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第2章 皇女と灰色の国
第10話 異変
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レイン・ウォルフ・キースリングとはどんな男か……ウルド国が近づくにつれてリリーも気にかけることが多くなった。馬車や天幕のなかでそれとなく想像してみる回数が増えてゆく。
──このわたしにも男を気にかける感情があるなんて。それも、会ったこともない男に……。
リリーは自分にも意外な一面があるのだと気づいた。リリーにとって恋愛は常に遊びの延長であり、結婚も目的を果たすための手段でしかない。それなのに、なぜかレインのことを考えると、ときおり良心がチクリと痛む。そんなときリリーは、
──ロイドだって父を暗殺した。因果は巡るものよ……。
と、強引に良心をねじ伏せた。『なぜ、ロイドは父を暗殺したのか?』という疑問も心の奥底へしまいこんでいる。今は目の前に迫る結婚のことしか考えられなかった。
──レインを篭絡できなければ、すべてが水泡に帰してしまう。男は手駒、道具でしかない。
自分に強く言い聞かせていると馬車の揺れが止まった。車窓を開けてみるとソフィアが馬を寄せてくる。
「リリー、ダルマハルから将軍が迎えに来た。謁見を求めている」
「そう。わかったわ」
リリーはすぐに馬車を降りた。そこは緑の草原が広がるカプラナ高原で、低い背の樹木がまばらに生えている。一見すると豊かな草原地帯で、この先に砂漠があるとはとても思えなかった。
急遽用意された天幕に入るとロイドやサリーシャも控えており、リリーが入ると黙礼して臣下の礼をとる。リリーは頷き返して中央に置かれてある椅子に座った。その後ろにはいつも通りソフィアとクロエが直立する。間もなくして男が入ってきた。
「わたくしめはウルド国藩王、ロイドさまに仕えるハイゼルと申します」
ハイゼルはがっしりとした体格の老人で、甲冑の上に白いローブを纏っていた。リリーの前に跪くとちらりとロイドへ視線を送り、ロイドが静かに頷くとしゃがれた声で口上を述べた。
「わたくしは交易都市ダルマハルの城主を務めております。このたびはリリー殿下に拝謁できまして歓喜の至り」
「ハイゼル将軍、挨拶に感謝いたします。用向きを述べなさい」
ハイゼルは「されば」と咳払いして続けた。
「ダルマハル近郊の砂漠にてレイン・ウォルフ・キースリングが奉迎の陣を張っております。その数、約3万!! 軍船も10隻以上の連合艦隊でございます!!」
「「「!!」」」
リリー、ソフィア、クロエだけでなく、ロイドやサリーシャも驚いて目を見張った。特にロイドは慌てた様子で身を乗り出した。
「レインが!? レインがそのような大軍を組織したと言うのか!?」
「はい、ご子息は短期間にて兵をお集めになりました」
ロイドが尋ねるとハイゼルは日に焼けた顔で大きく頷く。驚いていたロイドはやがて嬉しそうにリリーの方を向いた。
「リリー殿下、不肖の息子ではありますが、帝国の威信をかけて殿下をお迎えに参上した様子。対面に際しましてはどうか、お褒めの言葉をかけてやってください」
ロイドは深々と頭を下げる。しかし、そんなロイドを見てもリリーの心境は冷めきっていた。
──わたしの父を殺しておきながら、自分の息子は称えろと? なんて都合のよい男……。
心のなかでは冷笑しているが、表情に浮かべるのはいつも通り優しく美しい笑顔だった。
「もちろんです。レイン殿とお会いするときは心からの感謝と、ウルドの武名を称えましょう」
「リリー殿下、ありがとうございます」
ロイドは再び深々と頭を下げる。リリーがちらりとその横を見るとサリーシャは真剣な面持ちで微動だにしない。喜びを隠せない父親とは違い、母親はどこまでも息子の身を案じている……リリーにはそう見えた。
× × ×
雨季が過ぎたカプラナ高原に乾いた風が吹いている。たおやかな風は緑の草原を吹き抜けてリリーの頬を静かになでた。
──もうすぐね……。
カプラナ高原を抜ければついにレインと出会う。目的の日も近づいていた。
──わたしが結婚するとなれば、ガイウス大帝だけでなく、帝国中から兄弟たちが集まってくる。それも、警備が厳重な帝都ではなくて辺境のウルド砂漠に……。
リリーは風に揺れる銀髪にそっと触れた。細い指先にさらさらとした感触を感じながら目を細める。考えごとをするときに髪に触れるのはリリーの癖だった
──待ち受けるのはソフィアの親衛隊とクロエの近侍隊、計5000騎……こんな好機、二度と訪れない。躊躇ってはいけない……。
リリーが物思いに沈んでいると背後で足音がする。すぐにソフィアとクロエがリリーの後ろへ並び立った。
「リリー、準備ができたらすぐに出発する」
「わかったわ」
ソフィアが告げるとリリーはゆっくり振り向く。ソフィアとクロエはリリーの顔色を窺い、緊張していることに気づくと笑顔で話しかけてくる。
「それにしても、レイン・ウォルフ・キースリングはすごいな。3万もの大軍でリリーを出迎えてくれるんだから」
「そうだよね。わりとできる男かもよ?」
話題はレインのことだった。二人ともそれなりにレイン・ウォルフ・キースリングという男が気になるらしい。リリーは「二人もレインが気になるのね」と苦笑する。
「でも、まだわからないわ。レインは『砂漠の狼王』の息子。父親の威光で兵を集めたのかもしれない。名前倒れの貴族なんて、いっぱい見てきたでしょ? それに、レインがどんな男でも関係ない。利用するだけよ」
「「……」」
リリーは言いきって歩き始める。ソフィアとクロエは一瞬顔を見合わせたが、すぐにリリーの後を追った。
✕ ✕ ✕
リリー一行がカプラナ高原を下ると急に草原が途切れ、白い砂と灰色の巨石がころがる大地に出た。さらに先では広大な白い砂漠と青い空が世界を二分している。『白砂の大地』『帝国の果てるところ』……それがウルド砂漠だった。
ウルド砂漠の入口には円形の都市ダルマハルが築かれている。ダルマハルは東西南北に延びる交易路が交わる要衝で、都市を囲むように城塞も建てられていた。30メートルはあろうかという城壁には『狼』の紋章が縫いこまれた軍旗がなびいている。
リリー一行は粛々と街道を進んだ。すると、ダルマハルへ近づくにつれて街道ぞいに人影が増え始め、ダルマハルへ入城したときには群衆となった。
「「「リリー殿下万歳!! ウルド国へようこそおいでくださいました!!」」」
人々は口々に叫んでリリーを出迎える。ダルマハルは帝都グランゲートよりも遥かに小さいが、人々の熱気は引けをとらない。それだけリリーは歓迎されていた。しかし、リリーの馬車がダルマハルで止まることはなかった。
「このままレイン殿と会います」
リリーは迷いなく宣言し、一刻も早いレインとの面会を望んだ。ところが、そんなリリーたちのもとへ驚愕の一報が飛びこんできた。
× × ×
それは、ダルマハルの中心部を通り過ぎようとしたころだった。リリーは行軍に異変を感じた。
──馬車の速度が少し速くなった……それに、ソフィアが重武装の鉄甲騎兵を展開させている……。
車窓から外を覗いていると伝令の騎兵も慌ただしく行き交っている。間もなくしてソフィアが馬をよせてきた。後ろには後列の馬車にいるはずのクロエを乗せている。クロエは軽業師のように馬の背に立つとそのまま身をひるがえし、並走する馬車へ飛び移ってきた。
「リリー殿下、失礼いたします!!」
クロエは車内へ入ると扉を閉め、遮光カーテンも閉めた。馬車は4人乗りであり、二人が向かい合って座れるつくりになっている。クロエはリリーの正面に座り、光石でできた照明灯をつけた。
「危急につき、クロエ・ベアトリクスが同乗いたします。ご無礼をお許しください」
薄明りに照らされるクロエの顔からはいつもの愛嬌が消え去っていた。目つきは鋭く、両手も腰の短刀にそえられている。
──何かが起きた……。
リリーは両手を膝の上に置き、まっすぐにクロエを見つめた。
「クロエ、いったいどうしたと言うのですか?」
「はい。ダルマハルにて変事が起きました」
「変事ですって?」
「はい。レイン・ウォルフ・キースリングが刺客に襲われたそうにございます」
「!?」
驚きでリリーの眉が上がる。リリーは少し身を乗りだした。
「それで? レイン殿は? 無事ですか?」
「額を斬られたそうですが、軽傷だったそうでございます。予定通り、ダルマハル郊外にてリリー殿下を待っておいでです」
「そうですか……」
リリーは胸をなでおろしつつ、不思議なことに気づいた。
──どうしてわたしは会ったこともない男の身を案じているのかしら……?
