2 / 99
第一章 こちふかば
01 段取りもとい暖取りが大事
しおりを挟む
「うわっ、とぉ」
広げたビニールシートが飛びそうになり、慌てて押さえた。
やれやれと息をつき、やっぱりショールじゃ重しにならなかったかと辺りを見回す。先ほども探したのだから当然だが、ちょうどいい石が見つかるはずもなく、嘆息した。
そうだ。靴を脱いでしまえばいい。重しが何もないからと、鞄、ショール、スマホと水筒の四つで角を押さえていたのだが、靴を使えばショールとスマホが回収できる。いや、この肌寒さなら回収すべきは白湯の入った水筒だろうか。
それにしても、四月頭の花見の季節、夜から場所を取る人もいると聞くが、朝方から来ておいてよかった。八時現在、もう桜が見える辺りの地面はあらかた色鮮やかなシートで埋まっている。
自分が言い出しておいて場所が取れません、なんてなったら、きっと怒られるーーいや、そんなこともないか。じゃあ誰かの家で飲むかという話になるかも。そう考えると先輩に恵まれている。
今日は会社の先輩と花見だ。先述のとおり言い出しっぺは私。決して社外に友達がいないからじゃない。先輩たちがいい酒とツマミを持ってきてくれるのを期待しているのだ。とは、当人たちにもしっかりバレているから気が楽だが。
靴を脱いでビニールシートに上がると、地面の冷たさがお尻に伝わってきた。うわ、これ寒い。せめてジーパンでよかったと思いつつ、回収して首に巻いたショールをお尻の下に敷く。ビニールシートも安売りで薄いものだったから余計だろう。
場所取りをして一時間。もう少しで先輩の一人が来るはず。
「あらー、もう場所無いね」
「ほんとだ。どうします?」
「あそこ空いてますけど」
「そこじゃ桜ほとんど見えませんね」
「いいんじゃない、みんなどうせ飲みたいだけなんだから」
男一人に女が二人。男は30に届くかどうか、女は20代前半と30代前半くらいか。
その気乗りしないトーンから察するに、きっと会社の花見だろう。前時代的なイベントを続けている会社もあるものだと妙な感心をする。我が社は外資系で、歓送迎会すらほとんどしない。
ーーまだかなぁ、阿久津さん。トイレ行きたくなってきた。
自分に次いで来る予定の先輩を思いつつ、冷えた手に息を吹きかける。そのときスマホが鳴った。かじかむ手でロックを解除する。
「ーーえっ」
【悪いけど、熱出て行けなくなった。ジョーに頼んだから、あと三十分待ってろ。】
「なんって偉そうなキャンセル連絡……」
八つ年上の先輩の顔を思い出しつつ歯ぎしりする。私のトイレどうしてくれんだ。あと十分待てても三十分は無理だぞ。膀胱炎にでもなったらどうしてくれる、治療費はしっかりもらうからなっ。
思いつつ、そもそも場所取りを志願したのは私であり、当初一人でもいいと言ったのも私である。いや、三十になって言うのもなんだけど、お花見の場所取りってしたことなかったから甘く見てたのよ。
がっくり肩を落として、その辺の木陰で用を足す可能性すら真剣に検討している自分が悲しい。
【何とかと阿久津は風邪を引かないと思ってました】
悔しさに、憎まれ口の一つでも、とかじかむ手で返信すると、
【それ、俺は馬鹿と別枠ってことで何の厭味にもなってないぞ】
返事は相変わらず偉そうだった。
くっそー。阿久津め。阿久津めっ。
何を返してやろうかと考えていたら、違う人からもメッセージが入る。神崎さんだ。
げ、もしかして子どもさんダウンした?
