財閥の犬と遊びましょう

菅井群青

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80.俺と君の違い

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 小雨が降り注ぐあいにくの天候だった。朝日も遮られ黒く厚い雲が空を覆っており今にも雷が落ちそうだった。雷雨よりも先に桔梗の間では誠大の雷が落ち、怒号が響いていた。

「ふざけるなって! 何も音沙汰無しかと思ったら……冗談もほどほどにしろ……切るぞ!」

 誠大は携帯電話をベッドに放り投げると犬が威嚇するように唸り声を上げた。荒ぶる心を落ち着かせるように肩関節をぐるりと回した。

 あり得ない……何が婚約者を決めるだ。この間まで自分で探して早く嫁をもらえって言ってたくせに……。

 早朝に父親である秋生から連絡があった。電話に出てもいい事が無いのは分かっていたが、あの舞踏会での同伴の件以来なにも連絡がなかったので気になって電話に出てしまった。

 その内容は誠大の想像を遥かに超えていた。秋生は開口一番誠大を脅した……正体不明の恋人を紹介しなければお見合いをさせると言い出した。さらに秋生はゴネ出して紹介しないと勝手に婚約者を決めちゃうぞと言い出した。

 とんでもない可愛い言い方をしたが……あれはマジだな……。父さんは有言実行だ。冗談と決めつける形で電話を切ったが誠大は頭を抱えていた。誠大は雫の笑顔を思い出し溜息をついた。

 紹介しようにも……相手がどう思っているか分からないのに。

 あの告白から二日経ったが……雫の態度に変化は見られなかった。いつものように調教の時間になるとひょっこり現れて笑顔でトランプを差し出した。その次の日も特に変わった様子もなく相変わらず指鉄砲の射撃の腕前は素晴らしかった。誠大は雫が話すのを待っていたがどうもあの告白を無かったことにされている気がしてならない……。

 俺は、振られたってことか? 世間一般的にはこれは、今までどおり友人関係でいようっていうサインだろうか……。ん? 友人……じゃないか。俺と調教師の関係は、契約上の関係で、雇用主と従業員……主人とメイドか? 調教師にとって俺は……。あー、クソ。木戸に聞いてみたいがフラれたと言われそうで言い出せない。

 誠大の中で木戸は愛の伝道師として君臨していた。前回の恋とは何ぞやあたりから木戸の存在価値はうなぎ上りだ。

 その頃木戸はベッドの上で半裸で眠っていた。数回くしゃみを連発すると身震いをして布団の中に潜り込んだ。誠大は何度目かの溜息を漏らした。

「やっぱり……好きだなんて……言うんじゃなかったか……」

「そうですね。きちんと言葉で言いましたか? 付き合って欲しいと懇願しましたか?」

「そばにいて欲しいと言ったはずだが……覚えていない──ん?」

 誠大が顔を起こすとそこにはいやらしい笑みを浮かべた郡司が立っていた。誠大はみるみる顔を赤らめていく。考え事をしていて郡司が部屋に入って来たことに気付けなかった。郡司は新聞をテーブルに置くと楽しそうに誠大の隣に腰掛けた。誠大は再び頭を抱えた。隙間から見える耳朶が真っ赤に染まったのを見て郡司は隠れて笑った。

「おやおや……可愛らしい。心からの言葉をお伝えしたのですね?」

「ばっ──いや、そ、それはそうだが……返事はないし、以前と変わらない様子なんだが……知ってたのか?」

「いえ、驚くほどお二人が自然で気付きませんでした。まぁ、雫さまのお気持ちは分かりますけどね。財閥の御曹司から告白されて悩まない女性はいませんよ」

 郡司は誠大の耳朶に触れると愛おしそうに目を細めた。色気を漂わした郡司の動作に誠大は呆れたように手で払い除けた。誠大は不貞腐れて寝間着を脱ぎ始めた。

「悩む? はっ……俺ほどの男が不満だと?」

「おや、誠大さま。相手は一般の女性ですよ? 生きてきた環境も、価値観も、何もかも全く違います。雫さまにとってこの屋敷は普通ではないのですよ?」

「それはそうだが……違うか? 俺とアイツはそんなにも違うのか?」

 誠大の手が止まった。調教の時間を通じて笑い合い、感動し、時には喧嘩し共に過ごした日々を思い出していた。

 確かに心を通わしているはずなのに……。そもそも違う世界の人間なのか? 俺たちの間の壁は、越えられないのか?

「誠大さま……誠大さまのそばにいるという事は、そういう事です。誠大さまの世界で生きていくには雫さまには少し……生きにくいのかもしれません。きっと今も悩んでおられるはずです。誠大さまはやさしく見守ってあげてください。悩むほどの存在だということは、いいことです。……私みたいに即断られたわけじゃ、ないんですから」

「ん? なんだ?」

 郡司の最後の言葉は声が小さくて聞き取れなかった。郡司は誠大の新聞を持つとハリセンのように頭を殴った。突然の衝撃に驚いた誠大だったが一気に頭が鮮明になった気がした。郡司は手を叩くと急かすように誠大を洗面台へと押し込んだ。

「さぁ、急いでください。予定が少し遅れていますよ。シャキッとして着替えてください」

「ああ……分かった」

 洗面台から水の音が聞こえてくると郡司は一人丸めた新聞を手に微笑んでいた。

「そばにいて欲しいだなんて……カッコいい台詞ですね。誠大さまも大人になったのですね」

 郡司はいそいそと朝の準備に取り掛かった。鼻歌を口ずさむ郡司は楽しそうだった。




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