339 / 368
.第12章 親と子
335 久々のお泊まり(2)
しおりを挟む
駅近くのスーパーで見切り品の総菜を買って、栄太兄の家まで歩いた。
ご飯は家を出る前に炊飯器をセットしてきたらしい。「ありがと」と言うとはにかんだように「どういたしまして」と笑った。
こうして2人で歩くのは久々で、何だか気恥ずかしかった。おずおずと手を伸ばすと、栄太兄が繋ぎ返してくれる。顔を上げれば目が合って、それだけで自然と笑顔が浮かんで、それが気恥ずかしくてまた前を向く。
「……えーと……体調、もうええんか?」
「あ……うん、だいたい」
「だいたい?」
訝し気に顔を覗き込まれて、内心、しまった、と思った。まだ何となく身体が重いところがあるのは確かだけれど、バイトしながらの休息は休むといってもぼちぼちで、なかなか万全とまでは言えない。
――けど、ここでそう言ったら、栄太兄のことだ、「帰れ」と言い始めるかもしれない。
「だ、大丈夫。治った、治ったよ」
「ほんとかぁ?」
すごーく疑わし気な目で、栄太兄が私を見る。「ほんとだって」と言ったけど、栄太兄はため息をついた。
「……まあ、ええけど。どうせこの時間やし、飯食ったら風呂入って寝るで」
「えっ」
「何や。ゲームでもできると思てたんか?」
栄太兄がにやりと笑う。
いや、ゲームじゃなくて。ゲームなんてしようと思ってないけど。
ちょっと、期待して、なくもなかった――こないだみたいな甘いキス――だって、元気になったらって言ったから――
「明日も早いし、お前も病み上がりやしな。とっとと寝るに限るで」
「……何時に家出るの?」
「うーんと、面会時間9時からやから、8時には家出よか」
……ということは、起床は遅くとも7時だ。確かにのんびりする余裕はなさそう。
そう気づいてしゅんとうなだれた私に、栄太兄は笑った。
「逆に、朝、外で食おか。駅前のどっか、モーニングやってたはずやし。……どうや?」
デートできないことで、私が落ち込んでいるんだと思ったらしい。私は「うん」と微笑んで、握った手に少しだけ力を込めた。
キスはお預けになりそうだけど――いいや。
栄太兄と一緒にいられるこの時間が、私には何より、大切なんだから。
ひとりでそう納得すると、顔を上げて栄太兄の顔を見る。栄太兄がそれに気づいて微笑み返した。いつでも私を見守っていてくれた、優しい笑顔。今はそれだけじゃなくて、照れ臭くなるような甘さが漂っている。
そのことが嬉しくて、私はふふっと笑うと空を見上げた。
街中の明かりのせいで、星はあんまり見えないけれど、月はくっきりと浮き上がっている。
「満月かな」
「いや――あと2、3日やないか」
月を見上げながら、前にもこうして、2人で月を見たことを思い出していた。
「綺麗な月やな」
栄太兄がぽつりと言う。
私は思わず、笑いそうになった。
だって、やっぱり、あのときと同じく、あんまり深い意味なく言っているみたいだったから。
でも、それでいい。それが、栄太兄らしい。
思いながら、私は頷く。
「そうだね」
私は月から栄太兄に視線を向けて、めいっぱい、想いを込めて言った。
「月が綺麗だね」
栄太兄が私の視線に気づいて、不思議そうに目を覗き込んで来る。
次いで、はっとしたように顔を赤らめた。
「えっ――あっ――いや――俺、そんなつもりは」
あ、気づいたみたい。
「知ってるよ。――知ってたんだ、その話」
「あれやろ、夏目漱石やろ。――そんな洒落たこと、俺できへんわ」
「あはははは、うん、知ってる」
うろたえる栄太兄の横で笑いながら、私はようやく、そのエピソードの意味が本当の意味で理解できたような気がする。
アイラブユーを、「月が綺麗ですね」と訳させた理由。
もしかしたら、それは月じゃなくてもよかったのかもしれない。
ふくらみかけた桜のつぼみでも、空に浮かぶ羊雲でも、開きすぎたチューリップでも――
あなたと一緒に見れば何でも、綺麗に見える。優しくて美しくて、尊い風景に思える。
――そういうこと、なんだろうな。
ふふっと笑った私の横顔を、栄太兄が困ったように見下ろす。
「……えらい、ご機嫌やん」
なんだかちょっと拗ねたような声に、「うん」と笑い返した。
「ご機嫌だよ。――栄太兄と一緒だから」
栄太兄は私の言葉に、なんとも言えない変な顔をして、そっぽを向いた。
「……人たらしの子は、やっぱり人たらしや……」
「何のこと?」
私は首を傾げたけれど、栄太兄は「何でもない」と唇を尖らせて、ちょっとだけ歩幅を広げた。私はそれについて行きながら、もう一度、月を見上げた。
あともうちょっとで満ちる月は、夜空に青白く笑っていた。
