明日のために、昨日にサヨナラ(goodbye,hello)

松丹子

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.第9章 穏やかな日々

246 栄太郎の誕生日(6)

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「ほな、またな」
「うん……」

 駅まで送ってもらった私は、手を離した栄太兄の声に頷いたけれど、離れがたくてそのままうつむく。
 栄太兄は私を見下ろして苦笑すると、「プレゼント、おおきに。使わせてもらうな」と言った。
 プレゼントしたのは、男性も使えるようなスポーツメーカーの日傘と、私と色違いのタオルハンカチだ。
 栄太兄は転職したものの、相変わらず外回りの多い仕事だと聞いたから、心配して選んだのが日傘。ハンカチは、何かお揃いのものを持っておきたいなと思って選んだ――ナルナルがつけていたと聞いたストラップだと、社会人の栄太兄とお揃いにするには、あまりに幼いような気がしたから。

 私はこくりと頷いてうつむく。
 あんまり、迷惑をかけちゃいけない。――それは、分かっているんだけど。
 バイバイ、と言おうと顔を上げて、優しい目にぶつかってまたうつむく。
 離れたくない。まだ一緒にいたい。ギリギリまで。ずっと――

「……バイト、入れなければよかった」
「まあ、そう言うなや」

 栄太兄はくすくす笑いながら、私の頭をぽんぽんする。
 どうしても人が足りないからと言われて、午後からバイトに入る予定なのだ。

「いろいろ、経験しとった方がええで。楽しいことも、つらいことも。――言ったやろ、俺は逃げも隠れもせえへん、どうしても会いたくなったらちゃんと会いに来るから」
「……ほんとに?」

 じ、と見上げてそう問うと、栄太兄は「ほんまや」と頷く。きっと、転職前だったらごまかしただろうに、今はそうして断言できる職場なのだと分かってほっとした。

「……じゃあ、また」
「うん」
「今度は……敬老の日?」
「そうやな」

 栄太兄が頷く。というのも、夏休みの話をしてみたら、ものの見事に予定が合わなそうだったのだ。
 私は、八月がゼミ合宿、九月前半はインターンに行く予定があって、空いてるときには栄太兄が奈良に帰省すると言っていて。

「……長いなぁ……」

 がっくり肩を落とした私に、栄太兄は笑った。

「そんな言うたかて、二年待て言うてるわけやないし」

 あっという間やろ、と言われて、私は「そうだけど」と唇を尖らせる。
 そしてむくれたままため息をついた。

「なんか、いっつもこうだよね」
「こうって?」
「栄太兄は、会えなくても全然平気って感じ」

 栄太兄は困ったようにまばたきをした。

「……俺も俺で、心配してんねんで」

 栄太兄は小さな声でそう言って、私の髪を優しく撫でた。

「どんどん綺麗になってくし……これからますます、いろんな男に会うやろ……そしたら、俺が大した男やないってバレるんやないかなー、て……」

 大した男。
 ゼミの先輩たちがはしゃぐ姿を思い出す。
 年上の男の人、というのは、たぶんそれだけで魅力的に見えるんだろう――なんて、思ったことも。
 栄太兄の顔を見上げて、初めて気づいた。
 私が妹扱いの延長じゃないか、って疑っているのと同じように、栄太兄は栄太兄で、私の気持ちを、ただ「近くにいる年上のお兄さん」への好意だと疑っているのかもしれない。
 ……それは確かに、なくもない、んだろうけど。

「栄太兄が大した男じゃないのはもう知ってるよ」

 私が言うと、栄太兄は複雑そうな顔をした。歪んだその顔が面白くて思わず笑う。

「でも、関係ないよ。お人よしなところも、お節介なところも、優柔不断なところも、いまいち押さえどころが間違ってるところも、可愛いなって思うもん」
「可愛い……って、一回りも上の男に……」

 栄太兄は表情をゆがめているけど、怒っているわけではない。むしろ、照れているらしい、と見て取って笑いながら拳を握る。

「なんで? 可愛い、っていうのは最強なんだよ。だって何しても許されちゃうんだから」
「ああ、そう……」

 栄太兄が目を逸らす。やっぱり照れているみたいだと見て、くすくす笑った。
 そうしていたら、栄太兄はもの言いたげな目で私を見下ろす。
 かと思うと、ため息をついた。

「……可愛い、言うたら、お前のが可愛えやろ、どう考えても……」

 駅の雑踏に飲まれそうな小さな声でそう言うのが聞こえる。どう反応したものかと、黙って見上げていたら、栄太兄は照れ隠しのように私を睨んできた。

「いちいち、可愛いこと言いすぎやで。ほんま心臓いくつあっても足りへんわ」

 不愛想に言いながらも、その頬はうっすらと赤い。私も頬に熱が集まるのを感じた。

「い、言ってないもん……別に……そんなの……」
「無自覚やからたちが悪いねん」

 栄太兄は呟いて、額を手で覆った。

「はー。ほんまな……無自覚やからなぁ……絶対あれやで、知らん間に男どもが近づいてくるやん……でも鈍いから気づかへんやん……」

 ぶつぶつ言い始めたのが聞こえて、私は慌てて手を振る。

「ない、ない。そんなこと、ないって」
「あるやろ……だって元カレ君だって……高校時代にはただの友達やと思うてたんやろ?」
「け、慶次郎のこと……? ま、まあ……」

 それはそうだけど。
 困ってうつむいたら、栄太兄は深々とため息をついた。

「全然やで。花火大会んとき俺が見ても分かってん。ああこの子、礼奈に気ィあるんやろうなて」
「えっ、嘘!?」

 私が思わず口を手で押さえたら、栄太兄がちっと舌打ちをした。
 そんな態度を取るのなんて珍しい。そう思っていたら、栄太兄はきっ、と私を見据えた。

「さっきも言うたけど、合宿では絶対、女子と一緒におるんやで。回りが男子だけ、なんてならんようにするんやで。分かったな?」
「そ、そんな心配……」
「分・か・っ・た・な?」

 栄太兄があまりに本気の目で言うものだから、勢いに圧されるように、「分かった……」と頷いたのだった。
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