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足の痺れが、やっと治った。
陽菜はツクヨミに向き直り、もう一度正座をする。
今度は俯かずに、翡翠色の瞳をジッと見据えた。決意が揺るがないように拳を握り、思い切り息を吸い込む。
「私……ツクヨミ様のことが、好きです!」
声は、ちゃんとツクヨミが座っている場所まで届いているだろうか。
心臓がドックンドックンとうるさい。熱い血液が全身を駆け巡り、体温を上げている。
陽菜にとって、人生で初めての告白。
付き合ってください、とは言わない。そう言ってはダメなことくらい、ちゃんと理解している。
でも真剣に、好きだという気持ちは伝えたい。心からの想いに、真正面から応じてほしいと願ってしまう。
突然の告白に、ツクヨミは驚いて目を円くしている。
セツは両手で口元を隠し、キャー! と声にならない悲鳴を上げていた。陽菜とツクヨミを交互に見て、次の展開に期待を寄せているのが分かる。
陽菜は言葉を発さず、緊張に身を固めながら、ツクヨミからの返事を待っていた。
「あ~っ、もう!」
痺れを切らしたセツが、ドカドカとツクヨミの元へ歩いて行く。
呆気に取られているツクヨミの袖を掴み、強引に引っ張って立ち上がらせた。
「そんな鳩が豆鉄砲くらったような顔してるツクヨミ様は珍しくて面白いけど、いつまでも反応を返さないのはダメなんだよぅ!」
セツは小言を言いながら、陽菜の前にツクヨミを連れて来る。
ツクヨミは陽菜とセツを交互に見比べ、困ったようにポリポリと首の後ろを人差し指で掻いた。
色よい返事は、期待できそうにない。
セツはツクヨミの背中を押し、強引に陽菜との距離を縮めさせた。
「ほら、ツクヨミ様! 子供でも、ちゃんと女なんだからね。適当にあしらったりしないで、紳士な対応しなきゃ失礼だよぅ」
「あ、あぁ……」
セツが居なければ、今頃どうなっていたことだろう。テキパキと、ツクヨミに返事を促してくれるセツは、陽菜にとって心強い助っ人だ。
ツクヨミは、改めて陽菜に向き直る。陽菜はピッと姿勢を正した。
「えっ……と、その……ありがとう。気持ちは嬉しいよ」
でも、とツクヨミは困惑の表情を浮かべる。
「それは、いつから?」
「……いつ?」
ツクヨミに問われ、陽菜は記憶を辿っていく。
たった一度しか会っていないツクヨミが、好きでたまらないのだとハッキリ認識したのは……まず、天神人形や三人官女と話をしたとき。売り言葉に買い言葉だったけれど、そこで好きだと自覚した。それから、七夕の頃。織姫から「初恋かしら?」と尋ねられたときだ。
この会いたいという気持ちに、初恋だから、という理由をハッキリと見出してくれたのは織姫だった。
「自分の中で、ちゃんと認識できたのは……織姫様のお陰かなぁ」
「織姫……?」
あぁ、とツクヨミは頭を抱える。あの恋愛脳が……と呟いたのが、微かに聞こえた。
ツクヨミは陽菜の前でしゃがみ、両膝の上に手を置くと、その上に顎を乗せる。首を傾げ、陽菜の目を上目遣いに覗き込んだ。
キレイに整った顔が間近に来て、陽菜は息を詰める。胸の高鳴りが止まらない。イケメン美男子の上目遣いなんて、反則だ。
「ねぇ、陽菜……」
ツクヨミの、穏やかで優しい声に名を呼ばれるとドキドキするけれど、フワフワと安らいだ気持ちにもなる。いつまでも聞いていたいくらいに心地よい。
ツクヨミが陽菜のことをどんなふうに思っているのか、きっと、これから答えを聞かせてくれるのだろう。
ごめんね、という一言だけかもしれない。
一語一句聞き漏らすまいと、陽菜は耳に全神経を集中させた。
「私を好きだというのは勘違いで……織姫に言われたから、そう思い込んでいるだけかもしれないよ」
「……え?」
陽菜は自分の耳を疑う。
ツクヨミに対する陽菜の恋心が、勘違いだとでも言いたいのだろうか。
「なんで、そんなこと言うの?」
胸の奥がグルグルする。
返却された答案用紙の解答欄に、バツがあったときのようなショック。必死に悩んで、懸命に導き出した答えが間違っていたときの、言いようの無い絶望感。
織姫に気づかせてもらったツクヨミに対する気持ちが、間違いだったと認めたくない。
「思い込みなんかじゃ、ないよッ!」
陽菜はムキになり、衝動的に大きな声を出す。
悔しい。ツクヨミは、陽菜の好きという気持ちが間違いで勘違いだと、そう頭から決めつけている。
陽菜にしてみれば、初めての告白をまともに受け取ってもらえず、は? マジそれ? なんの冗談? と、そんなふうに言われているのと同じだ。
「じゃあ、神という存在に対する憧れでもない?」
ツクヨミは、声の調子を変えない。
あくまでも穏やかに、事実だけを確認するように、陽菜に対して質問を重ねてくる。
陽菜は緩んでいた拳を握り締めた。
「憧れなんかじゃないよ」
同じ神という存在でも、大年神や御年神、天帝には……ツクヨミに対するような感情を抱いていないのだから。
ツクヨミが神様だから好きなのではない。
「では、家族に対する好きでもなく?」
「家族に?」
「そう。私のことを父親……もしくは、兄のように思ってはいないか?」
陽菜は、ツクヨミの言葉に引っかかりを覚えた。
(異性ではなく、家族に対する……好き?)
家族に対する好きは、異性に対する好きとは、確実に違う。
ツクヨミに対する好きは、父親に抱くようなものなのか、芸能人に抱くようなものなのか、それとも……独占してしまいたい好き、なのか。
いったい、どれだろう。全部、似て非なる好きだ。
「じゃあ、例えば」
ツクヨミの手が優雅に動く。陽菜の目は釘づけになり、その動作に見入ってしまった。
「私に接吻……口付け、キスができるかい?」
ツクヨミは頬ではなく、白い指先でトントンと自身の唇を示す。
「どうだろう。私とキスをしたいと思うかな?」
ツクヨミと、キス。
キスという単語を聞いただけで、顔が赤くなってしまう。
「恥ずかしいからできない、ではなく、嫌という気持ちにならないかい?」
「そんなことは……」
ツクヨミの唇にキスをしている自分の姿が、思い描けない。
握り締めていた手に、ツクヨミの手が重なる。そのまま陽菜の手首は掴まれ、グイッと引き寄せられた。操られているかのように、膝立ちとなる。ツクヨミは陽菜の腰に腕を回すと、手首を掴んでいた右手を陽菜の頬に添えた。わずかに顎を上げさせられ、視線が交錯する。
翡翠色の瞳に、戸惑いの表情を浮かべる陽菜が映っていた。
「試してみようか?」
ツクヨミの無機質な声に、ほんの少しだけ恐怖を感じる。
陽菜の額に、ツクヨミの額が押し当てられた。
心臓がドキドキしているのは、緊張からなのか、初めての経験で不安を抱いているからなのか。
グルグルしていた胸の奥が、ソワソワ、ザワザワし始める。
息を詰め、ギュッと目を閉じた。
ツクヨミと鼻先が触れ合い、陽菜はわずかに身を引く。
ときめきや嬉しさよりも、どうしようという感情が上回った。
あと少しで唇が触れる、その瞬間。陽菜はツクヨミを押し返してしまった。
「あれ……。えっ……なんで?」
自分の行動に、戸惑いが隠せない。
ツクヨミのことが好きなのに。どうしてキスを拒んでしまったのだろう。
好きなら、チュッとすればいいのに。
戸惑っている陽菜の右の頬に、チュッと柔らかな感触が伝わる。驚いて目を向ければ、ニシシと笑うセツが居た。
「セツはできるよぉ。陽菜ちゃんの頬っぺにチュウ」
セツは次にツクヨミのほうを向き、うーん……と眉根を寄せる。
「ツクヨミ様には……頬っぺも無理かなぁ? いや~でも、頬っぺなら……どうかな? できるかなぁ……。お口は絶対に無理だよぅ」
陽菜は、ツクヨミの頬にキスすることさえ、確実に無理だ。考えただけで、体が硬直してしまう。
「別に私も、セツにキスをしてもらいたいわけじゃないから、そんなに悩まないでおくれ」
ツクヨミは呆れたように嘆息し、腕の中に閉じ込めていた陽菜を解放すると、袖の中で腕を組む。二歩三歩とナチュラルに移動して、陽菜と適度な距離を置いてくれた。
緊張から解放されて安堵するのに、離れていくツクヨミの体温が恋しくて寂しい。
キスは無理だけど、手は繋ぎたいのは、どの好きなのだろう。
「なんで……なんでかな。私、ちゃんとツクヨミ様のこと好きなんだよ」
自分の気持ちなのに、分からない。
陽菜は大切な想いを閉じ込めるように、両手をギュッと握り締め、その手を胸に抱き締めた。
織姫は、ツクヨミに会いたい気持ちを初恋だからだと言っていたけれど、やはり違うということだろうか。
(分からない……。分からないよ!)
