忘れられたら苦労しない

菅井群青

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24.秘密

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 涼香ちゃんは本当に元彼のことが好きだったらしい。過去の感情が心に流れ込んできて辛そうだった。俺はこのまま一人にするのが可哀想で柄にもないことを言う。

「遅くなったし、泊まってけば? 朝送ってくよ」

「え……でも」

「色々話したほうが気持ちの整理もつくでしょ、心友の俺にどーんと甘えたらいいじゃん」

 少しくだけた感じで話すと涼香は「じゃ、お言葉に甘えて」と笑顔になる。

 大輝と涼香の関係は異性ではない、同じ境遇で同志なのだから。ただ、自分で話したこの言葉に大輝自身が再確認していた。

 涼香ちゃんが俺といるのは同志だからだ。だからこうして心を開いてくれたんだ。

 涼香ちゃんはベッドと机の隙間に座ると疲れたように息を吐いた。会社帰りなのでスーツが苦しそうだ。俺はフットサル用のジャージをたくさん持っているのでそれを涼香ちゃんに手渡した。着替えた涼香ちゃんにはサイズが大きかったがそれが可愛かった。

 涼香ちゃんは再び座ると、ゆっくりと今日の出来事を話し始めた。

「武人……正直に話してくれたんだ。私のことが忘れられなかったんじゃない、ただ、会ってその気持ちが再熱したんだって。私と楽しそうに笑う大輝くんを見て嫉妬したみたい──別に、私のことが好きってわけじゃなく告白したみたい」

「思い上がりだな……捨てた側だからそんな風に思うのか?」

「どうなんだろう……。でも、武人は二年前の私を求めてたみたい。今みたいに客観的に冷めて見る私を求めてなかったんじゃないかな。あの頃……本当に武人を、愛していたから。あの時みたいに何も考えず、愛して欲しかったんじゃないかなって、寂しかったんだと思う」

「……涼香ちゃん、本当に良かった? ずっと好きだと思ってたでしょ……二年間も」

「うん、二年前の記憶の中の優しい武人をね。私だって、もう今の武人を受け入れて好きになる事は出来ないって気づいた。その、キス──されて」

「……あ、キス……キスね……」

 大輝はキスの言葉に動揺した。
 さっき聞いているのに涼香からその事実を伝えられるたびに胸が痛い。意味が分からない感情だ。

「涼香ちゃんようやく……忘れられそうだね」

「そうね、なんか……ようやく前に進める気がする。あ、大輝くんとの約束は継続だよ?」

「約束?……なんだっけ?」

「希さんの話、聞かせてね」

 大輝は何度も頷く。希の話といっても、何を話せばいいんだろうか。付き合っていた二年間の思い出か……?
 大輝が考えていると涼香が声を掛ける。

「どんな所が、好きだった?」

 そんな事聞かれるとは思わなかった。
 彼女ができたと洋介に報告した時ですらそんな恥ずかしいことを聞かれる事はなかった。そもそも、希の好きなところを人に話すなんてことはしない。男が話すことじゃないだろうと思う。卒業旅行の夜みたいだ。だが、目の前の涼香は真剣そのものだ。

「あー……ちょっと待って。これ、めちゃくちゃ恥ずかしい」

「ピピー! イエローカード! さ、早く」

 やたらジャッジメントが厳しい。
 大輝はゆっくりと思い出の中の希に会いに行く。

「希の笑ったところ、笑った時に顔がクシャってなるから」

「うん」

「肌が白くて、恥ずかしいことがある子供みたいに赤くなる」

「うん」

「俺を、笑わせてくれる。なんか天然なんだよ、希は否定してたけど」

 大輝が思い出し笑い出す。涼香はそれを微笑んで見つめる。

「本当に、結婚したいって思ったんだ。希となら……楽しいって──」

 大輝が切なそうに笑った。

「希さんは幸せだね。そうやって思い出してくれる人がいて。……大輝くん、。希さんも喜んでるよ、きっと」

 涼香の言葉に大輝は頷いた。
 思い出を振り返ってみて、そこまでつらくなかった。涼香に少しづつ話せるようになってから、希の思い出で笑えるようになった。
今までは、つらくて顔を歪めるばかりだったのに大きな違いだ。