それは、自分自身でも説明のつかない感情だった。戸惑っているとクロエが続ける。
「襲撃者はまだ捕まっていません。リリー殿下にも危害がおよぶ可能性があります。このまま全軍でウルド国の藩都ウルディードへ向かいますので、ウルディードにてレイン殿と謁見を……」
「それにはおよびません」
リリーはクロエの言葉をさえぎった。そして、閉められた遮光カーテンの隙間から外を見る。馬車はダルマハルの城門近くまで来ていた。
「刺客を恐れて謁見を先延ばしにしたとあっては、集まった帝国軍に顔向けができません。帝国の威信がかかっています。このまま予定通りレイン殿と謁見します」
「で、でも……」
「くどいですよ、クロエ」
「……」
リリーの意思は固い。クロエは伏し目がちになり、眉根をよせてジィっとリリーを見上げる。陰気な雰囲気を放ち、不満を隠そうともしていない。リリーはクロエに顔を近づけると柔らかな口調でささやいた。
「ねぇ、クロエ。わたしは今から戦争を始めるの。そうでしょう?」
「はい」
「戦場ではひりつく空気を吸い、すべてを焼き尽くす炎へ身を投じる。ソフィアが剣なら、あなたは盾。わたしがどんな状況に陥っても必ず守ってくれる……そうよね?」
「……はい」
リリーの言葉はクロエの心へ溶けこんでゆく。クロエにとって、リリーに頼られることは何よりもの快感だった。感動して目を潤ませながらリリーの青い瞳を見つめている。やがて、リリーは唇の端をわずかに上げて微笑んだ。
「クロエやソフィアの心配は嬉しいですが、わたしはダルマハルでレイン殿と会います」
「畏まりました。この身にかえてもお守りいたします」
「ありがとう」
リリーはクロエの赤い髪をなでると次に頬へ手を添える。
「クロエ、あなたは自慢の近侍隊隊長よ」
「光栄だよ、リリー」
クロエは恍惚とした表情になり、肩を竦めて小さくなる。その口元からは熱い吐息とともにカリッという音も聞こえてきた。
──このわたしにも男を気にかける感情があるなんて。それも、会ったこともない男に……。
リリーは自分にも意外な一面があるのだと気づいた。リリーにとって恋愛は常に遊びの延長であり、結婚も目的を果たすための手段でしかない。それなのに、なぜかレインのことを考えると、ときおり良心がチクリと痛む。そんなときリリーは、
──ロイドだって父を暗殺した。因果は巡るものよ……。
と、強引に良心をねじ伏せた。『なぜ、ロイドは父を暗殺したのか?』という疑問も心の奥底へしまいこんでいる。今は目の前に迫る結婚のことしか考えられなかった。
──レインを篭絡できなければ、すべてが水泡に帰してしまう。男は手駒、道具でしかない。
自分に強く言い聞かせていると馬車の揺れが止まった。車窓を開けてみるとソフィアが馬を寄せてくる。
「リリー、ダルマハルから将軍が迎えに来た。謁見を求めている」
「そう。わかったわ」
リリーはすぐに馬車を降りた。そこは緑の草原が広がるカプラナ高原で、低い背の樹木がまばらに生えている。一見すると豊かな草原地帯で、この先に砂漠があるとはとても思えなかった。
急遽用意された天幕に入るとロイドやサリーシャも控えており、リリーが入ると黙礼して臣下の礼をとる。リリーは頷き返して中央に置かれてある椅子に座った。その後ろにはいつも通りソフィアとクロエが直立する。間もなくして男が入ってきた。
「わたくしめはウルド国藩王、ロイドさまに仕えるハイゼルと申します」
ハイゼルはがっしりとした体格の老人で、甲冑の上に白いローブを纏っていた。リリーの前に跪くとちらりとロイドへ視線を送り、ロイドが静かに頷くとしゃがれた声で口上を述べた。
「わたくしは交易都市ダルマハルの城主を務めております。このたびはリリー殿下に拝謁できまして歓喜の至り」
「ハイゼル将軍、挨拶に感謝いたします。用向きを述べなさい」
ハイゼルは「されば」と咳払いして続けた。
「ダルマハル近郊の砂漠にてレイン・ウォルフ・キースリングが奉迎の陣を張っております。その数、約3万!! 軍船も10隻以上の連合艦隊でございます!!」
「「「!!」」」
