明日のために、昨日にサヨナラ(goodbye,hello)

松丹子

文字の大きさ
312 / 368
.第12章 親と子

308 老い(1)

しおりを挟む
 私は月末の平日にもう一度、祖父母の家に足を運んだ。和歌子さんから聞いていた徘徊の話と、大晦日に見た祖父の姿がどうしても頭から離れず、気になって仕方がなかったのだ。
 鎌倉を訪問することは、栄太兄にも電話で伝えてある。というか、本当は予定を合わせようとしたのだけれど、お互い仕事やバイトで都合が合わず、別の日に訪ねることになったのだ。
 その日は大学での講義の後、電車に乗って鎌倉へ向かった。
 薄曇りの空で、風が冷たく肌寒い。栄太兄に買ってもらったコートでは物足りないから、ダウンコートを着てきたほどだ。
 そういう気候だからかどうか、鎌倉駅周辺はいつもより人が少なかった。
 観光客に紛れるように、久々に商店街の通りをぶらついた。
 食べ歩きできるおせんべい屋、ソーセージ屋。他にも和雑貨、文房具、呉服屋。着物や浴衣のレンタルショップもあって、街歩きのとき着付けしてもらえるようになっている。
 東京に近いこともあって、よくテレビでも取り上げられる場所だけれど、考えてみればこうして散策したことはなかった。鎌倉に来るのは祖父母の家に行くのが目的であって観光が目的じゃなかったからだけど、たまにはこうして歩いてみるのも悪くないなときょろきょろしながら歩いて行く。
 今度、栄太兄とこの辺りをデートしてみようか。
 思って一人顔を赤らめた。デート、なんて、今さらだけど、今さらすぎて、なんだか気恥ずかしい。
 祖父母と一緒に、4人で近所を散策するのが、私たちにはちょうどいいような気がした。観光、なんて非日常めいたことはしないで、せいぜいウィンドウショッピングとか、これという目的のない散歩みたいなものの方が、今の私たちには向いている。
 商店街を通り抜けて、大きな道を一本入って行く。ただの観光客なら訪れない道に入るや、すぐに人通りが途切れるのは面白いところだ。
 鎌倉の道は、京都のように綺麗な碁盤の目になっているわけではないから、通りを入ると迷子になることもある。道路とはいえ私有地も多いのも、観光客が入り込まない理由の一つだろう、なんてことを父が話していたと思い出す。
 祖父母の家へ向かいながら、以前祖父母が話していた様子を思い出していた。幼い頃の、和歌子さん、父、隼人さんの姿が、祖父母はまるで今でもそこここに見えるように話していた。
 その中には、ときどき私たちの話も混ざった。悠人が。礼奈が。栄太郎が。朝子が――父たちが子どもだった頃から私たちが外で遊ぶようになるまでは、相当な時間のへだたりがあるはずなのだけど、祖父母の話にそんなことはお構いなしだった。
 でも、それもそういうものなのかもしれない。小学生のときの私が感じていた3年と、今感じる3年が違うように、30代の祖父母が覚えている10年と、60代の祖父母が覚えている10年は違うのかもしれない。
 前を見ると、ずいぶん長く感じる月日も、過ぎてみればあっさりしている。
 私も、まさか二十歳になってもこんなんだとは思わなかったもんなぁ。
 成長したんだかしてないんだか。新年会を一緒に過ごした、変わらない親戚の様子も思い出して苦笑する。
 祖父母の家が近づいて来ると、人影が見えてはっと足を踏み出した。家の前には祖父母が並んで立っている。

「おじいちゃん、おばあちゃん」
「ああ、礼奈。いらっしゃい」

 私が声をかけると、祖母はにこにこしながら答えた。私は「何でこんなとこに、寒いのに……」と二人に近づく。祖父母の手はしっかりと握り合っていた。

「おじいちゃんが、礼奈が迷子になってないかって心配してて」
「な、ならないよ。大丈夫だよ……」

 やっぱり、祖父の中の私は、まだまだ小さい少女のままなのだろう。
 そうも思ったけれど、近くをふらついていて自分の居場所が分からなくなったのはつい最近もあったことだと思い出して、答える語尾が小さくなった。
 握られた祖父母の手を両手で包む。指先は冷えていたけれど、そのてのひらは温かかった。
 そのことに少しほっとしながら、祖父母を見上げる。

