色ハくれなゐ 情ハ愛

松丹子

文字の大きさ
36 / 64
第四章 死が二人を分かつまで

04 初恋

しおりを挟む
 ヨーコさんと二人、斎場に向かうと、兄姉もその家族も揃っていた。
 少し前までは賑やかに駆け回っていた甥姪も、すっかり良識を身につけて、礼服に見を包み神妙にしている。
「ああ、ジョー。お疲れ」
 俺に気づいた良次兄さんが手を上げる。一時期結婚して家を出た良二兄さんは、離婚後ずっと母と二人で住んでいた。不動産系の営業をしていて、フットワークが軽く顔が広い。
「うん……母さんは?」
「こっち」
 良次兄さんは言って、歩き出した。
 その横顔が、一気に老け込んだように見える。
 良次兄さんの年齢を思い出す。ヨーコさんより一つ年上なだけなのに、とてもそうは見えなかった。
「……兄さん、老けたね」
 柩が見えると同時に呟くと、良次兄さんはあきれたように俺を見た。
「お前、相変わらずマイペースだな」
 俺は首を傾げた。ヨーコさんが後ろで苦笑している。
「すみません。悪気はないんです……だから余計、たちが悪いんですけど」
 フォローになっていないことを言ったヨーコさんに、良次兄さんが苦笑を返している。
「知ってる。ヨーコちゃんも苦労するね」
「いえ……こういうジョーだから救われるところもありますし」
 俺はぷくっと頬を膨らませて見せた。
 立ち話を始めた二人をその場に残して、俺は柩へと足を向ける。
 白っぽい綺麗な柩に入っている母は、ただ眠っているような姿なのに、蝋人形のように見えた。
 血の気がない、ってこういうことか。
 柩の横に手を添えて、母をじっと見つめる。
 笑ったときによく寄った目尻のシワと頬のシワ。白くなった髪と眉。唇にはうっすらと、死に化粧が施されている。
 父が死んだとき、俺は二十代後半だった。
 ガンが分かった後、父の死までは一年程度。
 覚悟する期間はあったけど、思春期の頃、柔道の腕を試して俺を投げ飛ばしていた姿から思えば、その死はあまりに呆気なかった。
 柩の端にあごを乗せ、動かない母を見る。
 髪はぱさぱさに乾き、口の中には綿か何かが入っているようだった。
 本当に、もう動かないんだ。
 改めて思い知って、唇を引き結ぶ。
 まぶたの裏には母の姿が浮かんでいた。
 楽しそうに酒を酌み交わしていた年始の姿。
 ヨーコさんの耳元に手を当て、ひそひそと楽しそうに離していた少女のような姿。
「……母さん、よかったね」
 母がよく、言っていたのを思い出す。
 「憎まれバアサンになるのは嫌だから、ぽっくり逝きたいわ」と。
 笑って言っていたのを思い出す。
 「お父さんってば、いつ迎えに来てくれるつもりかしら。よぼよぼになったらあっちに行っても楽しめないのにね」と。
 笑いながら、伴侶を失った切なさを、目に秘めていた母を。
 父の葬式でも、母は泣かなかった。
 穏やかに微笑んで、黙って父の頬を撫でていた。
「ありがとう、お父さん。幸せだったわ」
 静かに囁いたその声に泣いたのは、むしろ俺の方だった。
 俺はゆっくりと、母の頬に手を伸ばす。 
 でも、さわれなかった。
 手を止めた俺の横から、ヨーコさんが手を伸ばし、両頬を包む。
「お義母さん……」
 俺はヨーコさんの横顔を見る。穏やかで切ない微笑みをたたえた彼女が、優しく母の頬を撫でていた。
「一緒に、京都行くの、楽しみやったのに残念ですけど……」
 俺は柩にあごを乗せたまま、目を閉じて彼女の声を聞く。
「でも、ようやくお義父さんと会えますね。よろしく伝えてくださいね」
 うっすらと目を開くと、彼女の目に涙が浮いているのが見えた。
 綺麗だなぁ、と見惚れていると、ヨーコさんが俺を見る。
 母の頬から離した手を、柩の縁を掴む俺の手に重ねた。
 その手が触れて始めて、自分の手の震えに気づく。
 ヨーコさんは切なげに微笑んだまま、俺の肩に頬を寄せた。
「……大丈夫?」
「……うん……」
 俺の手を覆ったヨーコさんの手を握る。
 ヨーコさんは指を絡めた。
「……大丈夫」
 頷いて、片手を母の頬に伸ばす。
「……母さん。ヨーコさんのこと、父さんに自慢しといて」
 触れた頬は、もう生きているもののそれではない。
 俺は唇を引き結んだ。下唇を噛み締める。俯く。
 ヨーコさんが俺の頭を抱き寄せた。
「泣いてええねんで」
「……ぅん……」
 遠巻きに、甥も姪も俺たちを見ている。
 そうわかっていても、涙は止められなかった。
 片手で目を覆い、小さく嗚咽を漏らしながら泣く。
 ヨーコさんは黙って俺の背中を撫でてくれていた。
「ジョーは意外と泣き虫や、て、お母さんと話しててんで」
 俺の背を撫でながら、ヨーコさんは呟いた。
「わがままやのに、自分が大切にするものは本当に大切にするんやて、下手したら自分以上に大切にするんやて、言うてはった」
 俺は思わず笑った。ヨーコさんが静かに差し出したハンカチを受け取り、目に当てる。
「いつの間にそんなこと、話してたの」
「いつやったかなぁ。一緒にお出かけしたときやったと思うで」
 ヨーコさんは微笑んだ。
「そうそう、ひな人形の展覧会に行ったときやったかな。おばあちゃんの持ってた日本人形、ジョーが気に入ってはったのを、おばあちゃんが亡くなった後見つからんで捨てたて言うたら、しばらく部屋から出て来ぃへんかったって」
 俺は目をぱちくりする。そういえばそんなこともあったかもしれない。
「ジョーお兄ちゃん」
 一番末の姪っ子が、俺のところに寄ってきた。
 気まずそうにしているその背中を、みんなが見ている。きっと声をかける役目を押し付けられたのだろう。
「これ……良次おじちゃんが、持ってけって」
 強引な叔父には、甥も姪も敵わない。俺は苦笑しながら差し出されたそれを目にし、驚きに数度まばたきした。
「……え? これ、あったの?」
「なんか、よくわかんないけど、持ってけば分かるって」
「いや、わかんないよ。分かるけどわかんない」
 俺は彼女の手から、博多人形を受けとる。
 手芸が好きだった祖母が作った木目込み人形。博多人形の白い顔に、鮮やかな和柄の布がはめこまれている。
「なんだぁ、捨ててなかったんだ」
 俺は笑いながらそれを顔の前へ持ち上げた。おかっぱの女の子。不思議と切なさを感じさせる切れ長の目、わずかに紅の乗った頬、小さな唇。
 そのときいきなり、ヨーコさんと出会ったときに感じた既視感を思い出し、俺はヨーコさんを見た。
 ヨーコさんがわずかに、首を傾げる。
「……あー」
「何や?」
 首を傾げる彼女の顔の隣に人形を掲げ、笑った。
「だから、見覚えがあるような気がしたんだ」
「……うちを?」
「うん」
 俺は笑いながらヨーコさんの手に人形を渡す。
「小学校の卒業アルバムの写真にそっくり」
「……おかっぱだけやろ」
「違うよ。そっくりだよ。ヨーコさんに」
 ヨーコさんは困惑したように、唇を尖らせた。照れてもいるのだろう。頬がわずかに赤い。
「こんなにぷっくりしてへん」
「でも、この子が人間で、大人になったら、ヨーコさんになるよ」
 ヨーコさんはあきれたような顔で俺を見上げた。
「あんたなぁ」
 何か言おうとして、言葉に迷ったらしい。嘆息すると、また人形の顔をじっと見つめた。
「もしかして、この子がジョーの初恋なん?」
「そうかも。妬ける?」
「妬くわけないやろ」
 言いながら、ヨーコさんは微笑んで人形の頭を撫でた。
 良次兄さんが遠くから見ていることに気づき、俺は声をあげた。
「兄さん、これどこにあったの?」
「年度末の大掃除で出てきた荷物、年始に整理してたら出てきたんだよ。母さんが見つけた」
 良次兄さんは答えて笑う。
「お前に謝らなきゃって笑ってたぞ。次に会ったとき渡そうって言って。俺はもう要らないんじゃないかって言ったんだけどな」
 歩み寄りながらそう言って、ヨーコさんに微笑む。
「だってジョーにはもう、ヨーコちゃんがいるもんな」
 俺はヨーコさんとその手の内の人形を見て、良次兄さんに向き直った。
「じゃあ、兄さんにあげようか?」
「俺ぇ? 俺はいいよ」
 良次兄さんは笑う。
「どうせなら人形より生身の人間がいい」
 俺も笑って、ヨーコさんの肩を引き寄せた。
「そりゃそうだ」
 俺達を見上げるヨーコさんに微笑みかける。
 ヨーコさんは俺と良次兄さんを順に見て、手元の人形に目を落とした。
「……なら、うちがもらっても?」
 その髪を撫でて、回答を求めるように俺たちを見上げる。
「気に入ったの?」
 良次兄さんが意外そうに言うと、照れ臭そうに微笑んだ。
「なんか……他人の気がせえへん」
 俺は慌てて、兄とヨーコさんの間に割り込む。
「駄目」
「何が」
「ジョー?」
「駄目。今の顔は俺だけしか見ちゃ駄目。良次兄さんあっちに行って」
 精一杯良次兄さんを睨みつけると、良次兄さんもヨーコさんも、あきれたような顔をした。
「変わんねぇなあ、お前は、ほんと」
 それぞれ言って、昔よくしたように俺の髪を掻き混ぜる。
 もう三十も後半の弟の頭を。
「箱、あっちにあるから。好きに持ってけ」
「うん。ありがとう」
 俺は頷いて、柩の中に横たわる母を見た。
「母さんも……ありがとう」
 微笑むと、母がわずかに微笑んだような気がした。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

〜仕事も恋愛もハードモード!?〜 ON/OFF♡オフィスワーカー

i.q
恋愛
切り替えギャップ鬼上司に翻弄されちゃうオフィスラブ☆ 最悪な失恋をした主人公とONとOFFの切り替えが激しい鬼上司のオフィスラブストーリー♡ バリバリのキャリアウーマン街道一直線の爽やか属性女子【川瀬 陸】。そんな陸は突然彼氏から呼び出される。出向いた先には……彼氏と見知らぬ女が!? 酷い失恋をした陸。しかし、同じ職場の鬼課長の【榊】は失恋なんてお構いなし。傷が乾かぬうちに仕事はスーパーハードモード。その上、この鬼課長は————。 数年前に執筆して他サイトに投稿してあったお話(別タイトル。本文軽い修正あり)

甘過ぎるオフィスで塩過ぎる彼と・・・

希花 紀歩
恋愛
24時間二人きりで甘~い💕お仕事!? 『膝の上に座って。』『悪いけど仕事の為だから。』 小さな翻訳会社でアシスタント兼翻訳チェッカーとして働く風永 唯仁子(かざなが ゆにこ)(26)は頼まれると断れない性格。 ある日社長から、急ぎの翻訳案件の為に翻訳者と同じ家に缶詰になり作業を進めるように命令される。気が進まないものの、この案件を無事仕上げることが出来れば憧れていた翻訳コーディネーターになれると言われ、頑張ろうと心を決める。 しかし翻訳者・若泉 透葵(わかいずみ とき)(28)は美青年で優秀な翻訳者であるが何を考えているのかわからない。 彼のベッドが置かれた部屋で二人きりで甘い恋愛シミュレーションゲームの翻訳を進めるが、透葵は翻訳の参考にする為と言って、唯仁子にあれやこれやのスキンシップをしてきて・・・!? 過去の恋愛のトラウマから仕事関係の人と恋愛関係になりたくない唯仁子と、恋愛はくだらないものだと思っている透葵だったが・・・。 *導入部分は説明部分が多く退屈かもしれませんが、この物語に必要な部分なので、こらえて読み進めて頂けると有り難いです。 <表紙イラスト> 男女:わかめサロンパス様 背景:アート宇都宮様

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

子持ち愛妻家の極悪上司にアタックしてもいいですか?天国の奥様には申し訳ないですが

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
胸がきゅんと、甘い音を立てる。 相手は、妻子持ちだというのに。 入社して配属一日目。 直属の上司で教育係だって紹介された人は、酷く人相の悪い人でした。 中高大と女子校育ちで男性慣れしてない私にとって、それだけでも恐怖なのに。 彼はちかよんなオーラバリバリで、仕事の質問すらする隙がない。 それでもどうにか仕事をこなしていたがとうとう、大きなミスを犯してしまう。 「俺が、悪いのか」 人のせいにするのかと叱責されるのかと思った。 けれど。 「俺の顔と、理由があって避け気味なせいだよな、すまん」 あやまってくれた彼に、胸がきゅんと甘い音を立てる。 相手は、妻子持ちなのに。 星谷桐子 22歳 システム開発会社営業事務 中高大女子校育ちで、ちょっぴり男性が苦手 自分の非はちゃんと認める子 頑張り屋さん × 京塚大介 32歳 システム開発会社営業事務 主任 ツンツンあたまで目つき悪い 態度もでかくて人に恐怖を与えがち 5歳の娘にデレデレな愛妻家 いまでも亡くなった妻を愛している 私は京塚主任を、好きになってもいいのかな……?

ソツのない彼氏とスキのない彼女

吉野 那生
恋愛
特別目立つ訳ではない。 どちらかといえば地味だし、バリキャリという風でもない。 だけど…何故か気になってしまう。 気がつくと、彼女の姿を目で追っている。 *** 社内でも知らない者はいないという程、有名な彼。 爽やかな見た目、人懐っこく相手の懐にスルリと入り込む手腕。 そして、華やかな噂。 あまり得意なタイプではない。 どちらかといえば敬遠するタイプなのに…。

2月31日 ~少しずれている世界~

希花 紀歩
恋愛
プロポーズ予定日に彼氏と親友に裏切られた・・・はずだった 4年に一度やってくる2月29日の誕生日。 日付が変わる瞬間大好きな王子様系彼氏にプロポーズされるはずだった私。 でも彼に告げられたのは結婚の申し込みではなく、別れの言葉だった。 私の親友と結婚するという彼を泊まっていた高級ホテルに置いて自宅に帰り、お酒を浴びるように飲んだ最悪の誕生日。 翌朝。仕事に行こうと目を覚ました私の隣に寝ていたのは別れたはずの彼氏だった。

出逢いがしらに恋をして 〜一目惚れした超イケメンが今日から上司になりました〜

泉南佳那
恋愛
高橋ひよりは25歳の会社員。 ある朝、遅刻寸前で乗った会社のエレベーターで見知らぬ男性とふたりになる。 モデルと見まごうほど超美形のその人は、その日、本社から移動してきた ひよりの上司だった。 彼、宮沢ジュリアーノは29歳。日伊ハーフの気鋭のプロジェクト・マネージャー。 彼に一目惚れしたひよりだが、彼には本社重役の娘で会社で一番の美人、鈴木亜矢美の花婿候補との噂が……

ケダモノ、148円ナリ

菱沼あゆ
恋愛
 ケダモノを148円で買いました――。   「結婚するんだ」  大好きな従兄の顕人の結婚に衝撃を受けた明日実は、たまたま、そこに居たイケメンを捕まえ、 「私っ、この方と結婚するんですっ!」 と言ってしまう。  ところが、そのイケメン、貴継は、かつて道で出会ったケダモノだった。  貴継は、顕人にすべてをバラすと明日実を脅し、ちゃっかり、明日実の家に居座ってしまうのだが――。

処理中です...