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第二十六話 やらなくてはならない事

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 悪党四人は眠らせました。彼等に囲まれていた女性二人は、こちらに対しても警戒しています。まるで、人の手を拒む野生動物のようです。

 仕方ない事だと思います。あんな怖い目に遭ったのですから。

「あんたら、礼をしろとまでは言わねえけど、助けた相手に対して、その態度はねえんじゃねえか?」
「お前達が、奴らの代わりに我々を襲わないという保証はない」

 あらまあ。でも、言われてみれば、証明する手立てはありません。どうすれば、あちらに信じてもらえるのでしょう。

「おいおい、こっちは女連れだぜ?」
「わかったものではない!」

 カルさんと女性達……というより、片方がもう一方をかばっているようです。かばっている方は、毛を逆立てた猫のようですね。

 鮮やかな赤毛に緑の瞳。こちらを睨む表情はいただけませんが、十分美しい顔立ちではないでしょうか。

 見れば、かばわれている方は華奢な女性です。女性……少女と言った方がいいでしょうか。見た目で言えば、十六~七かと。私より少し年下のようです。

 淡い色調の金髪に、薄い青の瞳。美しいというよりは可愛らしいとか愛らしいという形容詞が似合いそうです。妖精のような、と言えばいいでしょうか。

 少なくとも、迷宮には不似合いなお二人ですよ。

 赤毛の女性は私と同じくらいか、いっても二~三歳年上程度でしょう。ニカ様に近い年齢ではないでしょうか。

 ん? 赤毛に金髪? この組み合わせ、どこかで見た覚えが……

 あ、星の和み亭の食堂で隣り合わせた探索者の方々です。あちらは女性同士でも、どちらも腕に覚えありといった風でしたが。

 目の前の二人は、違うようです。

「ねえ、少しいいかしら?」
「何だ!」

 む。優しく声を掛けたニカ様にまで牙を剥くとは。いくら警戒しているとはいえ、許しがたいです。

「あなた方、二人だけでここまで来たの?」
「……そこに転がっているクズ共を護衛に雇って、ここまで来た」

 かばっている女性の言葉に、ニカ様もカルさんも顔をしかめます。迷宮の中は自己責任。自衛が出来ない者は入るべきではない。それが大前提だったはずです。

 なのに、目の前の二人は護衛を雇ってここまで来たと。

「という事は、ここから自力で帰る術はないと思っていいのかしら?」
「……」

 二人に焦りが見えます。多分、今の時点で帰りの事がすっぽ抜けてましたね?

 ここまで来たという事は、来た道を通って下まで戻らなくてはならないという事です。護衛を雇うような腕前では、私達がここを離れただけで命の危険にさらされるかもしれません。

 その事に思い至ったようで、二人が焦っているのがわかります。

「お、お前達! 私達を守って下まで下りてくれ! 報酬は望むだけ払う!」

 いきなり、赤毛の女性が言い出した内容に、カルさんが鼻の頭に皺を寄せました。

「いきなりそれか? しかも、頼む側が偉そうとか、どうなってんだよ」
「お前達の思いなどどうでもいい! 今は一刻も早くティーゼをここから――」
「リザ……」

 赤毛の女性の言葉を遮り、金髪の少女が懇願しています。先程の会話から、赤毛の女性がリザさん、金髪の少女がティーゼさんというようですね。

「大丈夫だ、ティーゼ。あなたの身だけは、私が必ず守るから」
「リザ、お願い。私は、どうしてもやらなくてはならないの」
「それでも、一度下に下りた方がいい。やはり、父上に話して助けてもらった方が――」
「それはダメ!!」

 何だか、二人だけの世界に入り込んでいますね。私達がここにいる事、認識しているんでしょうか。

「ああいうの見ると、お嬢達が普通じゃないんだなって思うよ」
「どういう意味ですか? カルさん」

 聞き捨てならない一言ですよ、それは。

「いや、多分あの二人、いいとこのお嬢さん達だろ? さっきのやり取りが、普通のお嬢さんによる迷宮の探索者の扱いだ」

 え……それはちょっと、納得しがたいものがあるのですけれど。あの二人と同列に語られるのは、遠慮しておきます。

 確かに、自分が普通の貴族の令嬢と違うというのは、自覚しています。幼い頃から黒の会に参加していた影響でしょうか。

 ニカ様は……母君の件がありますので、やはり普通の王族とは違うものの見方をなさっているのかもしれません。

 ですが、それを差し引いてもリザさんの態度はあり得ませんよ?

 私達がしらけた目で二人を見ている事に気付いたのか、言い争いはやみました。

「……それで、依頼を受けるのか? 受けないのか?」
「リザ!」

 背中からティーゼさんが止めるのも聞かず、リザさんは続けます。

「報酬ならちゃんと払う。ただ、下りてからになるが」

 あくまで、報酬を出すのだから、断らないよね? って態度ですか。

 このままここに置いていくのも気が引けますが、だからといって彼女達のお願いを聞くのも何だか腑に落ちません。

 こちらを代表して、カルさんが対応しました。

「……それを、初対面の俺達に信じろと?」
「! で、ではどうすれば!」
「さあな。だが、俺達はあんたらを信用出来ない。あんたらは俺達を信用していない。交渉は不成立じゃねえか?」
「それでは困る!」
「あんたらが困っても、俺達は別に困らないぜ」

 カルさん、微妙に意地悪な言い方ですね。でも、リザさんが相手では、そう言いたくなる気持ちもわかるというものです。

 リザさんはカルさんに反論出来ないようで、悔しそうに顔を歪めています。その背後から、今度はティーゼさんが声を上げました。

「あの! でしたら、上に行くのを手伝ってはもらえませんか!?」
「ティーゼ!」

 これにはカルさんも驚いたようで、私達を振り返ります。ニカ様を窺うと、厳しい表情で二人を見ていました。

「私は、どうしても手に入れなくてはならないものがあります! それを手に入れるのを、手伝ってほしいんです!」
「何故、私達が?」

 今まで聞いた事がない程、冷たいニカ様の声です。びっくりしました。リザさんとティーゼさんも、驚いています。

「報酬は払うから? だったら、自力で塔から下りて、その依頼を受ける探索者を探しなさい。私達は手を貸さない」
「ど、どうして……」
「こんな簡単な事もわからないの? あなたの親は、あなたにどういう教育をしたのかしらね?」
「貴様!」

 リザさんの激高を、ニカ様は右手をかざすだけで制してしまいました。今ここにいるのは、紛れもない王女としてのニカ様です。

「あなた達がどのような関係かは知りません。ですが、見たところ金髪のあなたの方が身分は上ね? 家同士の関わりかしら?」

 二人が驚愕に目を見開いています。いえ、そのくらいなら察しが付きますよ。カルさんだって……

 カルさん、どうして向こうの二人と同じように、驚いているんですか?

