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11.かくれんぼ
しおりを挟む「……今、何と言った?」
「かくれんぼ、です」
誠大は読んでいた本をテーブルに置き腕を組んだ。心理学的には腕を組むと言う事は防御の意味があるらしい。
「君は……何がしたいんだ。もう夜だぞ? 一時間かくれんぼをすると言うのか? いい年した大人二人が」
「そうです。あ、そうですよね……誠大さまって高貴でいらっしゃるから……走ったりするの苦手ですよね、足も遅いでしょうし体力だって……」
「は? 良いだろう、受けて立つ……」
誠大が両膝に手を置きゆらりと立ち上がった。雫は笑いを堪えつつ隠れてガッツポーズをした。誠大はプライドが高いから意外に扱いやすいことを雫は上手く利用できていた。
「じゃあ、郡司さんも誘いましょうか」
「いいぞ、君と二人じゃ話にならんからな」
郡司を誘うと楽しそうだと快諾してくれた。屋敷にまだ残っているメイド達に声を掛けて戦いの準備は整った。
「捕まったら、デコピンですからね」
「捕まるわけないだろう。君みたいな単細胞とは違う」
雫と誠大は微笑み合ってはいるが目は笑えていない。郡司が咳払いをすると三人でじゃんけんをした。
雫の負けだ。誠大と郡司が目配せをして握手をした。雫は悔しそうに指を鳴らす。
「いーち、にぃ、さん──」
雫は玄関のヨーロッパのお城のような柱に腕をつけ顔を隠すとゆっくり数を数える。カウントしているとどうやら左右に分かれて逃げたらしい……二つの足音が廊下の向こうへと消えた。雫は鬼をするのが大好きだった。昔の血が騒ぐ。
見てなさいよ……誠大さま……。単細胞の恐ろしさ見せてやるわ。
誠大はその頃廊下を抜けて洗濯室のドアを開けた。この時間なら誰もいないだろう。部屋に入るとまだ数人器具を片手にシーツにアイロンをかけていた。梅原はシャツにアイロンをかけている。皆誠大がここへやってくるとは思っていなかったようで大きく目を見開いてこちらを見ていた。
「あ、いや、その……こんな遅くに何をしている?」
「え、あ……明日のシャツのご用意です。明日は急遽イタリア人の方とお会いすると郡司さまが仰ったので……誠大さまのお召し物をイタリア製で……」
梅原の手元には真っ白なシャツがあった。その腕には幾つもの火傷の跡があった。この屋敷にきて三十年経つ……毎日ものすごい量の布にアイロンを掛けているのだろう。室内は驚くほど熱気に包まれていた。
「また後ほど湯たんぽの回収に伺いますが、その件でいらっしゃったのですか?」
「……いや何でもない、大丈夫だ」
梅原は微笑むと再びアイロンを手に取った。最近冷えて来たのに何故寝床のシーツが暖かく感じるのだろうと思っていた。マットの下に電気毛布でも入っているのかと思っていたが、そうではなかったらしい。自分の知らないうちに何人もの人間が自分の為に働き、自分の体を気遣ってくれているとは知らなかった。誠大は胸が苦しくなった。
誠大は部屋を立ち去ろうとしてドアノブを掴む。そのまま何故か固まってしまう。誠大は振り返って梅原やメイドたちの顔を見た。その顔は何故か真っ赤に染まっていた。
「その、なんだ……ご苦労だった、ありがとう」
誠大は部屋を出て勢い良くドアを閉めた。
誠大の足音が消えるまでメイドたちはあんぐりと口を開けたまま動けなかった。若いメイドに至ってはアイロンをシーツに押し付けたまま首まで赤に染まっている。ふと我に帰り慌ててアイロンを台に置いた。
梅原は吹き出して笑った。メイドたちは顔を見合わせる。
「今の……誠大さまに似た人? 私たちにお礼を言うなんて……」
「子供の頃の誠大さまのようで懐かしいよ……」
梅原はうれしくなりアイロンを持つ手に気合が入った。他のメイドたちもさっきまでの疲れた様子はどこへやら必死でアイロンをかけ始めた。
その頃、雫は重厚な赤いカーテンの裏で直立不動の郡司を発見した。こんもりしたカーテンの膨らみに雫が気付かないとでも思ったのだろうか。どうやらここにも雫を甘く見ている人物がいたらしい。
「見ぃつけた! 郡司さん!」
「おや、素晴しいですね。気配を消していたはずですが……」
郡司は眼鏡を外して雫に顔を寄せる。目の視力が悪いせいか郡司の目は細められる。キスをされそうな状況に雫は固まった。
「さ……どうぞ、雫さま……」
「え──あ、あの……」
男の色香が半端ない。雫は思わず郡司の唇に目がいく……。自分の顔が真っ赤になっているのが分かる。ただ郡司は目が悪いので雫の変化に気付いていないだろう。すごく近い位置に郡司の整った顔がある。
なんだ、欲求不満じゃないぞ、ここでキスしたらただの痴女だ、痴女、痴女……。うわ、きめ細かい肌、唇、うわうわ……。
「……しないんですか?」
郡司が煽るように顔を更に雫へと近づける……。鼻血が出そうだ。雫は鼻の下に触れて確認した。どうにかまだ鼻血は出ていない。
「ぐ……な、何で? しても、いいんですか?」
「……しないんですか? デコピン」
「え? あ、し、しますとも! もちろん!」
郡司の言葉に我に帰ると心臓の鼓動を消すように強めにデコピンした。郡司は一瞬顔を顰めたがすぐに眼鏡をかけて真顔になる。額がジワジワと赤みを帯び始めている。肌が白いのでより一層目立っていた。
「では、私が鬼ですね? 行きますよ、いーち……」
「わわ、待って!」
雫は慌てて駆け出した。郡司は何も言わなかったが鬼としての役目を果たそうと本気だ。眼鏡の奥がキラリと光ったのが分かった。
雫は二階に駆け上がると牡丹の間にやって来た。ここなら見つからないだろう。まさか一番ベタな所に隠れているとは夢にも思うまい。灯台下暗しだ。雫は押し入れを開けた。
「……ん?」
「……何で──」
押し入れの中には先客がいた。物に囲まれながら体を小さく丸めた誠大と目が合った。どうやら鬼である雫の部屋に潜んでいると思わないだろうと誠大は考えていた。似たような思考だ。部屋の外から物音が聞こえる。慌てて誠大を奥に押し込むと雫も中に入り押し入れを閉める。
「鬼じゃないのか!?」
「鬼は郡司さんですよ、ちょっと、もう少し離れてくれませんか? ってかここ私が生活している部屋ですよ?」
「入室禁止は契約にない。奥はもう物で溢れているぞ、痛いな、押すな!」
部屋の外の物音が止んだ。どうやら郡司では無く他のメイドの足音だったらしい。ほっと胸を撫で下ろすと雫はようやく自分が置かれている状況に気づいた。誠大の股の間に体を押し込み包まれているような状況だ。背中に当たるのは誠大の胸板だ。雫の結んだ髪に誠大の吐息が当たる。
ドクンッ
わ、ちょっと待って……めちゃくちゃ近いじゃん。誠大さまの香水の香りだろうか、いい香りがする。ってか、誠大さまの声や息遣いが自分の首の近くから聞こえる。耳元で話さないで欲しい──。
「なぜ黙っている。煩かったり静かだったり変な女だ」
「へ? いや、かくれんぼでしょう? バレないようにするのは当たり前でしょう」
誠大は呆れたように溜息をつく。胸が膨らんだのが背中越しに分かる。緊張して雫は人形のように動かない。二人の間に会話がない。長く沈黙が続く──。
「あ、あの誠大さま……かくれんぼって──ひっ」
誠大が突然雫の首に顔を寄せた。突然感じる誠大の髪の毛の感触に背筋がピンと伸びる。
な、なんで!? まさか密室だからって欲情を? いやいや、確かに誠大さまは性格は最悪だけど見た目は危険な匂いのするワイルド系イケメンだけど……。メイドに手を出すなんてとんでもない富豪じゃ……って、あれ?
後ろから寝息が聞こえて来た。どうやら疲れて眠ってしまったようだ。疲れているのにかくれんぼ付き合わせて悪かったな……。
「おやすみなさい……誠大さま──」
◇
その後郡司の執念によって二人は見つかった。郡司は相当あちこち探したのだろう……右の肩に蜘蛛の巣と砂が付いている。まさに執事の執念だ。
「見つけました……覚悟はよろしいですか?」
押し入れを開けてデコピンの素振りをしていたがよく見ると二人は身を寄せ合って眠っていた。その光景を見て郡司はその手を下ろした。
「喧嘩したり、戦ったり、一緒に寝たり……子供みたいですね」
誠大の寝顔を見て郡司は笑った。郡司の知る誠大は神経質で誰かがそばに居ると眠ることが出来ないはずだった。
「口では嫌がっていても、体は正直ですね」
目覚めた二人は眠気覚ましに郡司の渾身のデコピンを喰らった。誠大は必死に痛みをこらえて無表情のままだった。額に丸いピンクの跡が残った。雫は恐怖のあまり目を閉じてその瞬間を迎えた。
「よろしいですか? ……よし」
「……ッ」
あまりの痛さに雫が額を押さえて悶絶する。郡司は慌てて駆け寄り雫の額の赤い部分に優しく触れる。
「申し訳ございません……少し強くしてしまいましたか? 女性にするのは初めてでして……雫さま……?」
「あ、あの……大丈夫、です……いや! 本当に大丈夫です!」
雫の顔が真っ赤になった。それでも郡司は雫の額を心配そうに覗いていた。さっきの自分の愚かな勘違いを思い出し雫は人形のように固まっていた。誠大はその様子を見て目を細めた。
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