猫かぶり紳士の癒し方~子リス系OLは疲れた彼に愛でられる~

松丹子

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.第2章 猫かぶり紳士の苦悩

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「ここに座って」
「え、あ……はい」

 嵐志はやんわりと菜摘の手を引き、自分の膝を跨ぐように座り直させた。
 菜摘は膝上にずりあがったフレアスカートの裾を、落ち着かなげに押さえている。
 一度とはいえ、既に肌を重ねた仲なのに、そんな恥じらいが愛おしい。
 嵐志はスカートの裾から手を差し入れ、ストッキング越しに脚を撫でた。
 つるん、とした肌触りは、残念ながら菜摘の肌のそれではなく化繊の手触りだ。

「……惜しいな」

 漏れた本音が聞こえたのか、菜摘は戸惑いに揺れる目で嵐志を見つめてきた。

「か、んなみさん……?」

 言葉の意図を探られて、嵐志は口の端を引き上げる。

「ストッキングが邪魔で、君の肌に触れられない」

 低く囁けば、腕の中の菜摘は真っ赤に色づいた。
 スカートの下をやんわりと撫でているだけで、ひどく恥ずかしそうにうろたえている。
 潤んだ瞳も色づいた肌も、本当なら、思う存分その素肌に触れ、唇を這わせてかわいがりたいところだが、時間的にも場所的にもそうはいかない。

「……菜摘」

 囁いてみれば、菜摘は弾かれたように顔を上げた。
 嵐志をじっと見つめて、しばらく口をぱくぱくした後、「は……はひ」と震える声で答える。
 かわいい。やっぱりかわいい。
 内心悶絶しながら、嵐志は微笑んだ。

「これから……ふたりのときは、そう呼んでもいいかな?」

 今までは「原田さん」と呼んでいた。呼び方を変えるタイミングを逃していただけなのだが、菜摘は感激したようにこくこくと小刻みにうなずく。
 見るからにいっぱいいっぱいなその動作が、またたまらなく愛おしい。
 嵐志はくすりと笑って、片手を紅潮した頬に伸ばした。
 ぴくんと震えた菜摘が、ぎゅっと目をつぶる。
 初めてキスをするときのような顔に、また胸が高鳴った。

「……本当に君は……かわいいな」

 呟いて、唇を重ねる。柔らかい唇を傷つけたくはない。触れ合うように重ねて、吸いあげて、リップだかグロスだか口紅だかを舐め取るように味わう。
 ただの唾液に味があるはずもないのに、そこはひどく甘く感じた。鼻先から頭の後ろへと、くらくらするほどの喜びが走る。

「っん、っ、ん、ふっ……」

 むさぼるように味わい、夢中になっていた嵐志は、菜摘の息が荒くなっていることに気づかなかった。唇が重なる合間にはふはふと酸素を求める菜摘に気づいて、そっと唇を離す。

「……ごめん、苦しかった?」

 菜摘は何も言えないのか、黙ったままふるふると首を横に振った。
 けれどその目は間違いなく、キスをする前よりも潤んでいる。
 ――このまま抱いてもいいかな。
 一瞬理性が吹っ飛びそうになったが、かろうじて耐えた。
 ここは会社だ。そんなことでクビになりでもしたら目も当てられない。
 ついでに、噂などになろうものなら、翠の容赦ない誹謗中傷を受けることになるだろう。
 ……と、思ったというのに。

「……うれしい、です」

 ――いま、何て?

「求めて……もらえることが、うれしい、です」

 照れくさそうに、でも心底うれしそうに微笑んで。
 補足された菜摘の小さな声に、また理性が吹っ飛ばされかけた。
 一瞬、部屋に鍵をかけようかと脳内でドアまでの距離を測る。もう両思いなのだからいいじゃないか、ここが職場だろうと何だろうともう本能のままに貪り合って愛し合って――
 欲望が暴走し始めたとき、菜摘の小さな手が、そっと嵐志の頬に触れた。

「……私からも……して、いいですか?」

 ふっ、と思わず、息を止める。
 ――なんなんだこのかわいい生き物は!
 どんな親を持って生まれどんな風に育てられたらこんな天使が生まれるというのか。
 無神論者の嵐志も、思わず神に感謝したくなる。

「……もちろん」

 ぎゅうぎゅうと心臓が締め付けられているのを感じながらも、嵐志は微笑んだ。
 菜摘がほっとしたように微笑み(かわいい)、ちょっと唇を引き締め直して(かわいい)、ゆっくりと顔を近づけてくる。
 かわいいが過ぎる。
 あまりにゆっくりとした接近に、自分から唇を重ねに行きたいのをどうにかこらえて目を閉じた。
 せっかく彼女からしてくれようとすることを、自分が動いて無駄にしてはいけない。耐えろ、耐えるんだ――
 念じるように自分に言い聞かせていたときだった。
 ふに、と柔らかなぬくもりが、頬に触れたのは。

「……え?」

 予想外の展開に、まばたきをして、菜摘を見やる。
 真っ赤な顔をした菜摘は、慌てたように手で顔をおさえた。

「ご……ごめんなさい」

 菜摘が震えた声で弁明する。

「や、やっぱり、口にするのは、ゆ、勇気が――」

 あ、もう無理だ。
 嵐志は菜摘の顔から、その手を引き剥がした。

「か、神南さ――」
「しぃ」

 吐息だけで答えて、そのまま唇を奪う。
 息を吸おうとする菜摘の口すら唇で塞いで、その口内を存分に味わった。
 首後ろに添えた手で、柔らかな髪をやわやわと撫でる。指を動かすたび、菜摘はぴくん、ぴくんと震えた。
 ――感じてる?
 満足感に笑みが浮かぶ。懸命に閉じた目も桃色の頬も、たまらなく嵐志を煽る。
 その表情を引き出しているのが自分だと思うと、ゾクゾクするほどの喜びが背中に走った。

「っ、はっ、んんっ……」

 合間で菜摘が息を吸い、無意識なのか、嵐志のシャツの胸元をつかんでくる。
 必死に応えようとする姿がいじらしい。嵐志は深いキスから唇を離し、唾液に濡れた唇を舐めて、そのまま唇を首筋へ落とした。

「あっ」

 吐息のような小さな声は、間違いなく情事のときのそれだ。菜摘が慌てて自分の口を押さえる。

「っ、はっ、んっ……」

 唇を首筋に落とすたび、菜摘はぴくんぴくんと震えた。
 嵐志は思わず笑う。

「……前と、ずいぶん反応が違うね?」
「だ、だって、それはっ……」

 神南さんが違うから、と言われれば確かにそうだ。
 喉奥で笑うと、菜摘は困ったように見上げてくる。
 シャツの襟ぐりから、柔らかそうな胸元が見えた。

「……少しだけ」
「え……」

 首筋にキスを落としながら、シャツのボタンを外していく。
 ひとつ。ふたつ。みっつ。
 半分顔をのぞかせた、薄桃色のキャミソールと、ふたつの膨らみ。
 はむっ、とその上部に食みつくと、菜摘はまたぴくんと震えた。

「か、神南、さん……」
「柔らかくて気持ちいい」

 ちゅ、ちゅ、と音を立ててキスを落としていく。カップの中に舌を這わせると、隠れた頂きを一瞬、かすめた。

「あッ!」

 小さな声がして、菜摘の口の前に人差し指を立てる。

「しぃ」

 嵐志の指先と顔を見比べて、菜摘の目が、期待に揺らいだ気がした。
 ――こういうのも好き?
 試しに、指で菜摘の唇をノックしてみる。
 菜摘は恥ずかしそうにしながら、おとなしくそれを咥えた。
 ああ、くそ。
 ――これが、会社じゃなかったら。
 首筋へ、胸元へ、たっぷりのキスを落として腰を撫でる。
 そのまま下着の中まで手を差し入れよう――としたところで、ジャケットの胸元が震えた。
 びくりと菜摘が震え、嵐志を見つめる。
 二人の荒い呼吸が部屋を満たして、嵐は胸元からスマホを取り出した。

「……タイムアップだ」

 嵐志はため息をついて、菜摘の首筋にもう一度キスをする。
 胸元から取り出したスマホは、三十分の経過を示していた。
 襟元を乱したままの菜摘が、肩で呼吸をしながら嵐志を見つめている。
 開いた膝の上にはスカートの裾が乱れ、ふとももがほとんど付け根までむき出しになっていた。
 確かめてはいないが、きっとその先は期待にぬかるんでいるだろう。
 ――残念ながら、今日味わうことはできないが。
 嵐志はふぅと息をついて、菜摘の頬に手を這わせた。
 ただそれだけのことなのに、菜摘はぴくんと身体を震わせる。
 潤んだ瞳を見つめ返した。

「物足りない、って顔してるね」
「そっ、そんなことっ……」

 慌てる菜摘に、嵐志は笑った。抱きしめて、背中を撫でながら、指でブラジャーのホックを軽く弾く。

「俺は、物足りない」
「っ……!」

 動揺している菜摘に、嵐志は笑った。
 頬にキスを落とし、微笑む。

「続きはまた、帰ってきてからのお楽しみ……ね」

 待ってて。そう耳元でささやけば、かわいい恋人は「はい」と素直にうなずいた。

「待ってます……」

 言ったかと思えば、伸び上がって嵐志の唇の端にキスをする。
 動きを止めた嵐志に、菜摘ははにかむように微笑んだ。

「……行ってらっしゃい」

 ――やっぱりいっそこのまま、

 理性が吹き飛びかけたところで、こんこん、と控えめなノックの音がした。びくりと震えた菜摘をかばうように抱きしめ、はい、と答えると、向こうから聞き慣れた声がする。

「あのぅ、課長……すいません、社長が会議の時間を少し早めたいって……」
「ああ、分かった。今行く」

 光治だ。嵐志は一度大きく深呼吸して、ゆっくりと立ち上がった。
 慌てて身繕いをする菜摘の頭を撫で、耳元でささやく。

「君はもう少しここにいて」
「え? でも――」

 顔を上げた菜摘の目に、嵐志はひとつ、キスを落とした。

「そんな顔、俺以外の男に見せたくないから。ここで落ち着いてから出てきて。――いいね?」

 菜摘はただでさえ赤らんでいた顔をますます赤くして、またこくこくうなずいた。
 嵐志はネクタイとシャツを軽く整え直し、もう一度菜摘の方を振り返った。
 丸く、潤んだ目がじっと嵐志を見上げている。

「……じゃあ、行ってくる。次のときこそ……」

 ちゃんと、君を抱かせて。
 そう言い残して、菜摘の姿を見せないよう、会議室のドアを細く開いた。
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