友達の肩書き

菅井群青

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迷い 千紘side

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 琢磨の姿に一瞬自分の体が金縛りにあったようだった。まさかここにいるだなんて夢にも思わなかった。

「琢磨……」

 声を掛けるが閉じられた瞼は動かない。ドアの前で眠る琢磨は小さく見えた。しばらく見ないうちに痩せたように見える。

 琢磨の腕に触れて揺らしてみる。少し瞼が動いた。それだけなのに愛おしい気持ちになる。

 琢磨がいる。

 そっと手を伸ばし琢磨の頰に触れる。馬鹿みたいに緊張して震える。触れてはいけない人なのに欲に負けてしまった。柔らかい髪に触れると琢磨の目が開きその瞳が千紘を捉えた。

「ち、ひろ……?」

 私に気付いた琢磨は慌てて立ち上がった。千紘は触れていた手の行き場がなくなり拳を握りしめた。

「「…………」」

 お互いに何も言えないでいると隣の住人が突然玄関のドアを開けた。その音に千紘は咄嗟に琢磨の腕を取り部屋の中へと入れた。

 玄関に立ったまま琢磨が戸惑ったような顔をしていた。千紘はそのまま明かりをつけて靴を脱ぐ。

「入って……」

「ありがとう……」

 もう何年もこんな会話もしていない。何も言わずに靴を脱ぎ部屋に入っていた仲だったと言うのにおかしな話だ。

 琢磨は部屋のいつもの定位置に座った。冷蔵庫から最近お気に入りの酒を持ち琢磨の目の前のテーブルに置く。バーでバイトするようになって知った飲み物だ。

「これ……良かったら──」

「あ、うん……ありがとう」

 琢磨はその瓶を見て何かを言おうとしたがそのまま口を噤んで蓋を開けた。

「さっきは、ごめん。彼氏がいる前で誤解されるような事──」

「……大丈夫。その、あの子は友達なの」

「友達、か……そっか」

 琢磨は明らかに動揺したようだ。何度も瓶を掴んではその手を離す。

「友達なのに、泊まったりするのか?」

「……琢磨だって、ここに泊まったじゃないの」

 朔也の部屋に泊まったことはもちろんない。それよりも、琢磨の言葉に矛盾を感じて思わず声に出してしまった。
 琢磨は何も言えなくなる。自分で言っていて恥ずかしくなったようだ。一体何を言っているんだろう。琢磨がわざわざ部屋に来た理由は一つしかない。千紘はゆっくりと息を吐いた。

「琢磨、ごめん……琢磨は私に考え直して欲しいと思ってるのは分かってる……でも、もう琢磨と一緒にはいられない──」

「千紘──」

 琢磨が千紘の腕を引き胸に抱きしめる。
 琢磨の香りに脳が震える。

「や、だ──離して!」

 琢磨は千紘を離そうとしない……より力を込めて抱きしめる。

 勘違いさせないで。分かってる、この抱擁は意味のないものだって。
 もう振り回さないで……お願いだから──。

 千紘は胸を叩き、腕を力一杯振り下ろし琢磨の頬を平手打ちした。

 パァンッ

 痛い。手が痛い。
 琢磨の頰が赤い……琢磨も痛そうだ……でも、なんでそんな顔してるの? 感情が読めないほど琢磨は無表情だった。

 一番痛みを感じているのは琢磨の心だ。

 胸が一気に痛くなる。

 どうしてこうなるの? もう傷つきたくなかっただけなのに……逆に琢磨の事を傷つけてしまっている。
 琢磨は、何も悪くないのに……。

 千紘は涙が止まらなくなる。泣き出した千紘の頰に触れると琢磨も泣き出した。

「俺……どうしたらいいんだ? 千紘……どうすればお前のそばにいられる?」

「琢磨……」

 琢磨が苦しんでいる。
 苦しめているのは、私だ。

「もう、そばにはいられないよ……琢磨には桃香ちゃんがいる」

「…………桃香ちゃんは、千紘じゃない」

 千紘は琢磨の腕を引っ張り上げた。自然と琢磨の額を叩く。ふざけあった記憶が甦る。

 今はもう、白い記憶だ──。

 千紘は琢磨を玄関に誘導すると琢磨の背中を押した。琢磨の背中は温かくて、大きかった。

「桃香ちゃんはいい子だよ。可愛くて、優しくて……私も大好きだよ。琢磨は幸せ者だから、私のことなんてもう忘れて幸せになって、ね!」

「千紘は今幸せか?」

「もちろん、幸せだよ。琢磨よりもいい人見つかるもん、すぐにね! だから大丈夫だから……ね? もうここには来ないで──桃香ちゃん、悲しむよ」

「ごめん──」

 私たちの間にあったドアが閉められた。まるで私と琢磨の間の壁のようだ。千紘は貼り付けた笑顔のままドアの前に立ちつくしていた。目の前にいた琢磨の姿が消えると一気に胸の奥底から感情が湧き上がる。

「……っ」

 頰に涙が通っていく。堪えていた涙が一気に滝のように出てきた。絶え間なく落ちるその涙の雫がポタポタと床に落ちる。
 涙腺が壊れたのかもしれない。口元を押さえて必死で耐える。

 もう、泣かないつもりなのに……どうしてこんなに涙が出るんだろう。琢磨への想いはどうしてこんなにも積もるのだろう。自分の中の琢磨の存在の大きさに気付く。
 五年の歳月でより大きく、深く、心に刻まれてしまった。どうすれば、この心の疼きは止むのか──。

「く……っ……」

 ガチャ

 突然ドアが開いた。目の前に辛そうな顔をした琢磨が立っていた。

 私の顔を見るなり琢磨は迷う事なくキスをした。頬に添えられた手の熱に溶けてしまいそうだ。

「……っ」

 琢磨の唇の感触に胸が震える。瞼を閉じることも出来ない。琢磨は角度を変えて千紘の唇を包み込む。

 目の前で私を強く抱きしめて口付ける男は、誰? 琢磨……なの?

 欲望にまみれた息遣いが耳に届いて酔いそうだ。琢磨の香りと温もりが……唇から感じる熱が……琢磨の声が私の五感を狂わせて、心を惑わせる。
 二人の唇が離れるとようやく私たちは目が合った。

「ん……」

「ち、ひろ──」

 私の頰を包み流れる涙を指で拭う琢磨の顔は動揺しているように見える。きっと、衝動的に口付けたのだろう。自分でも驚いているようだ。

「悪い……」

 琢磨はそのまま玄関を出て行く。階段を降りる足音が聞こえてきた。千紘は鍵を閉めるとその場にしゃがみ込んだ。

 自分の唇を押さえて、確認する。
 琢磨が、キスをした──。

 その事実に千紘は涙が止まった。

 なんで?
 琢磨は……私の事友達として見ているのに──。

 このキスは……どんな意味があるんだろう。
 このキスは──このキスは……。

 千紘は玄関からしばらく動けなかった。



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