「先程からの、赤毛の彼女からの私達に対する失礼な態度、それをいさめもせず、代わりに謝罪もせず放置とは。主にあるまじき態度よ」

 あの二人が完全な主従関係とは思いませんが、家同士の関わりがあり、ティーゼさんの方が家格が上となれば、端からは主従関係ありと見られてもおかしくありません。

 貴族は、家同士の繋がりを重要視します。それは国外でも同じだと、教育課程で教わりました。

 家の恥にならない為にも、つながりのある家格が下の家の者が「やらかした」時は、上の者が代わって謝罪するのです。そうする事で、相手の怒りも収めようがありますから。

 年齢的にも、ティーゼさんはそうした教育を受けているはず。だからこそ、ニカ様がお怒りなのでしょう。

「それに、先程からあなた達は名乗りさえしていない。そんな相手の『お願い』をきいてあげなくてはならない理由はないわ」

 名乗りは大事です。相手の身分がわからない時は特に。まあ、向こうは私達の事をただの探索者だと思っているのでしょうけど。

 カルさんは豪商の息子ですし、私は他国とはいえ伯爵家の娘、ニカ様に至っては王女殿下です。

 二人が公爵家や侯爵家の人間でもない限り、私の事は下に見られません。当然、王族であるニカ様はさらに上です。

 さて、この二人はニカ様が望む正解に辿り着けるでしょうか。ちなみに、正解は今からでもきちんと態度の悪さを二人で謝罪して、名乗り、こちらの身分を訊ねる事です。

 ニカ様に冷たくあしらわれて、リザさんもティーゼさんも声が出ない様子です。

 しばらく待ちましたが、そのまま固まっているので、ニカ様は見限る事にしたのでしょう。私とカルさんに声を掛けてきました。

「……行きましょう。思わぬところで時間を食ってしまったわ」
「だな」
「わかりました」

 私達が踵を返したところで、背後からティーゼさんの声が掛かります。

「ま、待ってください!」

 三人で振り返ると、リザさんに支えられるようにして、ティーゼさんが立っていました。

「諸々、私達の態度に問題があった事、謝罪いたします」
「ティーゼ……」
「リザ、あなたも謝罪なさい」

 ティーゼさんに促されても、すぐには謝れないようです。頑固なのか、もしくはそういう家の娘さんなのか。

 ティーゼさんに見つめられ、リザさんが内心で葛藤しているのが見て取れます。しばらくして、ようやく彼女は姿勢を正し、おそらくは騎士の礼を執りました。

「私が間違っておりました。謝罪いたします」

 やはり、彼女は武門の生まれのようですね。どうも武の家の方は、己の過ちを認めるのに時間がかかるようです。

 武官として生きるのなら、潔さがほしいところですね。

「改めまして、私はティージニール・ラートレア・ゼメキヴァン。ゼメキヴァン伯爵家の娘です。こちらはリジーニア・レゼヘス・クォンツバム。クォンツバム子爵家の娘です。皆様のお名前を伺ってもよろしいでしょうか?」

 大正解です。そっとニカ様を窺うと、ちょっと満足そうなお顔をしてらっしゃいました。

「俺に関しちゃあ、お名前とか言われるような大層な代物じゃねえよ」
「あら、エントの豪商の息子は、大層な代物じゃないの?」
「ちょ! ニカお嬢!」
「エントの豪商……まさか、グレスール商会に縁の方ですか?」
「う……」

 カルさん、その態度は肯定したも同然ですよ。リザさんことリジーニア嬢は、驚いた顔でカルさんを見ています。

「でも、グレスール商会にあなたと同じ年頃の子息がいたなどと、聞いた事がないのだが……」
「ああ、俺は親父の先妻の子。で、今は後妻が家を乗っ取ってる」
「ああ……」

 あら、リジーニア嬢もティーゼさんことティージニール嬢も、何だか暗いお顔をしてますよ。今の会話に、何かありましたか?

「あなた達のどちらか、もしくは両名共、父親の後妻に悩まされているのかしら?」

 ニカ様の指摘に、二人ともわかりやすい反応を示しています。つまり、言葉に詰まって気まずそうな顔になりました。

 なるほど。お二人の家も、後妻に「乗っ取られて」いるのですね。

「さて、そちらが明かしたくない身分を明かした以上、こちらも正式な名乗りをしなくてはね。ただ、申し訳ないけれど、これはここだけにしてほしいの。いいかしら?」

 ニカ様の要請に、二人共無言で頷きました。ニカ様が、視線で私に先に言うようにと促してきます。

「では、改めまして。サヌザンド王国サーワンド伯爵が娘、レアンウェーサ・テンペローラと申します。以後よしなに」
「サヌザンド王サウィフス二世が娘、ヴェルソニカ・デンフシルである」

 あ、二人と一緒にカルさんも口を開けて固まってしまいました。



 ようやく三人が動き出してからは、その場でひれ伏さんばかりの状態です。

「不敬を働きましたこと、心よりお詫び申し上げます」
「どうかこの罪は、私のみにてあがなわせていただきたく!」

 先程までのニカ様は、王族としての威厳を目一杯出しておられましたから、二人が恐縮するのも当然かと。

「ここだけの話だと言ったでしょう? あなた達の身分にもとやかく言わないから、私達の事も一探索者として扱ってちょうだい」
「そのような!」
「無理です!」
「無理でもやりなさい。それが先程までの不敬を見逃す条件です」

