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.第4章 高校3年
95 要注意人物
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年明けの受験生に、受験以外のことで悩む余裕なんてない。全国共通テストを終え、ひとまず足切りは免れてほっとしたのもつかの間、次は大学の独自試験に向けての勉強に注力する。
全国共通テストとは異なり、論述式の解答がメインになるのがこの独自試験だ。
私は文系だから、英語と国語。英語の長文読解や文章記述は、過去問を解いて両親に見てもらった。二人が勤める会社はアメリカ発で、英語を公用語にしているから、だいたいは確認してもらえる。父などは英文科出身なので、特にありがたかった。
両親からは、現役で語学大学に通う健人兄に見てもらった方が間違いないんじゃないかと言われたけど、絶対嫌だったから断った。
そりゃ、ちゃんと見てくれるとは思うけど、解答を教えてくれるときに余計なことを2、3言われるのが目に見えているもの。
ただでさえ試験の前で精神的に消耗しているのに、健人兄に遊ばれるなんてまっぴらだ。
そんなわけで、アドバイスに限らず、私は自然と健人兄を避けて生活するようになっていた。
まあ、元々生活リズムの合わない健人兄だったから、気付かることもないだろうと高をくくっていた。
けれど、健人兄は人の機微に、父譲りの敏感さを持つのだ。
ーーと思い出したのは、ある朝ドアをノックされ、相手を確認もせずドアを開けたときだった。
「やあ。おはよう、かわいい妹よ。爽やかな朝だね」
ーーって、まだ6時前だし日の出前だけど。
無駄に爽やかな笑顔で立っている健人兄を半眼で睨みつけて、ため息をつく。
「……まだ眠いんだけど」
「まあそうだろうな! 5時半だからな!」
あくまで明るく爽やかな態度が余計苛立ちを誘う。
ったく、この人受験生何だと思ってんの。一日一日が勝負なんですけど。生活リズム崩されるの困るんですけど。
「で、どーなんだ勉強は」
ずかずかと部屋に入り込んできた兄は、椅子を引き寄せて背もたれを脚に挟むように座った。居座るぞと言わんばかりの態度に、私は深々とため息をつく。
「寝かせてよ」
「そんなパンの生地じゃないんだから」
「そんなんどうでもいいわ」
なんだこいつ。朝からどんだけハイテンションなんだ。部屋着じゃなくてしっかり着替えも済ませてるし。……いや、待てよ? もしかして……
「健人兄」
「なんだ妹」
「もしかして朝帰り?」
それならナチュラルハイも頷ける。そう思っていたら案の定、
「いやー、昨日、栄太兄と会ってたらさー、話盛り上がっちゃって。始発で帰ってきて、まずはお前の顔を愛でに来たってわけ!」
要らない……そんな愛要らない……いや、愛じゃないよね、ただの意地悪だよね……?
