明日のために、昨日にサヨナラ(goodbye,hello)

松丹子

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.第4章 高校3年

94 お守り(2)

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 年明けからは短縮日程で、授業は午前中だけで終わる。どうせ真面目に出席する生徒も限られるし、午後は丸々自宅で勉強できるようにという配慮だろう。
 帰宅しようとリュックを背負うと、慶次郎が「お疲れ」と声をかけてきた。私は顔を上げて「おつ」と返す。
 二人で廊下を歩きながら、慶次郎が「あと一週間もすれば試験続きか」とぼやく。

「そうだね。もういっそ、早く来て欲しいような、もうちょっと待ってて欲しいような」
「集中力も保たねぇしな」

 だよねぇ、と同意する。がんばるにも限度があるし、頭の中はもう受験対策のあれこれですし詰め状態だ。

「一緒に帰んないの?」
「もう、さすがにな。午前中で終わるのに、わざわざ待ってんのはしんどい」

 昇降口に向かいながら交わす会話は、あえて誰、とは言わなくても伝わって、照れもせず答える姿がちょっとうらやましい。
 私は「ふぅん」とあいづちを打った。

「高木はもう帰ったの?」
「うん。出席足りてる授業は出ないって言って、途中で帰った」
「割り切ってんなぁ、相変わらず」

 私の答えに、慶次郎は半眼でため息をつく。私は笑ってから訊ねた。

「そういえば、経済学部は何日なの? 試験」

 偶然にも、慶次郎は私と志望大学が一緒だ。私は文学部、彼は経済学部だから、試験日程も内容も違うけど。

「14日」
「えっ、バレンタインデーじゃん」
「バレンタインデー? 今年は関係ねぇだろ」

 慶次郎が呆れたように半眼になるので、私は唇を尖らせた。

「えー、でもあーちゃんは?」
「さぁ」
「ドライだなー」

 不満顔の私に、慶次郎は苦笑を返す。

「受験生って分かってるし、応援してくれてんだろ」

 そうかもしれないけど。でも来年も、あーちゃんが受験だから一緒に過ごせないかもじゃん。

「お前は?」
「何が?」
「試験」
「13」

 慶次郎は「へぇ」と言ってにやりとした。

「じゃ、バレンタインデーはゆっくり過ごせんじゃん。予定あんの?」
「そんなのあるわけ……」

 私は笑いかけて、途中で引っ込めた。
 ふとよぎった栄太兄の姿を、軽く首を振って掻き消す。

 いやいや、違う。これはただの、小夏のせいだ。

「お父さんの誕生日パーティだな」

 自信を持って断言すると、慶次郎は一瞬ぽかんとした後で「ああ」とあいづちを打った。

「……そういや、お前の父さん、バレンタインデーが誕生日だったっけ」
「うん、そうなの」

 ふふふと笑うと、慶次郎が苦笑する。その話題になったのは中学のときだっただろうか。
 バレンタインデーは誰にあげるだのあげないだの、騒がれるのが面倒くさくて、「私にとってはお父さんの誕生日だから」と答えてごまかしていたのだ。
 そのときも慶次郎は驚いた顔をしていたのだった。「そりゃ難儀な日に産まれたもんだな」なんて言って。
 あれからもう3年。過ぎてみればあっという間だ。
 ずっと一緒にいる慶次郎とも、少しずつ関係が変わってきたし。
 こうやって大人になっていくもんなのね、人っていうのは。

「そうかそうか、ファザコンを隠す気はなくなったんだな。こりゃ大学に入れたとしてもお一人様コースまっしぐらだな、おめでとう」
「うっ、うるさいなっ」

 私は顔を赤くして、放っといてよ! と一足先に歩いていく。
 私の背中を見た慶次郎は、「……ふぅん」と思わしげな声で呟いた。

「北野天満宮……」

 ぎくっ。

「こっちは金閣寺……」
「あ、えと、これはほら、花火大会のときの従兄が」
「知ってる」

 振り向きながら取り繕って、半ば無意識にリュックについたお守りを押さえようと手を伸ばしたけれど、慶次郎はもう興味を無くしたらしかった。あっさりそう答えて、スタスタと靴箱へ向かう。

「知ってるって……?」

 ど、どういうこと?
 もしかして、小夏に話聞いた?

 私は頭にクエスチョンマークをいっぱい浮かべたけれど、慶次郎は淡々と靴を履き替えているだけだ。しゃがみ込んで、解いてある紐を結び直す。その指先は男の人らしい節があるけど、すらりと長い。
 そういえば、中学時代にすでに、片手でバスケボールを持てるとかなんとか、自慢していたっけ。
 またしても懐かしいことを思い出しつつ、ふと訊いた。

「……慶次郎はどうして、靴紐いちいち結び直すの」

 別に理由なんてないかもしれないけど、そんな男子は珍しい。慶次郎はちらりと目だけで私を見上げて、「はー」とため息をつきながら立ち上がった。

「お前の鈍感さ、どうにかなんないの」

 呟くようにそう言い残して、慶次郎はじゃあなと歩き出す。久々に小馬鹿にされて、イラッとする。
 どういう意味、と問い詰めようと、急いで靴を履きかけたけれど、勝巳くんがその背中に衝突して合流したから、追いかけるのをやめた。

 なによ、鈍感って。訳わかんない。
 やっぱムカつく、慶次郎のやつ。

 私は慶次郎の背中に思い切りしかめっ面をして、ぷんぷんしながら靴を履き替えた。
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