
「どうやら、そのようだ」

 大王は、苦虫を噛み潰したような表情になる。

「そんなの、言いがかりです!」

 いや、あながち間違ってもいないが……という言葉をアサギは口にしなかった。
 大王に対する想いが種となり、それぞれ二人は別々の要因があって命を絶った。それなのに大王が殺したとなっては、大王自身も納得ができないかもしれない。

(私は、正直に言うべき? 言わざるべき?)

 イヅモ族王家の見解からしたら、二人は大王に手を下されて殺されたと結論付けられているということだ。

(でも、誰が耳に入れたの?)

 アサギが知る中で、思い当たる人物は一人しか居ない。

(妻木の、頭領……)

 思い至った途端に、胃の腑が湧く。腹が立つ。お前が一番の原因だと、アサギは怒鳴りつけに行きたくなった。

「この度帰って来られたのは、イヅモ族王家に弁明をするためと、イヅモ族の各地で起き始めた戦を平定するためなのだ」
「そう、でしたか……」

 アサギは、自分にできることはないかと思考を巡らせる。

(妻木の頭領に談判する?)

 それこそ、口八丁で言いくるめられてしまうだろう。

(大王の妻という立場で、イヅモ族の王家に乗り込み、説明するのはどうかしら?)

 説明しても、元を正せば大王がヤマトへ帰ったことに起因するのは変わらないのだから、なんの意味も成さないかもしれない……。

(あぁ、どうしよう。どうしたらいいの?)

 なにも考えが浮かばない。大王を助けられない。気持ちがいっぱいいっぱいになり、破裂しそうになってきた。

「アサギ」

 名を呼ばれ、思考に没頭していた意識を夫に向ける。
 慈しむような笑みを浮かべ、大王はアサギの頬に手を添えた。

「我のためを思うて、手立てを考えてくれているのか?」
「でも、なにも考えつかないのです……」

 悔しくて涙が滲む。

「我がアサギに望むのは、共に戦を戦っていくことではない。疲れた我に、癒しを与えてほしいのだ」
「私に、大王を癒すことなど……クワシ姫様が居らっしゃるではありませんか」

 アサギの疑念を祓い飛ばすように、大王は「違う!」と全力で否定し、卑屈になっているアサギの肩を掴んだ。

「あれにはできぬ。あれは、共に戦を戦うために連れて来た。癒しを与えることは、そなたにしかできぬ。できぬのだ、アサギよ」
「大王……」

 もしかしたら、大王は、妻それぞれに求める役割が違うのかもしれない。それぞれが得意な領分で力を発揮することを望んでいるのだろう。

 アサギは涙を堪え、震える唇を引き結ぶと、大王の目を見て頷いた。
 ありがとう、と大王はまた笑みを浮かべる。

「さて……王家の誤解を解かねばならぬが、戦を止めることも同時に進めていかねばならぬ」

 大王は、アサギの頭にポンと手を置いた。

「これから、忙しくなる。その前に我は、アサギと鶯王と共に、家族の穏やかな時間を過ごしたい」

 どうだ? と伺ってくる大王に、アサギは「はい」と同意する。

 戦ともなれば、いつもの諍いを平定するのとは、また違った危険があるだろう。命を落とすかもしれない危険が、より高いのかもしれない。
 大王が平穏を望むのなら、アサギは妻として、その時間を提供しよう。

 イヅモ族とヤマト族が共存共栄できるようになることを目標に掲げている大王の、大一番になるかもしれないのだから。
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