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第一章 こちふかば
10 身を呈す
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小一時間したとき、神崎さんが腕時計を見て腰を上げた。靴を履く神崎さんをぼんやり見ていると、
「トイレ行ってくる。あいつらの」
私の視線に気づいたらしい神崎さんは、言いながら靴紐を縛った。
「遊んでると行くの忘れちゃいますもんね。トイレ」
「そーそー。汚れても大丈夫なように、一応着替えは持ってきたけどな」
神崎さんの靴はスニーカーだが、足首まで長さのあるデザインだ。
上の方まで、ちゃんと締めながら紐を閉めていく手つきを見ながらふぅんとぼやく。
「めんどくさくないんですか、紐」
「あー、まあめんどくさいっちゃめんどくさいけど」
神崎さんは紐をくくり終えると立ち上がった。
「一度捻挫して以来、怖くて駄目だな。いちいち結び直さないと」
「バスケの試合で?」
「そうそう。試合の途中で靴紐解けて、気づかないままプレーしてた」
「あっぶなー」
「審判が気づきゃ止めてくれんだけどな」
じゃあ行ってくるわ、と手を挙げて去っていく。軽く駆け寄っていく姿にバスケ少年の面影を見つつ、焼酎をまた一口喉に流し込んだ。
「アキちゃん、マーシーのバスケ姿見たことあるんやろ」
「え、無いですよ。ーーあー、一瞬あるかも」
神崎さんと出会ったのは七年前、福岡にある九州支社でのことだ。なかなか協力を取り付けられない団体がいて、本社からの応援社員として配属されたのが神崎さんだった。ちょうどその責任者の孫がバスケを始めたところだったので、神崎さんが教える代わりに、取り引きが円滑に進むことになったーーと、あらすじを話せばこんな感じか。
その孫と神崎さんが出会ったときに、私は一緒にいたのだ。
「確かにあのときはキレキレだった気がしますけど、もう七年前ですもんねぇ」
「ええなぁ。うちも見たいわ」
「見られるんじゃないですか?悠人くん、やらないかなぁ。バスケ」
ああでも悠人くんがバスケなんか始めちゃったらそれこそ女の子がたくさん寄って来るに違いない。となれば構ってもらえなくなってしまうかしら。お姉さん寂しいわぁ。
そんな数年後の妄想に浸っていたら、咲也くんがへぇと声を出した。
「へぇ。バスケやってたんですね、政人さん。モテただろうなぁ」
「でしょうねー。……え、話してもいいんですかね、色々」
私はついつい目を輝かせてヨーコさんに問う。だって細かく話せば、面白いネタ満載なんだもの。主に彼の駄々漏れな魅力のおかげで。
「え?何かあるんですか?」
「そりゃあもう」
「今日はやめとき、アキちゃん」
ヨーコさんはコップを唇に当てつつ静かに窘めた。私は肩を竦める。
「はぁい」
ーーでも。
「“今日は“ですか?」
あえて、としか思えない、含みのある言いぶりだ。私はヨーコさんの表情を伺う。ヨーコさんは黙ったまま微笑んだ。
「あー、腹減ったぁ」
息子二人を引き受けた神崎さんの代わりに、安田さんが帰ってきた。
「お疲れさん」
ヨーコさんがコップに赤ワインを注いで差し出す。安田さんはそれを受け取って、妻の耳元に口を寄せる。
「ヨーコさんのキスがあればすぐ復活しますけど」
「もう昼やのにまだ寝ぼけてはるんか。早よご飯食べて目ぇ覚ましぃ」
ドライな対応は相変わらずだが、安田さんは嬉しそうに笑うだけだ。ドMといえばこの人こそと思えるが、どうなんだろう。思いはするが、この夫婦を掘り下げると自爆する可能性があるので、その辺のことはあんまり考えない方が良さそうだ。
「お姉ちゃん、どうだい日本酒は」
咲也くんの会社の先輩らしい人が酒瓶片手にやって来た。赤らんだ顔はその酔い具合を示している。それがヨーコさんにたどり着く前に、私はコップの中のものをぐいと飲み干して笑顔で差し出した。
「大好物です。喜んでいただきます!」
安田夫妻が目を見合わせてから私に微笑みかける。
