明日のために、昨日にサヨナラ(goodbye,hello)

松田丹子(まつだにこ)

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.第9章 穏やかな日々

240 外泊許可(3)

 両親に「24日は外泊したい」と言ったのは、その翌朝のことだった。
 母はぽかんとしてカレンダーを見て、それが金曜だと分かるや「友達とオール?」と首を傾げる。けれど、父は苦笑した。

「栄太郎の誕生日か」
「……うん」

 嘘をついても仕方ないと頷くと、父はため息をついた。

「どうだ、彩乃」
「えっ、え? 栄太郎くんのとこに泊まるってこと?」
「そりゃそうだろ。なぁ」

 いや、あの、分かんないんだけど。
 もしかしたら、帰れ、って言うかもしれないし。
 けど、そうとも言えず、神妙な顔で頷く。

「まさかとは思うが、栄太郎が?」
「ううん。栄太兄は何も言ってない。……私が、そうしたいの」
「だそうだ」

 父はあくまで母に判断をゆだねるつもりらしい。それが、同性だからか、それとも違う理由なのかは私にも分からない。

「えっ――いや、でも――」
「なーんで? いいじゃん、泊まらせてやんなよ」

 ひょっこり顔を出したのは、例によって例のごとく健人兄だった。洗面所で歯磨きしていたはずなのに、わざわざ戻って来てネクタイを締めている。

「だって考えてもごらんよ、自分たちのときはどうだったのさ。父さんは当然アレでしょ。母さんは?」
「ちょっと待て。当然アレって何だ」
「わ、私は……その……」

 父と母がうろたえるのを、私は黙ってじっと見つめる。
 こういうときは視線に訴えるに限る――とは、長年の経験で知っている。
 案の定、私の無言の視線を受け止めかねたように、母が口を開いた。

「で、でも。栄太郎くんと礼奈はまた話が違――」
「違くないでしょ。むしろ一方が社会人な分マシなんじゃないの?」
「うーん、マシなようなマシじゃないような、そういう問題でもないような……」

 遠い目をする父は、思考を放棄しているらしい。健人兄が笑った。

「あ、父さんあれでしょ。娘可愛さに冷静な判断できないからって母さんに任せてるんでしょ」
「お、お前、それ言うな」
「何それ、政人ってば。ひどい」
「いや、だって同性として気持ちも分かるだろうし……健人っ」

 いつも通り家族の会話をかき回して、健人兄がからから笑う。

「だーいじょうぶだって。栄太兄だもん。礼奈の嫌がることは絶対しないよ。ていうかできないよ」
「できないって何だ」

 父が眉を寄せて、健人兄を見やる。

「――健人。お前、何か知ってるな?」
「いや、何もぉ」

 健人兄はわざとらしく両手を広げて、私の肩をぽんぽん叩いた。

「とにかくさ、栄太兄は清く正しくな人だから、絶対平気。――父さんと違って」
「おい、こら。そこで俺を例に出すな。お前だろう、遊んでるのは」
「えー、俺ワンナイトラブなんてやってないよ。病気伝染されたらやだし」

 わんないと……らぶ……?

 言葉の意味を図りかねて動きを止めた私を見て、父がうろたえる。

「おまっ、何を、健人っ――」
「ま、いいけどさ。そのおかげで今俺たちがいるんだし」
「だっ――ちょっと待て! お前、いったいどこまで知って――」
「……お父さん、どういうこと? ワンナイトラブ? お父さんとお母さんが?」

 もしかして、デキ婚てこと?
 でも、でも、デキ婚にしてはタイミングが合わない。悠人兄は結婚直後に妊娠したって言うし。
 もしかして――
 私ははっと口を押さえた。

「え、悠人兄の前に流産か何か――」
「あ、礼奈の妄想が広がってる」
「おい、こら、健人! お前が余計なこと言うからだろう!」
「別に俺、嘘は言ってないよ。でしょ?」

 慌てる父に、健人兄はのらりくらりと言い返す。口を挟むタイミングを逃していたらしい母が、ため息をついた。

「……まあ、それもそうね……」
「えっ、ワンナイトラブってホント!?」
「いや、そこじゃなくてね」

 私が動揺したら、母が慌てて手を振った。
 え、だ、だって。もう私の頭の中、混乱しまくってるんだけど!

「違うのよ、礼奈。あのね、勘違いしないで。いや、確かにあのとき、ちょっと自棄気味だったのは確かだし、まあ一度抱かれて捨てられてもいいかと思ってなくもなかったけど、それはほら、この人がこうだからで」

 取り繕っているのかいないのかよく分からない早口でまくしたてる母に、健人兄が噴き出した。

「うわ待ってマジでウケる! え、俺こんな面白い場面で出勤すんのやだ! 年休取ろうかな」
「あんたは仕事に行きなさいっ!」
「いや、でも緊急かつ重要な家族会議が開かれて……って言えば」
「なんだその理由、それで通るのか!?」
「多分笑われるけど、そういう冗談は通じるから」

 ああ、また会話があらぬ方向に――
 その後、母は私の誤解を解くことに注力し始めて、「そういう割り切った女じゃないと抱こうとしなかった」と父に責任を転嫁し始め、父も父で「そもそも職場の人間に手ぇ出したことねぇよ!」と騒ぎ始め、健人兄は悔しそうな顔で出勤して、私はただ嵐が過ぎ去るのをじっと待つつもりで両親を眺めていた。けれど、両親は出勤時間になるや「その話はまた今日の夜に!」とばたばたと出て行ってしまった。

 ――それが、功を奏したのか、いつものランチデートで相談でもしたのか。
 夜に顔を合わせた両親は、朝方のわちゃわちゃなどなかったかのように淡々と、外泊を許可してくれて、私は晴れて、栄太兄の家に泊まれることになったのだった。
 健人兄の横やりを、ありがたいと思うべきなのかどうかはともかく、両親の過去については、私も深くつっこまないであげることにした。
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