扇屋あやかし活劇

桜こう

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四章

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 苔むす石段を登りきると、蝉時雨せみしぐれの中に寺の本堂のような家屋が建っていた。
 実際に元々は小さな寺だったというその建物は、十数年ほど前からは子供たちの寺子屋として近隣住民の親から重宝されていたらしい、と道すがら我聞は、すずめと夢一に語ってくれた。
 富川町から西、五間掘ごけんぼりを越えた三間町の外れに位置するそこは、活気溢れる中心街の喧騒からは程遠い、田畑がすぐ近くに臨める長閑のどかな空気に包まれていた。
 もっぱら、女中仲間の先輩から手習いを教わっていたすずめにとって、子供たちが集う寺子屋は憧れの場だった。
 そのためここに来た理由を聞かされていないすずめは、寺子屋という名前に単純にわくわくしながら視線を巡らせていたのだが、どういうわけか、いつもはいるであろう子供たちの姿が見当たらない。
 周辺の杉木立に響くのは、頑是がんぜない子供らの笑い声ではなく、短い夏の生を謳歌する蝉の声だけだった。
 うら寂しく思っていると、今は寺子屋の講堂として使われている建物の影から、若い男が顔を覗かせた。
「我聞親分」
 中性的な顔立ちのその男は、細身の体を心持ち前傾に構え、軽やかに音もなく我聞に走り寄ってきた。
 まるで猫みたい、とすずめは男の俊敏な動きに目を見張った。しかし大の猫好きのすずめでも、猫のような男は正直微妙な感じがする。
「どうだ? 首尾は?」
 我聞に訊かれ、男はちらりとすずめを気にするそぶりを見せる。それを察した我聞が「心配いらねえ、このふたりにも手伝ってもらうことになった」と話すと、男はすずめにお辞儀をし、それから口を開いた。
「現場は相変わらずです。昨日からなにも変わってはおりません。周辺を当たってみても不審な者はなく、第一発見者も相変わらずで。残念ですが、今のところ目ぼしい手掛かりはありませんね」
 男は整然と話した。その声は穏やかで流麗で、役者のせりふのように聞こえてくる。しかしその語られる内容にすずめは胸騒ぎを覚えた。
 現場……、不審な者……、第一発見者……、手掛かり……。
 どんな能天気な者でもこれほどの言葉を並べられると、物騒な想像が思い浮かんでくる。しかもその話し相手が岡っ引きだというのだから、その物騒加減は三倍増しぐらいにはなるだろう。
 まさかここ事件現場? 刃傷にんじょう沙汰とか起きたんじゃないでしょうね。
 そう思いながら改めて講堂を見ると、とたんにその威容が不気味に思えてくる。物陰に殺人鬼やら、血に飢えた狂乱侍やら、それらに殺された亡者やらが、息を潜ませているようにさえ感じられた。
 ぶるるっと身震いしたすずめの額を、夢一が扇子でぺしっと打ち叩いた。
「あいたっ、な、なにするんですか?」
「おめえ、女中募集の張り紙に書いてあった文面、覚えてるか?」
「日当八十文」
 即答。
「そこじゃねえよ」
「払ってくれるんでしょうね?」
「たりめえだ…………たぶん」
「たぶん!?」
「うっせえな、今はその話じゃねえ。ほかにも書いてあっただろうが、張り紙に」
 日当八十文以外なにかあったっけ? ……あ、そう言えば最後になにか書いてあった。え~と、たしか……。
「――肝っ玉の据わった者に限る?」
「それだよ」
 夢一は頷くと、扇子の先をすずめの眼前に突きつけた。
「いいか、扇屋の女中には何事にも動じない、いわおのような度胸と湖面のような平常心が必要だ。あの貼り紙を見て来たおめえだ。いまさら、わたし怖がりなんですう~、なんてふざけた御託は通用しねえからな」
「わ、わたし、べつに怖がってなんか」
「けっ、腰抜かしたら置いていくぜ」
「ふん、旦那様こそ」
「てめえ、なんだその言いぐさ」
「おい、ふたりとも行くぜ」
 若い男と話し終えた我聞が声を上げた。
乳繰ちちくり合ってる場合じゃねえぞ」
「してません!!」
 すずめと夢一、同時に答えていた。
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