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.第12章 親と子
336 久々のお泊まり(3)
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「いただきまーす」
「いただきます」
家に着くと、食卓を囲んで座り、夕飯を食べ始めた。
インスタントの味噌汁と、炊飯器からよそったご飯が、座卓の上でほかほかと湯気を立てている。
それぞれおかずとご飯をつつきながら、私はふと、思い出した。
「そういえば、和歌子さんが来てくれたの、栄太兄から頼まれた、みたいなこと言ってたけど……何か言ったの?」
「え? 母さん?」
口いっぱいにご飯を入れた栄太兄が、もぐもぐしながら首を傾げる。
外で食べるときはお行儀いいのだけれど、家でだけは少年みたいな食べ方になる。それを見て、また性凝りもせずきゅんとした。
「言うたっちゃ言うたけど……礼奈、うちの母さんと会うと嬉しそうやから、元気出るかなー思うて」
時間あったら寄ったって、と言ってくれたらしい。私は「そっか」と笑った。
「何か言われたん? 母さんに」
「んー?」
口にご飯を入れたところで訊かれて、咀嚼しながら思い出す。和歌子さんとの会話。
婚約指輪のこと。結婚のこと。祖父、母、私の想い――
知らず、うつむきがちになった目の先に、自分の細い手があった。
左手の薬指には、まだ指輪も何もついていない。もらった婚約指輪のサイズを直すかと言われたけれど、そのままもらうことにしたのだ。――だって、なんだか、もったいなくて。
それに、大学にあれをつけて行くのもどうかと思われた。目立ちすぎるし、傷つけるのも嫌だし――盗まれでもしたらと思うと、怖くてつけていけない。
「……今度、代わりの指輪でも買いに行くか?」
私の視線に気づいたように、栄太兄が言った。私はちらりと目を上げる。
「多少は虫除けになるやろ」
栄太兄は、たぶん何気なさを装って、目を合わせずにご飯を口に運んでいたけど、その頬は少し赤くなっている。その不慣れさがまた愛おしくて、自然と笑みが浮かんだ。
「……うん」
それも、いいかもしれない。大学生だって、彼氏ができたらペアリングをつけている子はたくさんいる。それは結婚とは関係なく、パートナーとの絆の証なんだろう。
そうか――そういう手も、ありなのかもしれない。
「礼奈? ……どうかしたか?」
手を止めた私に気づいて、栄太兄が首を傾げる。
私はその顔を見て、「うん……」と頷いた。
「……形だけでも、いいのかも……」
「形? 何のことや?」
「……おじいちゃんに……」
思い出したのは、グラバー園でのドレス体験のことだった。式とは別に、レンタルすればああしてドレスを着ることはできる。――たぶん、調べればウェディングドレスだって、タキシードだってあるはずだ。――それを、祖父に見せてあげられれば……
「礼奈?」
栄太兄の不思議そうな声がする。私はうん、と答えながら、心中で自問自答を繰り返す。
――でも、それで本当に祖父は喜んでくれるんだろうか。私は満足できるんだろうか。ただのコスプレと結婚式の、何が違うか――やっぱり、祖父に見てもらいたい。ちゃんと将来を誓い合うところを、私たちが2人で歩み始めるスタートを、祖父にも、祖母にも、見て欲しい。だって――
ふっと目を上げると、栄太兄と目が合った。まっすぐに視線が重なる。言葉なく、互いの想いを見通すみたいに。
――祖父母は私たちを繋いでくれた、大切な縁の一つなんだから。
思ったけれど、またうつむいた。
私がひとりでわがままばかり言っている気がして。
――これが、子どもだってことなのかもしれない。
大人らしく達観できない自分に呆れた。
「……何考えてん? 言わんと分からへんで」
気遣わしげに問われて、「うん」と苦笑した。
「学生結婚のこと……お母さんが反対してること、和歌子さんに話して……」
栄太兄が「うん」と相槌を打つ。私は苦笑しようとして、失敗した。
落ち込んだ口調のまま、呟くように言う。
「……お母さんは正論だから、それに従いなさい……って」
それを口にすると同時に、思い出した。相手が私じゃなければ、こんな想いはせず済んだのに、とも言ったこと。朝子ちゃんの顔が脳裏をよぎったこと。どきりとして、息を止める。――けど、ずるい私は、それを口にできない。
栄太兄が朝子ちゃんを選んだら、私は、生きて行けない――
うつむいたままの私を見て、栄太兄はため息をついた。
その吐息の強さに、私の言葉に絶句していたらしい、と気づく。
「……母さん、礼奈にはそんなん言うたんか」
それは呆れたような声音だった。私は首を傾げる。
その言い方だと、まるで、栄太兄には違うアドバイスをしたみたいだ。
「栄太兄には違ったの?」
「いや……」
栄太兄はちらりと私を見たけれど、その先を言おうとはしない。ただ苦り切ったような顔をして、「ほんま、曲者やなぁ」とぼやくように言った。
何て言われたの、と訊こうとした私の顔の前で、栄太兄がひらひらと手を振る。
「まあ、礼奈は礼奈で、彩乃さんの心配せんようにしとけってことやろ。俺の話はどうでもええから」
「よくないよ」
私は唇を尖らせたけど、栄太兄は笑った。
――なぜか、その顔に、和歌子さんの快活な笑顔が重なって。
「俺は俺で、やりたいようにやるっちゅうこっちゃ。――さて、食ったら風呂入って寝るで。礼奈、先風呂入り。俺は食器片しとくから」
栄太兄はぽんと膝を打つと、空いた食器を手に立ち上がった。
私はむくれたけれどそれ以上取り合ってくれないと分かって、渋々言われた通りにお風呂をいただくことにした。
「いただきます」
家に着くと、食卓を囲んで座り、夕飯を食べ始めた。
インスタントの味噌汁と、炊飯器からよそったご飯が、座卓の上でほかほかと湯気を立てている。
それぞれおかずとご飯をつつきながら、私はふと、思い出した。
「そういえば、和歌子さんが来てくれたの、栄太兄から頼まれた、みたいなこと言ってたけど……何か言ったの?」
「え? 母さん?」
口いっぱいにご飯を入れた栄太兄が、もぐもぐしながら首を傾げる。
外で食べるときはお行儀いいのだけれど、家でだけは少年みたいな食べ方になる。それを見て、また性凝りもせずきゅんとした。
「言うたっちゃ言うたけど……礼奈、うちの母さんと会うと嬉しそうやから、元気出るかなー思うて」
時間あったら寄ったって、と言ってくれたらしい。私は「そっか」と笑った。
「何か言われたん? 母さんに」
「んー?」
口にご飯を入れたところで訊かれて、咀嚼しながら思い出す。和歌子さんとの会話。
婚約指輪のこと。結婚のこと。祖父、母、私の想い――
知らず、うつむきがちになった目の先に、自分の細い手があった。
左手の薬指には、まだ指輪も何もついていない。もらった婚約指輪のサイズを直すかと言われたけれど、そのままもらうことにしたのだ。――だって、なんだか、もったいなくて。
それに、大学にあれをつけて行くのもどうかと思われた。目立ちすぎるし、傷つけるのも嫌だし――盗まれでもしたらと思うと、怖くてつけていけない。
「……今度、代わりの指輪でも買いに行くか?」
私の視線に気づいたように、栄太兄が言った。私はちらりと目を上げる。
「多少は虫除けになるやろ」
栄太兄は、たぶん何気なさを装って、目を合わせずにご飯を口に運んでいたけど、その頬は少し赤くなっている。その不慣れさがまた愛おしくて、自然と笑みが浮かんだ。
「……うん」
それも、いいかもしれない。大学生だって、彼氏ができたらペアリングをつけている子はたくさんいる。それは結婚とは関係なく、パートナーとの絆の証なんだろう。
そうか――そういう手も、ありなのかもしれない。
「礼奈? ……どうかしたか?」
手を止めた私に気づいて、栄太兄が首を傾げる。
私はその顔を見て、「うん……」と頷いた。
「……形だけでも、いいのかも……」
「形? 何のことや?」
「……おじいちゃんに……」
思い出したのは、グラバー園でのドレス体験のことだった。式とは別に、レンタルすればああしてドレスを着ることはできる。――たぶん、調べればウェディングドレスだって、タキシードだってあるはずだ。――それを、祖父に見せてあげられれば……
「礼奈?」
栄太兄の不思議そうな声がする。私はうん、と答えながら、心中で自問自答を繰り返す。
――でも、それで本当に祖父は喜んでくれるんだろうか。私は満足できるんだろうか。ただのコスプレと結婚式の、何が違うか――やっぱり、祖父に見てもらいたい。ちゃんと将来を誓い合うところを、私たちが2人で歩み始めるスタートを、祖父にも、祖母にも、見て欲しい。だって――
ふっと目を上げると、栄太兄と目が合った。まっすぐに視線が重なる。言葉なく、互いの想いを見通すみたいに。
――祖父母は私たちを繋いでくれた、大切な縁の一つなんだから。
思ったけれど、またうつむいた。
私がひとりでわがままばかり言っている気がして。
――これが、子どもだってことなのかもしれない。
大人らしく達観できない自分に呆れた。
「……何考えてん? 言わんと分からへんで」
気遣わしげに問われて、「うん」と苦笑した。
「学生結婚のこと……お母さんが反対してること、和歌子さんに話して……」
栄太兄が「うん」と相槌を打つ。私は苦笑しようとして、失敗した。
落ち込んだ口調のまま、呟くように言う。
「……お母さんは正論だから、それに従いなさい……って」
それを口にすると同時に、思い出した。相手が私じゃなければ、こんな想いはせず済んだのに、とも言ったこと。朝子ちゃんの顔が脳裏をよぎったこと。どきりとして、息を止める。――けど、ずるい私は、それを口にできない。
栄太兄が朝子ちゃんを選んだら、私は、生きて行けない――
うつむいたままの私を見て、栄太兄はため息をついた。
その吐息の強さに、私の言葉に絶句していたらしい、と気づく。
「……母さん、礼奈にはそんなん言うたんか」
それは呆れたような声音だった。私は首を傾げる。
その言い方だと、まるで、栄太兄には違うアドバイスをしたみたいだ。
「栄太兄には違ったの?」
「いや……」
栄太兄はちらりと私を見たけれど、その先を言おうとはしない。ただ苦り切ったような顔をして、「ほんま、曲者やなぁ」とぼやくように言った。
何て言われたの、と訊こうとした私の顔の前で、栄太兄がひらひらと手を振る。
「まあ、礼奈は礼奈で、彩乃さんの心配せんようにしとけってことやろ。俺の話はどうでもええから」
「よくないよ」
私は唇を尖らせたけど、栄太兄は笑った。
――なぜか、その顔に、和歌子さんの快活な笑顔が重なって。
「俺は俺で、やりたいようにやるっちゅうこっちゃ。――さて、食ったら風呂入って寝るで。礼奈、先風呂入り。俺は食器片しとくから」
栄太兄はぽんと膝を打つと、空いた食器を手に立ち上がった。
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