19 / 114
第三章 天の川は暴れ川(ヒメ/阿久津交互)
10 無駄な愛嬌
しおりを挟む
「あーくーつっ。ランチ行こうよー」
いーい笑顔と共に声をかけてきた橘女史に、俺は全力で嫌そうな顔を返す。
「何その嫌そうな顔ー」
橘は真似をするように顔をしかめて見せた。が、その顔じゃ全然迫力がない。もともと人相の悪い俺をなめんなよ。
他の女ならびびって近づかなくなる睨みも、こいつにはてんで効果がない。まあいちいちびびられてばかりでも寂しいもんだが、ここまで効かないのもそれはそれで困りもんだ。
こいつがマーシーとつき合う前には、数回二人で飲みに行ったが、あまりに女としての自覚がなさすぎて呆れ、何度襲ってやろうかと思ったか知れない。平気で部屋にも招こうとするので、彼女がいるからとか適当な嘘をついて丁重にお断りした。
「私、ヒメちゃんとメル友になっちゃったから」
スマホを掲げて見せて、橘女史は笑う。てめぇ、他人事だからって面白がってんじゃねぇぞ。ほんとに。
舌打ちして横を向いたとき、かしゃりとカメラ音がした。いぶかしんで振り向くと、橘女史がスマホをいじっている。
「そーうしーん」
「おいこらっ!」
悲鳴に近い声をあげて、橘女史からスマホを取り上げようと手を伸ばす。
「きゃー、駄目ー」
橘はスマホを胸元に抱えて声をあげた。勘弁しろよ! 周りが見てるだろうが!
「てっめェ」
唸るような声で睨みつけるが、その効果も虚しく、橘女史は軽やかに笑う。
その笑顔に、一瞬息を飲む。
ーー笑うな。
何度、そう言いかけたことか。
その笑顔が、何度も、俺の心を魅了し、えぐる。
アキにはドMと言われても、離れられない。物理的な距離ではない。
心がーー離れられない。
「くっそ」
舌打ちをして、気を紛らわせた。
彼女への想いに気づいてから、約十五年。
彼女への想いを諦めてから、約十年。
何かにつけてつい想ってしまうのは、ほとんど習慣のようなものだ。今さらどうすることもできないのだろうと、半ば諦めている。
俺は深々と嘆息して、目を閉じた。ただ静かに、心に無を唱える。
目を開くと橘女史が俺の目を覗き込んでいた。
「怒った?」
少しだけ心配そうな色を含んだ目で、小首を傾げる。身長が低いから、自然俺を見上げるのは上目遣いになる。
「お前な」
勘弁してくれよ。何なんだよその無自覚さ。
しかし言葉は声にせず、また深々と嘆息する。
「呆れた」
「何が?」
疲れきってきびすを返す俺の背に、橘女史がぴょこぴょことついて来る。
ペットか。モルモット的な何かか。似合うなこのやろう。
一瞬、モルモットの着ぐるみを纏った橘の姿を想像してしまった。その残像を、遠い目をして振り払う。
畜生、腐ってやがる。俺の脳みそが。
「橘女史」
「何よぅ」
アラフォー女が語尾を伸ばすな! 可愛いだろうが!
「あんまり俺の周りうろつくと、襲うぞ」
試しに低い声で言ってみると、橘はぶはっと噴き出した。
「ヤバーい、何、阿久津それ、何!」
腹を抱えて笑いつつ、目尻に涙すら浮かべて、橘女史は俺の肩を叩く。
「私、プロレス技でもかけられちゃう? 勘弁だわぁ」
違ぇよ気付け!
本当に、この女は、ほんっとうに、俺の気持ちに全く気づいていないらしい。悲しくもあり悔しくもあり、でも九割方、この一方的な振り回されっぷりが悔しい。
会ってから十八年だぞ十八年。生まれた赤ん坊が選挙権持ってるぞ。その間、何にも気づいてないって、どういうこっちゃ? ほんとに襲うぞ、くそ。
マーシーもそろそろ管理不行き届きを自覚した方がいい。ーーが、きっとこういう顔は、同期の中でも心を許している俺だからこそするのだ。そう知っているから余計、たちが悪い。
「難儀やなぁ」
後ろからくすくす笑う声がして、振り向くとヨーコさんが立っていた。俺は脱力しつつ、見られていた居心地の悪さに目を反らす。
「あーくん、程々のところで次に行かな、機を逃すで」
「ご忠告どうも。でももう俺もう四十ですよ」
ぶっきらぼうに答えると、ヨーコさんは笑った。
「難儀やなぁ」
「楽しげに言わないでください」
どいつもこいつも、他人事だからって。
「でも、あーくん、幸せになると思うで」
遊んでいるような表情を不意に温かな笑顔に変え、ヨーコさんは言った。切れ長の黒い目がまっすぐに俺を見てくる。
「ーーそりゃ、どうも」
言いながら目を反らした。腹の底まで見通しているようなその目は、変な気でも起こしそうで怖い。
そんな気を起こせば、彼女の夫に殺されるのが目に見えているのだが。
「とりあえず、子猫はうちが連れていくさかい。気張りや」
言いながら、ヨーコさんは橘女史の衿元を掴んだ。
「えっ、子猫って私!? え、何、何なの、ヨーコちゃん!」
アラフォーにもなって相変わらずな橘女史を、ヨーコさんは穏やかな笑顔で連行していく。二人の後ろ姿を見ながら、俺はまた、深々と嘆息した。
いーい笑顔と共に声をかけてきた橘女史に、俺は全力で嫌そうな顔を返す。
「何その嫌そうな顔ー」
橘は真似をするように顔をしかめて見せた。が、その顔じゃ全然迫力がない。もともと人相の悪い俺をなめんなよ。
他の女ならびびって近づかなくなる睨みも、こいつにはてんで効果がない。まあいちいちびびられてばかりでも寂しいもんだが、ここまで効かないのもそれはそれで困りもんだ。
こいつがマーシーとつき合う前には、数回二人で飲みに行ったが、あまりに女としての自覚がなさすぎて呆れ、何度襲ってやろうかと思ったか知れない。平気で部屋にも招こうとするので、彼女がいるからとか適当な嘘をついて丁重にお断りした。
「私、ヒメちゃんとメル友になっちゃったから」
スマホを掲げて見せて、橘女史は笑う。てめぇ、他人事だからって面白がってんじゃねぇぞ。ほんとに。
舌打ちして横を向いたとき、かしゃりとカメラ音がした。いぶかしんで振り向くと、橘女史がスマホをいじっている。
「そーうしーん」
「おいこらっ!」
悲鳴に近い声をあげて、橘女史からスマホを取り上げようと手を伸ばす。
「きゃー、駄目ー」
橘はスマホを胸元に抱えて声をあげた。勘弁しろよ! 周りが見てるだろうが!
「てっめェ」
唸るような声で睨みつけるが、その効果も虚しく、橘女史は軽やかに笑う。
その笑顔に、一瞬息を飲む。
ーー笑うな。
何度、そう言いかけたことか。
その笑顔が、何度も、俺の心を魅了し、えぐる。
アキにはドMと言われても、離れられない。物理的な距離ではない。
心がーー離れられない。
「くっそ」
舌打ちをして、気を紛らわせた。
彼女への想いに気づいてから、約十五年。
彼女への想いを諦めてから、約十年。
何かにつけてつい想ってしまうのは、ほとんど習慣のようなものだ。今さらどうすることもできないのだろうと、半ば諦めている。
俺は深々と嘆息して、目を閉じた。ただ静かに、心に無を唱える。
目を開くと橘女史が俺の目を覗き込んでいた。
「怒った?」
少しだけ心配そうな色を含んだ目で、小首を傾げる。身長が低いから、自然俺を見上げるのは上目遣いになる。
「お前な」
勘弁してくれよ。何なんだよその無自覚さ。
しかし言葉は声にせず、また深々と嘆息する。
「呆れた」
「何が?」
疲れきってきびすを返す俺の背に、橘女史がぴょこぴょことついて来る。
ペットか。モルモット的な何かか。似合うなこのやろう。
一瞬、モルモットの着ぐるみを纏った橘の姿を想像してしまった。その残像を、遠い目をして振り払う。
畜生、腐ってやがる。俺の脳みそが。
「橘女史」
「何よぅ」
アラフォー女が語尾を伸ばすな! 可愛いだろうが!
「あんまり俺の周りうろつくと、襲うぞ」
試しに低い声で言ってみると、橘はぶはっと噴き出した。
「ヤバーい、何、阿久津それ、何!」
腹を抱えて笑いつつ、目尻に涙すら浮かべて、橘女史は俺の肩を叩く。
「私、プロレス技でもかけられちゃう? 勘弁だわぁ」
違ぇよ気付け!
本当に、この女は、ほんっとうに、俺の気持ちに全く気づいていないらしい。悲しくもあり悔しくもあり、でも九割方、この一方的な振り回されっぷりが悔しい。
会ってから十八年だぞ十八年。生まれた赤ん坊が選挙権持ってるぞ。その間、何にも気づいてないって、どういうこっちゃ? ほんとに襲うぞ、くそ。
マーシーもそろそろ管理不行き届きを自覚した方がいい。ーーが、きっとこういう顔は、同期の中でも心を許している俺だからこそするのだ。そう知っているから余計、たちが悪い。
「難儀やなぁ」
後ろからくすくす笑う声がして、振り向くとヨーコさんが立っていた。俺は脱力しつつ、見られていた居心地の悪さに目を反らす。
「あーくん、程々のところで次に行かな、機を逃すで」
「ご忠告どうも。でももう俺もう四十ですよ」
ぶっきらぼうに答えると、ヨーコさんは笑った。
「難儀やなぁ」
「楽しげに言わないでください」
どいつもこいつも、他人事だからって。
「でも、あーくん、幸せになると思うで」
遊んでいるような表情を不意に温かな笑顔に変え、ヨーコさんは言った。切れ長の黒い目がまっすぐに俺を見てくる。
「ーーそりゃ、どうも」
言いながら目を反らした。腹の底まで見通しているようなその目は、変な気でも起こしそうで怖い。
そんな気を起こせば、彼女の夫に殺されるのが目に見えているのだが。
「とりあえず、子猫はうちが連れていくさかい。気張りや」
言いながら、ヨーコさんは橘女史の衿元を掴んだ。
「えっ、子猫って私!? え、何、何なの、ヨーコちゃん!」
アラフォーにもなって相変わらずな橘女史を、ヨーコさんは穏やかな笑顔で連行していく。二人の後ろ姿を見ながら、俺はまた、深々と嘆息した。
0
あなたにおすすめの小説
叱られた冷淡御曹司は甘々御曹司へと成長する
花里 美佐
恋愛
冷淡財閥御曹司VS失業中の華道家
結婚に興味のない財閥御曹司は見合いを断り続けてきた。ある日、祖母の師匠である華道家の孫娘を紹介された。面と向かって彼の失礼な態度を指摘した彼女に興味を抱いた彼は、自分の財閥で花を活ける仕事を紹介する。
愛を知った財閥御曹司は彼女のために冷淡さをかなぐり捨て、甘く変貌していく。
ズボラ上司の甘い罠
松田丹子(まつだにこ)
恋愛
小松春菜の上司、小野田は、無精髭に瓶底眼鏡、乱れた髪にゆるいネクタイ。
仕事はできる人なのに、あまりにももったいない!
かと思えば、イメチェンして来た課長はタイプど真ん中。
やばい。見惚れる。一体これで仕事になるのか?
