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第一章 こちふかば
31 馴染みのバーの常連客
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ある日、咲也を誘ったが色よい返事がもらえなかったので、仕方なく自宅近くのバーへ足を運んだ。咲也と出会うまでは足しげくーー下手すると隔日ペースで通った店で、夫婦で経営しているのだがその掛け合いがなんとも楽しいのだ。
咲也と会ってからは頻度が減ったものの、一杯だけ立ち寄る店としてはいまだに毎週のように顔を出している。
「こんばんはー」
「あ。あきちゃん。こんばんは」
にこりと笑顔で挨拶を返してくれるのはマリさん。この店の料理は調理師資格を持つこのマリさんが作ってくれて、どれも美味しい。とはいえ基本的には飲み屋なので、常連や運がいいときしかご馳走にあずかれないが。
「ご飯はもう食べた?今ちょうどミートソースがあるから、パスタならすぐできるわよ」
「うわっはー!うれしー!いただきます」
諸手を挙げて喜ぶと、マリさんは人懐っこい笑顔で笑った。私はお気に入りのカウンター席に腰かける。椅子が高くて足が地面に届かない感じを、足をぶらつかせて楽しみながら、頬杖をついた。
「でも、珍しいですね。ツマミじゃなくてメイン系の料理」
マリさんがパスタを茹でる背中を見ながら、夫のゼンさんに話しかける。ゼンさんは私の好みを知っているので、何も言わなくてもいつもの焼酎と、ちょっとしたツマミを出してくれた。
「丁度リクエストがあったからさ」
言いながら目線で私の席より奥のカウンター席を示す。そこには確かに誰かがいるらしく、タバコの箱とライターが置きっぱなしだが、今はお手洗いか何かのようで人は座っていない。ふぅんと言いながらグラスを口につけると、お手洗いから男性が戻って来た。
「そっか、二人ともあきらなんだ」
不意にマリさんが声を上げた。ゼンさんがおお、と同意する。私は目をぱちくりしながら、カウンターの中と外を交互に見やる。
「なに、急に」
男性は笑いながら手元のタバコをつける。ふと私の目線がその手に向く。タバコを扱う手つきってどうしてこんなに色っぽく見えるんだろう。男性の手の甲、第三関節の膨らみは、タコのように硬くなっている。ボクシングか何かやっているんだろうか。そう思って見ると、肩や腕も平均的な男性に比べれば太いように思える。
「あきちゃんもあきらでしょ。で、あきらくんもあきらだ」
ゼンさんの言葉に、何のこっちゃいと思いつつ笑う。男性も笑って私に目を向けた。
「君もあきらって名前なの?」
「ええ、まあ」
「漢字は?」
「ないんです。うちの親、男だと思いこんで準備してたらしくて」
「そうなんだ」
「そっちは?」
「日に光で晃」
「ああ、ちょうど私につけようとしてた漢字と一緒だ」
「すごーい。名前一つでもすごい偶然じゃない?」
マリさんが笑いながらパスタを引き上げ、皿に盛りつけてくれた。
「はい、どーぞ」
「いっただっきまーす」
「あきちゃんはいつもおいしそうに食べてくれるから嬉しいわ」
「だっておいしいですもん。うーん、いい匂い」
私はフォークにパスタを巻き付けて、一口放り込んだ。
「おいしい」
しっかり飲み込んでから、
「晃さんのおかげで得しちゃった。夕飯作るのも面倒だし、ツマミだけで終わりにしようかと思ってた」
「それ、君、どんな食生活してるのか心配になる話だね」
「教科書通りじゃないのは確かです」
私が肩をすくめて見せると、晃さんは笑った。どちらかというとキツイ顔立ちが、笑顔になると一気に人懐っこく見える。
「じゃ、気が向いたときにはうちの店にも来てよ」
「え?」
「晃くん、近所でレストランバーやってるの。知らない?ここから十分ぐらい歩いたところ」
道を詳しく聞いてみると、ああ、と納得した。気になりながらも入ったことのない店だ。
「あそこかぁ。え?でも今日はサボり?」
「木曜定休。個人店の店長がサボったら店開けないよ」
私がなるほどと手を打つと、晃さんはまた笑った。
「君面白い子だね。俺もあきちゃんて呼んでいい?」
「ああ、どうぞ。私は晃さんて呼びますね」
この家庭的な雰囲気のバーで常連と顔見知りになるのは珍しいことじゃない。私と晃さんはくだらない話で盛り上がった。
咲也と会ってからは頻度が減ったものの、一杯だけ立ち寄る店としてはいまだに毎週のように顔を出している。
「こんばんはー」
「あ。あきちゃん。こんばんは」
にこりと笑顔で挨拶を返してくれるのはマリさん。この店の料理は調理師資格を持つこのマリさんが作ってくれて、どれも美味しい。とはいえ基本的には飲み屋なので、常連や運がいいときしかご馳走にあずかれないが。
「ご飯はもう食べた?今ちょうどミートソースがあるから、パスタならすぐできるわよ」
「うわっはー!うれしー!いただきます」
諸手を挙げて喜ぶと、マリさんは人懐っこい笑顔で笑った。私はお気に入りのカウンター席に腰かける。椅子が高くて足が地面に届かない感じを、足をぶらつかせて楽しみながら、頬杖をついた。
「でも、珍しいですね。ツマミじゃなくてメイン系の料理」
マリさんがパスタを茹でる背中を見ながら、夫のゼンさんに話しかける。ゼンさんは私の好みを知っているので、何も言わなくてもいつもの焼酎と、ちょっとしたツマミを出してくれた。
「丁度リクエストがあったからさ」
言いながら目線で私の席より奥のカウンター席を示す。そこには確かに誰かがいるらしく、タバコの箱とライターが置きっぱなしだが、今はお手洗いか何かのようで人は座っていない。ふぅんと言いながらグラスを口につけると、お手洗いから男性が戻って来た。
「そっか、二人ともあきらなんだ」
不意にマリさんが声を上げた。ゼンさんがおお、と同意する。私は目をぱちくりしながら、カウンターの中と外を交互に見やる。
「なに、急に」
男性は笑いながら手元のタバコをつける。ふと私の目線がその手に向く。タバコを扱う手つきってどうしてこんなに色っぽく見えるんだろう。男性の手の甲、第三関節の膨らみは、タコのように硬くなっている。ボクシングか何かやっているんだろうか。そう思って見ると、肩や腕も平均的な男性に比べれば太いように思える。
「あきちゃんもあきらでしょ。で、あきらくんもあきらだ」
ゼンさんの言葉に、何のこっちゃいと思いつつ笑う。男性も笑って私に目を向けた。
「君もあきらって名前なの?」
「ええ、まあ」
「漢字は?」
「ないんです。うちの親、男だと思いこんで準備してたらしくて」
「そうなんだ」
「そっちは?」
「日に光で晃」
「ああ、ちょうど私につけようとしてた漢字と一緒だ」
「すごーい。名前一つでもすごい偶然じゃない?」
マリさんが笑いながらパスタを引き上げ、皿に盛りつけてくれた。
「はい、どーぞ」
「いっただっきまーす」
「あきちゃんはいつもおいしそうに食べてくれるから嬉しいわ」
「だっておいしいですもん。うーん、いい匂い」
私はフォークにパスタを巻き付けて、一口放り込んだ。
「おいしい」
しっかり飲み込んでから、
「晃さんのおかげで得しちゃった。夕飯作るのも面倒だし、ツマミだけで終わりにしようかと思ってた」
「それ、君、どんな食生活してるのか心配になる話だね」
「教科書通りじゃないのは確かです」
私が肩をすくめて見せると、晃さんは笑った。どちらかというとキツイ顔立ちが、笑顔になると一気に人懐っこく見える。
「じゃ、気が向いたときにはうちの店にも来てよ」
「え?」
「晃くん、近所でレストランバーやってるの。知らない?ここから十分ぐらい歩いたところ」
道を詳しく聞いてみると、ああ、と納得した。気になりながらも入ったことのない店だ。
「あそこかぁ。え?でも今日はサボり?」
「木曜定休。個人店の店長がサボったら店開けないよ」
私がなるほどと手を打つと、晃さんはまた笑った。
「君面白い子だね。俺もあきちゃんて呼んでいい?」
「ああ、どうぞ。私は晃さんて呼びますね」
この家庭的な雰囲気のバーで常連と顔見知りになるのは珍しいことじゃない。私と晃さんはくだらない話で盛り上がった。
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