頭にポンと大きな手が置かれ、少しばかりの重みを感じる。
「好きにも、いろいろな種類があると……陽菜は知っているだろう?」
声音は優しく、陽菜が好きなツクヨミの声に戻っていた。
おずおずと見上げれば、美しい翡翠色の瞳が、陽菜に向けられている。慈愛の込められた眼差しにドキリと胸が高鳴り、やはり好きだと再認識させられた。
「自分で分類ができていない気持ちに名前をつけられれば、そうだと思い込んでしまうこともある。自分の気持ちが分からなくなるのは、大人の恋愛でも同じこと。よくあることだ。なにもおかしなことじゃない。だから陽菜は、自分の気持ちなのにどうして分からないのかと、恥じなくともよいのだ」
「でも……じゃあ、やっぱり……。私の好きは、間違いだったって、そういうことなのかな?」
思い込みの勘違いを恥じることは無いと言ってくれたけれど、やっぱり陽菜は恥ずかしい。
会いたい気持ちは好きだからだと言われ、そうなんだ! と自ら納得した。
だから精一杯の勇気を振り絞って、ツクヨミに好きだと伝えたのに。その好きは、他人から誘導された好きだったのだと、好意を告げた本人から教えられるなんて……。
「これから、いろいろな経験をしていけば、私に対する好きがどれであるか……どれに当てはまるか、ちゃんと分かる日が来るさ」
「うん……」
感情がグジャグジャになっても、ツクヨミの手が置かれている頭に意識が集中してしまう。
もっと触れてもらいたいし、抱き締めてくれたらとも思ってしまうから、始末が悪い。
でも、ツクヨミの唇にキスは無理だ。頬にも……きっと、できない。
ツクヨミは陽菜の頭を撫でながら、それにね、と苦笑いを浮かべる。
「なにより私に、童女趣味は無い」
「童女趣味?」
なんのことだろう? と不思議に思っていると、セツが耳打ちしてくれた。
「アッチの世界の言葉で、ロリコンだねぇ」
「ろっ……!」
そうか。何千年と生きているツクヨミと、小学校一年生の陽菜では、そうなってしまう。
昔話では、神様の生贄になった女性の話もあるけれど、それでも年齢は十何歳や二十何歳。陽菜にしてみれば、少なくともあと十年近く先の話だ。
(生贄なんて、そもそも今の時代に無いもんな……)
突然、グンッと体が浮き上がる。なんの前触れも無く、ツクヨミが陽菜を抱き上げたのだ。
勢いにバランスを崩し、上半身が後ろに倒れそうになる。陽菜は「わっ」と小さな悲鳴を上げ、慌ててツクヨミの首に腕を回した。
ツクヨミと、顔の距離が近い。
翡翠色の瞳の中に、吸い込まれてしまいそうだ。
「陽菜。縁あらば、ステキな女性に成長した上で、交際を申し込みにおいで」
傍から見たら、娘を抱っこしている父親の図。それが、いつかは……花婿に抱き抱えられる花嫁の図になりたい。そうなれたらいいな、と思ってしまう。
「私、絶対ステキなレディになってみせるからね!」
叶う日は来ないと、分かりきっている口約束。神様と子供の、ほんの戯れで生まれた約束事。
それでも、このやり取りを忘れないでいようと、陽菜は心に決める。
ずっと、ずっと……いつまでも。大切な思い出にするのだ。
「楽しみにしているよ」と、ツクヨミは穏やかに微笑む。陽菜も満面の笑みを浮かべて頷くと、最後にもう一度、ツクヨミをギュッと抱き締めた。
陽菜はツクヨミに向き直り、もう一度正座をする。
今度は俯かずに、翡翠色の瞳をジッと見据えた。決意が揺るがないように拳を握り、思い切り息を吸い込む。
「私……ツクヨミ様のことが、好きです!」
声は、ちゃんとツクヨミが座っている場所まで届いているだろうか。
心臓がドックンドックンとうるさい。熱い血液が全身を駆け巡り、体温を上げている。
陽菜にとって、人生で初めての告白。
付き合ってください、とは言わない。そう言ってはダメなことくらい、ちゃんと理解している。
でも真剣に、好きだという気持ちは伝えたい。心からの想いに、真正面から応じてほしいと願ってしまう。