 それから遠藤夫婦の馴れ初めを涼香から聞き大輝は爆笑した。その後部屋にあった映画のDVDを見たいと涼香が言い出した。
 見始めたまではよかったが、涼香がいつのまにか眠りこけてしまった。

 あんなに飲んだんだ。体がキツかっただろう。

 時計を見ると夜中の三時だった。
 涼香にベットで寝てもらおうと肩を揺らすが全く起きない。仕方なく大輝は涼香を抱き上げてベッドへと運んだ。久しぶりにお姫様抱っこというものをした。腰が悪くなくて良かった。

 ベッドに横たわると涼香は気持ちがよさそうに体を丸めた。寝顔は想像よりもずっと幼い。耳についたピアスを撫でてみる。薄い耳朶に控えめなピアスが涼香らしい。

「ん……」

 耳に違和感があったのだろう大輝の手を避けるように仰向けになる。

 眩しくて起きてしまうかもしれない……。

 大輝は照明を消す。ベッドのそばのライトに照らされた涼香に目をやり思わず見入ってしまう。

 自分の服を着た涼香の首筋のラインや瞼から伸びる睫毛……そして……唇に目をやる。


 『あ、あの……キ、ス……されたの──』

 あの時の涼香の言葉を思い出す。恥ずかしそうに指でなぞった下唇から目が離せない。


 ドクン ドクン ドクン

 心臓の鼓動が全身に響くのがわかる。

 何を考えているんだ。
 友達だろ、心の友だろ……俺だから信頼してくれているのになんでこんな……。

 大輝は気持ちとは裏腹にゆっくりと涼香へと近づく。

 だめだ、だめだ……でも──止められない。

 大輝は吸い込まれるように涼香へ近づき……そっとキスをした。触れた部分の感覚が脳に一気に流れ込んだ。

 温かくて、しっとりとして、もっと欲しくなる……。警鐘を鳴らしていたもう一人の自分はいつのまにかいなくなった。さらにもっと繋がりたくなり角度を変えて頭の重さを加える。

 甘い……。

「ん……ん──」

 涼香の曇った声に大輝は一気に目が醒める。自分が何をしているのか気づくと慌てて離れた。口元を押さえて呼吸を整える。

「な……なんでこんな……」

 自分が信じられなかった。こんな事をするような人間ではない。でも、我慢ができなかった。欲求不満か? いや、違う……。

 俺は、涼香ちゃんに欲情した──。

 最悪だ。
 俺は、心友になんて事を……。

 認めざるを得ない。なんでこんなにも元彼に腹が立つのか。なんで涼香ちゃんに会いたいと、話したいと思うのか。なんで触れたいと思うのか。

 俺は、涼香ちゃんに惹かれてる。それしかない……。

 大輝はそのまま床に転がる。涼香を視界から消し冷静になろうとした。そのまま悶々とした時間を過ごした後……気付けば眠ってしまっていた。

 目覚めるとベッドの上にいた涼香ちゃんはいなかった。携帯電話を見てみるとやはりメールが届いていた。

──おはよう! 気持ち良さそうだったのでそのまま帰ります。ジャージは洗って返します。
昨日は本当に迷惑をかけてごめんなさい! 近いうちに晩御飯奢るから許してね。
大輝くんが一緒にいてくれてよかったよ、いつもありがとう


 メールには感謝の気持ちが書かれていた。一気に昨日のキスのことを思い出す。ベッドにダイブすると大輝はバタバタと暴れ始めた。

「俺って……最低──あぁ! くそ!」

 その日の休みは涼香への罪悪感と、唇の甘さの記憶で大輝の頭は一杯になった。
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