あ、安田さんのその爽やかな笑顔、結構貴重。いいもん見たわと思いつつ、おじさんから酌を受けた。
「トイレ行ってくる。あいつらの」
私の視線に気づいたらしい神崎さんは、言いながら靴紐を縛った。
「遊んでると行くの忘れちゃいますもんね。トイレ」
「そーそー。汚れても大丈夫なように、一応着替えは持ってきたけどな」
神崎さんの靴はスニーカーだが、足首まで長さのあるデザインだ。
上の方まで、ちゃんと締めながら紐を閉めていく手つきを見ながらふぅんとぼやく。
「めんどくさくないんですか、紐」
「あー、まあめんどくさいっちゃめんどくさいけど」
神崎さんは紐をくくり終えると立ち上がった。
「一度捻挫して以来、怖くて駄目だな。いちいち結び直さないと」
「バスケの試合で?」
「そうそう。試合の途中で靴紐解けて、気づかないままプレーしてた」
「あっぶなー」
「審判が気づきゃ止めてくれんだけどな」
じゃあ行ってくるわ、と手を挙げて去っていく。軽く駆け寄っていく姿にバスケ少年の面影を見つつ、焼酎をまた一口喉に流し込んだ。
「アキちゃん、マーシーのバスケ姿見たことあるんやろ」
「え、無いですよ。ーーあー、一瞬あるかも」
神崎さんと出会ったのは七年前、福岡にある九州支社でのことだ。なかなか協力を取り付けられない団体がいて、本社からの応援社員として配属されたのが神崎さんだった。ちょうどその責任者の孫がバスケを始めたところだったので、神崎さんが教える代わりに、取り引きが円滑に進むことになったーーと、あらすじを話せばこんな感じか。
その孫と神崎さんが出会ったときに、私は一緒にいたのだ。
「確かにあのときはキレキレだった気がしますけど、もう七年前ですもんねぇ」
「ええなぁ。うちも見たいわ」
「見られるんじゃないですか?悠人くん、やらないかなぁ。バスケ」
ああでも悠人くんがバスケなんか始めちゃったらそれこそ女の子がたくさん寄って来るに違いない。となれば構ってもらえなくなってしまうかしら。お姉さん寂しいわぁ。
そんな数年後の妄想に浸っていたら、咲也くんがへぇと声を出した。
「へぇ。バスケやってたんですね、政人さん。モテただろうなぁ」
「でしょうねー。……え、話してもいいんですかね、色々」
私はついつい目を輝かせてヨーコさんに問う。だって細かく話せば、面白いネタ満載なんだもの。主に彼の駄々漏れな魅力のおかげで。
「え?何かあるんですか?」
「そりゃあもう」
「今日はやめとき、アキちゃん」
ヨーコさんはコップを唇に当てつつ静かに窘めた。私は肩を竦める。
「はぁい」
ーーでも。
「“今日は“ですか?」
あえて、としか思えない、含みのある言いぶりだ。私はヨーコさんの表情を伺う。ヨーコさんは黙ったまま微笑んだ。
「あー、腹減ったぁ」
息子二人を引き受けた神崎さんの代わりに、安田さんが帰ってきた。
「お疲れさん」
ヨーコさんがコップに赤ワインを注いで差し出す。安田さんはそれを受け取って、妻の耳元に口を寄せる。
「ヨーコさんのキスがあればすぐ復活しますけど」
「もう昼やのにまだ寝ぼけてはるんか。早よご飯食べて目ぇ覚ましぃ」
ドライな対応は相変わらずだが、安田さんは嬉しそうに笑うだけだ。ドMといえばこの人こそと思えるが、どうなんだろう。思いはするが、この夫婦を掘り下げると自爆する可能性があるので、その辺のことはあんまり考えない方が良さそうだ。
「お姉ちゃん、どうだい日本酒は」
咲也くんの会社の先輩らしい人が酒瓶片手にやって来た。赤らんだ顔はその酔い具合を示している。それがヨーコさんにたどり着く前に、私はコップの中のものをぐいと飲み干して笑顔で差し出した。
「大好物です。喜んでいただきます!」
安田夫妻が目を見合わせてから私に微笑みかける。
あ、安田さんのその爽やかな笑顔、結構貴重。いいもん見たわと思いつつ、おじさんから酌を受けた。
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