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(22)新しい命を絶つための費用

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鮎美の家の跡に行っていた紘孝が彼の家に戻ると、程なく高木がやってきた。
夏休み、鮎美と同じ女子高に通う子と初体験したと自慢しに来た時とは打って変わって、不安を隠し切れないふうに、なにか相談事があるとか言っていた。

いつまでたっても髙木は「あのさぁ」とか「そのぅ」とか言い出しかけたが、喉元まで出かけた言葉を飲み込むように、話し出すのをためらった。

「どうした? とうとう別れたのか?」

紘孝が聞くと、力なく首を振った。

「別れた訳じゃないけど、別れるかも」
「嫌われたん?」
「いや・・・」

髙木は深い息とともに肩を落とし、それから急に顔を上げて紘孝に聞いた。

「なぁ、川上。おまえも今付き合っている子がいるだろ? もし、妊娠させたら、どうやってカネを作る? 今すぐ10万くらい」
「カネって・・・?」
「子供を堕ろすカネ」
「分からんなぁ」

本当に分からなかった。

鮎美を妊娠させるという事は考えていなかった。
ましてや、堕ろす・・・中絶するなど想像もつかなかった。

「妊娠させたんか?」
「分からない。けど、今日、病院に行って診てもらうって」
「もし妊娠だったら、手術?」
「それしかなかろ。おれも彼女も、産むって事は、ぜんぜん考えとらん・・・想像もできん。・・・それよりか、この事がばれたら退学か、よくて停学だから、どうやって知られずに済ませるか」
「彼女のほうは、それで本当にOKしとるん?」

髙木は、うんざりとした表情で首を振った。

「まったくイヤだったよ。初めいくら説得しても、手術はイヤだ、そればっかりだもん。学校やめるつもりかと聞いても、それもイヤだって。泣いてばっかりで。俺だって学校やめるのイヤだから、手術しかないだろう、って分からせるのに苦労したよ」

紘孝は、聞きながら黙って考えた。

鮎美がもし彼の子供を身篭ったとして、中絶手術を勧める事など、どうしてもできないだろうなと感じた。
彼には、手術という行為を通して心の底から想う鮎美の心と身体を傷付けるような事は、絶対にしたくはなかった。

けれども、産むという選択を紘孝と鮎美の双方が取ったとして、それを守り通す事ができるのかと考えると、それは自信がなかった。

紘孝は両親から厳しく叱責されるだろう。
二人とも、高校を辞めなければならなくなるだろう。

それでも産むという選択を守ったとして、紘孝と、鮎美と、子供との家庭を社会の荒波から守ってくれる存在は、なかった。

紘孝は家を追い出されるかもしれない。
鮎美は、言うなればすでに天涯孤独の身だ。

しかも、むしろ子供を守りながら荒波を渡り切らなければならないのに、二人は社会的に未熟であった。

そんな事は落ちついて考えたら分かる事なのに、思いが先走って先が見えなくなり、初めの1回は避妊をしなかったのは、軽率だった。
鮎美の言う通りに、2回目以降は避妊しておいて良かったと思った。

彼女にとってそれを言い出すのは勇気が必要だったと思われるが、それでも言ってくれた事に感謝した。
そこまで考えて、紘孝は髙木に聞いた。

「避妊は、どうしていた?」
「いや・・・腹とか尻とか、体の外に出せばよかったと思っていた。彼女はゴムつけてくれと言ったけど、あれじゃ気持ち良くないもんな」
「で、やっぱり手術するんか? カネはあるんか?」
「だから、今必要なのは、おカネ。その相談で来たんだよ。人の話はちゃんと聞いてくれよぉ」
「親に出してもらうとかは?」
「あっ! 人の話だと思って、他人事みたいに言ってるな? それができないから悩んでいるんだよ」
「でも俺にもどうしようもできないぞ。小遣いだって限られているし」

本当は、毎年お年玉のなかから一定額を貯金して、なおかつ自由に使えるようにしてあった。
しかし、紘孝にとってもそれは大金であるのに、無責任に遊んだ末の後始末に使われるのは不愉快な気がした。

返してもらえるというあてもない。
たとえ友達が困っている時であっても、そこは譲れない線だった。

結局、信頼のおける仲間同士でカンパを募ろうということで話は付いた。
それを決めながら、他人事とはいえ紘孝の心は微かに痛んだ。
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