リリー、ソフィア、クロエだけでなく、ロイドやサリーシャも驚いて目を見張った。特にロイドは慌てた様子で身を乗り出した。
「レインが!? レインがそのような大軍を組織したと言うのか!?」
「はい、ご子息は短期間にて兵をお集めになりました」
ロイドが尋ねるとハイゼルは日に焼けた顔で大きく頷く。驚いていたロイドはやがて嬉しそうにリリーの方を向いた。
「リリー殿下、不肖の息子ではありますが、帝国の威信をかけて殿下をお迎えに参上した様子。対面に際しましてはどうか、お褒めの言葉をかけてやってください」
ロイドは深々と頭を下げる。しかし、そんなロイドを見てもリリーの心境は冷めきっていた。
──わたしの父を殺しておきながら、自分の息子は称えろと? なんて都合のよい男……。
心のなかでは冷笑しているが、表情に浮かべるのはいつも通り優しく美しい笑顔だった。
「もちろんです。レイン殿とお会いするときは心からの感謝と、ウルドの武名を称えましょう」
「リリー殿下、ありがとうございます」
ロイドは再び深々と頭を下げる。リリーがちらりとその横を見るとサリーシャは真剣な面持ちで微動だにしない。喜びを隠せない父親とは違い、母親はどこまでも息子の身を案じている……リリーにはそう見えた。
× × ×
雨季が過ぎたカプラナ高原に乾いた風が吹いている。たおやかな風は緑の草原を吹き抜けてリリーの頬を静かになでた。
──もうすぐね……。
カプラナ高原を抜ければついにレインと出会う。目的の日も近づいていた。
──わたしが結婚するとなれば、ガイウス大帝だけでなく、帝国中から兄弟たちが集まってくる。それも、警備が厳重な帝都ではなくて辺境のウルド砂漠に……。
リリーは風に揺れる銀髪にそっと触れた。細い指先にさらさらとした感触を感じながら目を細める。考えごとをするときに髪に触れるのはリリーの癖だった
──待ち受けるのはソフィアの親衛隊とクロエの近侍隊、計5000騎……こんな好機、二度と訪れない。躊躇ってはいけない……。
リリーが物思いに沈んでいると背後で足音がする。すぐにソフィアとクロエがリリーの後ろへ並び立った。
「リリー、準備ができたらすぐに出発する」
「わかったわ」
ソフィアが告げるとリリーはゆっくり振り向く。ソフィアとクロエはリリーの顔色を窺い、緊張していることに気づくと笑顔で話しかけてくる。
「それにしても、レイン・ウォルフ・キースリングはすごいな。3万もの大軍でリリーを出迎えてくれるんだから」
「そうだよね。わりとできる男かもよ?」
話題はレインのことだった。二人ともそれなりにレイン・ウォルフ・キースリングという男が気になるらしい。リリーは「二人もレインが気になるのね」と苦笑する。
「でも、まだわからないわ。レインは『砂漠の狼王』の息子。父親の威光で兵を集めたのかもしれない。名前倒れの貴族なんて、いっぱい見てきたでしょ? それに、レインがどんな男でも関係ない。利用するだけよ」
「「……」」
リリーは言いきって歩き始める。ソフィアとクロエは一瞬顔を見合わせたが、すぐにリリーの後を追った。
✕ ✕ ✕
リリー一行がカプラナ高原を下ると急に草原が途切れ、白い砂と灰色の巨石がころがる大地に出た。さらに先では広大な白い砂漠と青い空が世界を二分している。『白砂の大地』『帝国の果てるところ』……それがウルド砂漠だった。
ウルド砂漠の入口には円形の都市ダルマハルが築かれている。ダルマハルは東西南北に延びる交易路が交わる要衝で、都市を囲むように城塞も建てられていた。30メートルはあろうかという城壁には『狼』の紋章が縫いこまれた軍旗がなびいている。
リリー一行は粛々と街道を進んだ。すると、ダルマハルへ近づくにつれて街道ぞいに人影が増え始め、ダルマハルへ入城したときには群衆となった。
「「「リリー殿下万歳!! ウルド国へようこそおいでくださいました!!」」」
人々は口々に叫んでリリーを出迎える。ダルマハルは帝都グランゲートよりも遥かに小さいが、人々の熱気は引けをとらない。それだけリリーは歓迎されていた。しかし、リリーの馬車がダルマハルで止まることはなかった。
