明日のために、昨日にサヨナラ(goodbye,hello)

松田丹子(まつだにこ)

文字の大きさ
273 / 368
.第10章 インターン

269 インターンの翌日(4)

 栄太兄は本当にマッサージが上手かった。最初はどぎまぎと緊張していた私も、全身を解されていくうち、またうとうととまどろみに飲まれそうになっていた。
 くったり力が抜けたまま、目を閉じてははっと開ける私に気づいたのだろう、栄太兄はくすりと笑って、「寝てもええで」と優しい声で言う。私は「うん……」と頷きながら、ふと口を開いた。

「栄太兄……昨日は、眠れた……?」
「うん?」

 こないだ、泊まりに来たとき、全然眠れなかった、と言っていたのを思い出したのだ。昨日は私も知らないうちに眠っていて、ふと気づいた時にはもう朝だったから、栄太兄がどうしていたかは分からない。

「ベッドで寝たの……?」
「まさかやろ。向こうの部屋にマット敷いたで」
「……そっか」

 なんだかちょっと残念に感じて、唇を尖らせる。栄太兄がくすりと笑った。

「何や、一人で寝るのが寂しいのか? うちのおひいさまは」

 大きな手が頭を撫でる。その温もりに目を閉じて、「うん……」と頷く。

「栄太兄が……いっつも一緒だといいのになって……思ってる」

 ぽつりぽつりとそう言いながら、インターンの毎日を思い出す。
 別世界の物語に、急に自分が放り込まれたような心細さ。でも、それはきっと、社会人ならみんな経験していることなんだろう。
 ――栄太兄だって。

「……栄太兄が……もっと近くにいたら……お疲れさまって、言ってあげられるのに……」

 転職して、まだ半年。慣れないこともたくさんあるはずだ。緊張するときもあるはず。
 それでも、栄太兄は私の前で笑顔を絶やさない。礼奈、って、優しく呼んでくれる。あたたかく迎えてくれる。
 それはすごく幸せなことで、同時に、ちょっと不安だった。

「……栄太兄は、どこで、癒されてるのかなって……」

 私は、疲れを栄太兄に癒してもらった。励ましてもらって、がんばろう、って思えた。けど、栄太兄は? どうなんだろう。
 栄太兄が私の背中をポンと叩く。「少し楽になったか」と言われて、「うん……」と顔だけそちらに向けた。

「ほなら、これでおしまい。ええな?」

 私を見下ろす優しい笑顔。
 身体の力が緩んだからか、心が剥き出しになったからか。
 ぎゅう、と胸が締め付けられる。

「……おきられない」
「眠いか? なら、このまま寝とき」
「ひとりは……やだ」

 重い身体を、ゆっくり横に転がす。広げた腕を、栄太兄に向かって伸ばした。
 ゆっくりしたその動きすら、ひどくけだるく、重く感じた。

「栄太兄と……いっしょがいい」

 栄太兄は困った顔で私を見下ろして、考えるようにちょっと顔を背けて、それから、深々とため息をついた。

「……ほんとに……うちのおひいさまは……」

 ――わがままでごめんね。
 心の中でそう言って、口にも出そうと思ったのに、身体の動きは隅々まで緩慢で。
 私が言葉を紡ぐよりも先に、ふわりと身体を抱きしめられた。

「……可愛いが過ぎるねん……苦しいわ」

 くるしい? くるしい、って、なんで?
 栄太兄の温もりに身を任せ、胸元に頬を摺り寄せる。
 あれ、知ってる。この感じ。
 いつだかも、こうして身を摺り寄せたような気がする。
 ああ、そうだ。初めて泊まった日――
 覚えていない、と思ったけれど、確かに私は、この感触を知っている。
 私より硬い身体。ごつごつした首元。優しいぬくもり。
 どくん、どくん、と力強く響いてくる鼓動。
 その鼓動は少し、速いような気がした。眠りに落ちる直前の私よりも、よほど、速い。
 栄太兄も……少しはどきどき、してるのかな……。
 そう気づいたら、幸福感が一気に胸に広がった。嬉しくなって、ふふふ、と笑って、栄太兄の身体に腕を巻き付ける。なんだかそれだけじゃ物足りなくて、えい、と冗談めかして脚もひっかけた。
 栄太兄が「こら、動けへんやん」とうろたえる。「いいの」と私は口の中で答える。
 動かなくていいの。このままでいいの。
 このままでいて欲しいの――このまま――えいたにいと――いっしょに――

 これ以上ない幸福感に包まれたまま、私はまたすやすやと眠りに落ちた。
 栄太兄は私が眠っている間じゅう、ずっと私の頭を撫でてくれていて、それを意識の片隅で、ぼんやり感じていた。