突然の告白に、ツクヨミは驚いて目を円くしている。
セツは両手で口元を隠し、キャー! と声にならない悲鳴を上げていた。陽菜とツクヨミを交互に見て、次の展開に期待を寄せているのが分かる。
陽菜は言葉を発さず、緊張に身を固めながら、ツクヨミからの返事を待っていた。
「あ~っ、もう!」
痺れを切らしたセツが、ドカドカとツクヨミの元へ歩いて行く。
呆気に取られているツクヨミの袖を掴み、強引に引っ張って立ち上がらせた。
「そんな鳩が豆鉄砲くらったような顔してるツクヨミ様は珍しくて面白いけど、いつまでも反応を返さないのはダメなんだよぅ!」
セツは小言を言いながら、陽菜の前にツクヨミを連れて来る。
ツクヨミは陽菜とセツを交互に見比べ、困ったようにポリポリと首の後ろを人差し指で掻いた。
色よい返事は、期待できそうにない。
セツはツクヨミの背中を押し、強引に陽菜との距離を縮めさせた。
「ほら、ツクヨミ様! 子供でも、ちゃんと女なんだからね。適当にあしらったりしないで、紳士な対応しなきゃ失礼だよぅ」
「あ、あぁ……」
セツが居なければ、今頃どうなっていたことだろう。テキパキと、ツクヨミに返事を促してくれるセツは、陽菜にとって心強い助っ人だ。
ツクヨミは、改めて陽菜に向き直る。陽菜はピッと姿勢を正した。
「えっ……と、その……ありがとう。気持ちは嬉しいよ」
でも、とツクヨミは困惑の表情を浮かべる。
「それは、いつから?」
「……いつ?」
ツクヨミに問われ、陽菜は記憶を辿っていく。
たった一度しか会っていないツクヨミが、好きでたまらないのだとハッキリ認識したのは……まず、天神人形や三人官女と話をしたとき。売り言葉に買い言葉だったけれど、そこで好きだと自覚した。それから、七夕の頃。織姫から「初恋かしら?」と尋ねられたときだ。
この会いたいという気持ちに、初恋だから、という理由をハッキリと見出してくれたのは織姫だった。
「自分の中で、ちゃんと認識できたのは……織姫様のお陰かなぁ」
「織姫……?」
あぁ、とツクヨミは頭を抱える。あの恋愛脳が……と呟いたのが、微かに聞こえた。
ツクヨミは陽菜の前でしゃがみ、両膝の上に手を置くと、その上に顎を乗せる。首を傾げ、陽菜の目を上目遣いに覗き込んだ。
キレイに整った顔が間近に来て、陽菜は息を詰める。胸の高鳴りが止まらない。イケメン美男子の上目遣いなんて、反則だ。
「ねぇ、陽菜……」
ツクヨミの、穏やかで優しい声に名を呼ばれるとドキドキするけれど、フワフワと安らいだ気持ちにもなる。いつまでも聞いていたいくらいに心地よい。
ツクヨミが陽菜のことをどんなふうに思っているのか、きっと、これから答えを聞かせてくれるのだろう。
ごめんね、という一言だけかもしれない。
一語一句聞き漏らすまいと、陽菜は耳に全神経を集中させた。
「私を好きだというのは勘違いで……織姫に言われたから、そう思い込んでいるだけかもしれないよ」
「……え?」
陽菜は自分の耳を疑う。
ツクヨミに対する陽菜の恋心が、勘違いだとでも言いたいのだろうか。
「なんで、そんなこと言うの?」
胸の奥がグルグルする。
返却された答案用紙の解答欄に、バツがあったときのようなショック。必死に悩んで、懸命に導き出した答えが間違っていたときの、言いようの無い絶望感。
織姫に気づかせてもらったツクヨミに対する気持ちが、間違いだったと認めたくない。
「思い込みなんかじゃ、ないよッ!」
陽菜はムキになり、衝動的に大きな声を出す。
悔しい。ツクヨミは、陽菜の好きという気持ちが間違いで勘違いだと、そう頭から決めつけている。
陽菜にしてみれば、初めての告白をまともに受け取ってもらえず、は? マジそれ? なんの冗談? と、そんなふうに言われているのと同じだ。
「じゃあ、神という存在に対する憧れでもない?」
ツクヨミは、声の調子を変えない。