「このままレイン殿と会います」
リリーは迷いなく宣言し、一刻も早いレインとの面会を望んだ。ところが、そんなリリーたちのもとへ驚愕の一報が飛びこんできた。
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それは、ダルマハルの中心部を通り過ぎようとしたころだった。リリーは行軍に異変を感じた。
──馬車の速度が少し速くなった……それに、ソフィアが重武装の鉄甲騎兵を展開させている……。
車窓から外を覗いていると伝令の騎兵も慌ただしく行き交っている。間もなくしてソフィアが馬をよせてきた。後ろには後列の馬車にいるはずのクロエを乗せている。クロエは軽業師のように馬の背に立つとそのまま身をひるがえし、並走する馬車へ飛び移ってきた。
「リリー殿下、失礼いたします!!」
クロエは車内へ入ると扉を閉め、遮光カーテンも閉めた。馬車は4人乗りであり、二人が向かい合って座れるつくりになっている。クロエはリリーの正面に座り、光石でできた照明灯をつけた。
「危急につき、クロエ・ベアトリクスが同乗いたします。ご無礼をお許しください」
薄明りに照らされるクロエの顔からはいつもの愛嬌が消え去っていた。目つきは鋭く、両手も腰の短刀にそえられている。
──何かが起きた……。
リリーは両手を膝の上に置き、まっすぐにクロエを見つめた。
「クロエ、いったいどうしたと言うのですか?」
「はい。ダルマハルにて変事が起きました」
「変事ですって?」
「はい。レイン・ウォルフ・キースリングが刺客に襲われたそうにございます」
「!?」
驚きでリリーの眉が上がる。リリーは少し身を乗りだした。
「それで? レイン殿は? 無事ですか?」
「額を斬られたそうですが、軽傷だったそうでございます。予定通り、ダルマハル郊外にてリリー殿下を待っておいでです」
「そうですか……」
リリーは胸をなでおろしつつ、不思議なことに気づいた。
──どうしてわたしは会ったこともない男の身を案じているのかしら……?
それは、自分自身でも説明のつかない感情だった。戸惑っているとクロエが続ける。
「襲撃者はまだ捕まっていません。リリー殿下にも危害がおよぶ可能性があります。このまま全軍でウルド国の藩都ウルディードへ向かいますので、ウルディードにてレイン殿と謁見を……」
「それにはおよびません」
リリーはクロエの言葉をさえぎった。そして、閉められた遮光カーテンの隙間から外を見る。馬車はダルマハルの城門近くまで来ていた。
「刺客を恐れて謁見を先延ばしにしたとあっては、集まった帝国軍に顔向けができません。帝国の威信がかかっています。このまま予定通りレイン殿と謁見します」
「で、でも……」
「くどいですよ、クロエ」
「……」
リリーの意思は固い。クロエは伏し目がちになり、眉根をよせてジィっとリリーを見上げる。陰気な雰囲気を放ち、不満を隠そうともしていない。リリーはクロエに顔を近づけると柔らかな口調でささやいた。
「ねぇ、クロエ。わたしは今から戦争を始めるの。そうでしょう?」
「はい」
「戦場ではひりつく空気を吸い、すべてを焼き尽くす炎へ身を投じる。ソフィアが剣なら、あなたは盾。わたしがどんな状況に陥っても必ず守ってくれる……そうよね?」
「……はい」
リリーの言葉はクロエの心へ溶けこんでゆく。クロエにとって、リリーに頼られることは何よりもの快感だった。感動して目を潤ませながらリリーの青い瞳を見つめている。やがて、リリーは唇の端をわずかに上げて微笑んだ。
「クロエやソフィアの心配は嬉しいですが、わたしはダルマハルでレイン殿と会います」
「畏まりました。この身にかえてもお守りいたします」
「ありがとう」
リリーはクロエの赤い髪をなでると次に頬へ手を添える。
「クロエ、あなたは自慢の近侍隊隊長よ」
「光栄だよ、リリー」
クロエは恍惚とした表情になり、肩を竦めて小さくなる。その口元からは熱い吐息とともにカリッという音も聞こえてきた。
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