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第二章 天使の翻弄
04 落差
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俺は落ち込んだ。
多分人生で一番落ち込んでたと思う。
もう仕事とかやる気にもならなくて、でも彼女が心配だからとりあえず出社して、こっそり姿を見て安堵して、声をかける勇気もなくてうじうじして、でも姿を見る度に欲情する自分に気づいて、追い撃ちを受けるように落ち込んだ。
男に感じた我を忘れるくらいの憤りが、そのまま落胆に変わったような、そんな感じだった。
そんな日が二、三日続いた頃の昼休み、マーシーから電話があった。
電話に出ながら、多分アーヤが気にして連絡してくれたんだろう、と見当をつけた。今朝、廊下ですれ違った小柄な姿を思い出す。
日頃なら、俺からの電話を嫌そうに受ける先輩は、俺の声を聞くなりひどく驚いた声で言った。
『ホントに元気ないのな。どうした?』
俺は口を開きかけて閉じ、開いてまた閉じた。
「……どうやったら、性欲ってなくなりますか?」
『はぁ?』
ぽつりと聞くと、マーシーの間抜けな声が応じた。
俺は手短に先日のことを話す。
話すとまた、男への怒りが自分への怒りに変わり、落ち込んだ。
「……言われたんです。あんたと何が違うの、って」
言いながら、情けなさに泣きそうだった。
マーシーは納得したような声で相槌を打つ。
『知り合いな分、余計たちが悪い、くらいに思ってんのかもな』
なんで、分かるんですか。
じわり、と言葉にならない何かが胸に広がった。
この人には、分かっていたのかも知れない。ヨーコさんの複雑な感情も、あの諦めたような雰囲気の訳も。
胸に広がった何かは、人を妬む感情だった。それが初めて感じるものだと気づき、自分の幼稚さを思い知る。
「言われて初めて気づいたんです。ヨーコさんのことを、やらしい目で見てるのは、俺もその男も変わらないのかもしれない。それが、ヨーコさんにとっては、すごくーーすごく、嫌なことなんだって……その目を見て、ようやく気づいて」
言葉にすると、少しだけ状況が整理されたような気がした。
マーシーは何もいわず、黙って俺の言葉を聞いている。
俺は吐き出すように、続けた。
「でも、姿見るとやっぱり、駄目なんです。抱いた夜のこと思い出して、また抱きたいって思ってーー」
見かける度、彼女を求めて、身体が反応する。
その肌に触れたいと、その声を聞きたいと、俺の中の雄が騒ぎ出し、俺を煽る。
喜びにすら感じていたその感情が、今はこんなにもつらい。
「俺、すげぇ馬鹿です。一人で舞い上がって、期待して、興奮してーーヨーコさんを傷つけて……。もう、消えてなくなりたい」
声が震えて涙が浮かんだ。
『素直に、それ言ってみたら』
九州にいる先輩は、あっさりと言った。
『直球勝負がお前の持ち味だろ』
言われた俺は、首を傾げる。
「告白するってことですか? ……でも、俺の気持ちなんて分かってると思うんですけど」
マーシーは苦笑したようだった。
『分かってねぇな、多分』
一呼吸置いた先輩が次に口にした声は、うっかり惚れそうなくらい、優しく慈愛に満ちていた。
『なぁ、ジョー。お前は、名取さんとどうなりたいの。セフレ? 恋人?』
俺は黙り込んだ。
少し考えて、今の気持ちを一番的確に表す言葉を探し出す。
「……近くにいたいんです」
自分の気持ちを確認するように、言葉を紡いだ。
「ヨーコさんの近くにいたい。頼られたいし、甘えてほしい。笑ってほしい」
俺は言ってから、首を傾げた。
「ーーっていうのは、どういうことでしょう?」
『自分で考えろよ』
「それもそうですね」
俺は笑った。何が変わった訳でもない。でも、少しだけすっきりしていた。
「当たって砕けろですね。わかりました。ぶつかってみます」
俺が拳を握りながら言うと、マーシーが笑いを含んだ声で聞いてきた。
『お前砕けることとかあんの』
俺は思わず笑う。俺のこと、よく分かってる先輩だなぁ。
「砕けたことないんで分かりませんけど、とりあえず砕けるまでぶつかってみます」
俺の声はだいぶいつもの調子を取り戻していた。
それが伝わったらしいマーシーはまた笑って、通話を終えた。
多分人生で一番落ち込んでたと思う。
もう仕事とかやる気にもならなくて、でも彼女が心配だからとりあえず出社して、こっそり姿を見て安堵して、声をかける勇気もなくてうじうじして、でも姿を見る度に欲情する自分に気づいて、追い撃ちを受けるように落ち込んだ。
男に感じた我を忘れるくらいの憤りが、そのまま落胆に変わったような、そんな感じだった。
そんな日が二、三日続いた頃の昼休み、マーシーから電話があった。
電話に出ながら、多分アーヤが気にして連絡してくれたんだろう、と見当をつけた。今朝、廊下ですれ違った小柄な姿を思い出す。
日頃なら、俺からの電話を嫌そうに受ける先輩は、俺の声を聞くなりひどく驚いた声で言った。
『ホントに元気ないのな。どうした?』
俺は口を開きかけて閉じ、開いてまた閉じた。
「……どうやったら、性欲ってなくなりますか?」
『はぁ?』
ぽつりと聞くと、マーシーの間抜けな声が応じた。
俺は手短に先日のことを話す。
話すとまた、男への怒りが自分への怒りに変わり、落ち込んだ。
「……言われたんです。あんたと何が違うの、って」
言いながら、情けなさに泣きそうだった。
マーシーは納得したような声で相槌を打つ。
『知り合いな分、余計たちが悪い、くらいに思ってんのかもな』
なんで、分かるんですか。
じわり、と言葉にならない何かが胸に広がった。
この人には、分かっていたのかも知れない。ヨーコさんの複雑な感情も、あの諦めたような雰囲気の訳も。
胸に広がった何かは、人を妬む感情だった。それが初めて感じるものだと気づき、自分の幼稚さを思い知る。
「言われて初めて気づいたんです。ヨーコさんのことを、やらしい目で見てるのは、俺もその男も変わらないのかもしれない。それが、ヨーコさんにとっては、すごくーーすごく、嫌なことなんだって……その目を見て、ようやく気づいて」
言葉にすると、少しだけ状況が整理されたような気がした。
マーシーは何もいわず、黙って俺の言葉を聞いている。
俺は吐き出すように、続けた。
「でも、姿見るとやっぱり、駄目なんです。抱いた夜のこと思い出して、また抱きたいって思ってーー」
見かける度、彼女を求めて、身体が反応する。
その肌に触れたいと、その声を聞きたいと、俺の中の雄が騒ぎ出し、俺を煽る。
喜びにすら感じていたその感情が、今はこんなにもつらい。
「俺、すげぇ馬鹿です。一人で舞い上がって、期待して、興奮してーーヨーコさんを傷つけて……。もう、消えてなくなりたい」
声が震えて涙が浮かんだ。
『素直に、それ言ってみたら』
九州にいる先輩は、あっさりと言った。
『直球勝負がお前の持ち味だろ』
言われた俺は、首を傾げる。
「告白するってことですか? ……でも、俺の気持ちなんて分かってると思うんですけど」
マーシーは苦笑したようだった。
『分かってねぇな、多分』
一呼吸置いた先輩が次に口にした声は、うっかり惚れそうなくらい、優しく慈愛に満ちていた。
『なぁ、ジョー。お前は、名取さんとどうなりたいの。セフレ? 恋人?』
俺は黙り込んだ。
少し考えて、今の気持ちを一番的確に表す言葉を探し出す。
「……近くにいたいんです」
自分の気持ちを確認するように、言葉を紡いだ。
「ヨーコさんの近くにいたい。頼られたいし、甘えてほしい。笑ってほしい」
俺は言ってから、首を傾げた。
「ーーっていうのは、どういうことでしょう?」
『自分で考えろよ』
「それもそうですね」
俺は笑った。何が変わった訳でもない。でも、少しだけすっきりしていた。
「当たって砕けろですね。わかりました。ぶつかってみます」
俺が拳を握りながら言うと、マーシーが笑いを含んだ声で聞いてきた。
『お前砕けることとかあんの』
俺は思わず笑う。俺のこと、よく分かってる先輩だなぁ。
「砕けたことないんで分かりませんけど、とりあえず砕けるまでぶつかってみます」
俺の声はだいぶいつもの調子を取り戻していた。
それが伝わったらしいマーシーはまた笑って、通話を終えた。
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