ご飯は家を出る前に炊飯器をセットしてきたらしい。「ありがと」と言うとはにかんだように「どういたしまして」と笑った。
こうして2人で歩くのは久々で、何だか気恥ずかしかった。おずおずと手を伸ばすと、栄太兄が繋ぎ返してくれる。顔を上げれば目が合って、それだけで自然と笑顔が浮かんで、それが気恥ずかしくてまた前を向く。
「……えーと……体調、もうええんか?」
「あ……うん、だいたい」
「だいたい?」
訝し気に顔を覗き込まれて、内心、しまった、と思った。まだ何となく身体が重いところがあるのは確かだけれど、バイトしながらの休息は休むといってもぼちぼちで、なかなか万全とまでは言えない。
――けど、ここでそう言ったら、栄太兄のことだ、「帰れ」と言い始めるかもしれない。
「だ、大丈夫。治った、治ったよ」
「ほんとかぁ?」
すごーく疑わし気な目で、栄太兄が私を見る。「ほんとだって」と言ったけど、栄太兄はため息をついた。
「……まあ、ええけど。どうせこの時間やし、飯食ったら風呂入って寝るで」
「えっ」
「何や。ゲームでもできると思てたんか?」
栄太兄がにやりと笑う。
いや、ゲームじゃなくて。ゲームなんてしようと思ってないけど。
ちょっと、期待して、なくもなかった――こないだみたいな甘いキス――だって、元気になったらって言ったから――
「明日も早いし、お前も病み上がりやしな。とっとと寝るに限るで」
「……何時に家出るの?」
「うーんと、面会時間9時からやから、8時には家出よか」
……ということは、起床は遅くとも7時だ。確かにのんびりする余裕はなさそう。
そう気づいてしゅんとうなだれた私に、栄太兄は笑った。
「逆に、朝、外で食おか。駅前のどっか、モーニングやってたはずやし。……どうや?」
デートできないことで、私が落ち込んでいるんだと思ったらしい。私は「うん」と微笑んで、握った手に少しだけ力を込めた。
キスはお預けになりそうだけど――いいや。
栄太兄と一緒にいられるこの時間が、私には何より、大切なんだから。
ひとりでそう納得すると、顔を上げて栄太兄の顔を見る。栄太兄がそれに気づいて微笑み返した。いつでも私を見守っていてくれた、優しい笑顔。今はそれだけじゃなくて、照れ臭くなるような甘さが漂っている。
そのことが嬉しくて、私はふふっと笑うと空を見上げた。
街中の明かりのせいで、星はあんまり見えないけれど、月はくっきりと浮き上がっている。
「満月かな」
「いや――あと2、3日やないか」
月を見上げながら、前にもこうして、2人で月を見たことを思い出していた。
「綺麗な月やな」
栄太兄がぽつりと言う。
私は思わず、笑いそうになった。
だって、やっぱり、あのときと同じく、あんまり深い意味なく言っているみたいだったから。
でも、それでいい。それが、栄太兄らしい。
思いながら、私は頷く。
「そうだね」
私は月から栄太兄に視線を向けて、めいっぱい、想いを込めて言った。
「月が綺麗だね」
栄太兄が私の視線に気づいて、不思議そうに目を覗き込んで来る。
次いで、はっとしたように顔を赤らめた。
「えっ――あっ――いや――俺、そんなつもりは」
あ、気づいたみたい。
「知ってるよ。――知ってたんだ、その話」
「あれやろ、夏目漱石やろ。――そんな洒落たこと、俺できへんわ」
「あはははは、うん、知ってる」
うろたえる栄太兄の横で笑いながら、私はようやく、そのエピソードの意味が本当の意味で理解できたような気がする。
アイラブユーを、「月が綺麗ですね」と訳させた理由。
もしかしたら、それは月じゃなくてもよかったのかもしれない。
ふくらみかけた桜のつぼみでも、空に浮かぶ羊雲でも、開きすぎたチューリップでも――
あなたと一緒に見れば何でも、綺麗に見える。優しくて美しくて、尊い風景に思える。
――そういうこと、なんだろうな。
ふふっと笑った私の横顔を、栄太兄が困ったように見下ろす。
「……えらい、ご機嫌やん」
なんだかちょっと拗ねたような声に、「うん」と笑い返した。
「ご機嫌だよ。――栄太兄と一緒だから」
栄太兄は私の言葉に、なんとも言えない変な顔をして、そっぽを向いた。
「……人たらしの子は、やっぱり人たらしや……」
「何のこと?」
私は首を傾げたけれど、栄太兄は「何でもない」と唇を尖らせて、ちょっとだけ歩幅を広げた。私はそれについて行きながら、もう一度、月を見上げた。
あともうちょっとで満ちる月は、夜空に青白く笑っていた。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
123
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる