爆走織姫はやさぐれ彦星と結ばれたい!

松田丹子(まつだにこ)

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第六章 夏の終わりの夜の夢(阿久津視点)

04 二十年来の友情

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「お疲れぇ」
「お疲れ」
 ガチン、とビールジョッキが音を立てる。
 橘は嬉しそうにジョッキを傾け、ぐびぐびと飲んだ。
「くっはー。うまい」
「相変わらず色気も何もないな」
「もういいもーん、色気なんかなくても」
「結婚したからか。色気の権化みたいな男が近くにいるのに、何でだろうなぁ」
「阿久津……」
 じと目で俺を見てくる頬が、若干赤い。夫婦になって何年だよ。何を今さら照れてるんだ。
「そういう減らず口、あんたも相変わらずね」
 枝豆に手を伸ばしながら、橘は言った。ここの枝豆は少し味付けが凝っている。今日はアンチョビであえてあるイタリアン風らしい。
「減らず口たたくような男と一緒でリフレッシュできんのか?」
「うーん、まあ一人で飲むよりは」
「なるほど。いないよりマシという高評価をどうも」
「どういたしまして」
 橘は歯を見せて笑う。こういう顔をすると、むしろ少年じみているのも相変わらずだ。
「あんたとも長いつき合いよね。もう少しで二十年?」
「そうだな」
「ひどいときここ、毎週来てたよね」
 ひどいとき、な。
 橘の言いぶりに、俺は笑いそうになる。が、橘は気づかず枝豆をつまんでいる。
「お前が死にそうだったときか」
「そうそう。三十くらいのとき。財務に異動になった前後くらい。もうこのままお一人様街道まっしぐらだ! って絶望してたとき」
 からり、とまた、橘が笑う。俺は苦笑を浮かべる。
「杞憂だったな」
「結果的にはね」
 言って、食べないの? と枝豆を俺の方へ差し出す。俺は一つ拝借して口に運んだ。橘はまたジョッキを傾けている。
「もう、飲んでいいの。酒」
「うん。一歳で卒乳したの」
 末っ子は女児だ。
「三人か。希望通りだな」
 言いながら俺はビールを飲む。橘は少し驚いた顔をした。
「覚えてたんだ」
「何度聞かされたと思ってんだ」
「え……二度? 三度?」
「嘘つけ。その“ひどいとき“、毎回聞かされてたぞ」
「そ、それは……ご迷惑おかけしました」
 ごにょごにょと、橘は口の中で謝る。俺は笑ってまたジョッキを持ち上げた。
『私はねぇ、30までに結婚して、3人子ども産んで育てながら仕事して、そんで退職後は旦那さんといろんなところに旅行するのが夢だったの! こんな、仕事まみれな生き方望んでた訳じゃないのよ!』
 熱弁する橘の顔を思い出して微笑む。そのときに比べれば、今俺の前に座っている女はだいぶ落ち着いた。
「何?」
 ほわり、と橘が微笑んだ。
 その柔らかい笑顔も、当時には見られなかったものだ。
 つきり、と胸が痛む。俺は苦笑を浮かべる。
「お前が熱弁する姿を思い出してた。理想の将来像について」
「ぐはっ」
 橘は胸を押さえた。
「わ、忘れて」
「ついでに、やたらと女の登用を唱えつつ一方で男尊女卑は変わらないことについて」
「阿久津ぅ」
「興奮すると英語になるしな。格言多様するしな」
「もぉやめてぇ」
「それもすっかり無くなったな」
 ぽつりと言うと、橘が黙った。
 俺はふ、と鼻で笑う。自分自身を。
 俺の役目など、とうになくなっていたのに。
 そんなことは、気づいていたはずなのに。
 気づかないふりをしていた。
 いや、気づいているふりをしていた。
「よかったよなぁ」
 吐き出すような俺の声が、ずいぶんしみじみしていた。
「幸せになって」
 橘があははと笑った。あえて明るい声を出しているようだった。
「まだ、わかんないじゃない。これから、何かあるかもよ」
「そうだったらいいなと思ってたけど」
 つい、本音が出た。橘が言葉を失う。俺は取り繕うように笑った。
「どうせ、雨降って地固まる、で夫婦の安泰が盤石になるだけだろう。お前ら見てりゃ分かるわ」
 橘は口を開きかけて、思いとどまるように閉じた。
 俺と橘の間に、今までになかった空気が流れる。
 橘がじっと俺を見る。まっすぐな目を俺に向け、俺の感情の動きを探ろうとしている。
 俺の名前すら、知らなかったくせに。
 今さら俺の何を知ろうと言うのだろう。
 俺は微笑んでその視線を受け止める。
 静かに、二人で見つめ合った。
 先に視線を外したのは、橘の方だった。
「阿久津のそういう顔、初めて見た」
「そういう?」
「んー、なんていうか。穏やかな顔」
 橘は苦笑する。
「ずいぶん長く一緒にいるけど、私、阿久津のこと全然知らないよね」
「ようやく気づいたか」
「名前も知らないし。ミツヒコ、だっけ?」
「ひどい奴だよな」
「そうかも。結構、ひどい奴かも。私」
 橘は笑った。俺がビールを飲み終わるのを見て、ビールでいい? と問う。俺が頷くと、立っている店員に身振りで追加を頼んだ。
「でも、ありがとう」
 不意すぎる言葉に、俺は橘を見やった。橘はぐいとビールを飲み干す。
 新しいビールジョッキが二つ、運ばれてきた。
 空いたものと交換して、橘はジョッキを俺の方へ掲げる。
「二十年来の友情に、乾杯」
 泡立つ琥珀色と、おとなびた橘の笑顔を見比べ、俺は笑う。
 二十年来の友情。
 美し過ぎる言葉に、涙が出そうだ。
「ーー乾杯」
 胸が軋んだ。ジョッキの重なる鈍い音が、胸の軋む音に聞こえた。
 そうか。
 だからマーシーはサシ飲みを許したのか。

 そのとき初めて、わずかに彼女の夫を恨んだ。
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