永久不変の剣を手に、人々の命の守護者となる

なで鯨

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第二章

第五十九話 己のすべてを恩人へ

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 ――命が散る音がした。

 それは快悦の咆哮。

 ――命が散る音がした。

 それは断末魔の叫び声。

 ――それは後に三国大戦と呼ばれる最悪の戦争の嚆矢であることを、まだ誰も知らない。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 寝具で横になっているヒイラギのそばに座り続けているフォグは、ヒイラギの青白い額の汗をぬぐった。
 ヒイラギは弱々しく呼吸をしているかと思うと、突然苦しみだして呼吸が荒くなる。
 それが落ち着くと、また今にも消えてしまいそうな呼吸に戻ることを繰り返している。

 フォグはヒイラギが汗をかくたびにそれを拭き、乱れてしまった布を直す。
 そして、ヒイラギが落ち着くと、うつむいて座った。
 それが罪滅ぼしになるとは微塵も思っていない――思わないようにしながら、ヒイラギの回復を願う。
 
 故に、気付くのが遅れてしまった。
 
「……外、うるさいな……」

 すでにここが戦場になってしまっていることに。



 轟音と共に、病室の木製扉が吹き飛んだ。
 飛び散った木片が、暗い表情が染みついたフォグの頬をかする。
 一瞬の空白の後、フォグは反射的にヒイラギの上に身を覆い被せた。
 
 背中に痛みを感じたが、そんなことなどお構いなしにヒイラギに傷がないか確認する。

「よかった……。ヒイラギさんにケガがなくて……」

 硬い枕の周りに散らばった木片を丁寧に払い除け、傍らの椅子に立てかけてあった盾と剣を掴み取った。

「お! やっと人間を見つけたぜ。この辺の建物にはだーれもいねえもんだから、心が折れるかと思ったぜ」

 すすけた茶色の鎧に身を包み、よく焼けた肌をした異国の兵士は、手に持つ剣をひらひらと弄んだ。

「はぁ。すっげえ探して、子どもと病人かよ。やっぱ、隊長について行ったほうがたくさん戦えたかー。やっちまったな」
「……うるさい。ヒイラギさんの体に障る。黙れ」
「おーおー。この国のガキは口がわりぃ、な!!」

 言葉尻を荒らげながら、異国の兵士は剣を乱暴に振り下ろす。
 予備動作を捉えて盾を構えていたフォグは、腰を落とし、盾に力を込める。

 金属同士がぶつかり合い、火花が散る。

 その衝撃に耐えきれず、フォグは大きく体勢を崩した。
 
 間髪入れず、がら空きになったわき腹へ蹴りが叩き込まれる。
 
 弾かれるように壁まで吹っ飛び、乾いた音を立ててぶつかる。

 フォグの口の中に嫌な味が広がり、全身が悲鳴を上げる。

「やっぱガキをいたぶってもなんも面白くねえ。適当に殺して次に行くかぁ」

 剣の腹で自身の肩を叩きながら退屈そうに言い捨てると、眠っているヒイラギへと足を踏み出した。
 眉間にしわを寄せている銀髪の少年を一瞥し、鼻で笑うと、剣を一回転させて逆手に握り直す。
 
 そして、ヒイラギの心臓に剣の切っ先を向けて、ピタリと止める。

「ふぁ~あ」

 あくびをしたところで、兵士は躊躇なく刃を少年の胸に突き立てた。

「うおおおおおおおおおおおおおおあああああああああああああ!!!」

 ――直前で、全身を使ってフォグが突っ込んだ。
 
 剣の軌道がずれ、寝具に深々と刺さった。

「いってえな、てめえ!」

 小さな体でしがみつくフォグを、剣の石突で何度も殴りつけた。
 
 あざが浮かび上がり、血がにじむ。
 
 それでも離れないフォグに、異国の兵士のいら立ちが募る。

「適当に殺すと言ったが! てめえは! もっと! ボロボロにして! 俺が! 満足してから! 殺してやるよ!」

 言葉の区切りごとに、悪意を乗せた一撃を見舞う。
 ついにつかむ力が緩んだところで、異国の兵士は渾身の力でフォグを突き飛ばした。

 またも響く、乾いた音。

 寝具に横たわるヒイラギの隣で、フォグは壁によりかかり、力なくうなだれた。
 
 血走った目でフォグをにらみつけた兵士は、逆手に持っていた剣を順手に持ち替える。

「まずは、一番最初にイラつく言葉を吐きやがった、その口からぐちゃぐちゃにしてやるよ」

 壁を頼りによろよろと立ち上がるフォグに向けて、想像するだけでもおぞましい言葉を吐き捨てた。
 
 息も絶え絶えなフォグは、ふらつきながらも盾と剣をに構えた。
 それは、とても構えとは呼べず、かろうじて体勢を支えるための、頼りない支柱のように見えた。

「かっぴらけやぼけええええ!!!」

 いたぶる宣言をしておきながら、頭に血が上っている兵士は、必殺の突きをフォグの口元へ繰り出した。

「グルーマス王国騎士団盾剣術……」

 フォグの身体が、迫りくる凶刃に向かって前のめりに倒れる。
 
 その刹那、フォグは最後の力を振り絞り、全身をひねった。

「東壁……!!」
 
 文字通りフォグの全体重を乗せ、体の右側に構えていた盾と剣を時間差で振りぬいた。

 渾身の盾の一撃によって軌道が狂った剣の突きは、虚しく壁に突き刺さる。
 
 そうして生まれた隙に、遅れて届く、フォグの剣。

 それは鎧の継ぎ目に入り込み、兵士の首を切り裂いた。
 
 ――だが、浅かった。致命傷にはわずかに足りない。

「ごみがよぉ……! ごみくずがよおおお!!!」

 出血する傷を手で抑え込み、激しい音を立てて倒れたフォグを踏みつける。
 フォグはうめき声ひとつあげない。

 その沈黙が、兵士の怒りに油を注いだ。

 わなわなと震える手で、壁から剣を乱暴に引き抜く。
 
「死にさらせえええええええええええええ!!!」

 大げさに頭上へ掲げた剣を、たたきつけるように振り下ろした。

 凄まじい破壊音が室内に響き渡る。

 しかし、兵士の顔は怒りに歪んだままで、歯を軋ませた。

 振り下ろした剣は足元のフォグを切断していない。

 何かにまた邪魔されたのだ。
 

「……ごめん、フォグ。そんなに傷だらけにさせてしまって。……でも、ありがとう」

 暴力が支配する室内に、信じられないほど場違いな、温かい言葉が紡がれた。
 ふわりと優しく語りかけた言葉の主は、その碧眼を敵に向ける。
 
「死にそうな弱者が!! おれのじゃましてんじゃ……!!!」

 視線がぶつかった瞬間、澄んだ碧色の瞳の奥底で渦巻くおぞましい暗い感情に呑まれ、兵士は言葉を失った。

「命を奪おうとしたお前を、僕は許さない」

 白銀の守護者が、再びその信念のろいを貫くため、静かに目覚めた。
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