神崎さん夫妻は、今日声をかけたメンバーのうち唯一の子連れだ。元から子どもの様子次第ではドタキャンも有り得ると聞いてはいたが、阿久津さんからの連絡の直後で心がナイーブになっている私はドキドキしながらメッセージを開く。
【礼奈が発熱。阿久津もう来た?】
神崎さんの子どもは三人。上から四、二歳半、一歳で男、男、女。礼奈とは一番下の女の子だ。
【阿久津さん風邪でダウンです。じゃあ、アヤさんも来れない感じ?】
返すと電話が来た。
「もしもしー?」
『江原?一人で大丈夫か?』
「いや、そろそろトイレ的な意味できついんですけど」
『阿久津、昨日喉の調子悪いからアルコール消毒するとか言ってたけど、やっぱりか』
「うわ。何なの阿久津さん。ほんと馬鹿なの」
『悪いな。同期の不始末だから、俺だけでも行くようにと思ってーー礼奈、喉が痛いらしくて母乳しか飲まなくてさ。彩乃は出られそうにない』
彩乃、は神崎さんの奥さんで、私はアヤさんと呼んでいる。仕事的には私の前任者だ。阿久津さんが言うには、アヤさんが子どもを産むために異動を希望し、私が代打に立たされたらしい。
今、私がいるのはシングル率の高さで有名な財務部。離婚した人すらいると聞けばアヤさんが出て行きたいと言ったのも頷ける。
仕事はハードだが、昇進コースであるので、結婚も出産も考えず仕事に生たい私にとっては、チャンスを貰えてありがたい。
「安田さんが代わりに来てくれるらしいんですけど」
『つってあいつ時間にルーズだからな。名取さんも朝弱いし、そもそも今の段階で起きてるか怪しいぞ。電話してやろうか?』
阿久津さんのメッセージにあった、ジョーというのは安田丈さん。私と直接的な繋がりはないけど、彼の奥さんのヨーコさんはわたしと同じ部署の先輩なので、比較的交流のある方だと思う。
「えーと。じゃお願いします」
それはそれとして、トイレ行きたい。
と、ついつい口をつきそうになったが堪える。そんなことを今神崎さんに言ったってどうにもならない。
電話を切って嘆息すると、先ほど三人で歩いていた青年がうろついているのが見えた。駄目元で一緒させてもらえるところや何時ごろ空くかを確認して回っているらしい。
「あのぅ」
声をかけられて、私はこれだ!と立ち上がった。
「そこの青年!人柄を見込んで頼みがある!」
「は、はいっ?」
びしりと指を突きつけられた青年は、目をぱちぱちと瞬かせながら、ぽかんとした顔で私を見ていた。
広げたビニールシートが飛びそうになり、慌てて押さえた。
やれやれと息をつき、やっぱりショールじゃ重しにならなかったかと辺りを見回す。先ほども探したのだから当然だが、ちょうどいい石が見つかるはずもなく、嘆息した。
そうだ。靴を脱いでしまえばいい。重しが何もないからと、鞄、ショール、スマホと水筒の四つで角を押さえていたのだが、靴を使えばショールとスマホが回収できる。いや、この肌寒さなら回収すべきは白湯の入った水筒だろうか。
それにしても、四月頭の花見の季節、夜から場所を取る人もいると聞くが、朝方から来ておいてよかった。八時現在、もう桜が見える辺りの地面はあらかた色鮮やかなシートで埋まっている。
自分が言い出しておいて場所が取れません、なんてなったら、きっと怒られるーーいや、そんなこともないか。じゃあ誰かの家で飲むかという話になるかも。そう考えると先輩に恵まれている。
今日は会社の先輩と花見だ。先述のとおり言い出しっぺは私。決して社外に友達がいないからじゃない。先輩たちがいい酒とツマミを持ってきてくれるのを期待しているのだ。とは、当人たちにもしっかりバレているから気が楽だが。
靴を脱いでビニールシートに上がると、地面の冷たさがお尻に伝わってきた。うわ、これ寒い。せめてジーパンでよかったと思いつつ、回収して首に巻いたショールをお尻の下に敷く。ビニールシートも安売りで薄いものだったから余計だろう。
場所取りをして一時間。もう少しで先輩の一人が来るはず。
「あらー、もう場所無いね」
「ほんとだ。どうします?」
「あそこ空いてますけど」
「そこじゃ桜ほとんど見えませんね」
「いいんじゃない、みんなどうせ飲みたいだけなんだから」
男一人に女が二人。男は30に届くかどうか、女は20代前半と30代前半くらいか。
その気乗りしないトーンから察するに、きっと会社の花見だろう。前時代的なイベントを続けている会社もあるものだと妙な感心をする。我が社は外資系で、歓送迎会すらほとんどしない。
ーーまだかなぁ、阿久津さん。トイレ行きたくなってきた。
自分に次いで来る予定の先輩を思いつつ、冷えた手に息を吹きかける。そのときスマホが鳴った。かじかむ手でロックを解除する。
「ーーえっ」
【悪いけど、熱出て行けなくなった。ジョーに頼んだから、あと三十分待ってろ。】
「なんって偉そうなキャンセル連絡……」
八つ年上の先輩の顔を思い出しつつ歯ぎしりする。私のトイレどうしてくれんだ。あと十分待てても三十分は無理だぞ。膀胱炎にでもなったらどうしてくれる、治療費はしっかりもらうからなっ。
思いつつ、そもそも場所取りを志願したのは私であり、当初一人でもいいと言ったのも私である。いや、三十になって言うのもなんだけど、お花見の場所取りってしたことなかったから甘く見てたのよ。
がっくり肩を落として、その辺の木陰で用を足す可能性すら真剣に検討している自分が悲しい。
【何とかと阿久津は風邪を引かないと思ってました】
悔しさに、憎まれ口の一つでも、とかじかむ手で返信すると、
【それ、俺は馬鹿と別枠ってことで何の厭味にもなってないぞ】
返事は相変わらず偉そうだった。
くっそー。阿久津め。阿久津めっ。
何を返してやろうかと考えていたら、違う人からもメッセージが入る。神崎さんだ。
げ、もしかして子どもさんダウンした?
