キミロマン

松丹子

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05 夏休みの予定

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「そういえば、俺、夏休み入ってすぐ、10日くらいいないから」

 7月に入った頃、抱いてもらった翌朝、スマホをいじっていた東がいきなり通告してきた。

「え、なんで?」
「合宿」
「って、何の?」
「学部の。農業演習」

 東は農業学科専攻だ。やりたい研究は農業そのものではないらしいけど、似合わなすぎて、聞いたときは笑った。
 東はストレッチするように首を傾げる。

「2年のとき体調崩して行けなかったから、行ってくる」

 私がじっと見ていると、

「たまたま風邪引いただけだからな。昔みたいにしょっちゅう寝込んでるわけじゃないぞ」

 とふて腐れた表情が返ってきた。私は思わず笑う。

「あ、そう。ならよかった」

 私の言葉に、東は渋面になった。睨みつけるように見られても、全然怖くなんてない。東が優しいのを、私はよく知ってる。
 大学のキャンパスで見かける東は、驚いたことによく人と一緒にいた。男だったり、女だったり。みんなあんまり飾り気のない容姿をしていて、でも健康そうな笑顔で、東に笑いかけている。
 ときどき、東が白衣でキャンパスを歩いているのも見かける。そういうときは大概、女子が見惚れていて、なんとなく腹が立つ。
 ときどき、華やかな容姿の女子から声をかけられたりもしているけれど、東はいつも無表情で対応している。クール男子。ミステリアス男子。女子の中でまことしやかに囁かれるミスターキャンパスランキングに、ときどき東の名前が挙がっては、「ぶっきらぼうだけど、セックスのときは優しい」なんてことも聞いたりした。
 東の優しさを、私はよく知っている。ぶっきらぼうで分かりにくいけど、後から「あああれは優しさだったんだな」なんて思う。どれだけ嫌な奴でも、面倒な奴でも、人を傷つけられないのが、東なのだ。

「10日間セックス無しかー。我慢できるかなー」

 私が大袈裟なため息と共に言うと、東はじと目で私を見てきた。

「……いつまで続けるつもりなの」
「何が」
「……こういうの」

 曖昧に言って、東はふいと私から顔を反らす。
 こういうの。こういう関係。
 終わらせる時期なんて考えたこともなかった。

「知らなーい」

 私は言って、ごろん、と床に寝転ぶ。東はそれをちらっと横目で見て、ため息をつく。
 これが彼氏だったら抱き着くところなんだけど、私と東はそうはならない。だって、ただの幼なじみだから。幼なじみという要素に、セフレの要素が加わっただけの関係だから。
 それがいいのかどうかは、あえて考えないようにしている。
 床に寝っ転がったままの視点から、東を見上げる。東はあんまりヒゲの生えない、つるんとした顎をしている。唇は薄くて、でも色はくっきりしている。その口はだいたいきゅっと引き締められていて、無駄ごとを話すこともない。無駄口でできてる私とはえらい違いだ。
 私は東から視線を落として、ゆっくり、ゆっくり、目を閉じる。昨夜のセックスを思い出す。東が私の身体に触れて、東の唇が優しく頬に触れて、最近、ときどき私の名前を呼ぶ。その度に身体が痺れて、きっと東が私の名前を呼ぶのは一種の魔法なのだろうとすら思う。
 目を閉じたまま、ふふ、と笑う。そう、セックスのときはそんなことを、割と本気で思うのだ。いかに理性を失っているか、夢見心地になっているか、冷静なときに考えれば笑ってしまうくらいに、東に浸っている。
 不意に、太股を東に突かれた。目を開けると、私の身体を突いたのは手ではなく足先だったらしいと分かる。

「蹴らないでよ」
「起こしたんだよ。寝そうだったから」
「寝ないよ。たっぷり寝たもん」

 答えてまた目をつぶる。だいぶ暑くなってきたから、フローリングの床はひんやりしていて頬に気持ちいい。そういえば飼い犬、トイプードルのマロンも、夏場はよくフローリングに張り付いて、赤い舌を出して息をしていた。マロンは高校受験に落ちて泣いていた私のために、両親が買った犬だ。それまで「駄目」と言われていた憧れの飼い犬が手に入り、私は機嫌を直して東に犬を見せに行った。
 マロンはお散歩が好きだったけど、階段で脱臼することもあった。品種改良が進んだ犬は、可愛いけど身体が弱いらしい。海に連れていって砂浜で一緒に走るのに憧れてたけど、マロンはそういうこともできそうにない。それだけがちょっと……ううん、結構、残念だった。
 犬の代わりに、東を連れて海に行ってみようか。マロンの毛の色と東の髪色はよく似ている。嫌がる東を日差しの中に連れ出して、白い砂浜と日差しを反射する波を背景に、
手を繋いで走るのだ。
 来年は東も就活が始まって構ってくれなくなるだろう。それなら、今年の内に行かなきゃ。

「なに、ニヤニヤしてんの。気持ち悪い」

 また東の足指に太股をノックされた。私は目を開けて上体を起こし、東の方を向く。前のめりで胸が強調されるからだろう、東が戸惑ったように目を泳がせた。

「東。今年さ、海行こう」

 東は「はぁ?」と応え、目を泳がせて、「何、いきなり」とあきれ顔で私を見た。

「マロンの代わりに、東と走るの」
「走るぅ?」

 東はますますあきれ顔になって、ため息混じりに「だったらマロンと行けよ」と言った。私は唇を尖らせて、「マロンは海で走れない」と言い返す。「知らねーよそんなこと」と東は答えて、くるんと向きを変え、私に背中を向けた。

「あーずまぁ」

 甘えてみる。私から見れば華奢過ぎる背中に近づき、肩の上に顎を乗せてみる。

「痛い」

 東は眉を寄せて振り返りかけ、私の顔が近くにあることに気づいてまた前を向いた。

「どけろよ、はやく」
「やだー。海に行くって言ってくれたら」
「行かねーって」
「なんでよー。青春じゃん。もう来年は就活でそれどころじゃないでしょ。謳歌しようよー」
「お前とは行かない」

 東はスマホをいじりながら、あっさり言った。ずきり、と胸に痛みが走る。
 私とは、行かない。
 ……あ、そう。

「……陽菜?」

 私が急に黙ったから、東が眉を寄せて振り返った。顎を彼の肩から離した私はすっくと立ち上がる。急に動いた拍子に胸が揺れた。

「分かった。じゃ、また」

 きりっと敬礼して、玄関へと向かう。
 感じた胸の痛みは、幼なじみがちょっと冷たかったから驚いただけのこと。他に理由なんてない。ただ、それだけだ。

「じゃあ今月はあと3回来るね」
「来んな」
「東も10日間私に会えないと寂しいでしょ。その前にヤリ溜めしておこうね」
「人を欲求不満の犬みたいに言うな」
「あははは」

 私は靴に足を突っ込みながら笑った。
 犬になった東を想像したからだ。
 東が犬になったら、きっとマロンみたいに、焦げ茶でふわふわで、華奢で虚弱なのだろう。

「犬だったらよかったのにね」
「はぁ?」

 東が理解できない風で眉を寄せる。私は笑って振り返り、「じゃーね」と手を振って家を出る。パタン、と閉じたドアに、東のあきれ顔の残像が重なって、ため息をついた。

 東が犬だったら、首輪をつけて、私の家に繋いでおいて、いつでも好きなときに好きなだけ、抱きしめに行くのに。

 何かが、ぎゅっと胸を締め付けて息苦しい。私は東の部屋のドアから離れて、二つ離れた自分の部屋へと向かった。
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