上司の魅力から逃れようとしながら逃れきれず溺愛される、自分に自信のないフツーの女子の話。になる予定。
溺婚
明日葉
恋愛
香月絢佳、37歳、独身。晩婚化が進んでいるとはいえ、さすがにもう、無理かなぁ、と残念には思うが焦る気にもならず。まあ、恋愛体質じゃないし、と。
以前階段落ちから助けてくれたイケメンに、馴染みの店で再会するものの、この状況では向こうの印象がよろしいはずもないしと期待もしなかったのだが。
イケメン、天羽疾矢はどうやら絢佳に惹かれてしまったようで。
「歳も歳だし、とりあえず試してみたら?こわいの?」と、挑発されればつい、売り言葉に買い言葉。
何がどうしてこうなった?
平凡に生きたい、でもま、老後に1人は嫌だなぁ、くらいに構えた恋愛偏差値最底辺の絢佳と、こう見えて仕事人間のイケメン疾矢。振り回しているのは果たしてどっちで、振り回されてるのは、果たしてどっち?
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
明日のために、昨日にサヨナラ(goodbye,hello)
松田丹子(まつだにこ)
恋愛
スパダリな父、優しい長兄、愛想のいい次兄、チャラい従兄に囲まれて、男に抱く理想が高くなってしまった女子高生、橘礼奈。
平凡な自分に見合うフツーな高校生活をエンジョイしようと…思っているはずなのに、幼い頃から抱いていた淡い想いを自覚せざるを得なくなり……
恋愛、家族愛、友情、部活に進路……
緩やかでほんのり甘い青春模様。
*関連作品は下記の通りです。単体でお読みいただけるようにしているつもりです(が、ひたすらキャラクターが多いのであまりオススメできません…)
★展開の都合上、礼奈の誕生日は親世代の作品と齟齬があります。一種のパラレルワールドとしてご了承いただければ幸いです。
*関連作品
『神崎くんは残念なイケメン』(香子視点)
『モテ男とデキ女の奥手な恋』(政人視点)
上記二作を読めばキャラクターは押さえられると思います。
(以降、時系列順『物狂ほしや色と情』、『期待ハズレな吉田さん、自由人な前田くん』、『さくやこの』、『爆走織姫はやさぐれ彦星と結ばれたい』、『色ハくれなゐ 情ハ愛』、『初恋旅行に出かけます』)
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
あなたがいなくなった後 〜シングルマザーになった途端、義弟から愛され始めました〜
瀬崎由美
恋愛
石橋優香は夫大輝との子供を出産したばかりの二十七歳の専業主婦。三歳歳上の大輝とは大学時代のサークルの先輩後輩で、卒業後に再会したのがキッカケで付き合い始めて結婚した。
まだ生後一か月の息子を手探りで育てて、寝不足の日々。朝、いつもと同じように仕事へと送り出した夫は職場での事故で帰らぬ人となる。乳児を抱えシングルマザーとなってしまった優香のことを支えてくれたのは、夫の弟である宏樹だった。二歳年上で公認会計士である宏樹は優香に変わって葬儀やその他を取り仕切ってくれ、事あるごとに家の様子を見にきて、二人のことを気に掛けてくれていた。
息子の為にと自立を考えた優香は、働きに出ることを考える。それを知った宏樹は自分の経営する会計事務所に勤めることを勧めてくれる。陽太が保育園に入れることができる月齢になって義弟のオフィスで働き始めてしばらく、宏樹の不在時に彼の元カノだと名乗る女性が訪れて来、宏樹へと復縁を迫ってくる。宏樹から断られて逆切れした元カノによって、彼が優香のことをずっと想い続けていたことを暴露されてしまう。
あっさりと認めた宏樹は、「今は兄貴の代役でもいい」そういって、優香の傍にいたいと願った。
夫とは真逆のタイプの宏樹だったが、優しく支えてくれるところは同じで……
夫のことを想い続けるも、義弟のことも完全には拒絶することができない優香。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる