扇屋あやかし活劇

桜こう

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七章

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 鳩が豆鉄砲を食らったような顔で、夢一とはちみつがすずめに目を向けた。
「あ、いえ、やはり扇士が描かないと駄目なんですか? 霊験のないわたしなんかが描いても魔思は生み出せないんですか?」
「すずめ、お絵かきできるのか?」
 はちみつが期待のこもった瞳を向けてくる。
「子供の頃はね、よくお絵かきして遊んでたから」
 ひょうたんいがぐりよりはましな物が描けると思う、と喉下まで出掛かった言葉を呑み込み、すずめは夢一を窺った。
「わたしが描いちゃ駄目なんでしょうか?」
 夢一はわずかな逡巡のあと、頭を横に振った。ほんの刹那、口元に微笑がよぎる。
「扇士ってのは魔思降ろしが本業だ。もちろん己で絵を描き、そいつをまた己で降ろす奴もいるが、たいていは絵師の描いた霊扇を使う。逆に霊扇絵師も魔思を秘めた絵は描けるが、扇士のように魔思降ろしまでこなす奴は、ごくまれよ」
「ということは、霊扇絵師じゃないと魔思は描けないってことですか? ただの女中のわたしが絵を描いても魔思にはならないんですか?」
「いや、霊扇絵師のすげえとこは絵が描けるってだけじゃねえんだ」
 夢一は墨壷をつまみ上げた。
「霊扇絵師はな、墨に霊験を込めることができんだよ。その墨を用い、その特性を把握し、さらなる霊験を与え、なによりもふさわしい魔思を描けるかどうか。それが霊扇絵師の腕の善し悪しってわけだ」
「それなら霊験の込められた墨さえあれば……」
 すずめは夢一の手にした墨壷に期待のまなざしを向けた。
「これは月伊つきい仙涯せんがいって霊扇絵師の霊墨れいぼくだ。位は竹の三番」
「位?」
 夢一は墨壷を傾け、それを貝殻の墨受けに慎重に継ぎ足しながら答えた。
「霊験の強さによって霊墨は位付けされるんだよ。位は松竹梅の三つに分けられ、その中でさらに五段階に分けられる。つまり最高級品は松の一番。最低なのが梅の五番」
 墨受けに霊墨を満たし終えると、夢一は腰を上げた。
「霊墨の力を最大限引きだし、己の霊験をさらに与えて描くのも絵師の腕。どん臭い女中にそこまでは期待しねえが。霊墨さえあれば最低限、魔思を描くことは可能だ」
 夢一が真剣な顔ですずめを見つめる。
「おめえが描けるっていうなら、任せてもいいぜ」
「本当ですか?」
「早くましろを助けてやらねえとな」
 そうだ。それを考えるとすずめの責任は重大だ。
「わたし、やります!」
 すずめはすぐに腰紐を解き、それを襷がけにして着物の袖をまくしあげた。
 待っててね、ましろさん。すぐにあなたを見つけてくれる魔思を……正真正銘の”天空あまぞら千里眼せんりがん”を描くからね。
 決意を秘め扇の前に座ると、すずめは筆を手にした。その筆先は霊墨の黒に濡れ、日差しを受けてわずかにきらめく。
 緊張した面持ちで床に置いた扇と対峙する。墨と対を成す扇面の白が目に眩しく、胸の鼓動の高鳴りともに、その扇面が小さく感じられた。そんな狭いところになにを描けるというのか。とたんに不安を覚え、それが筆を持つ指先へ伝わっていく。
 描けるの? ただの女中のわたしに。
 気がつけば、筆先が震えていた。それを自覚すると、さらに身体が強張っていく。
 しっかりしろ、すずめ。わたしが描かないとましろさんが――。
 不意に、べつの扇子で額をぺしりっと打ち叩かれた。
「あいたっ」
 目を向けると、呆れ顔の夢一がすずめを見下ろしている。
「ひとが集中してるときになんですかもう! ていうか、旦那様、いつも袂に何本の扇子を隠してんのよ!?」
 それに応える代わりに夢一は、すずめを鼻で笑う。
「おめえは将軍様に献上する絵でも描こうとしてるのか?」
「え?」
「うまく描こう、立派に描こうなんて思うんじゃねえよ。何様だ? おめえはど素人。うまく描けるわけがねえ。それが道理。おめえができることはただひとつ」
 先程すずめの額を叩いた扇子で、夢一はすずめをまっすぐに指した。
「ましろを想い、己を信じ、己の思うがままに筆を振るう。それだけだろ」
「己を信じて……?」
 夢一は大きく頷き「あとのことは扇士の俺に任せな。どれだけ出来が悪くても、俺がうめえこと操ってやっからよ」と、自信満々な口ぶりで付け加えた。
「旦那様……」
 夢一の言葉に、自分でも驚くほどにすずめの気持ちは軽くなった。
 そうね、そうだわ。旦那様の言うとおりだ。できないことを無理してやろうとしてる場合じゃなかった。今、わたしにできること。ましろを想い、己を信じ、それを精一杯やるだけ……──思うがままに!
 すずめは胸に手を当て、深呼吸をすると、あらためて扇に向かって筆を構えた。
 手の震えは止まっていた。身体の強張りもほぐれていた。なにより心がほぐれていた。霊墨の染みた筆先は、これから生み出される魔思の天元を、迷うことなく指し示している。
 ただ描こう。わたしの思うがままに。
「はじめます」
 筆が舞った。
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