いまいち眠気が抜け切らない頭じゃうまく考えられない。苛立ちばかりがつのっていくのを目をつぶってやりすごし、
「……で?」
「うわ、冷たっ。氷のような冷たさね、礼奈チャン!」
「……本命大学の試験を二週間後に控えた受験生をたたき起こすに値する用事があるのかって聞いてるの」
自分でも聞いたことのないくらいの低音で言うと、健人兄はひょいと肩を竦めた。
「だーってさー、なんか礼奈、最近俺のこと避けてたでしょ。寂しいなぁー。一つ屋根の下に住んでる兄としてはさ、もう少し頼って欲しいっつーか、応援してあげたいわけで」
「間に合ってます」
「えー!」
「話がそれだけならもう出て行ってください」
私がその腕をぐいと引っ張ると、健人兄は笑いながら立ち上がった。
「そう邪険にするなって。これ、栄太兄から差し入れ。ほい」
渡されたのは小さな紙袋だった。今度はお守りではないらしい。
受け取ると、中にはお菓子の缶が入っていた。コーヒー豆にチョコレートコーティングしたやつ。
「そういうの、好きだろ。眠気覚ましと脳の栄養にぴったり」
私はお菓子と健人兄の顔を見比べる。
どうにも、栄太兄がこれを選ぶ姿が想像できない。
「今、栄太兄が選びそうにないなーと思ったろ」
ぐ、と喉に声が詰まった。私の思考はバレバレらしい。
渋面になった私を健人兄が笑った。
「そーだよ、俺が選ぶの手伝った。昨年のクリスマスもお守りも、反応がイマイチだったの気にしてたから」
「い、いや……別にイマイチだったわけじゃ……」
せっかくもらったプレゼントだ。人の好意を喜べない人間だと思われたくない。
実際、ペンケースは試験用の筆記具を入れて使っているし、お守りだってかばんにつけてるーー正直、ちょっと邪魔だけど。
「栄太兄さぁ、何かにつけて『礼奈はどうしてる』『がんばっとるか』『痩せたりしてへんか』とかって聞いてくんだよね。元気だよ、とは言ってるけどさ、そういや最近顔見てねぇし、嘘は良くないないなと思って、生存確認がてら会いに来たってわけ」
栄太兄ってば、まるで父親みたい。……実際の父は落ち着いてるんだけど、変なの。
「……ありがと」
「お礼は栄太兄に言って。父さんの誕生日、うちに来るつもりらしいから」
「え、そうなの?」
私は戸惑いながら問う。健人兄はにっ、と笑った。
「お礼に手作りお菓子でもあげれば喜ぶんじゃない? ちょうどバレンタインデーだしさ」
「お礼……」
私は眉を寄せた。またしても、小夏の台詞を思い出す。
「お礼……ね」
「そーそー。お礼、あくまでお礼。誰も本命あげろとは言ってないよ」
私はぱっと顔が赤くなるのを感じた。
「ほ、本命なんてあげるわけないでしょ!」
「あー、はいはい」
健人兄はクスクス笑うと、ひらりと手を振って部屋のドアノブを掴んだ。
「ったく……ほーんと、お前も栄太兄も世話が焼けるよなぁ」
そんなぼやきを言い残して、部屋を出ていく。
どういう意味だろ。
私は思いながら、温もりの残るベッドにもう一度潜り込んだ。
全国共通テストとは異なり、論述式の解答がメインになるのがこの独自試験だ。
私は文系だから、英語と国語。英語の長文読解や文章記述は、過去問を解いて両親に見てもらった。二人が勤める会社はアメリカ発で、英語を公用語にしているから、だいたいは確認してもらえる。父などは英文科出身なので、特にありがたかった。
両親からは、現役で語学大学に通う健人兄に見てもらった方が間違いないんじゃないかと言われたけど、絶対嫌だったから断った。
そりゃ、ちゃんと見てくれるとは思うけど、解答を教えてくれるときに余計なことを2、3言われるのが目に見えているもの。
ただでさえ試験の前で精神的に消耗しているのに、健人兄に遊ばれるなんてまっぴらだ。
そんなわけで、アドバイスに限らず、私は自然と健人兄を避けて生活するようになっていた。
まあ、元々生活リズムの合わない健人兄だったから、気付かることもないだろうと高をくくっていた。
けれど、健人兄は人の機微に、父譲りの敏感さを持つのだ。
ーーと思い出したのは、ある朝ドアをノックされ、相手を確認もせずドアを開けたときだった。
「やあ。おはよう、かわいい妹よ。爽やかな朝だね」
ーーって、まだ6時前だし日の出前だけど。
無駄に爽やかな笑顔で立っている健人兄を半眼で睨みつけて、ため息をつく。
「……まだ眠いんだけど」
「まあそうだろうな! 5時半だからな!」
あくまで明るく爽やかな態度が余計苛立ちを誘う。
ったく、この人受験生何だと思ってんの。一日一日が勝負なんですけど。生活リズム崩されるの困るんですけど。
「で、どーなんだ勉強は」
ずかずかと部屋に入り込んできた兄は、椅子を引き寄せて背もたれを脚に挟むように座った。居座るぞと言わんばかりの態度に、私は深々とため息をつく。
「寝かせてよ」
「そんなパンの生地じゃないんだから」
「そんなんどうでもいいわ」
なんだこいつ。朝からどんだけハイテンションなんだ。部屋着じゃなくてしっかり着替えも済ませてるし。……いや、待てよ? もしかして……
「健人兄」
「なんだ妹」
「もしかして朝帰り?」
それならナチュラルハイも頷ける。そう思っていたら案の定、
「いやー、昨日、栄太兄と会ってたらさー、話盛り上がっちゃって。始発で帰ってきて、まずはお前の顔を愛でに来たってわけ!」
要らない……そんな愛要らない……いや、愛じゃないよね、ただの意地悪だよね……?