 しあわせだ。
 わたしは、えいたにいといっしょにいられて、しあわせ――

 インターンで感じた複雑な感情は、すっかりどこかへ洗い流されていた。
 これでいい。これでいいんだ。私とあの世界は合わない。私がいるべきはここ――栄太兄の腕の中だ。
感想 13

あなたにおすすめの小説

いちばん好きな人…

麻実
恋愛
夫の裏切りを知った妻は 自分もまた・・・。

ズボラ上司の甘い罠

松田丹子(まつだにこ)
恋愛
小松春菜の上司、小野田は、無精髭に瓶底眼鏡、乱れた髪にゆるいネクタイ。 仕事はできる人なのに、あまりにももったいない! かと思えば、イメチェンして来た課長はタイプど真ん中。 やばい。見惚れる。一体これで仕事になるのか? 上司の魅力から逃れようとしながら逃れきれず溺愛される、自分に自信のないフツーの女子の話。になる予定。

仮面王の花嫁

松雪
恋愛
婚約者を腹違いの妹に奪われ、新しい相手も見つからず修道院に行く覚悟を決めたルチア。修道女となるため髪を切った日の夜、王城から「国王がルチアを妻に望んでいる」という書簡を持った使者がやって来た。 しかし、従兄弟であり恋仲だったニールが国王のせいで死に至った過去を持つルチアは、国王からの求婚を喜べずーー。

俺様上司に今宵も激しく求められる。

藤白ましろ
恋愛
 鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。  蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。  ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。 「おまえの顔、えっろい」  神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。  ――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。 **2026.01.02start~2026.01.17end** ◆エブリスタ様にも掲載。人気沸騰中です! https://estar.jp/novels/26513389

ハイスぺ幼馴染の執着過剰愛~30までに相手がいなかったら、結婚しようと言ったから~

cheeery
恋愛
パイロットのエリート幼馴染とワケあって同棲することになった私。 同棲はかれこれもう7年目。 お互いにいい人がいたら解消しようと約束しているのだけど……。 合コンは撃沈。連絡さえ来ない始末。 焦るものの、幼なじみ隼人との生活は、なんの不満もなく……っというよりも、至極の生活だった。 何かあったら話も聞いてくれるし、なぐさめてくれる。 美味しい料理に、髪を乾かしてくれたり、買い物に連れ出してくれたり……しかも家賃はいらないと受け取ってもくれない。 私……こんなに甘えっぱなしでいいのかな? そしてわたしの30歳の誕生日。 「美羽、お誕生日おめでとう。結婚しようか」 「なに言ってるの?」 優しかったはずの隼人が豹変。 「30になってお互いに相手がいなかったら、結婚しようって美羽が言ったんだよね?」 彼の秘密を知ったら、もう逃げることは出来ない。 「絶対に逃がさないよ?」

秘められた薫り

La Mistral
恋愛
エブリスタにて、トレンド#恋愛で最高位 55位を獲得した作品です。 「愛しているよ」という夫の言葉が、今の美咲には虚しい空気にしか聞こえない。 欠けていたのは、理性を焼き尽くすような衝動。 ​クライアントの慎吾と交わす視線。ビジネスという仮面の下で共有される、剥き出しの欲望。 指先が触れる。名前を呼ばれる。ただそれだけで、美咲の積み上げてきた「良き妻」としての世界は音を立てて崩れ去る。 ​完璧なアリバイ、塗り固めた嘘。 夫の隣で微笑みながら、心は別の男の指先を求めている。 一度知ってしまった濃厚な「薫り」は、もう彼女を元の場所へは戻してくれない。 ​守るべき家庭と、抗えない本能。 二つの世界の境界線で、美咲が選ぶ「最後の一線」とは――。 欲望の熱に浮かされた女の、美しくも残酷な堕落の記録。

幸せのありか

神室さち
恋愛
 兄の解雇に伴って、本社に呼び戻された氷川哉(ひかわさい)は兄の仕事の後始末とも言える関係企業の整理合理化を進めていた。  決定を下した日、彼のもとに行野樹理(ゆきのじゅり)と名乗る高校生の少女がやってくる。父親の会社との取引を継続してくれるようにと。  哉は、人生というゲームの余興に、一年以内に哉の提示する再建計画をやり遂げれば、以降も取引を続行することを決める。  担保として、樹理を差し出すのならと。止める両親を振りきり、樹理は彼のもとへ行くことを決意した。  とかなんとか書きつつ、幸せのありかを探すお話。 ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐ 自サイトに掲載していた作品を、閉鎖により移行。 視点がちょいちょい変わるので、タイトルに記載。 キリのいいところで切るので各話の文字数は一定ではありません。 ものすごく短いページもあります。サクサク更新する予定。 本日何話目、とかの注意は特に入りません。しおりで対応していただけるとありがたいです。 別小説「やさしいキスの見つけ方」のスピンオフとして生まれた作品ですが、メインは単独でも読めます。 直接的な表現はないので全年齢で公開します。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。