 リジーニア嬢もティージニール嬢も、涙目です。ですが、これだけは聞き入れてもらわないとなりませんから。

 もう一人、何だか黄昏れている人がいるのですけれど。

「そりゃあいいとこのお嬢だとは思ったよ? でもよお、あんな場所に一国の王女様がいるとか、思わねえだろうよ」
「カルさん、大丈夫ですか?」
「大丈夫に見えるか?」

 ……見えませんね。ニカ様が王族だった事、そんなに驚きましたか。

「そりゃベーサお嬢は見慣れているだろうよ。でもな? 俺は庶民。王族なんて、生まれてこの方会った事なんぞねえんだよ」

 言っても詮ない事ですが、カルさんがご実家で普通に育っていれば、もしかしたら会う機会もあったかもしれませんね。

 その場合は、多分エント王家の方々でしょうけど。

 サヌザンドには制度がありませんでしたが、他国では功績を挙げた庶民の家が貴族に列される事もあるとか。カルさんのご実家なら、可能性はあるかと。

 でも、さすがにこれは言えませんね。

 何とか三人が落ち着いた頃に、改めてティージニール嬢から事情を聞きました。

「その……先程少し言われましたが、我が家も私の実母が亡くなった後、父が後妻を取りました。その方との間に娘が生まれたのですが……」
「お家騒動かしら?」

 ニカ様の言葉に、ティージニール嬢は無言で頷きます。

「当然、後妻のメヴィゼーニル夫人は、自分の娘マノアを後継者にしたいと動きました。父の事も説得しようとしたようですが、私の実母の実家も絡みますので、明言はしていないようです」
「そうこうするうちに、夫人の実家を巻き込んでティーゼを追い詰めたんです!」

 リジーニア嬢が、我慢ならんといった様子で付け加えます。

「我がクォンツバム家は、代々ゼメキヴァン家に仕える家系です。ゼメキヴァン家は、オーギアンの将軍職を務める家柄。我が家はその下で騎士団をまとめるのが仕事です。ですから、幼い頃よりティーゼとは共に過ごす事も多く……」

 つまり、幼馴染みという事ですか。

 リジーニア嬢が言うには、後妻であるメヴィゼーニル夫人とその実家のウーニット男爵家を巻き込んで、ティージニール嬢を将軍家の跡取りにふさわしくない、もしふさわしいというのなら、それを証明してみせろと迫ったそうです。

「……その、後妻が産んだのも、娘なんですよね?」
「マノアは今やっと十ヶ月の赤ん坊です」

 ティージニール嬢が、暗い顔でそう答えました。ゼメキヴァン家には、娘二人しか後継者がいない形です。

 なのに、ティージニール嬢にそんな事を言ったんですか?

「メヴィゼーニル夫人は、どういう伝手を使ったのか、マノア嬢に侯爵家の婚約者を宛がったんです」
「え? マノア嬢は、生後十ヶ月の赤ん坊ですよね? なのに、婚約者ですか?」

 リジーニア嬢の言葉に、思わず考えが口を突いて出てしまいました。

「お相手の侯爵家子息は、現在三歳です。ですから、年齢だけ見れば似合わないという事もないのですが……」
「いくら政略とはいえ、伯爵家の、それも後妻の産んだ次女に侯爵子息の婚約者ですか? 何だか……」

 お相手の侯爵家も、問題がある家なのではないかと想像してしまいます。

 でも、侯爵家は侯爵家。お婿がもらえる確約が取れたマノア嬢の方が、後継者としては一歩先んじてる状態だそうです。

 で、この状況を一発でひっくり返す為に、蒼穹の塔で「ある物」を探しているという事なんだとか。

「その、ある物、とは?」
「十九階で出るという、サファイヤです」

 思わず、ニカ様と顔を見合わせてしまいます。

「……十九階には、幽霊が出るんですか?」

 確認しておかないといけません。確か、幽霊は十三階より上には出ないはずでは? 少なくとも、十四階から二十階までで目撃情報はなかったかと。

 私の問いに、ティージニール嬢がぽつりと答えました。

「……一箇所だけ、希に出現する場所があるそうです」
「カルさん、知ってますか?」
「いや、初耳だ。その情報、確かか?」

 カルさんの言葉が意外だったのか、ティージニール嬢もリジーニア嬢も軽く驚いてお互いに顔を見合わせています。

「……そういえば、これを教えてくれたのは、メヴィゼーニル夫人です」

 え……それは、一番最初に疑うべきところなのでは?
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