いまいち眠気が抜け切らない頭じゃうまく考えられない。苛立ちばかりがつのっていくのを目をつぶってやりすごし、
「……で?」
「うわ、冷たっ。氷のような冷たさね、礼奈チャン!」
「……本命大学の試験を二週間後に控えた受験生をたたき起こすに値する用事があるのかって聞いてるの」
自分でも聞いたことのないくらいの低音で言うと、健人兄はひょいと肩を竦めた。
「だーってさー、なんか礼奈、最近俺のこと避けてたでしょ。寂しいなぁー。一つ屋根の下に住んでる兄としてはさ、もう少し頼って欲しいっつーか、応援してあげたいわけで」
「間に合ってます」
「えー!」
「話がそれだけならもう出て行ってください」
私がその腕をぐいと引っ張ると、健人兄は笑いながら立ち上がった。
「そう邪険にするなって。これ、栄太兄から差し入れ。ほい」
渡されたのは小さな紙袋だった。今度はお守りではないらしい。
受け取ると、中にはお菓子の缶が入っていた。コーヒー豆にチョコレートコーティングしたやつ。
「そういうの、好きだろ。眠気覚ましと脳の栄養にぴったり」
私はお菓子と健人兄の顔を見比べる。
どうにも、栄太兄がこれを選ぶ姿が想像できない。
「今、栄太兄が選びそうにないなーと思ったろ」
ぐ、と喉に声が詰まった。私の思考はバレバレらしい。
渋面になった私を健人兄が笑った。
「そーだよ、俺が選ぶの手伝った。昨年のクリスマスもお守りも、反応がイマイチだったの気にしてたから」
「い、いや……別にイマイチだったわけじゃ……」
せっかくもらったプレゼントだ。人の好意を喜べない人間だと思われたくない。
実際、ペンケースは試験用の筆記具を入れて使っているし、お守りだってかばんにつけてるーー正直、ちょっと邪魔だけど。
「栄太兄さぁ、何かにつけて『礼奈はどうしてる』『がんばっとるか』『痩せたりしてへんか』とかって聞いてくんだよね。元気だよ、とは言ってるけどさ、そういや最近顔見てねぇし、嘘は良くないないなと思って、生存確認がてら会いに来たってわけ」
栄太兄ってば、まるで父親みたい。……実際の父は落ち着いてるんだけど、変なの。
「……ありがと」
「お礼は栄太兄に言って。父さんの誕生日、うちに来るつもりらしいから」
「え、そうなの?」
私は戸惑いながら問う。健人兄はにっ、と笑った。
「お礼に手作りお菓子でもあげれば喜ぶんじゃない? ちょうどバレンタインデーだしさ」
「お礼……」
私は眉を寄せた。またしても、小夏の台詞を思い出す。
「お礼……ね」
「そーそー。お礼、あくまでお礼。誰も本命あげろとは言ってないよ」
私はぱっと顔が赤くなるのを感じた。
「ほ、本命なんてあげるわけないでしょ!」
「あー、はいはい」
健人兄はクスクス笑うと、ひらりと手を振って部屋のドアノブを掴んだ。
「ったく……ほーんと、お前も栄太兄も世話が焼けるよなぁ」
そんなぼやきを言い残して、部屋を出ていく。
どういう意味だろ。
私は思いながら、温もりの残るベッドにもう一度潜り込んだ。
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