神崎さん夫妻は、今日声をかけたメンバーのうち唯一の子連れだ。元から子どもの様子次第ではドタキャンも有り得ると聞いてはいたが、阿久津さんからの連絡の直後で心がナイーブになっている私はドキドキしながらメッセージを開く。
【礼奈が発熱。阿久津もう来た?】
神崎さんの子どもは三人。上から四、二歳半、一歳で男、男、女。礼奈とは一番下の女の子だ。
【阿久津さん風邪でダウンです。じゃあ、アヤさんも来れない感じ?】
返すと電話が来た。
「もしもしー?」
『江原?一人で大丈夫か?』
「いや、そろそろトイレ的な意味できついんですけど」
『阿久津、昨日喉の調子悪いからアルコール消毒するとか言ってたけど、やっぱりか』
「うわ。何なの阿久津さん。ほんと馬鹿なの」
『悪いな。同期の不始末だから、俺だけでも行くようにと思ってーー礼奈、喉が痛いらしくて母乳しか飲まなくてさ。彩乃は出られそうにない』
彩乃、は神崎さんの奥さんで、私はアヤさんと呼んでいる。仕事的には私の前任者だ。阿久津さんが言うには、アヤさんが子どもを産むために異動を希望し、私が代打に立たされたらしい。
今、私がいるのはシングル率の高さで有名な財務部。離婚した人すらいると聞けばアヤさんが出て行きたいと言ったのも頷ける。
仕事はハードだが、昇進コースであるので、結婚も出産も考えず仕事に生たい私にとっては、チャンスを貰えてありがたい。
「安田さんが代わりに来てくれるらしいんですけど」
『つってあいつ時間にルーズだからな。名取さんも朝弱いし、そもそも今の段階で起きてるか怪しいぞ。電話してやろうか?』
阿久津さんのメッセージにあった、ジョーというのは安田丈さん。私と直接的な繋がりはないけど、彼の奥さんのヨーコさんはわたしと同じ部署の先輩なので、比較的交流のある方だと思う。
「えーと。じゃお願いします」
それはそれとして、トイレ行きたい。
と、ついつい口をつきそうになったが堪える。そんなことを今神崎さんに言ったってどうにもならない。
電話を切って嘆息すると、先ほど三人で歩いていた青年がうろついているのが見えた。駄目元で一緒させてもらえるところや何時ごろ空くかを確認して回っているらしい。
「あのぅ」
声をかけられて、私はこれだ!と立ち上がった。
「そこの青年!人柄を見込んで頼みがある!」
「は、はいっ?」
びしりと指を突きつけられた青年は、目をぱちぱちと瞬かせながら、ぽかんとした顔で私を見ていた。
1
あなたにおすすめの小説
つまらない妃と呼ばれた日
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。
舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。
さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。
リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。
――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
公爵令嬢は結婚式当日に死んだ
白雲八鈴
恋愛
今日はとある公爵令嬢の結婚式だ。幸せいっぱいの公爵令嬢の前に婚約者のレイモンドが現れる。
「今日の結婚式は俺と番であるナタリーの結婚式に変更だ!そのドレスをナタリーに渡せ!」
突然のことに公爵令嬢は何を言われたのか理解できなかった。いや、したくなかった。
婚約者のレイモンドは番という運命に出逢ってしまったという。
そして、真っ白な花嫁衣装を脱がされ、そのドレスは番だという女性に着させられる。周りの者達はめでたいと大喜びだ。
その場所に居ることが出来ず公爵令嬢は外に飛び出し……
生まれ変わった令嬢は復讐を誓ったのだった。
婚約者とその番という女性に
『一発ぐらい思いっきり殴ってもいいですわね?』
そして、つがいという者に囚われた者の存在が現れる。
*タグ注意
*不快であれば閉じてください。
【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない
くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、
軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。
言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。
――そして初めて、夫は気づく。
自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。
一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、
「必要とされる存在」として歩き始めていた。
去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。
これは、失ってから愛に気づいた男と、
二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。
――今さら、遅いのです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる