財閥の犬と遊びましょう

菅井群青

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13.牙

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 誠大は腕を組み馬鹿にしたような瞳で雫を見下ろす。

「郡司目当てでこの屋敷に来たのだろう。郡司を、あいつを利用するな」

「どういう、事……ですか?」
 
 誠大は雫が以前勤めていた清掃会社が東郷グループの傘下のビル清掃を任されていた事を伝えた。雫は派遣先が東郷グループの傘下だなんて初耳だった。社名にも東郷の文字はないし……そんな事に興味もなかった。ただ、与えられた仕事を一生懸命やっていただけだ。雫は通り過ぎる社員の顔など覚えてもいなかった。

「そんな事知りません。本当に偶然脱走したジャックを屋敷に届けただけで……」

「じゃあ、なぜ郡司を見る目が違うんだ? なにか特別な思いでもあるんじゃないか?」

 誠大の声は冷静だった。雫は鋭いところを突かれた……確かに雫にとって郡司は特別な存在だ。それは一番辛い時に助けてもらったからだ。郡司がいなければ今頃路頭に迷っていたはずだ。家庭の事情で実家を頼るわけにもいかないそんな切羽詰まった状況で郡司と出会った。


「どうせ金目当てだろう。郡司のハートを射止める気だったようだが……君みたいな人間はあいつのタイプじゃない。ジャックの世話をしてもらって有難いが──」

「──最低」

 耐えるように俯いていた雫が顔を上げると誠大を睨んだ。その瞳は潤んでいた。雫は誠大の顔を目掛けて思いっきり手を振った。

 パァンッ

 雫は誠大の頰を思いっきり叩いた。全力で思いをぶつけた。許せなかった。人を馬鹿にした態度も、心無い言葉も、騙したことも、あの切なそうな愛の告白も──心を踏み躙られて雫は怒りで震えた。

 平手打ちをされた誠大は呆然と立ち尽くし、叩かれたと気付くまで少し時間がかかった。頰に触れてその部分が酷く疼くことに気付いた。誠大は唇を結んだ。雫は無表情で、まるで冷たい仮面を被っているようだった。誠大はそれがなぜか恐ろしかった。

「お金なんて必要ない。自分が稼いだお金で十分よ」

「何を馬、鹿な……」

 雫の瞳から涙の粒が溢れ落ちた。口元を腕で隠し顔を歪ませた。その涙を追うように誠大の視線が動いた。

「郡司さんにふさわしくないことぐらい分かってるわよ……でもね、こんな風に騙して傷つけていいの? あなたはそんな偉い人間なの? 私から見れば、ただの馬鹿な人間よ、冷淡の救いようのないクズよ」

 雫の言葉に誠大は目を開いた。雫は誠大の胸倉を掴んだ。誠大は雫の瞳を見つめて何も言えずに立っている。雫の泣き顔と掴まれた襟元を見て誠大は茫然としていた。

「人の痛みに、敏感になりなさい」

 雫はそう言うと誠大をプールへと突き落とした。誠大は気が付くと水の中にいた。胸ほどまでの深さのプールが幸いだった。誠大は慌てて立ち上がる。服が水を吸い体が重い……気道に水が入り苦しそうに咳き込んでいる。せっかくの高級スーツが台無しだ。
 誠大は濡れた髪をかきあげるとプールサイドに立つ雫を睨みつけた。

「何をする! 正気か?!」

「怖かったですか? 痛かったですか? 苦しいですか? 良かったです──誠大さまも人間で」

 誠大はプールから上がると着ていた服を脱ぎ始めた。最後にネクタイとシャツを脱ぎ捨てコンクリートに叩きつけた。上半身裸になると誠大は雫に一瞥もくれずにその場を去った。
 誠大の姿が見えなくなると雫は震える掌を見た。誠大を殴ったせいか全体的に赤くなり、少し痺れていた。何度強く握ってもその感覚は消えなかった。
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