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第七章 織り姫危機一髪。(ヒメ/阿久津交互)

02 子リスの本気

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 出勤の朝。電車のホームで定位置を見やると、また同じ男がいた。
 近づいて行くと、声が聞こえる。
「この前の人は、お兄さんか何か?」
 俺は思わず笑いそうになった。
 お兄さん、なぁ。
 そんな子リスみたいな目の女と、スナイパーかと見まごうばかりの目つきの俺が、兄妹に見えるってのか。
 ちょっと無理があるんじゃねぇの。
 笑いを堪えながら、その横を歩いて行く。
「おはよう、澤田」
「あっ、阿久津さん! おはようございます」
 男の影に隠れた澤田に声をかけると、いつも通りの明るい声が返って来る。俺は笑った。
「今日も元気そうだな」
 澤田は一瞬ぽかんとして、それから頬を赤らめた。
「はい……はいっ、元気ですっ」
 両拳を握って、澤田が笑う。俺はちらりと彼女に声をかけていた男を見た。うろたえる男を鼻先で笑う。
 馬鹿な奴。
 俺が脅してもすかしても、諦めようとしない女が、そんな曖昧なアプローチで揺らぐかよ。
 行くならもっと本気でぶつかってみろ。
 男へのアドバイスは心中で留め、改札へ向かった。

 職場へと歩いていると、胸ポケットのスマホが鳴った。見やると、澤田からだ。
 珍しい。いつも、昼休みか業後に来るのに。
【嬉しかったです】
 一言だけのメッセージ。
 挨拶だけではない一言が、ということか。
 俺は眉を寄せて、渋面になった。その半分が照れ隠しであることを自覚して、ますます渋面になる。
 返事は返さず済まそうとまたポケットにスマホを突っ込んだ。
 デスクについて、鞄を置く。ふと、気が向いてスマホを手にする。
 ためらった後、一言だけ送った。
【また明日】
 返事はすぐに来た。
【はい!】
 うさぎが嬉しそうに飛び跳ねる絵が来て、知らず緩んだ口元を、慌てて引き締めた。
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