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3.小夜子 家に帰る
(5)明日への出発点(完)
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角を曲がると、一転して小夜子は歩調を緩めた。追いついた高志と香代に、彼女は自嘲気味に笑いながら言った。
「私は、もう過去の人間なんだって、分かった」
「……」
今は、励ましても無駄なのだろう。高志も香代も、黙って聞きながら彼女に歩調を揃えて駅に向かう。
「私がいなくても、家族みんな、楽しそうにやっている。……もちろん、私があのとき死なずに生きていてそこに居れば、なお良かったんだと思う。……でも私は死んで時間は過ぎて、みんなはじめは悲しかっただろうけど心に折り合いをつけて、私がいない世界を受け入れながら、楽しく生きている」
「……」
「そこに今、私が帰っていっても、みんな混乱するだけだと思う。……7年もかけて私がいない世界を受け入れていたのが、ぜんぶひっくり返されてグチャグチャになってしまいそうで」
「そんなこと、ないと思うんだけどなぁ」
小夜子の言うことにひとつひとつ納得しながらも、しかしモヤモヤしたものを感じていた高志は、思わず言った。香代が彼を止めないのは、同じことを思っていたからか。
「どんな形であっても、みんな小夜子さんに会いたいと思っているはずだよ」
「でも、間違いなく死んだ私が現れても、それはお化けか幽霊と変わらない」
「幽霊であっても、だよ。だからこそイタコとか霊媒師とかのところで死んだ親しい人に会おうとする人が今でもいるんだよ」
「でもお父さん、お母さん、マサヒロの方から私に会いたがっているか……正直、自信がない。……というのも、私はさっき庭を覗き見したときに、感じたような気がしたの。……みんなのそれぞれの心のなかに『私がいる』んじゃないか……もう黄泉がえった私なんて、お呼びじゃないんじゃないかって……」
「……」
もう何が正しく何が本当のことなのかも分からなくなって、みんな黙り込んだ。その時、道の向こうの街灯に照らされながらこちらに向かって歩いてくる人影があった。
「やっぱり……さよちゃんでしょ!」
小夜子の大親友だったという、「マキちゃん」だ。小夜子を認めるなり、駆け寄ってきた。
死んだはずの小夜子が当時の姿のままでいることに、ひとかけらの違和感も感じていないようだった。しかし抱きつこうとする彼女をかわし、小夜子はさらに駅の方に歩き続ける。
「さよちゃん、待って……会いたかった」
追いすがるように小夜子の肩を掴もうとする「マキちゃん」だったが、小夜子は振り向いて言い放った。無表情に、虚ろな目をして。
「たぶん、他人の空似です」
そして再び歩き始めた。高志と香代は慌てて後を追い、ひとり取り残された「マキちゃん」は追ってこなかった。
高志は、あんまりだと思った。大親友が小夜子を追いかけて来てくれたと言うのに……小夜子こそその大親友に会いたいと「わがまま」を言っていたのに。
後ろから呼びかけても小夜子は振り向かず、足を止めようともしなかった。そのまま踏切を渡り、駅まで着いてしまった。
「で、今日はとりあえず引き上げる? また別の日に仕切り直す?」
「……」
香代の問いかけに小夜子は、同意はしないが拒否もしない。彼女自身、かなり迷っているようだった。
ちょうど街からの電車が到着したらしく、大勢の通勤通学客が改札口の方から押し寄せて、方々へ散っていった。
潮が退くようにその雑踏が収まる頃まで迷った末に、彼女はひとつの答えを出した。
「猫に戻って、それからもう一度家に行ってみる」
「う~ん……それは、どうだろう」
高志は首を傾げた。なるほど、猫の姿だったら家族はみんな違和感なく受け入れてくれるかもしれない。
しかし誰も、その猫が小夜子だと分からないだろう。そして彼女も「ごめんなさい」を言えず、もともとの目的は果たせられない。
「取りあえず今日は、それでいこうか」
仕方がない、というふうに香代は同意した。小夜子は、多目的トイレに向かう。
「待って!」
そこに、声がかかった。振り向くと、「マキちゃん」が3人を追いかけてきたところだった。
彼女は小夜子の方に、つかつかと歩み寄った。小夜子は目を見開きながら、半歩後ずさる。
