扇屋あやかし活劇

桜こう

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一章

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 すずめの興奮に満ちた瞳は”日当八十文”の文字に釘付けだ。女中の給金に破格の八十文。破格過ぎて怪しさも破格。すずめだってそれは感じる。江戸を代表する大店だってこれほどは出さないだろう、ただの女中に。
「……ということは、ただの女中……じゃない?」
 女中以外のことをさせられるのだろうか。でも女中以外のこととは……。
 そこまで考えてすずめは顔を赤らめた。
 噂話でよく耳にするのだ。どこそこの大旦那が店の女中に手を付けた。手籠めにした。おかみさんにばれて女中は店を追い出された。しかし未練たらたらの大旦那はひそかに女中を囲い、夜な夜なその体を求めに出向く……。
「う~」
 頬を紅潮させ、その理不尽さにすずめは唸った。女中という立場を思うと小さい胸にも憤りが湧いてくる。
 経済的には豊かになったと言われて久しい江戸の時世。しかしそんな時代でも、店にとっての女中は枯葉のように軽く、いつでも掃き捨てられ踏みにじられる存在なのだ。心も、体も。
 そう体も……。
 すずめは今度は恨めしそうに女中募集の張り紙を見つめた。
 つまりこの八十文ってそういうこと? 女中の仕事と、旦那様との……え~と、なんだっけ……そう、夜伽よとぎ
 熱くなった顔に堪らず、すずめはくるりと踵を返した。
 じょ、冗談じゃない! そんなことするくらいなら餓死で結構! すずめは清らかなまま死んでいきます!
 ぐう~。
 腹が鳴った。表通りの一膳飯屋からの胃の腑を締め付けてくる匂いに、すずめは深く嘆息した。
 やっぱり嫌~。餓死は嫌~。せめて満腹で逝きたい~。
 思えば昨日の昼からなにも食べていない。もう金がないのだ。
 奉公先の旦那たちの出奔が、奉公人たちの給金日前日。もとから払う気などなかったのだろう。
 それでもすずめにはいくらかの蓄えがあったのだが、それは年下の下働きの子供たちに餞別としてあげてしまった。妹や弟のように可愛がっていた子らが、さとに帰る旅賃もないと言ってしくしく泣く姿を見て、いても立ってもいられなくなったのだ。
 しかしその結果のこの空腹。腹と背が今にもくっつきそうだ。
 すずめは足元をふらつかせつつ、もう一度、怪しい”扇屋”の怪しい張り紙を見つめた。
「八十文あれば、かけそば何杯食べられるかなあ……」
 もっと高価なものも食べられるはずだが、贅沢のぜの字も知らないすずめの頭の中にはそんなものしか出てこない。それでも山と盛られたかけそばを想像してすずめは、にへらっと頬が緩んだ。空腹感が警戒心を押しのけようとしていた。
 とりあえず話くらい訊いてみよっか。もしかしたら本当に、真っ当な女中の仕事に八十文払ってくれる仏のような旦那様が、この戸の向こうで待ってるのかもしれない。世の恵まれない女中のために一肌脱ごうとしてくれてるのかもしれない。あ、なんか、すごいそんな気がしてきた……。
 もしそうなら、これは路頭に迷いつつあるすずめにとっては天恵だ。みすみす逃す手はない。
 すずめはごくりと喉を鳴らすと、”扇屋”の引き戸に手を伸ばした。
 まずは話を訊くだけ。まさかいきなり襲ってくることもないでしょう。で、少しでも怪しいと思ったら逃げる。脂ぎったおじさんとか禿げたおじさんが出てきたら要注意ね。なんだか危なそうだもの。根拠はないけど。
 緊張しつつ、すずめは引き戸を開けた。ふと、張り紙の結びに書かれてあった”肝っ玉の据わった者に限る”が頭をよぎった。
 が、目の前に立っていた意外な存在に、それもすぐに忘れてしまう。
 え? 女の子?
 すずめを戸口で迎えたのは、おかっぱ頭の少女だった。
 年の頃は十歳くらいか。背丈はすずめの腰あたりまでしかない。ぱっちりとした瞳に薄桃のほっぺ。お人形のようなつるりとした肌に小豆色の着物が良く似合っている。
 身構えて戸を開けたすずめは、予想もしてなかったかわいらしい出迎えに、唖然として固まった。
 少女も、じい~とすずめを見上げていたが、すぐに顔を綻ばせると店の奥に向かって叫んだ。鈴の音のような声だ。
「旦那様旦那様! お客さんだぞ! 花もはじらう娘さんだぞ! 扇子を買いに来てくれたんだぞ!」
 え? ち、違うの、わたしは女中の――。
 慌てて言いかけたが、店の奥からドタタン、バタタンと物がぶつかる音や落ちる音が響いて、言いそびれてしまった。
「あ~あ、旦那様は慌てん坊なんだ」
 少女がため息をつく。
 そして――。
「ああ、江戸中の花を集めても、可憐なあなたにはかなうまい」
 芝居がかった朗々とした声が聞こえてきた。
 少女が呆れ顔でつぶやく。
「おまけにうちの旦那様は、無駄にかっこつけなんだぞ」
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