「中、入ろう。風邪引いちゃうよ」

 促したけれど、祖父は入ろうとしない。

「おじいちゃん?」

 私が首を傾げると、祖父はふむ、と頷いて、ぼんやりと道を見ている。
 その目がうつろに見えて戸惑った。

「おじいちゃん、中に入ろう。風邪引くよ」
「うん……」

 祖父は口の中で言って、私を見た。
 年相応に黄色く染まった白目が私を見つめたけれど、その瞳は子どものように丸い。

「栄太郎は、鯉を見てるのか」
「栄太兄? 栄太兄は今日は来ないよ」
「来ない……? 来ない……」

 祖父が首を傾げて眉を寄せる。祖母が「ああ」とため息混じりにあいづちを打った。

「さっき話したことが混ざってるのね。栄太郎は土曜日に来るって言ってましたよ。今日は来ませんよ」
「土曜日……今日は土曜日じゃないのか」
「今日は水曜です。ほら、入りましょ」

 首を傾げながらも家に入る祖父に手を貸して、背に手を添える。祖母がこっそりと私に笑いかけた。

「ぼけちゃって、駄目ねぇ。おじいちゃんてば」

 それはどこか取り繕っているように見えて、私は笑顔を返しながら、どうしようもない息苦しさを感じていた。
しおりを挟む
感想 13

あなたにおすすめの小説

先生

藤谷 郁
恋愛
薫は28歳の会社員。 町の絵画教室で、穏やかで優しい先生と出会い、恋をした。 ひとまわりも年上の島先生。独身で、恋人もいないと噂されている。 だけど薫は恋愛初心者。 どうすればいいのかわからなくて…… ※他サイトに掲載した過去作品を転載(全年齢向けに改稿)

雪の日に

藤谷 郁
恋愛
私には許嫁がいる。 親同士の約束で、生まれる前から決まっていた結婚相手。 大学卒業を控えた冬。 私は彼に会うため、雪の金沢へと旅立つ―― ※作品の初出は2014年(平成26年)。鉄道・駅などの描写は当時のものです。

秋色のおくりもの

藤谷 郁
恋愛
私が恋した透さんは、ご近所のお兄さん。ある日、彼に見合い話が持ち上がって―― ※エブリスタさまにも投稿します

いちばん好きな人…

麻実
恋愛
夫の裏切りを知った妻は 自分もまた・・・。

甘い束縛

はるきりょう
恋愛
今日こそは言う。そう心に決め、伊達優菜は拳を握りしめた。私には時間がないのだと。もう、気づけば、歳は27を数えるほどになっていた。人並みに結婚し、子どもを産みたい。それを思えば、「若い」なんて言葉はもうすぐ使えなくなる。このあたりが潮時だった。 ※小説家なろうサイト様にも載せています。

隣人はクールな同期でした。

氷萌
恋愛
それなりに有名な出版会社に入社して早6年。 30歳を前にして 未婚で恋人もいないけれど。 マンションの隣に住む同期の男と 酒を酌み交わす日々。 心許すアイツとは ”同期以上、恋人未満―――” 1度は愛した元カレと再会し心を搔き乱され 恋敵の幼馴染には刃を向けられる。 広報部所属 ●七星 セツナ●-Setuna Nanase-(29歳) 編集部所属 副編集長 ●煌月 ジン●-Jin Kouduki-(29歳) 本当に好きな人は…誰? 己の気持ちに向き合う最後の恋。 “ただの恋愛物語”ってだけじゃない 命と、人との 向き合うという事。 現実に、なさそうな だけどちょっとあり得るかもしれない 複雑に絡み合う人間模様を描いた 等身大のラブストーリー。

睡蓮

樫野 珠代
恋愛
入社して3か月、いきなり異動を命じられたなぎさ。 そこにいたのは、出来れば会いたくなかった、会うなんて二度とないはずだった人。 どうしてこんな形の再会なの?

サクラブストーリー

桜庭かなめ
恋愛
 高校1年生の速水大輝には、桜井文香という同い年の幼馴染の女の子がいる。美人でクールなので、高校では人気のある生徒だ。幼稚園のときからよく遊んだり、お互いの家に泊まったりする仲。大輝は小学生のときからずっと文香に好意を抱いている。  しかし、中学2年生のときに友人からかわれた際に放った言葉で文香を傷つけ、彼女とは疎遠になってしまう。高校生になった今、挨拶したり、軽く話したりするようになったが、かつてのような関係には戻れていなかった。  桜も咲く1年生の修了式の日、大輝は文香が親の転勤を理由に、翌日に自分の家に引っ越してくることを知る。そのことに驚く大輝だが、同居をきっかけに文香と仲直りし、恋人として付き合えるように頑張ろうと決意する。大好物を作ってくれたり、バイトから帰るとおかえりと言ってくれたりと、同居生活を送る中で文香との距離を少しずつ縮めていく。甘くて温かな春の同居&学園青春ラブストーリー。  ※特別編8-お泊まり女子会編-が完結しました!(2025.6.17)  ※お気に入り登録や感想をお待ちしております。

処理中です...