「あなたが、さよちゃん……岸本小夜子さんでないことは、分かりました。だからこれから私が言うことは、通りすがりの変な大学生の独り言です。いいですか?」
彼女の顔は、真剣そのものだった。小夜子も頷き、真剣な眼差しで返す。
「小夜子さんのお父さんから、お葬式の後に聞きました。小夜子さんはお父さんと酷いケンカをしたそうなんです。お父さんは、必要以上に小夜子さんを叱責して、そのことをひどく後悔していました」
小夜子の表情が、さっと変わった。みるみる目に泪が溜まっていく。
「お父さんとはその後も節目節目でお会いしました。そのたびに、小夜子さんに悪かった、申し訳ない、と繰り返していました。けれど……だんだんと、心境に変化が出てきたようです。『いくらなんでも、小夜子も許してくれるだろう』と言って、その代わり、小夜子さんとの楽しい思い出だけを大切にして生きていくよう、気持ちを切り替えたようです」
小夜子の目に溜まった泪は、ぼろぼろとこぼれ落ちてセーラー服の胸元や足元のタイルに落ちた。彼女は顔を拭うこともせず、声をなんとか絞り出すように答える。
「わかりました……あなたの独り言、いつかどこかの世界でその『小夜子さん』と会う機会があったら、伝えます」
「ありがとう……だったら、もうひとつ伝えてほしいことがあります。それは、小夜子さんの大親友の心のなかに、小夜子さんはいつまでも元気に生きています。……ということを」
「分かりました」
答えながら、小夜子は「マキちゃん」に抱きついた。彼女の胸に顔を埋めて泣く小夜子の頭を、泪をこらえながら優しく撫で続けた。
・・・
高志と香代は、ミケをキャリーに入れて小夜子の家のそばまで来た。高志はキャリーを路面に下ろし、格子になった扉を開けた。
「にゃぁ」
ミケは一瞬だけふたりを振り向き、ダッシュで庭に飛び込んでいった。まだ、一家でのお好み焼きパーティーは続いていた。
「あっ、猫だ! 仔猫が来た!」
マサヒロらしい、少年の声が上がった。両親と思われる、歓声も聞こえてきた。
気が済むまでミケは家族のところにいて、またガレージのところに戻ってくる手はずになっていた。しかしふたりして人の家の前で立って待っていると、それだけで怪しまれそうだ。
だから、近所をぶらぶら歩いて時間を潰すことにした。高志たちの住むところもそうだが、郊外の住宅地は日が沈むとひっそりと静まり返る。
そんななか、ふたりは会話らしい会話もせずに並んで歩いた。複雑に揺れ動いてグチャグチャな小夜子の心情の吐露を目の当たりにしてしまったから、それに圧倒されたままだった。
町内をぐるりと回って小夜子の家の前まで来るが、ミケはガレージに来なかった。通り過ぎざま庭をちらりと覗くと、ミケは父親の膝の上で丸まっていた。
何周か回っても、ミケは家族の中にいた。お好み焼きに使うはずの鰹節パックを母親が差し出して、それに頭を突っ込むように食べている姿もあった。
「案外と、こういう形での再会がお互いにとって幸せなのかも」
香代は、呟いた。高志は、なるほどそういう考えもあるかと感じた。
しかし時間はいくらでも過ぎていってしまい、いつまでもそうしてはいられない。頃合いを見て、高志たちは小夜子の家の門をくぐった。
「ごめんください、こんばんは」
「どちらさんでしょうか?」
お好み焼きを載せたプラ皿を置いて、小夜子の母親が訊いてきた。ミケはまた父親の膝の上で丸まり、頭や脇腹を撫でられて心地よさそうに目を閉じていた。
「うちの猫……ミケがお邪魔してるんじゃないかと」
「あらあら、あなた達の猫ちゃんだったんですね。人懐っこくて甘えんぼで、普段は猫から嫌われるうちの主人にもこんなに懐いてて、きっとどこかの飼い猫じゃないかって話はしてたんですが」
「さ、ミケ、そろそろ帰ろうか」
高志は、キャリーを地面に置いた。ミケは父親を見上げ、名残惜しそうに「うにゅ~ん」とか細く鳴いた。
少しアルコールが入っているらしい父親は上機嫌に、ミケを抱えあげてキャリーの前に下ろした。もう一度ミケは「にゅ~ん」と鳴いて、父親の腕を爪を立てずにポンポンと叩いた。
「せっかく仲良くなれたのに、別れてしまうなんて寂しいなぁ」父親は屈んでミケを撫でた。そして、高志たちを向いた。「いやね、ちょうどうちでも猫を飼おうか、って話をしていたところだったからね。せがれは来年には県外の大学に出ていってしまうから、寂しさを紛らそうってわけでもないんだけどね」
ミケはもう一度父親の手にタッチしてから、キャリーに入った。父親はキャリーの前にしゃがみ込み、中に手を突っ込んでなおもミケを撫で続けた。