あくまでも穏やかに、事実だけを確認するように、陽菜に対して質問を重ねてくる。
陽菜は緩んでいた拳を握り締めた。
「憧れなんかじゃないよ」
同じ神という存在でも、大年神や御年神、天帝には……ツクヨミに対するような感情を抱いていないのだから。
ツクヨミが神様だから好きなのではない。
「では、家族に対する好きでもなく?」
「家族に?」
「そう。私のことを父親……もしくは、兄のように思ってはいないか?」
陽菜は、ツクヨミの言葉に引っかかりを覚えた。
(異性ではなく、家族に対する……好き?)
家族に対する好きは、異性に対する好きとは、確実に違う。
ツクヨミに対する好きは、父親に抱くようなものなのか、芸能人に抱くようなものなのか、それとも……独占してしまいたい好き、なのか。
いったい、どれだろう。全部、似て非なる好きだ。
「じゃあ、例えば」
ツクヨミの手が優雅に動く。陽菜の目は釘づけになり、その動作に見入ってしまった。
「私に接吻……口付け、キスができるかい?」
ツクヨミは頬ではなく、白い指先でトントンと自身の唇を示す。
「どうだろう。私とキスをしたいと思うかな?」
ツクヨミと、キス。
キスという単語を聞いただけで、顔が赤くなってしまう。
「恥ずかしいからできない、ではなく、嫌という気持ちにならないかい?」
「そんなことは……」
ツクヨミの唇にキスをしている自分の姿が、思い描けない。
握り締めていた手に、ツクヨミの手が重なる。そのまま陽菜の手首は掴まれ、グイッと引き寄せられた。操られているかのように、膝立ちとなる。ツクヨミは陽菜の腰に腕を回すと、手首を掴んでいた右手を陽菜の頬に添えた。わずかに顎を上げさせられ、視線が交錯する。
翡翠色の瞳に、戸惑いの表情を浮かべる陽菜が映っていた。
「試してみようか?」
ツクヨミの無機質な声に、ほんの少しだけ恐怖を感じる。
陽菜の額に、ツクヨミの額が押し当てられた。
心臓がドキドキしているのは、緊張からなのか、初めての経験で不安を抱いているからなのか。
グルグルしていた胸の奥が、ソワソワ、ザワザワし始める。
息を詰め、ギュッと目を閉じた。
ツクヨミと鼻先が触れ合い、陽菜はわずかに身を引く。
ときめきや嬉しさよりも、どうしようという感情が上回った。
あと少しで唇が触れる、その瞬間。陽菜はツクヨミを押し返してしまった。
「あれ……。えっ……なんで?」
自分の行動に、戸惑いが隠せない。
ツクヨミのことが好きなのに。どうしてキスを拒んでしまったのだろう。
好きなら、チュッとすればいいのに。
戸惑っている陽菜の右の頬に、チュッと柔らかな感触が伝わる。驚いて目を向ければ、ニシシと笑うセツが居た。
「セツはできるよぉ。陽菜ちゃんの頬っぺにチュウ」
セツは次にツクヨミのほうを向き、うーん……と眉根を寄せる。
「ツクヨミ様には……頬っぺも無理かなぁ? いや~でも、頬っぺなら……どうかな? できるかなぁ……。お口は絶対に無理だよぅ」
陽菜は、ツクヨミの頬にキスすることさえ、確実に無理だ。考えただけで、体が硬直してしまう。
「別に私も、セツにキスをしてもらいたいわけじゃないから、そんなに悩まないでおくれ」
ツクヨミは呆れたように嘆息し、腕の中に閉じ込めていた陽菜を解放すると、袖の中で腕を組む。二歩三歩とナチュラルに移動して、陽菜と適度な距離を置いてくれた。
緊張から解放されて安堵するのに、離れていくツクヨミの体温が恋しくて寂しい。
キスは無理だけど、手は繋ぎたいのは、どの好きなのだろう。
「なんで……なんでかな。私、ちゃんとツクヨミ様のこと好きなんだよ」
自分の気持ちなのに、分からない。
陽菜は大切な想いを閉じ込めるように、両手をギュッと握り締め、その手を胸に抱き締めた。
織姫は、ツクヨミに会いたい気持ちを初恋だからだと言っていたけれど、やはり違うということだろうか。
(分からない……。分からないよ!)
頭にポンと大きな手が置かれ、少しばかりの重みを感じる。
「好きにも、いろいろな種類があると……陽菜は知っているだろう?」
声音は優しく、陽菜が好きなツクヨミの声に戻っていた。
おずおずと見上げれば、美しい翡翠色の瞳が、陽菜に向けられている。慈愛の込められた眼差しにドキリと胸が高鳴り、やはり好きだと再認識させられた。
「自分で分類ができていない気持ちに名前をつけられれば、そうだと思い込んでしまうこともある。自分の気持ちが分からなくなるのは、大人の恋愛でも同じこと。よくあることだ。なにもおかしなことじゃない。だから陽菜は、自分の気持ちなのにどうして分からないのかと、恥じなくともよいのだ」
「でも……じゃあ、やっぱり……。私の好きは、間違いだったって、そういうことなのかな?」
思い込みの勘違いを恥じることは無いと言ってくれたけれど、やっぱり陽菜は恥ずかしい。
会いたい気持ちは好きだからだと言われ、そうなんだ! と自ら納得した。
だから精一杯の勇気を振り絞って、ツクヨミに好きだと伝えたのに。その好きは、他人から誘導された好きだったのだと、好意を告げた本人から教えられるなんて……。
「これから、いろいろな経験をしていけば、私に対する好きがどれであるか……どれに当てはまるか、ちゃんと分かる日が来るさ」
「うん……」
感情がグジャグジャになっても、ツクヨミの手が置かれている頭に意識が集中してしまう。
もっと触れてもらいたいし、抱き締めてくれたらとも思ってしまうから、始末が悪い。
でも、ツクヨミの唇にキスは無理だ。頬にも……きっと、できない。
ツクヨミは陽菜の頭を撫でながら、それにね、と苦笑いを浮かべる。
「なにより私に、童女趣味は無い」
「童女趣味?」
なんのことだろう? と不思議に思っていると、セツが耳打ちしてくれた。
「アッチの世界の言葉で、ロリコンだねぇ」
「ろっ……!」
そうか。何千年と生きているツクヨミと、小学校一年生の陽菜では、そうなってしまう。
昔話では、神様の生贄になった女性の話もあるけれど、それでも年齢は十何歳や二十何歳。陽菜にしてみれば、少なくともあと十年近く先の話だ。
(生贄なんて、そもそも今の時代に無いもんな……)
突然、グンッと体が浮き上がる。なんの前触れも無く、ツクヨミが陽菜を抱き上げたのだ。
勢いにバランスを崩し、上半身が後ろに倒れそうになる。陽菜は「わっ」と小さな悲鳴を上げ、慌ててツクヨミの首に腕を回した。
ツクヨミと、顔の距離が近い。
翡翠色の瞳の中に、吸い込まれてしまいそうだ。
「陽菜。縁あらば、ステキな女性に成長した上で、交際を申し込みにおいで」
傍から見たら、娘を抱っこしている父親の図。それが、いつかは……花婿に抱き抱えられる花嫁の図になりたい。そうなれたらいいな、と思ってしまう。
「私、絶対ステキなレディになってみせるからね!」
叶う日は来ないと、分かりきっている口約束。神様と子供の、ほんの戯れで生まれた約束事。
それでも、このやり取りを忘れないでいようと、陽菜は心に決める。
ずっと、ずっと……いつまでも。大切な思い出にするのだ。
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