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リオン城
不吉な夢
しおりを挟む夜明け前、リリスは衛兵に付き添われ、東塔の地下にある自分の部屋へと戻ってきた。ゼルダは命拾いをして安心したせいか、床の敷物の上で横になりなっていた。
「私のベッドを使えばよいものを、そのような硬いところで……」
硬い床ではなく、寝台で寝かせようかとも考えたが、ゼルダは起こすのも忍びなく、毛布を手に取ると、そろりとかけてやるのだった。
リリスは姿見の前で身に着けている黒いチュールベールを外す。ドレスを脱ぎ、体を締め付けていたコルセットの紐を緩めた。リネンのシュミーズと、下履きのズロースの一枚だけになると、ゼルダにすまないと思いつつ、ベッドに横たわった。
一晩中起きていたのに、なかなか眠気はやってこなかった。今夜、再び王の寝所に上がることを考えたら、睡眠をとるべきなのにーー。藁を詰め込んだマットレスは寝心地が悪く、眠気は遠ざかっていくばかりだった。天井の明り取りの穴から、一筋の光が伸びていた。夜が明けたのだ。外で小鳥が囀る。梁の上をネズミがちょろちょろと動き回っていた。
きっと眠れないのは胸が苦しいせいだわーー。どうしたらタイガ様に私がいると判っていただけるのかしら? リリスは心の内で呟いた。沈む気持ちで昨夜のことを思い返す。闇祓いの儀式の最中に皇子がお忍びで現れた。それなのに、リリスは自分の存在を知らせる勇気がなかったのだ。もしかしたら、城に戻ったタイガ様はすでに私のことなど忘れてしまっているかもしれない。皇子を敬い、礼を尽くす家来たち。城の持つ荘厳な空気に気圧され、そんな不安が胸をかすめるのだった。
あのときのリリスは、鏡のような水盤をひたすら見つめるしかできなかったーー。タイガが王様の部屋に入ってしまうと、水盤に予期せぬことが起きた。しごく透明な水鏡が、真っ白いハンカチーフを映し出したのだ。それを小さなドラゴンが口に咥えて、飛び回っている。もっとも戸惑ったのは、水盤を見ていたはずのリリスが、いつの間にか王様の眠る寝室に立っていたことだ。リリスは子供のドラゴンのすることを、ただぼんやりと眺めていた。
ポタ……ポタポタと、いきなり黒いインクが水盤の中に数滴したたり落ちてきた。インクはマーブル状に広がり、ゆっくりと煙が漂うがごとく沈んでゆく。同時に、王様の部屋が同じようにインク色に染まった。漂う黒はやがて集まり、翼みたいに広がる。その中心にぼやけた顔が浮かび上がった。次の瞬間、青白い顔をした精霊が、寝ている王様の上に腰掛けていた。
『翼を失くしたそなたが、冥府の女神、ペルセポネの隠した娘か?』
瞳が怪しく光った。やがて体がはっきりしてくると、高価なローブを身に着けた貴公子が現れた。
「あなたは誰?」
『ワタシは冥府の公爵ベリアル。とある町で宴を催していたところ、若い娘の血を滴らせた人間に呼び出されたのだ』
「王様をどうするの?」
『血の契約に基づき王は死ぬ定め』
「いけないわ。王様はまだ死んではいけない御身です」
リリスは厳しい口調で呈した。
『十人もの娘の血と引き換えに、王を死に追いやる契約を交わしたのだ。これは正式なものであって何人も覆すことはできないーー』
はっとしてリリスは我に返る。床に寝ていたはずのゼルダ、いつの間にか姿がみえなかった。リリスは慌てて起きあがった。枕元に、留守にすると書かれたゼルダの手紙があった。リリスは胸の手を当てて、動悸を静めようとする。
「いつの間に寝ていたのかしら」
眠れないでいたはずなのに、ゼルダが起きたことに気づかないほど、深い眠りに落ちてしまっていたようだ。それにしても、あの公爵はいったい誰だろうーー?
夕べのリリスは、ベリアルと名乗った死の精霊とは会っていない。夢に入りこんだのだろか?
それともーー。
男の顔が不敵な笑みを浮かべたのを思い出し、リリスは身震いするのだった。
古びた姿見がリリスを映し出した。死の精霊ベリアル公爵が言っていた通り、今のリリスには翼はない。だが、背中に、微かばかりの名残が今もある。ホビショーによれば、成長するにつれリリスの翼は枯れて、五歳になったある日、ぽとりと落ちてしまったのだという。
食事を持ったゼルダが戻ってきた。主人が目を覚ましたとことに、そばかすだらけの顔をにっこりさせた。
「そろそろお目覚めになるころかと思いまして、食事をお持ちしましたーー」
「ゼルダ心遣いありがとう。ずいぶんと元気になったのね」
「はい。リリス様のおかけです。私を視た、侍女たちが面白いくらい怖がるものですから、ついーー」
ゼルダは笑いを堪える。
「つい? いったいゼルダは何をしたのかしら?」
「はい、幽霊として驚かして参りました」
リリスはくすくすと笑う。
「友達の下女たちは、せいせいしたって喜んでいました。そして、昨日まで、バラック出身の私をバカにしていた年増の下女たちは、手のひらを返したようにすり寄ってきたんです。だから、思い切り、無視してやりました」
物怖じしない少女に、リリスはたくましさを感じた。
「ーーそうそうリリス様。ご存知ないかと思いますが、一昨日、我が国の二番目の皇子様が外遊から戻っていらっしゃいました。旅の途中、何者かに襲われたそうですが、見事な戦いぶりだったとーー。今朝の厨房は、その話題でもちきりでした。ここに仕える下々の者は皆言っています。王様のご病気で沈んでいたお城に明るさが戻ったと。タイガ様は五月の太陽みたいなお人だって。それから、見聞を広げられた皇子様は、近々花嫁をお探しになると、もっぱらの噂でございます」
ゼルダはうっとりしたような表情で話す。禁婚令を隠し持つリリスは、胸元を確かめるように押さえ、ゼルダの話に聞き入った。
「ーーそこで、わたし思ったんです。お美しいリリス様こそ、タイガ様の花嫁に相応しいのではないかって」
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