「……そんなときにふらりとやってきたから、この子がいいななんてみんなで話したりしてね。……実はね、うちは娘を亡くしててね、猫を飼うってのがその娘の遺志みたいなものでもあったりして……だから、保護猫の里親になろうかなんて話もしてたんで」
「だったら、この子はどうですか? 実はこの子、里親募集中なんです!」
「えっ、そうなの?」
香代が迫るようにミケを勧めたのに対して、小夜子の家族はみんな初めはあっけに取られた。しかし次の瞬間には、一斉に笑顔が弾けた。
「だったら、里親にならせてください!」
母親が名乗りを上げた。父親も、「うんうん」と笑いながら頷いている。
「この子、まるで昔からこの家にいたみたいに私たちに懐いているんですよ。息子なんて、『お盆だしお姉ちゃんが猫になって帰ってきたんじゃ?』なんて冗談言ったりするくらい!」
そこへ、ミケが甘え声を上げながら再びキャリーから出てきた。父親はミケを抱えあげて、頬ずりするように顔を近づけた。
・・・
とりあえずは適度な間隔で「お試しでお泊り」を繰り返しながら、ミケを受け入れる準備をしてもらうことになった。そして諸々の準備が完了したら、ミケは晴れて岸本家……小夜子の元の家の住人となる。
そんな段取りを決めているうちに夜も更けてきて、高志たちは街のターミナルから最終バスで自分たちの町へ帰った。高志の膝の上に抱えられたキャリーの中で、ミケは眠っているのか静かに丸まっている。
ミケの里親が決まって、高志の母親だけでなく父親も悲しむかもしれない。けれど、これがベストに近い最適解に違いはなかった。
やがてふたりは、自宅最寄りのバス停で降りた。それぞれの家はそこから別方向になる。
「それじゃぁ、また明日」
ふたりはグータッチをして、それぞれ背を向けた。しかし高志は思わず香代の方へ振り返り、その背中に向かって言った。
「同好会への参加、前向きに考えとくからな!」
それは、小夜子を家に帰そうと香代といっしょにあれこれ考え、動いていたここ数日の間に並行して心のなかで温めていたことだった。しかし彼女は振り返りもせず、ただ「いいよ」と答えるように手だけ振ってみせた。
空高く、月が上っていた。ミケは目を覚ましたのか、キャリーの中で「にゃぁ」と鳴いた。
(完)
「私は、もう過去の人間なんだって、分かった」
「……」
今は、励ましても無駄なのだろう。高志も香代も、黙って聞きながら彼女に歩調を揃えて駅に向かう。
「私がいなくても、家族みんな、楽しそうにやっている。……もちろん、私があのとき死なずに生きていてそこに居れば、なお良かったんだと思う。……でも私は死んで時間は過ぎて、みんなはじめは悲しかっただろうけど心に折り合いをつけて、私がいない世界を受け入れながら、楽しく生きている」
「……」
「そこに今、私が帰っていっても、みんな混乱するだけだと思う。……7年もかけて私がいない世界を受け入れていたのが、ぜんぶひっくり返されてグチャグチャになってしまいそうで」
「そんなこと、ないと思うんだけどなぁ」
小夜子の言うことにひとつひとつ納得しながらも、しかしモヤモヤしたものを感じていた高志は、思わず言った。香代が彼を止めないのは、同じことを思っていたからか。
「どんな形であっても、みんな小夜子さんに会いたいと思っているはずだよ」
「でも、間違いなく死んだ私が現れても、それはお化けか幽霊と変わらない」
「幽霊であっても、だよ。だからこそイタコとか霊媒師とかのところで死んだ親しい人に会おうとする人が今でもいるんだよ」
「でもお父さん、お母さん、マサヒロの方から私に会いたがっているか……正直、自信がない。……というのも、私はさっき庭を覗き見したときに、感じたような気がしたの。……みんなのそれぞれの心のなかに『私がいる』んじゃないか……もう黄泉がえった私なんて、お呼びじゃないんじゃないかって……」
「……」
もう何が正しく何が本当のことなのかも分からなくなって、みんな黙り込んだ。その時、道の向こうの街灯に照らされながらこちらに向かって歩いてくる人影があった。
「やっぱり……さよちゃんでしょ!」
小夜子の大親友だったという、「マキちゃん」だ。小夜子を認めるなり、駆け寄ってきた。
死んだはずの小夜子が当時の姿のままでいることに、ひとかけらの違和感も感じていないようだった。しかし抱きつこうとする彼女をかわし、小夜子はさらに駅の方に歩き続ける。
「さよちゃん、待って……会いたかった」
追いすがるように小夜子の肩を掴もうとする「マキちゃん」だったが、小夜子は振り向いて言い放った。無表情に、虚ろな目をして。
「たぶん、他人の空似です」
そして再び歩き始めた。高志と香代は慌てて後を追い、ひとり取り残された「マキちゃん」は追ってこなかった。
高志は、あんまりだと思った。大親友が小夜子を追いかけて来てくれたと言うのに……小夜子こそその大親友に会いたいと「わがまま」を言っていたのに。
後ろから呼びかけても小夜子は振り向かず、足を止めようともしなかった。そのまま踏切を渡り、駅まで着いてしまった。
「で、今日はとりあえず引き上げる? また別の日に仕切り直す?」
「……」
香代の問いかけに小夜子は、同意はしないが拒否もしない。彼女自身、かなり迷っているようだった。
ちょうど街からの電車が到着したらしく、大勢の通勤通学客が改札口の方から押し寄せて、方々へ散っていった。
潮が退くようにその雑踏が収まる頃まで迷った末に、彼女はひとつの答えを出した。
「猫に戻って、それからもう一度家に行ってみる」
「う~ん……それは、どうだろう」
高志は首を傾げた。なるほど、猫の姿だったら家族はみんな違和感なく受け入れてくれるかもしれない。
しかし誰も、その猫が小夜子だと分からないだろう。そして彼女も「ごめんなさい」を言えず、もともとの目的は果たせられない。
「取りあえず今日は、それでいこうか」
仕方がない、というふうに香代は同意した。小夜子は、多目的トイレに向かう。
「待って!」
そこに、声がかかった。振り向くと、「マキちゃん」が3人を追いかけてきたところだった。
彼女は小夜子の方に、つかつかと歩み寄った。小夜子は目を見開きながら、半歩後ずさる。
「あなたが、さよちゃん……岸本小夜子さんでないことは、分かりました。だからこれから私が言うことは、通りすがりの変な大学生の独り言です。いいですか?」
彼女の顔は、真剣そのものだった。小夜子も頷き、真剣な眼差しで返す。
「小夜子さんのお父さんから、お葬式の後に聞きました。小夜子さんはお父さんと酷いケンカをしたそうなんです。お父さんは、必要以上に小夜子さんを叱責して、そのことをひどく後悔していました」
小夜子の表情が、さっと変わった。みるみる目に泪が溜まっていく。
「お父さんとはその後も節目節目でお会いしました。そのたびに、小夜子さんに悪かった、申し訳ない、と繰り返していました。けれど……だんだんと、心境に変化が出てきたようです。『いくらなんでも、小夜子も許してくれるだろう』と言って、その代わり、小夜子さんとの楽しい思い出だけを大切にして生きていくよう、気持ちを切り替えたようです」
小夜子の目に溜まった泪は、ぼろぼろとこぼれ落ちてセーラー服の胸元や足元のタイルに落ちた。彼女は顔を拭うこともせず、声をなんとか絞り出すように答える。
「わかりました……あなたの独り言、いつかどこかの世界でその『小夜子さん』と会う機会があったら、伝えます」
「ありがとう……だったら、もうひとつ伝えてほしいことがあります。それは、小夜子さんの大親友の心のなかに、小夜子さんはいつまでも元気に生きています。……ということを」
「分かりました」
答えながら、小夜子は「マキちゃん」に抱きついた。彼女の胸に顔を埋めて泣く小夜子の頭を、泪をこらえながら優しく撫で続けた。
・・・
高志と香代は、ミケをキャリーに入れて小夜子の家のそばまで来た。高志はキャリーを路面に下ろし、格子になった扉を開けた。
「にゃぁ」
ミケは一瞬だけふたりを振り向き、ダッシュで庭に飛び込んでいった。まだ、一家でのお好み焼きパーティーは続いていた。
「あっ、猫だ! 仔猫が来た!」
マサヒロらしい、少年の声が上がった。両親と思われる、歓声も聞こえてきた。
気が済むまでミケは家族のところにいて、またガレージのところに戻ってくる手はずになっていた。しかしふたりして人の家の前で立って待っていると、それだけで怪しまれそうだ。
だから、近所をぶらぶら歩いて時間を潰すことにした。高志たちの住むところもそうだが、郊外の住宅地は日が沈むとひっそりと静まり返る。
そんななか、ふたりは会話らしい会話もせずに並んで歩いた。複雑に揺れ動いてグチャグチャな小夜子の心情の吐露を目の当たりにしてしまったから、それに圧倒されたままだった。
町内をぐるりと回って小夜子の家の前まで来るが、ミケはガレージに来なかった。通り過ぎざま庭をちらりと覗くと、ミケは父親の膝の上で丸まっていた。
何周か回っても、ミケは家族の中にいた。お好み焼きに使うはずの鰹節パックを母親が差し出して、それに頭を突っ込むように食べている姿もあった。
「案外と、こういう形での再会がお互いにとって幸せなのかも」
香代は、呟いた。高志は、なるほどそういう考えもあるかと感じた。
しかし時間はいくらでも過ぎていってしまい、いつまでもそうしてはいられない。頃合いを見て、高志たちは小夜子の家の門をくぐった。
「ごめんください、こんばんは」
「どちらさんでしょうか?」
お好み焼きを載せたプラ皿を置いて、小夜子の母親が訊いてきた。ミケはまた父親の膝の上で丸まり、頭や脇腹を撫でられて心地よさそうに目を閉じていた。
「うちの猫……ミケがお邪魔してるんじゃないかと」
「あらあら、あなた達の猫ちゃんだったんですね。人懐っこくて甘えんぼで、普段は猫から嫌われるうちの主人にもこんなに懐いてて、きっとどこかの飼い猫じゃないかって話はしてたんですが」
「さ、ミケ、そろそろ帰ろうか」
高志は、キャリーを地面に置いた。ミケは父親を見上げ、名残惜しそうに「うにゅ~ん」とか細く鳴いた。
少しアルコールが入っているらしい父親は上機嫌に、ミケを抱えあげてキャリーの前に下ろした。もう一度ミケは「にゅ~ん」と鳴いて、父親の腕を爪を立てずにポンポンと叩いた。
「せっかく仲良くなれたのに、別れてしまうなんて寂しいなぁ」父親は屈んでミケを撫でた。そして、高志たちを向いた。「いやね、ちょうどうちでも猫を飼おうか、って話をしていたところだったからね。せがれは来年には県外の大学に出ていってしまうから、寂しさを紛らそうってわけでもないんだけどね」
ミケはもう一度父親の手にタッチしてから、キャリーに入った。父親はキャリーの前にしゃがみ込み、中に手を突っ込んでなおもミケを撫で続けた。
「……そんなときにふらりとやってきたから、この子がいいななんてみんなで話したりしてね。……実はね、うちは娘を亡くしててね、猫を飼うってのがその娘の遺志みたいなものでもあったりして……だから、保護猫の里親になろうかなんて話もしてたんで」
「だったら、この子はどうですか? 実はこの子、里親募集中なんです!」
「えっ、そうなの?」
香代が迫るようにミケを勧めたのに対して、小夜子の家族はみんな初めはあっけに取られた。しかし次の瞬間には、一斉に笑顔が弾けた。
「だったら、里親にならせてください!」
母親が名乗りを上げた。父親も、「うんうん」と笑いながら頷いている。
「この子、まるで昔からこの家にいたみたいに私たちに懐いているんですよ。息子なんて、『お盆だしお姉ちゃんが猫になって帰ってきたんじゃ?』なんて冗談言ったりするくらい!」
そこへ、ミケが甘え声を上げながら再びキャリーから出てきた。父親はミケを抱えあげて、頬ずりするように顔を近づけた。
・・・
とりあえずは適度な間隔で「お試しでお泊り」を繰り返しながら、ミケを受け入れる準備をしてもらうことになった。そして諸々の準備が完了したら、ミケは晴れて岸本家……小夜子の元の家の住人となる。
そんな段取りを決めているうちに夜も更けてきて、高志たちは街のターミナルから最終バスで自分たちの町へ帰った。高志の膝の上に抱えられたキャリーの中で、ミケは眠っているのか静かに丸まっている。
ミケの里親が決まって、高志の母親だけでなく父親も悲しむかもしれない。けれど、これがベストに近い最適解に違いはなかった。
やがてふたりは、自宅最寄りのバス停で降りた。それぞれの家はそこから別方向になる。
「それじゃぁ、また明日」
ふたりはグータッチをして、それぞれ背を向けた。しかし高志は思わず香代の方へ振り返り、その背中に向かって言った。
「同好会への参加、前向きに考えとくからな!」
それは、小夜子を家に帰そうと香代といっしょにあれこれ考え、動いていたここ数日の間に並行して心のなかで温めていたことだった。しかし彼女は振り返りもせず、ただ「いいよ」と答えるように手だけ振ってみせた。
空高く、月が上っていた。ミケは目を覚ましたのか、キャリーの中で「にゃぁ」と鳴いた。
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『一夏の幻のような出来事』・・・創作意図を汲んでくださり、嬉しく思います。