さくやこの

松丹子

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第三章 さくらさく

84 力不足

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 涙が落ち着いたとき、私は腕を咲也の首に巻付けたまま、咲也、と呼んだ。
「なぁに?」
 咲也は柔らかく答える。その調子は悔しいくらいいつもの咲也で、一人で号泣していた自分が馬鹿みたいに思える。絡めた腕に力を込めた。
「私、あんたのこと好きだよ」
「知ってる」
 咲也は当然のように即答し、くすくすと笑う。
 その振動が心地好くて、私は目を閉じた。
 絡めた腕から、咲也の温もりが伝わって来る。
 首筋に近いからか、目を閉じていると、わずかに自分の鼓動と違うリズムが感じられた。
 今、まだ、咲也は生きている。私の腕の中で。
「咲也」
「うん」
「少しの間だけでもーー一緒にいられて、よかった」
 せめて伝えたい感謝を、口に乗せると、
「俺も」 
 咲也は静かに同意して、私の背中をさすった。
 伝わってくる咲也の鼓動を確かめるように、私は咲也の首筋に額をつける。
 女とは違う筋張った首筋が、私の額に当たった。
 とく、とく、とく、とく――
 この鼓動も、いつか、動きを止めるのだろうか。
 私のいない場所でーー
 途端に、止まっていた涙が、また頬を濡らしはじめる。
 私は咲也の肩に顔をうずめた。
 咲也から、生きるという意思を示す言葉を聞けなかったことにーーそしてそれが意味するところに、私は気付かないフリができなかった。
 ーー私には、咲也をこの世に留める力がないんだ。
 それが、ただひたすらに悔しかった。
 ――誰だったら、咲也を引き留められるんだろう。
 もし、私が神崎さんだったら――咲也は一緒に生きようと思っただろうか。
 誰もを魅了する魅力を備えたあの人だったら。
 そんなことを考えて、馬鹿馬鹿しいと思い直す。
 私は、神崎さんにはなれない。なりたくったって、到底、なれない。
 でも、だからこそ、出会えたのだ。一緒にいられたのだ。咲也と。
 私は思って、咲也に気づかれないよう、小さく息を吐き出した。
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